そうね、分からないわ

「貴方に何が分かるのよ……!」


 私の言葉に里奈ちゃんは目に涙を浮かべていた。悔しそうな、苦しそうな、今までため込んだ何かが爆発しそうな顔。


「ずっとずっと、隠れて愛し合ってた! ずっとずっと、誰にも認められなかった! お父さんにもお母さんにも、学校のみんなにも言えなかった!

 誰も彼もが『お兄さんカッコいいね』『仲のいい兄妹だね』『あんなお兄さんがいて羨ましい』って言ってくれたけど、本当に言ってほしいことは誰も言ってくれなかった!」


 裕也さんと里奈ちゃんの関係は、仲睦まじい兄妹だ。だけど二人は愛し合っていた。兄妹であると同時に、恋人同士だった。誰もがそれを疑うことなく信じてきて、2人も兄妹の関係をうまく演じていたのだ。


 ……まあ、あの里奈ちゃんのおっそろしい殺気ヤンは普段は隠していたんだろう。っていうか普通の格好していったら、普通に対応されたんだろう。辺に裕也さんを誘うような感じだったから、ああなったんだ。多分。


「ずっと恋人同士だったのに、誰も祝福してくれなかった! 誰にも言えなかった! 

 ねえ、わかる!? 世界全部に拒絶された気分を! 一番大事な、心の宝物を認めてもらえない気持ちを! ずっとずっと、そうやって生きてきたの!」


 彼女はずっと認めてほしかった。愛する人との仲を良かったね、って言って欲しかった。相思相愛でおめでとうと祝福してもらいたかった。ずっとずっと。


 吐き出すものを吐き出せたのか、しばらく沈黙が落ちる。


「……世界がこんなことになって」


 ボロボロと涙を流したまま、落ち着いた声で里奈ちゃんがつぶやく。


「誰もいなくなって、モラルだとか兄妹は愛し合えないとか、そんなことを言う人がいなくなって。ようやくお兄ちゃんと遠慮なく愛し合えるって思ってたの」


 さっき存分に愛し合ってたじゃないのとか、あそこまでやって遠慮してたのとか、という言葉は飲み込んだ。私、空気読んだ。


「でも……本当は皆に祝福してもらいたかった。お父さんやお母さんや、学校のみんなに『おめでとう』って言って欲しかった。みんなに私とお兄ちゃんの中を認めてほしかった」


 里奈ちゃんが欲しかったのは、愛を認めてもらう事。兄を好きという感情を祝福してもらう事。


 お兄さんとの仲を軽視してるわけじゃない。むしろそれは前提条件だ。この愛を、この気持ちを、この世で一番大事な心の中の宝物を、良かったねって言って欲しかったのだ。


 一番大事な気持ちを、気持ち悪いと言われた。


 一番大事な感情を、許されずに生きてきた。


 一番大事な人を、世界は祝福しなかった。


  世界が水没して、認めてくれる人は全部いなくなって。


「もう、それもかなわない。私達は皆に認められないままだった……」


 愛を認めてほしい。愛を祝福してほしい。この素晴らしい気持ちを分かち合いたい。


 そんな当たり前のことを、この子は許されなかった。許されない愛だった。これまでも、そしてこれからも。その可能性さえもなくなったのだ。


「ねえ、そんな気持ちが分かるの? 分かるわけないわよね。私達の事、ヒくとか言ってるんだし」


 さらけ出した心の疵。妄想するしかできないとばかりに、自傷して、自嘲して。


 この子が欲しいのは祝福だ。この子が欲しいのは同意だ。愛を認めてほしい。この気持ちを祝福してほしい。


 兄と妹の仲。かつての社会では愛し合うことが認められなかった仲。日本に限らず世界中で近親交配は禁忌とされている。遺伝的にどうこうだっけ? ともあれ兄妹同士で愛し合うのは、許されない。それはもう常識として根付いている。


 だけど世界は一変し、モラルもまた書き換わる。法律は意味をなさず、それに伴い常識も変化する。裕也さんの言葉を借りるなら『かつては常識だったことが滅びに繋がることもある』という奴だ。


