愛よりも大事な価値観

「ゴ……バボ……ごご、ごんびじば……こん、にち……。こんにちは」


 私と香魚が抱き合う水面近くに浮上したのは、蛇状の何か。香魚は触手って言ってたけど、つまり水中にいるAdaptableアダプタブル Unitユニットの手足みたいなものか。


 その先端に口のようなものがぱっくり開いて、そこから声を出している。よく見れば目らしい部分もある。イメージとしてはウミヘビ? スーパーで売ってるお肉みたいな柔らかさだ。


「すまない。陸上で会話をできるようになるのに時間がかかった。不快な思いをさせて申し訳ない」

「あ、いえ」


 最初は意味不明な音だったけど、次第に言語になり、そして会話になる。環境に適応する存在。その能力の一端なのだろう。


「……よくわからないけど、結構すごいことやってない、この触手?」

「そうですね。水中環境に適した生物が地上にコンタクトを取るために触手を伸ばして成長させて、水圧変化や浸透圧と言った環境変化に耐えうる形状を維持しつつ外敵排除としての微弱音波発生。それを維持しながら先端を口腔に変化。水上で会話可能な声帯形成をしています」


 軽く聞いてみたら、本当にものすごい事だった。


「香魚も似たようなことはできるの?」

「理論上は可能です。ですがそのためのエネルギー消費は膨大です。水中からここまで届く触手を作るだけでも、今の私が一日で消費するカロリーの150倍が必要になります」

「うん。簡単じゃないのはわかったわ」


 基準となる香魚の消費カロリーが分からないけど、それの100倍以上と言うのならかなりのものなんだろう。それをわざわざ作って伸ばしてきたのだ。何のために? 話をするためにそこまで疲れることをする必要あるの?


「っていうか、水中の人と交渉はしてないって言ってたじゃない」

「『交渉』はしてませんよ。お互いの現状を情報交換しただけです。情勢を知るのはどんな状況でも大事ですから」

「……言葉遊びにも聞こえるけど、まあいいわ。確かに無視できる相手じゃないし」


 ここで言う『交渉』はAdaptableアダプタブル Unitユニット同士共に過ごすか否か、と言うことだ。それとは別に話をする分にはまあ問題ない。


「香魚の現状を話したら『その者を見たい。そして話がしたい』という事になって」

「そう言うことはもっと早く言いなさいよ」


 言ってくれたらコイツにキス……DNA交換を見られることはなかったのに。やってることがやってることだから、あまり見られたくないっていうか。……二人だけの秘密を邪魔されて拗ねてるとかじゃなく!


「お姉さま成分が足らなくて限界だったんです」


 えへ、と笑みを浮かべる香魚。やばい。かわいい。


 落ちつけ私。『お姉さま成分=DNA』だ。つまりそう言うことで、私と離れて寂しかったとか、抱きしめてほしかったとかキスしたかったとかそんなんじゃない。いや、そういう意味もあるんだろうけど……とにかく落ちつけ私。抱きしめたくなるのストップ!


「……まあ、いいわ。とにかくわざわざ水中からデバガメしに来たのね。御苦労様」

「労り痛み入る」


 皮肉を込めた言葉に、そんな言葉が返ってくる。……皮肉とか冗談とか通じないみたいだ。それを理解する情緒がないのか、あるいは面の皮が厚いか。


「で、何の話がしたいの? ……えーと、名前はないんだっけ?」

「個体を示す名称はない」

「じゃあ『貴方』で呼称するわね。貴方は私と香魚の話を聞いて、私と話がしたくなった。そう言うことでOK?」

「その解釈で問題ない。香魚――貴方がそう呼ぶ我々の同胞の話を聞き興味を抱いた。Adaptableアダプタブル Unitユニットの正体を知り危機感を感じず、何よりも世界が変貌しても心が折れずに前向きな姿勢を示している。

 その献身性の高さや心の在り方に人間としてのすばらしさを感じた次第」


 なんか喋り方が古風ね。感情もなさそうな、冷徹なイメージをうける。


「アダプタなんとかに関しては命を助けられたっていうのもあるし、世界がこんなことになって前向きなのもあまり現実感がないだけよ。これからどうしたらいいのかとか、どんな苦難が待ってるのかとか全然ヴィジョンないし。

 正直、香魚がいなかったら死んでるし同士らいいのかもまるで見当がつかなかった。今こうして正気を保っていられるのは、香魚がいたからなのは間違いない。そんな香魚に危機感を感じたり恐怖を感じたりとかそんなことはできやしないわ」


 偽りない本心だ。私はただの人間で、しかも子供だ。サバイバル知識なんてないし、水泳なんて年齢相応。香魚があの時助けてくれて、知識を与えてくれて、一緒にいるから生きていこうという気になっているに過ぎない。


