私が生きていくための理由

 イカダを進水させ、水に浮かべる。


 私が乗っても安定しており、飛び跳ねたりしない限りは沈みそうにない。これなら安全だと、香魚も頷いてくれた。


 ……まあ、ここまで来るのにかなりの失敗と試行錯誤があったわね。浮きのペットボトルが足りなくて沈みかけたり、フレームに使う竹の縛りが甘くて糸が解けたり。いろいろ大変だったわ。


 今の状態にしても、陸から少し離れた場所で動きを確かめている程度。竹を切って作ったオールを使って、船を動かす訓練をしているだけだ。手漕ぎで進むことは稀だろうけど、何かあった時の為に覚えておいた方がいいという香魚の意見だ。


 このイカダを動かすのは、オールでもなく風を帆で受けての推進力でもない。一応設置しているけど、そんなの操船素人の私が使えるわけがない。少しずつ学んではいくけど、一朝一夕でどうにかなるものではないのはわかってる。


「じゃあ行きますよ。香織お姉さま」


 水面から顔を出した香魚が手を振る。そして水中に潜った。私の視線からは見えないけど、船の底部にあるロープをつかんで――泳ぎだす。がくんと体が揺れ、イカダは前に進んでいく。


 この船を動かすのは、香魚だ。香魚がイカダをつかんで泳ぐ形で前に進む。時速にすれば20キロぐらいだろうか? 私が漕ぐよりも圧倒的に早い。さすがに大丈夫って聞いたけど、


「全然大丈夫ですよ。こういう状況に適するのがAdaptableアダプタブル Unitユニットですから」


 水中活動に適するように進化した香魚の体は、さほど苦にもならないらしい。純粋なパワーで言えば私よりも強いし、エネルギーも水中のプランクトンで問題ないとか。なんなのよ、それは。


「なんて言うか、私本当に役立たずなんだなぁ、って実感するわ」

「むしろこういう場所こそ香魚が活躍できるんですよ。香織お姉さまが地上で何かあっても何もできないんですし」

「まあそうなんだけどさあ」

「それに安心はできませんよ。こんなイカダ、嵐が来たらすぐにひっくり返るんですから」


 こんなイカダ、と香魚は言う。実際、大自然から見ればちっぽけなモノだ。竹で作ったフレームに2Lのペットボトルを数十個縛って固定し、その上に板を乗せた程度の船。畳三畳分の板の上には竹で作った帆がある。


 雨風を塞ぐものすらない原始的な船。嵐どころか大波に飲まれればあっさりひっくり返るだろうモノ。こんなもので旅に出るなんて、世界が変わる前なら考えもしなかっただろうし、一笑に伏しただろう。


「そうね。でもどうにかなるわよ」


 自分でも楽観すぎるだろうと思う意見。でも怖気づく気はない。香魚をこの状況から救うためなら、どんなことだってやってやる。すべてはそこからだ。香魚の中で暴走している水生生物のDNAをどうにかして、そこからは……。


「もし香魚が地上を歩けるようになったら」


 そんな日がいつか来るのなら。


「何処かの教会で結婚式でもしようか?」

「え?」

「教会じゃなくてもいいか。そういう雰囲気の出る場所で、そういうことをしたい」


 どこだっていい。なんだっていい。香魚と一緒に歩むっていう儀式をしたい。


「香織お姉さま……」

「その前に、婚姻届けでも書く? どこかの市役所にあるでしょ。さすがにもう書類としては機能してないだろうけど」

「……日本では同性同士の結婚は認められてませんよ。香魚も戸籍はあってないようなものですし」


 Adaptableアダプタブル Unitユニットである香魚は、日本国籍を持っていない。日本では異性同士しか結婚できない。そんなことは私だって知ってる。


「そうね。でもそれもこれもどうにかするわ。どうにかして誤魔化して、どうにかして乗り越えて。それで一緒になるの」


 困難だなんてことは知ってる。容易じゃないなんてわかってる。


 それでも好きな人と一緒にいたいっていう気持ちは変わらない。


 世界が水に沈んで変わってしまい、国も法律も水の底。世界がどうなっているかなんて全然分からない。もしかしたら全員無事かのかもしれないし、私達が知らない場所で別の国が復活してるかもしれない。


