香魚と離れるなんて、私の選択肢にはないから
「は、あの、香織おねえ、さ、ま……んくぅ!」
「ん、ちゅ……ん、ぁ、っ~~~、んん~~!」
香魚を抱きしめ、唇を塞ぐ。香魚の柔らかい唇の感覚が脳を刺激し、それがスイッチになったのか香魚を抱きしめる手に力を込める。呼吸のために一瞬唇を離し、そしてまた重ねる。
「く、んむぅ……ぁ、はぁ……んっ……んんんんんん!」
「……ん、んあ、ひぅ、う……ふぅ、はひ……ふ、っ!」
唇を重ねながら、香魚の体を撫でる。背中、腰、そして魚の鱗の部分。上から下まで撫でた後で、もう片方の手で頭を撫でた。さらりとした香魚の髪の感覚が手から伝わる。香魚の体が震えて脱力していくのが、抱きしめた全身から伝わってくる。
「か、おり、お姉さま、ぁ……ど、どうしたん、です、かぁ?」
唇が離れる度に、絶え絶えになりながら問いかける香魚。今までこんなことなかったから疑問に持ってるんだろう。それでも拒否はしない。それが嬉しかった。寄りかかる香魚の体重に、胸が疼く。
「香魚が言ったことでしょ。水分補充は大事だって。暑いし、沢山水が欲しいだけよ」
「ぁ……っ。ん……ん、ちゅ、ぁ……!」
香魚の質問に答えた後で、反論は許さないとばかりに私は香魚の唇を塞ぐ。逃さないとばかりに、頭を強く抱き寄せるようにして。口腔内に届く香魚の熱い吐息。香魚の熱い声。香魚の、気持ち。
私の事が好き。大好き。その気持ちが伝わってくる。その気持ちが心に響いてる。それに気づかないほど鈍感じゃない。
なのにこの子は――だからこそこの子は私と別れた方がいいなんて言うんだ。ずっと一緒にいたいってこんなに想ってるくせに。目線も、声も、息遣いも、私を抱きしめる手も、何もかもが離れたくないって言ってるくせに。
言ってることは正しい。人間は人間同士。同じ者同士のコミューンで過ごすのが一番だ。ましてやこういう世界になったんだから、助け合うのが一番だ。そんなことは言われるまでもないし、私だって同意する。
だけど――
「ん、んん、っ……お、ねえ、さまぁ……」
「あゆ、あゆ」
唇を重ね、名前を呼び合う。声は小さく、呼ぶあうだけの会話ですらない会話。
なのに、こんなにも伝わる。
「ずっと一緒だから」
「……っ!」
「香魚と離れるなんて、私の選択肢にはないから」
「あああ、あああああ!」
離れたくない。ずっと一緒にいたい。そんな気持ちがずっと伝わってくる。涙を浮かべる香魚の唇に自分の唇を重ね、その後で泣きじゃくる香魚を抱きしめた。
「香魚は、香魚は人間じゃないんですよ……!」
「今更じゃないのそんなの」
「DNAをもらわないと怪物になるんですよ……!」
「だから一緒にいるって言ってるのよ。香魚をバケモノになんかさせないわ」
「……家に入って過ごせないかもしれないんですよ……!」
「家に住むばかりが幸せじゃないわよ」
「うう、うう、うええええええええええん!」
いう事がなくなったのか、香魚は大声をあげて泣く。仕方ないなぁ、と私はその頭を撫でてやった。
水の中で生きていける人魚。水没した世界に適した存在。なのにこの子はこんなにも泣き虫だ。私なんか捨ててしまえばいいのに、それができない。私の幸せばかり考えて自分の幸せを殺そうとする。
「香魚。私の幸せは私が決めるわ」
正しいことはあるのかもしれない。そうすべきこともあるのかもしれない。
だけど、私の幸せとそれが合致しないのならそんなの知ったことか。
「ずっと、ずっと一緒でいいんですね!?」
「ええ。ずっと一緒よ」
「人間じゃないのに、いいんですね!?」
「当然よ」
「お姉様の足とか見て『げへへー。きれいな足―。なでたいなめたいさわさわしたーい』とか思ったり『こっそりバストの事を気にしてるお姉さま可愛い』とか思っちゃうけどいいんですね!?」
「いやちょっと待て。とくに後者! 胸の事なんか気にしてない!」
「え? でも私の胸を見た後で胸に手を当てて――」
「わーすーれーろー! いいや、そんだけじゃない! ここ五分の記憶を全部失えー!」
私は香魚を抱きしめる後頭部に力を込める。経絡とか秘孔とかあるなら突いて記憶を失わせたい! 今、ものすごく、恥ずかしいこと、言った気がするし!
