香魚と二人で生きたいの

「危険です」


 香魚を守りたい。そう言う私を前に、香魚は頑固にそう言った。


「世界の気候がどう変わったかが分かりませんから、船出は安全とは言えません。大波にのまれればイカダは転覆しますし、気温の変化で体調を崩すこともあります。

 何よりもどれだけの期間航海をしないといけないかが図れません。地形も様変わりしてるでしょうから、既存の地図もあまり当てにならないでしょう。航海計画を立てることすらできません」


 香魚は船出の危険性を説く。


 素人がペットボトルで作ったでは嵐などに会えばひとたまりもない。様々な要因で病気になることもある。そしてどれだけ航海すればいいのかわからない。だから船出は危険なのだ。


「香織お姉さま、香魚のことを心配してくれるのならむしろ無茶しないでください」


 無理して死ぬのは香魚だって嬉しくない。私だって死にたいわけじゃない。ずっとこのままテント暮らしも悪くはない。香魚とずっと傍にいられるなら、それでいいっていう思いもある。


 だけど、ダメ。このままだと、香魚が苦しいだけ。体内のDNAが暴走して、何時か触手っぽいヤツになっちゃう。香魚は必死に隠してるけど、そんなのお見通しだ。


 香魚の形が変わるとか、そう言うのが嫌なんじゃない。


 香魚が望まない未来を、私の為に歩ませるのが嫌だ。私の為にこの子の笑顔が消えるのが、ヤダ。


「あの、どうしたんですか? 帰ってくるなりそんなこと言うなんて。道の駅で喧嘩でもしたんですか? まあその、妹さんとは反りが合わないという事でしたけど」

「お兄さんの方に倉庫に閉じ込められて、子供産まないかって迫られたわ」

「香織お姉さま、呪いの藁人形って効果あると思います?」

「待って。いろいろあって無事解決したから。だからそんな顔するのやめて」


 世界全部を呪い殺しそうになる香魚の表情を見て、きちんと説明を開始する私。嫉妬してほしくてわざと変な言い方をした事を反省する。隠し事、ダメ。私は道の駅であった事を正確に報告する。


「……というわけで全部解決したから――」

「二人がここに来たら言ってくださいね。酸素無し水中ツアーに招待しますから」

「やめてさしあげて」


 絶対あの二人はここには呼ばないでおこうと心に誓う私。まあ香魚も冗談で言ってるんだろうし大丈夫……よね?


「とにかく、妹を助けないといけないって思ったわけなのよ」

「むー。香魚を助けたいと思ってくれるのは嬉しいですけど」

「けど?」

「やっぱり危険です。……お姉さまに何かあったら、香魚はもう生きていけません」


 頑として香魚は首を縦に振らない。私を心配して。


 それは私がいないと人間のDNAが手に入らないから、という危機的な状況の意味もあるだろう。人間の知性を保つために、人間のDNAが必要な香魚。私の唾液じゃなくてもいいのに。それこそ私を騙して立花兄妹を連れてきて、それを捕らえてDNAを採取してもいい。


 それができないのが香魚だ。能力的にできないのだろうし、性格的にもできないんだろう。私の自由もきちんと認めてくれる。自分の体が大事なら、それこそ私を逃さないで捕まえておけばいいのに。


「香魚。それは私も同じ。香魚がいないと生きてられない」


 言って香魚のほほに手を伸ばす。壊さないように、ゆっくりと。


「香魚がいない今なんて考えられない」


 手が頬に触れる。香魚の肌の感覚と温度が手のひらから伝わってくる。


「私は香魚と一緒に生きたい。この水没世界で、香魚と二人で生きたいの」

「香織お姉さま」


 香魚と見つめ合う。心臓が激しく高鳴り、好きという気持ちがあふれ出る。香魚も同じ気持ちなのが、手にとるようにわかる。自然を体をかがめて、香魚の顔に私の顔を近づけていく。


