人類という種のおしまい

 離れの倉庫に袋にまとめてあるペットボトルを手にしてみる。軽いとは言うけど相応の数があればそれなりの重量になるし、大きければかさばる。テントに持っていけるのは一つぐらいだろうか。そんな袋が3つほどある。


「結構な数がありますね。これ全部二人で飲んだんですか?」

「まさか。もともとここでため込んであった分だ。リサイクル者が来るまでため込んでいたんじゃないかな」

「そっかそっか。一日二日じゃさすがにこれだけ溜まらないか」


 私の言葉に立花兄――裕也さんが言葉を返す。いろいろ激動で忘れそうになるけど、水が世界を包み込んだのはつい先日の話だ。気を失っていた時間を考えても、三日も経っていない。


「……そう言えば、道の駅の店員さんは? お二人以外誰もいないんですか?」


 ふと気づいて問いかける。この道の駅で見たのは立花兄妹の二人だけだ。ここを経営していたと思われる道の駅の人はどこに行ったんだろうか? ……なんでその疑問に今至ったのかというと、妹ちゃんのインパクトが強すぎたせいである。


「ああ。彼らはまだここまで水が上がってくる前に車を使って山を下って行った。家族を迎えに行きたかったのか、或いはパニックに陥っていたのか。

 だがこの結果を見る限り、ここに留まったほうが正解だった」


 わけもわからない水没。地震や台風のように『慣れている』わけでもない災害に対して落ち着ける人間なんていない。私もあの時は死を覚悟した。ここに留まっていても数時間後に水かさが増え死ぬかもしれず、もっと高い所に急いで移動したほうが助かるかもしれないのだ。


「そうね。何が正解なんて、わからないわよね」


 正しい方法なんて、その場その場で変わる。もしかしたらここにいても助からないかもしれない。情報が分からない以上、動くほうが正しいことだってある。結果論だけで他人を攻めることはできない。


(私も、香魚がいなかったら死んでいた。香魚も、同じ。あの時あの場で出会ったから、私達は今も生きている)


 今生きている。それが奇跡的な確率なのだと改めて認識する。


「そうだ。正解なんてわからない。かつては常識だったことが滅びに繋がることもある。今はそんな時だ」


 裕也さんの言葉に、重い決意のようなものを感じる。同時に、


「え?」


 バタン、と倉庫の扉が閉められた。小窓から光が入ってくるが、薄暗い倉庫に恐怖を感じる。そんな状況の中、裕也さんはゆっくりとこちらに近づいてくる。


 蝶番の代わりなのか、扉にはホウキでつっかえをしている。内側は簡単に取れそうだが、外からは開けるのに難儀しそうなセキュリティ。それをしたのは裕也さんだ。外にいる里奈ちゃんからの介入を止めるために。


「あの、どうしたん、ですか?」


 後ろに下がりながら問う私。逃げ場などなく、すぐに背中が壁に当たった。裕也さんの真剣な顔が、薄暗い中妙に印象的に目に映る。


「皆川さん、どうしてもテントに戻るというのか? ここにいるわけにはいかないか?」


 距離にして三歩。その位置で止まる裕也さん。狭い倉庫という事もあり、その横を進むのは無理だ。逃げれば捕まえる。そんな裕也さんの気迫が私の足を止めていた。ようやく私は狭い部屋で男女二人きりという状況を認識する。


「そうね。それは変わらないわ」


 裕也さんへの怯えを隠すように、きっぱりと言い放つ。その結果何をどうされようとも、この意見だけは変わらない。香魚のところに戻らないという選択肢は、私にはない。


「それは里奈が君に対して当たりが強いという理由なのか?」

「……それがないとは言わないけど」


 うんまあ。あの妹ちゃんと一緒にいるのは無理。っていうかお兄さんと妹ちゃんの間にいるのは無理。


「すまない。里奈には言って聞かせる。これまでいろいろ甘やかしてきた僕にも責任がある」

「いやその、甘やかしてきたとかそんなレベルじゃないって言うか」


 やんちゃする妹の教育が悪かったとか謝られてるけど、そう言う問題じゃないし。むしろ甘やかされた妹の恋心が原因なだけだから。


「里奈は僕に恋心を抱いている」


 はっきりと言い放つ裕也さん。


 ……あれで気づかなかったら、鈍感を通り越して人の心に興味がないとしか思えない。いくら妹が恋愛対象外だとはいえ、あの妹ちゃんの言動と行動は恋心とか言う可愛いものじゃないから。