「きゃああああああ!? 記憶を司る海馬は脳の内側にあるから後頭部を締め付けても意味はないです! すとっぷ! いたいいたいいたーい!」
叫ぶ香魚の声を聞きながら、赤面する自分を納めようと脳内で必死に円周率を唱え続けていた。香魚とずっと一緒にいるのが私の幸せ。そう受け取れるようなことを言った気がする。
香魚と一緒にいるのが私の幸せ。それって……その……私は香魚の事が――
違うのよ! 確かに私の幸せは私が決めるし、香魚とずっと一緒にいることは言った。けどこの二つはイコールじゃない。そう、そうよ。香魚と一緒にいるのは、香魚が自分の気持ちを殺そうとするのが許せないだけ!
香魚が私ことを気にかけたり、私の事を好いてくれることは……その、嬉しい。それは、認める。この子の気持ちが、嬉しい。だけどそれと私の気持ちは別問題で、私はあくまでペット感覚とか友人感覚で香魚の事が好きなだけであって、愛とか恋とかそういう気持ちは……。
『ん、んん、っ……お、ねえ、さまぁ……』
『あゆ、あゆ』
熱く香魚の名前を呼び合い、重ねる唇。ついさっきの行為を思い出す。思い出せば思い出すほど顔が熱くなり、心臓が自分の気持ちを告げる。
香魚の事が好き。
香魚の事を愛してる。
香魚とずっと一緒にいたい。
「記憶を失うのは私の方だったー!」
「きゃああああああ!? 落ち着いてお姉さま! 被虐嗜好は許容できますけど自殺願望はダメですー!」
近くにあった石を手にして自分の頭を叩こうとする私を何とか止める香魚。すったもんだの末、私はようやく落ち着いた。
「…………人間、何処までも過去を背負う生き物なのね……」
「よくわかりませんけど、そんな愁傷的なお話じゃない気もします」
「うるさい。とにかく、つまんないことで悩まないで。香魚には私が必要だし、私のも香魚が必要なの。だから離れるのはなし。そういうことよ!」
「はい。香魚には香織お姉さまが必要です!」
にこにこと笑顔を浮かべる香魚。……守りたい、この笑顔。それぐらい想うのは、普通の感性よね。うん、普通。私は普通の子。香魚が可愛いのは認めるし、離れるなんて論外。香魚と屋根付き生活の二択なら、香魚を取るわ。
……別に愛とか恋とかじゃなく。こんなに慕ってくれる子を自分の幸せのためにポイ捨てするなんて人としてどうよって話。それだけだから。うん、それ以上の理由なんてないんだからっ!
「そうよ。だから水の中にいるヤツなんかの元に行くのはダメ。そういう方針で交渉して。っていうかもう会いに行かなくていいから」
「あ、その件なんですけど」
「どの件よ?」
「水の中にいる
言って香魚は水面を指さした。うん? あっちの方にその『彼』がいるってこと?
「実はさっきからあそこで香魚たちを見てます」
「……どこ?」
「ええと、指さす方向の2キロ先の海面に5センチぐらい触手出してます」
「見えないわよそんなの! ……待って。さっきからっていつから?」
「香織お姉さまが帰ってきてからずっとです」
……それってつまり、香魚とキスしたりされたりしていたところを、見られたってこと……? いや、あんな遠くからじゃ見えないだろうしこっちの会話も聞けないだろうから――
「あ、今ソナーで伝言が来ました。『いい
「……つがい……二人の、行為……!」
「あ。こっちに近づいてきますね。来るって言っても本体から延ばした触手の一本ですけど」
「覗き見デバカメとかいい根性してるじゃない。その勘違いを正してやるわ」
いろいろ勘違いしてる覗き見野郎……雌雄同体だから女でもなるのかな? ともあれそいつの勘違いを正さないと。つがいとか……香魚と私が、つがい……二つで一つとかそういう意味の言葉……。
「どうしたんです香織お姉さま? 顔がにやけてますよ?」
「にやけてない! 私はノーマル属性なんだから!」
頬をパンと叩いて気合を入れる私。ともあれ覗き見する輩は一発殴ってやる!
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