第4話 肝心なことは口にできなくても欲求には素直なのって強いよね?

 佐枝子とキスをしてしまった翌日、夏芽は実のところ後悔していた。昨日は頭がどうかしていたとしか思えない。

 百歩譲って、キスをしてあげたことそのものはまあ、いいとしよう。だって佐枝子のしょんぼりした顔はなくすことができたから。


 だけど、素直に目を閉じて真っ赤になりながらキスを待っている佐枝子が、何だか妙に可愛く見えてしまったのは想定外だった。

 あんなに自信がなさそうにもじもじしていた佐枝子が、自分からもっととキスをねだるのも想定外だった。


 そして何より、馬鹿みたいにドキドキして気持ちよくて、夏芽自身がもっとしたいって思っていることが何より想定外だ。


「っ、はぁー……」


 クラスが違うのは幸いで、朝気まずい中そそくさと別れてから半日頭を冷やすことができた。キスしたのはもういい。なかったことにはできないのだし。

 だけど部屋に戻ったらいつも通りにならないと。キスしただけで意識して好きになっちゃうとか、百合漫画じゃあるまいし単純すぎだ。


 昨日の夏芽は本当に、恋愛感情なんて全くなかったのだ。ただ友情として、佐枝子を放っておけないと思って、元気づけてあげたいと思った。

 夏芽だってキスをしたことはなかったけど、友達のペットになめられたことはあるし、そんな感じだと思えばどうと言うことはないと思っていたし、ファーストキスだとか気にする人間でもないと自分で思っていたから。


 だからキスで元気づけたくらいで友達と言う関係も感情も何も変わらないと信じていた。


 だと言うのに、この体たらく。自分の部屋の前で、なかなか入れずにいる。


「すー、はー……よしっ」


 小さな声で気合を入れて、何とか気持ちを切り替える。切り替えられてないけど、そう言うことにして、とにかく普通の友達みたいに振る舞うのだ。

 そう自分に言い聞かせながら夏芽は部屋に戻った。


「ただいまぁ」


 いつも通りを装って部屋に入った。


「……」


 返事がない。先に帰っているのはわかっていたし、普段は執筆中でも返事があったのに。無視なんて。どういうつもりか。むかっとしてきたので夏芽は近寄り圧力強めに声をかけた。


「ちょっと、無視?」

「わっ!」


 驚きながら振り向いて謝罪する佐枝子に、わざとではないのかと溜飲をさげ、そして同時に目があった瞬間、昨日のことを思い出してしまった。

 佐枝子とキスをした。何度も。柔らかくて温かくて気持ちよくて、思わずもう一度したくなってしまう。


 慌てて視線を画面に写して、見慣れた執筆用の白い画面に尋ねる。つい、昨日のことを引っ張ってしまったのは仕方ない。全くなかったみたいにするのも不自然だ。


「あー……あの、ですね。その……参考にしようと思い出すだけで、頭が真っ白になって、夏芽さんのことしか考えられなくなってしまって。本当に、申し訳ないです」

「そ、あ、謝らなくてもいいけど」


 だけど佐枝子は書けないのだとしょんぼりしてそう謝罪した。素直に謝られて夏芽の方が慌ててしまう。

 参考になればもちろんいい。だけどそんなの結局は単なる理由付けでしかないのだ。自然にキスしてあげる言い訳として取材だなんて言葉を選んだに過ぎない。


 なのに素直に謝られて、真面目が過ぎる。それにまるで昨日の再現みたいに、しょんぼりした顔をして。そんな顔をされたら。


「……じゃあさ、またすればいいんじゃない?」


 馬鹿だ。夏芽は馬鹿だ。これ以上はいけないって自分でわかっているのに。これ以上は、友達に戻れないって本能が警告しているのに。

 どうして佐枝子がしょんぼりしただけで、それをやめさせたいって感情が暴走してしまうのか。そして何より、また気持ちがいいキスをしたいって、思ってしまってる。


「まあ、それはそうですけど。でも……」


 昨日は佐枝子の方がもっともっととねだった癖に。今になってまたもったいぶるように、もじもじしながら真っ赤な顔で恥じらっている。


「でもなに?」


 だけどその姿が、誰より可愛い。いかれている。そんなわけない。容姿だけなら例えば佐枝子の推しのアメリの方がよっぽど美しく愛らしい。

 そう頭で思っても、感情が佐枝子が世界で一番かわいいのだと主張する。可愛い。抱きしめたい。


 だけどそれは駄目だ。無理強いをするのは違う。夏芽はあくまで、佐枝子に悲しんでほしくないのだから。だからどんなに自分がしたくても、佐枝子が本気で嫌がるならしてはいけない。