「そのせいでせっかく生き延びた貴方を放逐するようなことになるのは大問題だ。世界がどうなったかわからない以上、最悪の状況を考える必要がある」

「最悪の状況?」

「ああ、もう世界には文明を立て直せるだけの人間はいない。……最悪、僕ら以外の人間は全部死んでしまったかもしれない。

 救助は来ず、人類という種族はこのまま滅びを待つしかない。そんな状況を」


 考えすぎだ。悲観すぎる。そう笑いとばせる状況ではない。


 見渡す限りの水。しかもそれは未だに増え続けているのだ。何がどうなっているのかなんて誰にも分らない。かつてあった文明は水に飲まれ、築き上げた技術は水泡となった。人類という種のおしまい。


『恐竜は隕石落下による環境変化で絶滅した』なんてのを思い出す。その時までは地上を制覇していた種族とて、滅びるのだ。人間がそうじゃない理由がどこにあろうか。今私たちがその瀬戸際にあるのだと、誰が違うと言い切れようか。


「そんな状況だからこそ、この出会いをなかったことにすることはできない。……この機会を逃せば、次世代を残せないかもしれない。

 僕と子供を作ってくれないか?」


 次世代。子供の事だ。


「突拍子もないことを言っている自覚はある。しかしこれは最悪の状況を考えれば無視できない問題なんだ。出会ってすぐの女性にこんなことを言う非常識は理解しているが、しかしそうもいっていられないのも皆川さんなら理解できると思う」

「あ、そうね。理解はできるわ」


 少し前に香魚じゃないAdaptableアダプタブル Unitユニットが言っていたことだ。あと香魚もいろいろ暴走していた。次世代を残すことの重要性。人類という種族の存続。


「酷い男だと罵ってもらっても構わない。しかしラジオから流れる情報を聞く限りは救援がやってくるとは思えない。電気もなく、この道の駅にある食料がなくなるまえに、新たな食糧確保の手段を得ないといけない。

 こんな状況で子供なんて考えられないだろうけど、それでも無視してはいけないことなんだ」


 私を説得するように言葉を重ねる裕也さん。


「無理やり襲ったりはしないんだ。縛ったりとかすれば、簡単にできるのに」

「それは最後の手段だ。人間である以上、尊厳は守りたい。それに皆川さんの知識面を借りたい部分もあるから、できるだけ仲良くありたい」

「こんなところに閉じ込めて説得するようなやり方で、それができると思うの?」

「……そうだな。だけど皆川さんを逃すのが最悪なのだと思うと、これしかなかった。人間として、人間という種族を存続させないといけないから」


 閉じ込めるような真似をしてできればお願いとか、ちぐはぐだ。


 だけど仕方ないのかもしれない。裕也さんだって苦渋の選択なんだろう。水没する前ならまず考えない考え。出会ってすぐの女性に子供を生ませようとするなんてありえない。だけどそれを為さないといけない状況なのだ。


 世界が水没し、人間はもういないかもしれない。


 人間という種族を世界に残す。そのためにかつてのモラルを捨てる。それを馬鹿だのありえないなど言い捨てるつもりはない。これを逃せば次の機会はないのかもしれないのだから。


 もちろん、私だって素直に頷いてやるつもりはない。納得してやるつもりはない。


「許してほしいなんて言わない。だけど、子供だけは産んでもらう」


 一歩近づく裕也さん。男と女。その力の差は歴然だ。私に抵抗する術は、ない。


「香魚」


 委縮しそうになる体。それを香魚の名前を呟いて持ち直す。うん、大丈夫。絶対帰るから。 


 

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