「確かに出会いは偶然であったことには違いない。しかしその出会いを強固にしたのは貴方だと聞いてる。DNA提供にも積極的で、不安に揺れる同胞の心を支えたのだと」

「……香魚、私の事なんて話したの? ものすごく美化されてるんだけど」

「そのままですよ。香織お姉さまは人間とAdaptableアダプタブル Unitユニットの間で揺れる私を支えてくれて受け入れてくれたとか、その辺を詳細に」

「まあ、そう言うこと言ったけど」


 改めて言われると気恥ずかしい。そしてそれを誇らしげにする香魚の笑顔を見ると、もっと恥ずかしい。私の言葉が香魚を支えて、こんな笑顔にしたんだ。そう思うと恥ずかしいけど、決して嫌な気分じゃない。


「あとキスの時の舌の動きとか。最初は戸惑ってたけどすぐに激しくなって、最後はお姉様の方から香魚の方に舌を絡めて――あだだだだだだ! 鼻つままないでください!」

「そんなこと他人にべらべら話すんじゃない!」


 何ってことを話すのよ、この子は! 別の意味で恥ずかしい……! 


「提供された情報に齟齬があるかのような反応だが?」

「そうですよ。香魚は嘘は言ってませんよ。なのに酷いじゃないですか」

「ノーコメント! って言うか、貴方はその確認がしたかっただけなの?」


 黙秘権を行使して、強引に別の話題に切り替える。


「用件は他にもあるが、DNA提供の実状は大事なこと故確認させてもらった」

「……人のキス事情を確認しようとか、本当にデバガメね」


 そう言えばさっきからキスしてるところずっと見てたんだし。本当にAdaptableアダプタブル Unitユニットって変人ばっかりね。香魚も含めて。


「人間側の貴方からDNA提供行為に積極的であるのは感謝の極み。同胞の安定性が増す。同胞の状態は不安定。雑多なDNAが混ざった状態では形状維持が難しく、取り込んだ海生生物の獣性に支配される可能性もある。

 その件もあってAdaptableアダプタブル Unitユニット同士でコミューンを作らぬかと相談したところ、人間のDNA供給は賄えると供述。暴走しかかっている同胞の虚偽情報の可能性もあったので確認させてもらったが、真実だと知り安堵した次第」


 私の皮肉に真面目な答えが返ってきた。香魚はDNA供給されないと不安定だから、積極的にDNA交換を行う私の存在と行為を確認するのは大事なことだ。香魚が嘘言ってるかもしれないし。そういう事だ。


「……うわ真面目。要するに貴方は香魚が心配だから見に来たってこと?」

「その通り」

「あー……うん、そうよね」


 キスがどうとかデバガメがどうとか言ってた私がバカみたいだ。DNA供給の観点から香魚を心配して思いっきり無茶して見にきてくれたのに。


「じゃあ安心したでしょう?」

「いや。供給源が一人と言うのは不安だ。提供者が一つでは不慮の事故で喪失したときのリカバリーが効かない。そして性染色体がXXだけでは繁殖もできないゆえ、可能であれば性行為可能なXY遺伝子を持つ雄性個体が望ましい」

「……せ、性行為て……」

「言語に誤りがあったのなら謝罪する。受精するための行為を表す単語のつもりだ。貴方にわかりやすく哺乳類で言えば勃起した――」

「詳しく言わなくていい! 間違ってないから!」


 性行為を詳細に説明しようとするのをい強引に止める。いや、そんなこと言わなくてもわかってるし。こいつが言いたいのはそう言うことじゃないのもわかる。


「つまり、女性の私一人だけだと不安てわけね。安全性と将来的に」 

「理解が早くて助かる。こちらがか確認したいのは同胞の安全性。故にAdaptableアダプタブル Unitユニット同士でコミューンを形成しようと提案した。

 雌性体である同胞のみでは生物的に行き止まり。雄性をもつ私と共に過ごさぬかと。現状、貴方と同胞だけでも生物的には繁殖できない」


 女性同士は子供が産めない。


 それは子供でも分かる理屈だ。どれだけ愛し合っても、同性同士だと子供が産めない。そんなのは言われるまでもない。


 少し前――世界が水没する前なら『愛があるから』とか『養子縁組で』とか言えた。それを受け入れるだけの文明の地力があった。だけど――


「世界が変わり、文明が崩壊した矢も知れぬ大洪水。人類のDNAが途絶える前に繁殖して多くの子を残すことは、生物として大事な使命」


 文明の力は水の下。人間と言う種族が消えるかもしれない大災害。愛よりも大事な価値観が、確実に世界に生まれていた。


 ……べ、別に香魚の事が好きとか愛してるとか、そう言う前提があるわけじゃないんだけどね!

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