 香魚の……Adaptableアダプタブル Unitユニットの治療だってもしかしたらすぐに解決するかもしれないし、頑張っても無理かもしれない。所詮私はただの子供で、香魚を救うなんてできないかもしれない。


 無謀なんてわかってる。無知だってことも知ってる。何の力も知恵もない女子高生だった私がこの世界で出来ることなんてちっぽけなんだとしても、それでもこの気持ちだけは押さえられない。


「好きよ、香魚」


 この気持ちが原動力。


 この水没世界を進むための力。私が生きていくための理由。


 これだけは譲れない。これだけは負けられない。この気持ちがあれば、なんだってできる。そう信じてる。


「だから一緒に生きましょう。この世界を泳いで、何時か何処かで二人で幸せになるの。

 宝島でもなく、クジラを狩るでもなく、海賊退治でもなく、ロマンや冒険じゃなく、私と香魚が結ばれるために」

「……ロビンソン・クルーソーが聞いたら指さして笑いますよ。そんなの」

「いいじゃないの。他の人に笑われたっても。むしろ好きに笑ってればいいわ」


 うん。笑われてもいい。なんて馬鹿な理由なんだって指さされてもいい。それでも香魚が一緒にいる限り、もう私は止まらない。行けるところまで行ってやるわ。


「そうですね。そのためにもいろいろ頑張りましょう。とりあえず保存食様に魚を釣って燻製にないと」

「釣りとか苦手なのよね。燻製も煙たいし。缶詰を下の街から拾ってくるとかでどうにかならない?」

「缶詰を探して持ってくるよりは、魚を釣る方が楽ですよ。きっりり焼けば大丈夫ですし栄養価も高いです。

 そもそも航海中はどうやってタンパク質確保するつもりなんですか? 釣りができないんなら航海は許可できません」

「そうなんだけどさー」


 まあ、苦手なことはある。釣りをしたり、釣った魚を調理をしたりはまだ慣れない。魚ってぬるぬるしてるし生きてるから暴れるしあの無機質な目で見られるのはちょっと怖いし。


「何度もやってるけど、そのあたりはちょっと慣れないのよねー」

「そうなんですか? かなり手馴れてきてると思いますけど」

「心を無にしてるだけよ。ふと我に返るとうっ、てなるわ」


 香魚の下半身が魚だから、って思うといろいろ思う所がある。完全に違う生き物として扱えないわ。


「食べないと死んじゃうんですから、その辺りは慣れてくださいね」

「そうなのよね。コンビニが懐かしいわ」

「まさにConvenienceべんりなものですよね」

「あ、コンビニってそういう意味だったんだ」

「本来の意味を知らなくてもいいぐらいには日常的だったんですね」

「そうよね。あって当然のモノだったし」


 香魚が水面下の街から持ってきた缶詰はまだ残っているけど、それは保存食として置いてある。魚が釣れなかった時用の非常食だ。幸いにして素人が作った釣り竿とスプーンを切って作ったようなルアーでも魚は釣れる。それだけ魚の数が増えたという事なんだろう。


「実際に船出できるのはもう少し先かな?」

「ですね。水域が上昇した高さを考えると、近くの陸地……標高が高くて建物がありそうな場所は1か月ぐらいかかりそうです。まずはそこを目指しましょう」

「そこにAdaptableアダプタブル Unitユニットの研究施設があるの?」

「そこにあるわけじゃありませんけど、そこから近い場所です。間違いなく水の下ですけど」

「……望み薄いなぁ」

「何か見つかればラッキーぐらいですよ」


 イカダも完成しつつあるし、目的地も決まった。


 ここを発つ日も、遠くない。

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