 だから、私がここで里奈ちゃんを祝福すればある程度は救われる。通りすがりの赤の他人だけど、2人が愛し合っているのは見てわかる。だから愛を認めるのは嘘じゃない。


 そう頭の中で理解しながら、


「そうね、分からないわ」


 私は、静かに言い放った。


「里奈ちゃんの気持ちは分からない。二人がどれだけ苦しんで、どれだけ悩んでたかなんて理解もできない。

 私が見てわかったのは、二人の行為がヒくぐらいに激しい事だけよ。いきなりキスしてあんなところまで触りだすとか。しかもそれを当然とばかりに受け入れるとか」


 うん。あれはヒく。それは間違いない。ちょっと目が離せなかったのは確かだけど。


が貴方達の愛なの?」

「そうよ! お兄ちゃんは小さいころからずっと里奈の事を愛してくれたの!」

「……ちっちゃいころから里奈ちゃんにあんなことしてたの?」

「何か問題でも?」


 私の問いにさも当然とばかりに応える裕也さん。……一番の問題者はこの人なのかもしれない。まあ、もう、それは今追及することじゃないんだけど。いろいろ手遅れ感があるというかなんというか。


「そう。じゃあ私の意見は変わらないわ。貴方の気持ちは分からない。貴方の苦しみもわからない。貴方の愛もわからない。

 その気持ちは里奈ちゃんだけのもので、その苦しみも里奈ちゃんだけのもので、その愛も里奈ちゃんだけのものよ。それを通りすがった私が理解したフリなんかできないわ。ずっと抱えて生きていけばいいのよ」


 知り合って二日程度で十何年も築き上げた関係を理解できるはずがない。


 いいや、仮にこの二人と共に時間を歩んだとしても、その気持ちを完全には理解できないだろう。どこまでいっても、他人なのだから。どこまで深い関係でも、当人ではないのだから。


 その愛は、貴方のモノ。その恋は、貴方のモノ。


 ただ、私に言えるのはただ一つだ。


「誰かを好きになることは、決して恥じることじゃないわ」


 言いながら、私は香魚の事を心に浮かべる。


「認められなくても、許されなくても、関係が複雑でも」


 人間じゃなくて、女性同士で、互いに命を預け合う関係でも。


「貴方には貴方の愛がある。それはわかるわ。

 それをずっと抱えていてもいい。いつかどこかで昇華してもいい。誰かに認められるために頑張ってもいい」

「……もう認めてくれる人がいないのに?」

「分からないわよ。もしかしたらこの水がなくなるかもしれないし、皆どこかで生きてるかもしれないじゃないの。

 人生なんて何が起きるか分からないのよ。常識じゃありえない理由で生き延びた人だっているかもしれないし」


 まさか人魚に救われるなんて、私も思わなかったもんね。


「なんなのよ。煙に巻いたような言い方して。わけわからない」

「私の言葉なんてどうでもいいでしょ。貴方のお兄さんを奪うわけでもないし、二人の邪魔をする気もないわ。

 誰かに認められなくて悲しくても、愛することを止めることなんてできないんでしょ? ならそのまま頑張るしかないじゃない」


 そうだ。頑張るしかないのだ。この兄妹も、私と香魚も。


 たとえその先にあるのが悲哀だとしても。二人の孤独な道だとしても。


「わけわかんない」


 不満げな顔で同じことを言うが、里奈ちゃんの声に棘はない。少なくとも、さっきまで見えていた傷の痛みは感じられない。


 私の言葉で彼女の過去が全部清算されたなんて思わない。それは彼女自身が時間をかけて付き合うものだ。克服するか、屈するか、逃げるか。それを選ぶのは本人だ。


「そうね。貴方の事は通りすがったスク水痴女とでも思っとておくわ」

「それはやめて」

「私がどう思うかなんて私の勝手だし」

「だからこの格好は意味があって」

「でも痴女だし」

「まあ痴女だな」

「仲いいわね、アンタ達!」


 兄妹そろって痴女扱いされて叫ぶ私。いやまあ、否定できない格好なんだけどさあ!?

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