 でもそんなはずがない。昨日あんなに愛らしくキスをねだった佐枝子が、嫌なんて言うはずがない。わかってる。これもまた言い訳だ。夏芽はただ、佐枝子に自分から夏芽を求めてほしいだけだ。


「その……ほ……ほんとに、いいんですか?」

「……目、つぶりなよ」


 決定的なことは言わず、だけど自分じゃなくて夏芽がいいのかなんて、暗にしたいと伝えてくるそんな奥ゆかしさに夏芽はたまらなくなってそう少し強めに指示した。


「……ん」


 昨日何度もしたばかりなのに、すごく久しぶりにすら感じてしまう。気持ちよくて、力が抜けてしまいそうな、恥ずかしい声がでてしまいそうな、そんな気持ちだ。


「……」


 唇を離してもまだドキドキする胸を抑えながら目を開けると、佐枝子は固まったように口に力をいれて少しすぼめたみたいなキス顔で目を閉じたままで、じっと何かを待っている。

 その健気な姿に我慢できなくて肩を抱くようにしてさっきより強く口づける。


 気持ちいい。もっと佐枝子を感じたい。佐枝子の可愛いところを見たい。


 そんな思いがあふれて、我慢できずに夏芽はぺろりと佐枝子の唇をなめていた。


「んっ」

「んん!?」


 佐枝子はびっくりしたみたいで肩を震わせたのが手に伝わってきて、少しだけ唇を離す。もう視界に佐枝子しか見えない。

 眼鏡が少しずれて、まん丸の目がまっすぐ夏芽に向かっている。その視線がくすぐったくも心地いい。


 今までずっと、色んな百合をキラキラした目で見ていた佐枝子。だけど今はそれが夏芽にだけ向けられている。

 そう思った瞬間、佐枝子が好きだ。と自覚した。と言うか、認めざるを得なかった。


 恋愛感情なしでキスをして、それを切っ掛けで恋をするなんて、あまりにもベタな百合漫画の導入だ。そう思うけど、どうにもならない。自分でもびっくりするほど気持ちが燃え上がってしまっている。


「い、い、今、今、あの」


 好きだ。

 今目の前で、混乱したようにぐるぐる目になってあわあわしている佐枝子が可愛く仕方ない。


「気持ちよかった?」

「っ……!」


 何か言いたいみたいだったけど、今何をしたかなんてわざわざ言わなくたって佐枝子もわかっているはずだ。佐枝子は夏芽以上に耳年増なはずなのだから。

 だから今必要なことを端的に尋ねると、佐枝子はこくこくと愛らしいお人形のように頷いた。


「そ。じゃあ、もっと、するね」


 もう取材だなんて言い訳すら面倒で、夏芽はそう端的に言った。

 興奮してうまく言葉が出ないのは佐枝子だけじゃない。夏芽もまた、言葉なんてどうでもいいくらい興奮しているのだ。


 夏芽の一方的な宣言に、だけど佐枝子は当然の様にそっと目を閉じて受け入れてくれた。

 夏芽は最初はそっと、だけどすぐに感情のまま、情熱的に佐枝子とキスを交わした。









 佐枝子ととんでもないキスをしてしまった。それそのものはいいけど、少しやりすぎてしまった気がしていた。ちょっと涎がこぼれてしまって、それから二人して翌朝になっておはようと言うまでずっと無言だったし、目をあわせられなかった。

 別に関係が変わったわけではない。夏芽は佐枝子を好きになってしまったけど、ちゃんと取材を名目にしていたままだから、一応関係は友人のままだ。


 夏芽としても、さすがに今すぐ関係を変えるのは抵抗がある。と言うか、気恥ずかしい。好きだなんて言ったら、じゃあ取材は言い訳で下心で言ったと思われてしまう。二回目はその通りだけど、一回目はちゃんと友情だったのに。

 それに佐枝子は夏芽より頭がいい。夏芽のように簡単に、キスしたから好きになるなんてことはないだろう。


 こんなに可愛い顔を向けてキスをねだるくせに、と腹立たしい気さえするけど、夏芽から言い出したし夏芽もその時はそんな思いはなかったし、何よりキスって純粋に気持ちいい。恋愛感情がなくたってしたくなっても仕方ない。


