あの二人を、尊く感じた【Adaptable Unit side】

「同胞は人間を共に生きることを選んだか」


 香織と香魚に触手を伸ばしていたAdaptableアダプタブル Unitユニットはそれを確認する。


 未曽有の水害。それにより多くの海産物のDNAを取り込むと同時に、水害で亡くなった人間のDNAも取り込んだ。その際に体躯が肥大化し、肥大化した体躯を維持するために更なるエネルギーが必要になる。


 そのエネルギーを賄うために捕食を行い、その際得たDNAをさらなる進化に回し……結果として10mほどの大きさになる。足には無数の触手が生え、形状はイカのように錐状に変化する。


 その大きさを支えるための骨は存在するが、1Gの重力を受ければ間違いなく折れる。水中である程度の浮力があるから耐えられるだけで、体を水上に出すことはもうかなわないだろう。


 大型生物のデメリットは、エネルギー消費量の多さだ。大きくなった生命を維持するためのカロリーは多く、それを得るためには狩りをせねばならない。しかし狩りをするにもエネルギーが必要になる。それで力尽きれば、本末転倒だ。


 故に基本的には伏して待ち、獲物が近づけば素早く動いて捕らえる。その際の動きも最小限である必要があるのだ。迅速に、そして正確に。大きさを生かして暴れまわれば、無駄なエネルギーを消費してしまう。


 それがAdaptableアダプタブル Unitユニットという存在が見出したこの世界での進化の果て。周囲に擬態し、獲物を捕らえる触手を進化させる。水の底で動かず、ただ獲物を待つ日々。


 故に、地上に触手を伸ばすという行為は自殺的でもあった。遠くまで触手を伸ばし、視界を得るために水晶体を形成し、その後会話をするために口腔を作り出し。その触手を襲われないようにするために微弱な音波を発して。


 それを行うエネルギーだけでもかなりの量だが、それをすることによるリスクも高い。隠密性を重視しなければならない状況なのに、自分がここにいると知らしめるように触手を伸ばして音波まで発するのだ。


 周りの水生生物からの警戒度は、かなり高まったことだろう。しばらくは獲物を得るのは難しくなる。最悪、移動を考慮しなければならない。それも相応のリスクだ。移動するのもまたエネルギーが必要になり、大きさゆえに目立つのだから。


「だが、その価値はあった」


 香魚と名付けられた同胞。自分のように巨大を選んだのではなく、小回りの利く進化を選んだ同胞。体内に取り込んだDNAの暴走を抑え込み、上半身を人型に保った。それは控えめに言って――愚行だ。


 確かに小さな体はエネルギーを必要としない。自分のような悩みはないだろう。人間文化の生み出した食料を得れば、十数年は生存可能だ。水面下に沈んだ町から得られる物資。香魚にしか得られないそれらは、この世界では大きなアドバンテージになる。


 だが、それを維持するためには常時人間のDNAを摂取する必要がある。そのために生きた人間を必要とするのだ。生物的には足枷だろう。番として子を孕ませる対象としてなら理解もできるが、同性同士ではそれも不可能だ。


 費用対効果が悪すぎる。愚行としか言えないのはそういう事だ。不要な存在を共にしていきるメリットなど生物にはない。そこまでして得られるアドバンテージがリスクに見合っていないのだ。


 最初香魚という個体から話を聞いたときは、その人間を捕らえてDNA精製の為に飼育しているのかと判断した。逃亡できないように捕らえ、DNAを得るための器にしているのだと。しかしそうでもないらしい。


『そんなひどいことできません!』


 そんな提案に対し、明確に怒りの感情を向ける同胞。効率よく生きるための意見だというのに理解不能だ。


 そもそも同胞が何故人間の肉体と頭脳にこだわるのかも、理解できなかった。


 自分は人間の遺体を大量に食らうことで人間のDNAを得て、そこからなんとか知性を保っている。しかしそれとて長くはない。取り込んだDNA量で言えば水産生物の方が多い。香魚という個体のように暴走を抑えることなく、流れるままに進化した結果だ。


 香魚という個体はそれを拒んだ。変貌するこの世界に対応することを拒み、人間と共に生きる進化の道を選んだ。それが理解できず、それを確認するためにリスクを冒して地上の観察を行った。


『香魚、ぅ……』

『香織お姉さまぁ……』

『『ぁ……っ。んんんんん……!』』


 交わされる唾液交換。互いの名前を呼ぶ必要も、強く抱き合う必要もない。DNAを得るだけなら一方的に奪えばいい。対象にろ過した水を与える必要があるにしても、不要な工程だ。


 だというのに、疼くものがある。


 かつて人間の精神を有していた自分。Adaptableアダプタブル Unitユニットとして、人間の情緒を持っていた自分。もう消えそうになりつつある人の心が、疼いていた。


 愛し合うこと。


 生物として効率よく生きることを選んだ自分が捨てた、人としての価値観。狩りをする生物に特化したモノにはもう取り戻すことは叶わない、人としての価値観。


 水面で抱き合い、慰め合い、励まし合い。あの人間と香魚という個体の間には、確かにそれがあった。生物として非効率的で、生産性もなく、この世界では意味をなさないだろう


 世界が水に沈んだ状況において、そんなものは塵芥だ。大波に飲まれれば消える命に拘泥して命を失うことは、間違いなく愚か者だ。死んでしまえばすべてが終わる。そこに価値なんて何もない。


『ずっと一緒だから』

『……っ!』

『香魚と離れるなんて、私の選択肢にはないから』

『あああ、あああああ!』


 泣きじゃくる同胞。それを支える人間。


 ともに儚い命。ともに無意味な命。文明が水没した世界において、小さくちっぽけな命。


 だというのに、そこから目が離せなかった。人としての心などとうに消えていたと思っていた。多くの命を食らい、その罪悪感さえも消え失せ、明日消えるかもしれない命を維持するために狩りに研ぎ澄ました獣の精神。なのに、なのに――


 あの二人を、尊く感じた。


 愛を捨てなかった二人。愛を保とうとする二人。決して夢見がちで無知なわけではない。現実をしっかり受け入れて、その上で愛し合うことを選んだのだ。捨てることが最適だと知りながら、それでも共にあろうとする二人。


 それに敬意を抱かずして、何が人間か。


「その価値はあった」


 いずれ消えゆく人間の心。いずれ水底を這うだけの獣になる存在。この敬意さえも、消えてしまうのだろう。


 それでも、この感覚があれば誇りを持てる。人間だったこと。愛を尊いと思える存在だったこと。その感情を抱いたことを誇りにして、胸を張って生きていける。水底のAdaptableアダプタブル Unitユニットは静かに瞑目した。


 まあ――


「しかし次代を残せぬ問題はいずれ禍根を残すやもしれぬ。もしもの為に子種は用意しておいた方がいいだろうな」


 2人の愛を尊く感じてはいるが、2人のどちらかを妊娠させて次世代を残したいと思う程度には思考が人間離れしているのであった。


 ※     ※     ※


 その頃水面では、


「ところで香魚、あの触手とどんな話をしてたのよ?」

「互いの現状確認ですよ。そのあと『なるほど。雌性同士ならでは子種は必要だろう』ってしつこく触手伸ばして迫ってきましたけど」

「……やっぱり殴っときゃよかった」


 ――百合の間に挟まる触手生物、許すまじ。

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