人類と妹を天秤にかけて

 当然と言えば当然だけど、生物は子供を生むことで種族を繁栄させてきた。


 それは人間だけではない。動物も植物も虫もだ。微生物やウィルスみたいによくわからないモノもあるけど、寿命がある限りは次世代を残すことは大事になる。誰も子供を生まなくなったら、その種族は寿命と共に滅びるだろう。


 滅んだ種族。子供を生めなくなって、消えていった生き物たち。そんなのはいくらでもいる。有名なのは恐竜だろう。あるいは人間が文化圏を広げることで消えていった種族もいる。レッドリストだっけ? そう言う記録もあるのは間違いない。


「子供を生まないと、人類という種は滅びる」


 平時なら冗談か、あるいは気が狂ったとしか思えない。人間は世界中にたくさんいる。誰かが子供を生むだろうというのが常識だ。


 だが、その常識は消えた。全て水の中に消えていった。こうしている間にも世界は水に飲まれて、人間の生息範囲は狭まっているのかもしれないのだ。


「どうしても、逃がさないつもり?」

「そうだ。それが生き延びた人間の義務だ」


 私の言葉に裕也さんは頷く。生き延びた人間の義務。人間という種族を存続させるのが、人間として生を受けた者の義務。次世代を残し、世界を繋いでいくことがこの水没世界でやらなくてはいけないこと。


「言いたいことはわかるわ。世界がこんなことになった以上、そう思うのも仕方のないことだもんね」


 裕也さんの意見は正しい。正確に言えば、正しくなってしまった。


「そうだ、仕方ないんだ」


 苦しむように、自分を納得させるように言葉を放つ裕也さん。彼とて納得はしていない。出会って数時間程度の女性相手に子供を生ませる。そんなことを喜んでするような性格ではないのだ。


「いやならやめればいいのに。今なら気の迷いですむわよ。こういう状況だから、気が逸ったって思えるし」

「いいや、そうはいかない。……そうは、いかないんだ」


 たとえ自分のモラルに反する行為であっても、納得するしかない。その表情からはそんな重さを感じた。自分で選んだ拷問。人類の未来のために悪行を被る決意。


「里奈ちゃんに怒られるわよ」


 私の言葉に動きを止める裕也さん。


「尊敬する兄が無理やり女性を襲うなんてことをしたら、なんて思うかしらね」


 後、私が殺されかねない。


「里奈は……何とか説得する」

「あの子の気持ちに気づいてるんでしょ。なのにそれを無視してこんな事するの?」

「そうだ。里奈には酷いことをしているという事もわかっている」


 裕也さんの表情は、さっきよりも重く暗くなる。人類への義務よりも、さらに重い罪を背負っているとばかりに。


「それでも里奈の気持ちに応えるわけにはいかない」


 強くこぶしを握り締め、裕也さんは言い放つ。


「僕は里奈の兄だ。里奈は僕の妹だ。だから、手は出せない」


 その言葉にどれだけの思いが込められているのか、私にはわからない。ただ少なくとも、裕也さんにとって里奈ちゃんの存在は欠かせないのだという事は伝わってくる。


 兄と妹。私には血のつながった兄弟姉妹はいない。だからその重さはわからない。


『香織お姉さま』


 だけど、妹はいる。血は繋がっていないけど、同じDNAを持つ妹が。一言では言い表せない関係の妹がいる。


 だからだろうか、


「人類と妹を天秤にかけて、人間を取るの?」


 言うべき言葉は、言わなくてはいけない言葉は、思うより前に口に出た。


「…………」

「私なら、自分を好いてくれる妹を取るわ。正しいとか未来とかそんな事よりも、自分の傍にいる妹を取るわ」


 言ってから、自分が怒っていることに気づいた。


 この怒りは今襲われそうになっているという事実に対してじゃない。


「里奈ちゃんの気持ちに気づいてるのに、なんでそこから目を逸らすのよ。なんでそれを裏切ろうとしてるのよ」

「……妹に手を出すわけにはいかない。それが、兄としての――」

「それは、貴方の価値観じゃない。里奈ちゃんと話はしたの?」


 相手の気持ちに気づいていながら、それに向き合わない態度に対してだ。


 そしてそれは、


(裕也さんは、私だ。香魚の気持ちに向き合わない私だ)