「ねぇ」


 部活が終わってから部屋に戻り、すぐ夕食を食べてお風呂にはいる。と言ういつもの流れだけどちょっと目があうとお互い少し気まずくて、お風呂も離れて入ってしまった。

 でもいざ部屋に戻って、当たり前みたいに佐枝子が机に向かうと、なんとなくベッド側に座るのは遠く思えて夏芽は自分の机の椅子を佐枝子よりに引っ張って隣に座りながら声をかけた。


「え、な、何ですか?」

「ちょっと執筆するの見ててもいい?」


 別に何をしたいとかがあるわけではない。何となくだ。


「えぇ……は、恥ずかしいです」

「いいでしょ。取材に協力したんだから。静かにしてるから」

「そ、それはそうですけど……きょ、今日は何を書きましょうか」


 強引に顎でPC画面をしゃくるようにして促すと佐枝子は戸惑いながらも目を合わさないままでPCに向かい、手をキーボードに置いて新規画面を出した。


「……」


 今日はまた新しくするんだな。前のオリジナル小説面白かったけどあれの続きは書かないんだ。と思いつつ、佐枝子の横顔を見る。

 こんな風にじっくり見ることはなかった。眼鏡も横から見ると分厚さがよくわかる。きっと幼少期から暗い中で本を読んだりしていたのだろう。

 いつもは遮られてよく見えないけど、眼鏡の向こうの佐枝子の瞳はしっかり大きくて、まつ毛もちゃんと長い。こうして見るとより一層幼げに見える。

 そしてそれが、可愛らしい。


「あ、あの? 何がいいですか?」

「え? あ、私に聞いてるの?」

「……はい」


 画面を見ていた佐枝子はちらりと夏芽を見て小さく頷いた。何だかおびえているような、いつになく小さくなっている。


「ごめんごめん。独り言で気合入れたのかと。え、私のリクエストで書くってこと?」

「えぇ、まあ。今日はちょっと、ネタが降ってこなくて」


 そう気まずそうに言われたけれど、夏芽にはその感覚はわかない。そもそもネタが降ってくる感覚がわからない。気分がのる時とのらない時があると言うことなのだろうか。

 それはともかく、小説を書くところを見学するのは建前で、実際には別に、佐枝子を見ていたいだけだ。だからどうでもいいのだけど、本人がしょぼくれているので何かきっかけ位はあげたい。


「んー、じゃあ折角なんだから、キスを題材にしたらいいんじゃない?」

「むっ、無理ですよ」

「え? なんでよ」


 百合小説を書きたいなら恋愛に関するお題ならちょうどいいかと思ったのだけど。

 何故か佐枝子はとんでもないとでも言わんばかりに顔を真っ赤にして振り向き、夏芽と目があった瞬間俯いた。


「な、なにその反応。照れるんだけど」

「と、と言うか、なんで夏芽さんはそう、普通に、いえ普通ではないですけど、そう、普通にしてるんですか。私はさっきから、夏芽さんが隣にいるだけでその、小説なんて書けないです。まして、キスなんて、そんなこと言われたら、意識しないわけないじゃないですか!」

「……」


 別に普通に、しているつもりだけど、できているとは思っていない。だいたいいつもはこんな風に隣に座らないし。

 でも確かに、佐枝子ほどではないだろう。いつもは何よりも小説を書くことを楽しんでいたのに、夏芽がいるだけで小説なんて書けないなんて。


 胸の奥が熱くなる。あれだけ情熱的だったのに、今はそれを忘れたみたいに夏芽を見ているのだ。夏芽だけを意識しているのだ。

 好きな相手にそうされて、嬉しくない人がいるだろうか。今まで夢中だったことすら、夏芽より優先順位が下がってしまったのだ。


 たとえそれが恋愛感情ではなくても、嬉しいに決まってるし、それに、もしかして恋愛感情になるのでは? と期待だってしてしまうのが当然だ。


「だったらさ……もっとなれるまで、取材したらいいんじゃない?」

「え、う……そ、それはその、えっと」


 より椅子を近づけて体をもたれてぶつけながらそう提案すると、佐枝子ははっとまた一瞬夏芽を見てから慌ててそらし、ごにょごにょと口の中で言葉を泳がせて返事にならない何かを言っている。

 そんな煮え切らない態度もまた、可愛く見えてしまう。


「目、閉じたら?」

「っ」


 ぎゅっと閉じられた瞼が、精一杯の自己主張だと言うようで、おねだりされているようで、夏芽はすぐに口づけた。


 ずっと、佐枝子がキスになれなければいいと思いながら。

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百合豚と普通のオタクがちょっとしたきっかけでズブズブとはまっていくよくある話 川木 @kspan

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