 好き。


 気持ちを自覚して、その気持ちを乗せて、私は香魚と唇を重ねた。最初は軽く、そして少しずつ深く。


「ふ、ふゅ……ふ、ん……」

「あ、んっゆ、ふぁぁ、あ、ん」


 唇だけを重ねるだけのキス。いつものDNA交換は水分補給じゃなく、気持ちを重ねるように唇を重ねる。そう思うだけで、頭の中がチカチカしてくる。ボーっとすると同時に、唇の感覚が鮮明になってくる。


 柔らかく、温かく、それでいて生々しい。だけど全然嫌じゃない。むしろもっとこの感覚を味わいたい。違う、香魚をもっと味わいたい。立花兄妹の愛撫をが脳裏をよぎる。自然と私の手は香魚を抱き寄せ、香魚の体をまさぐっていく。


「んん、お、おねえ、さま……」

「あ、ゆ……香魚……」

「だ、め……そこ、は、だめで、す。だめ!」


 激しい拒絶の声。そしてどんと突き放される。


 拒むような香魚の手に、私の脳裏は冷える。冷静になると同時に、自分の行為を恥じた。私、香魚になって事したんだ。何しようとしたんだ。それを恥じると同時に香魚を傷つけたことを後悔する。


「ごめん、香魚。気持ち悪かったよね。その、唾液交換のはずなのに」

「え……」

「うん、普通に、唾液だけ交換して、終わろう。その方が、いいよ、ね」


 言葉がまとまらない。


 香魚に拒絶された。そのショックが大きかった。


 わかってる。私が暴走して、香魚の事を傷つけたんだ。好きって気持ちが大きくなりすぎて、この子をもっと味わいたいって気持ちが大きくなって、立花兄妹を思い出してエッチな気持ちが暴走して。


 香魚の気持なんか何も考えずに好き勝手したら、そりゃそうよね。いきなりそんなことされたら、傷ついて当然だし、拒絶しても当然だ。


 わかってる。悪いのは私で、香魚は自分を守っただけ。頭の中では理解しても、拒絶されたっていう事実は心に残る。


「あの……違うんです。そう言うんじゃなくて」

「ううん、いいよ。無理しなくて。気持ち悪かったわよね、いきなりあんなことされて。私が勘違いしてた。香魚の気持ちとか全く考えてなかった私が悪い」

「だから違うんです。その……を素手で触るのは、危険ですから」


 香魚は腰部分を指さし、言い放つ。と示したそこにあるのは、香魚のヒレだ。


「結構硬くて鋭いですから、いきなり触れるとスパッと指切っちゃいます」

「……それだけ?」

「はい。……あとは、いきなりだったので、少しびっくりしました」


 少しむくれるように、香魚が言う。


「そこは……ごめん。香魚の事が可愛くて、つい暴走して」

「ふへへへ、お姉さまの可愛い発言ゲットです。実はちょっと嬉しかったんですよ。でもお姉さまを傷つけたくなくて」

「嬉しかった、の?」

「嬉しいに決まってるじゃないですか。好きな人に抱きしめられて、優しく体中触られて」

「……言葉にされると、照れるわよね」


 香魚に『好き』って言われて、顔を背ける私。だけど香魚はそれを許しません、とばかりに手を伸ばして私の顔を戻した。


「お姉様だって、大概私のことを言葉でメロメロにしてくれますよ。さっきだって『私と一緒に生きたい』って言ってくれましたし。これってプロポーズですよね」

「それは……そんなつもりはなかったけど」

「けど?」


 問い詰める香魚。自分と同じDNAを持つ妹。そこから目が離せない自分。


「……ごめん。そんなつもりあったかも――んっ」


 心のままに私は応える。その唇を塞ぐ香魚の唇。香魚の手がさっきのお返しとばかりに私の恥ずかしい部分に迫ってくるのを感じた。私はそれを受け入れるように、香魚を強く抱きしめる。


 私と香魚の体は、いつも以上に水面で重なり合った――

 


 

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