 自分の事を好いてくれる香魚に対して、いろいろ誤魔化してる私なのだ。違う違うと目を背けて、香魚の好意に応えずにいる自分の態度。


「裕也さんも、里奈ちゃんと離れるつもりはないんでしょ」


 私も、香魚と離れるつもりはない。


「裕也さんも、里奈ちゃんを傷つけることは本意じゃないんでしょ」


 香魚を悲しませることなんて、したくない。


「だけど、里奈の気持ちに応えることは――」

「貴方達の関係は貴方達だけの事だから、どうしろこうしろなんて言わないけど」


 ああ、いやになる。なんてブーメラン。それを自覚しながら、言葉を放つ。


「好きなら好きってきちんと言いなさいよ。そこからじゃないの。

 自分の中だけでだめだとか決めつけて、それが相手を傷つけることになるなんてもったいないじゃない」


 そうだ。私は香魚との気持ちを見て見ぬふりしている。


 こんなに好きなのに。こんなに愛してるのに。その事を伝えないでいる。


「……気づいていたのか、僕の気持ちに」

「あんだけがっつりブラコンなのに嫌がらない時点で確定じゃない」

「まあ、そうだな……。やりすぎなのは理解しているのに、それでも可愛いと思ってる時点で、バレバレか」


 むしろそうじゃなかったらどうしよう、ってぐらいに仲睦まじい兄妹だ。好意の度合いにいろいろ問題はあるけど。むしろ兄なんだから止めろよってずっと思ってたぐらいなんだし。


「すまない。皆川さんには謝って許されることじゃないと分かっているが、酷いことをした」


 思いとどまったのか、頭を下げる裕也さん。


「いいわよ。未遂だし気の迷いだって思って忘れるわ。世間話をしてたらたまたま倉庫の扉が閉まったのよ。ホウキも偶然」

「いやしかし」

「私もいろいろ思うところがあるし。なんでノーカン」


 言って手を振る私。この件が無かったら香魚との関係にいろいろ迷ってただろう。見て見ぬふりしてた気持ちを、ようやくはっきりと自分の中で形にする。


 香魚が好き。愛してる。ずっと一緒にいたい。


 認めると、胸がほわっとしてきた。これが恋なんだって、腑に落ちた。


「話を蒸し返すつもりはないけど、里奈ちゃんと子供を生むのは裕也さん的には許されないのね」

「ああ。里奈は妹だから、手は出せない」


 この二人が結ばれてくれれば、私としては気が楽なんだけど。でもこればかりは当人たちの問題だ。さっきも言ったけど、他人が口出しするわけにはいかない。


「妹とは、未だに女ではないと書く。つまり、に手を出してしまえば妹ではないのだ」


 …………はい?


「幼いころから毎日キスすることを習慣づけさせ、お風呂も手狭になるでは一緒に入り、体中全部触ったがだけは手を出さない。それが妹に対する兄としての態度――」

「いや待って。には手を出さないって……それ以外には手を出してるの!? その、キスとかお風呂とか言ってるけど、比喩抜きで体中全部触ったの!?」

「何を言う。それぐらいの触れ合いは兄として当然のこと。里奈もそれを受け入れてくれた」


 さも当然、とばかりに言い放つ裕也さん。


 つまり、なに? ちっちゃいころから里奈ちゃんはこの変態兄貴にキスされたりお風呂入ったり、全身いろいろ触られたりしてたわけ? んでもって、里奈ちゃんもそれを受け入れてたわけ?


「里奈は僕に女にしてほしいと懇願するが、兄としてそれはできない相談だと拒んだ。それからそのことはあまり話し合うことはなく、行為だけを重ねていたが――」

「あ、はい。もういいです」


 もう聞きたくないです、とばかりに手を出す私。そっかぁ……里奈ちゃんがヤンデレブラコンだと思ってたけど、裕也さんの方が超絶シスコンで里奈ちゃんが堕とされた形だったんだ……。鶏が先か卵が先かはわからないけど。


 いろいろツッコミたいけど、これは二人の関係だ。第三者が何かを言うべきじゃない。って言うか、関わりたくない。


(世の中、いろんな人がいるんだなぁ……)


 うん、深く考えないでおこう。

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