選択とは何かを捨てること

答えなんか出ない。答えなんか出せない。だけど、だから――

「「んっ、はふぅ、う、ぁあ……」」


 熱を帯びたと息と共に私と香魚の唇が離れる。互いが互いを求めあい、そしてくたりと力が抜けたように首を垂らして相手に寄り添いあった。


「ふへへぇ。香織お姉さま、激しかったですぅ」

「あ、ゆぅ」

「ひへへー。頭撫でてくれてうれしいですぅ……」

「……ん」


 優しく頭を撫でると、香魚の心地よい声が耳元で響く。その声が、私を暖かくしてくれる。春の日差しよりも暖かく、水よりもふわふわした気分に。そのままずっとそうしていたい気持ちになってくる――


 ……と、まあ本日二度目のを終える。


『いったん荷物を確認してくる』と言う名目で道の駅を出て、香魚がいる場所に戻った私。そこで待っていた香魚と意見交換……する前に香魚がキスしてほしそうに眼に涙を浮かべていたわけで。


 いや先に報告しなきゃと鋼の心で自分を律しようとしたところに『お姉さまぁ、香魚欲しいです……我慢できません』とカウンターを食らい、理性がぐわんぐわんと揺れ動いてそのまま香魚の肩をつかんでキスしてたわけで。


 違うの待って。香魚はDNAを摂取しないと今の形を維持できないから仕方ないの。これは治療行為であって私が我慢できない節操のない子ってわけじゃなく、それ以前に私はノンケだからこのキスはそういう意味じゃなくて。どういう意味かっていうとそれは――ええい、保留!


「――という事があったのよ」 


 戻ってきてからの自分の行動とその真意を強引に棚上げし、状況報告をする。立花兄妹の事と、そのやべえ妹のことを。超ブラコンと取るべきかヤンデル妹と取るべきか。或いはそのブランドなのか。ともあれ踏み込んではいけないやばさを感じたわ。


「はぁ……。それは何とも大変でしたね」


 ちょっとヒキながらそう答える香魚。ちなみに香魚の方は成果なし。仲間の『Adaptableアダプタブル Unitユニット』に関しては保留している。接触は慎重にしたいというのが香魚の意見だ。方針も決まらず話をしてもいい結果は出ないとの意見である。


 方針。


 それは香魚と私が今後どうするかという事だ。


 私が人間のコミューン……この場合、立花兄妹と一緒に生活するなら、香魚は水中の『Adaptableアダプタブル Unitユニット』と共に過ごすことになる。その方がお互いいいのは確かだ。少なくとも、互助しあえる。


 誰も生存者が見つからなかったら、香魚は私を助ける為に水中での生活を断るつもりだったのだろう。だけど生存者はいて、しかも寝床を与えてくれるとまで言ってくれる。手持ちの缶詰をもっていけば、それなりに喜ばれるだろう。缶詰を手に入れた経緯を説明するのは難だが。


 だだ、まあ――


「あの妹ちゃんに睨まれながら生活するのは骨ね。その気はなくても、怖いわ」

「共同生活である以上、ある程度の軋轢は受け入れないと難しいですよ」

「あれは『ある程度』をぶっちぎってるのよ!」


 二時間ぐらい兄自慢を聞かされ、言葉の端に込められた『お兄ちゃんを誘惑したら命はない』オーラが棘の用に突き刺さる。針の筵ってこういう感じなんだなぁ、って生まれて初めて実感したわ。


「今にして思えば初見の視線は変人を見る目じゃなく、敵意だったのね」

「香織お姉さま変な人扱いされたんですか? 殴られて嬉しい性癖は隠したほうが――」

「ち・が・う! 香魚がこの格好で行けって言ったからよ!」

「いたいいたぁい! 頭に拳当ててぐりぐりしないでくださぁい! 頭は撫でてほしいんですぅ!」


 ブレザー羽織った競泳水着での捜索を提案した人魚は、痛そうに頭を押さえていた。第一印象が変人とか敵意とか……!


「と、とりあえず状況は理解しました。でも結論を出すのは保留しません? もしかしたら妥協案が見つかるかもしれませんし」


 頭を押さえながら香魚がそんなことを言ってくる。


「妥協案?」

「はい。妹さんが香織お姉さまに心を許すかもしれません。少なくとも、屋根が付いた場所で寝れるメリットは簡単に放棄すべきではないと思います。

 距離を取るにしても、物々交換できる相手としては重宝できます」

「まあそれは……」


 あの妹が兄に近づく女性を許さないにしても、家の中で寝れるのは捨てがたい。今はまだ耐えられるけど。雨とか降ったり寒くなったら少し辛い。欲しいものがあるときに相談できる相手もいて損はない。


「とりあえず空のペットボトルを手に入れてください。蓋つきならベストです」

「ペットボトル? しかも空の?」

「はい。ペットボトルは水に浮きます。しかも蓋を閉めれば簡単に水は入ってきません。浮きとしてかなり重宝できるんです。4つぐらいあればライフジャケットの代わりにもなりますよ」


 確かに道の駅には大量のペットボトルがあった。空のペットボトルもどこかに保存しているんだろう。交渉すれば譲ってもらえるかもしれない。


「へえ。ペットボトルって結構役立つんだ」

「密封技術が優れていますからね。集めればイカダの材料にもなりますよ。

 ただ汚れが付着しやすいから水筒としての再利用はあまりお勧めしません。耐熱性も低くアルコールで融けるから消毒も難しいですしね。香織お姉さまの水は香魚が! 香魚が口移しで! 一日何度も水分補給してもいいんですよ!」

「はいはい。ともあれペットボトルね」

「ああん、お姉さまのスルー力凄すぎ!」


 キスしてアピールする香魚を手で遠のけて抑える私。実は数分前のキスの感触が残ってるので、心臓バクバクだったりする。太ももと膝をこすり合わせてモヤモヤを誤魔化す私。


「でもまじめな話、熱中症で倒れるかもしれませんから中身が入ったペットボトルを持っておくのもいいかもしれません。

 香魚がいつ……でもそばにいれるわけでもありませんし」


 何かを言おうとして、一瞬言いよどむ香魚。『香魚がいつでもそばにいれるわけでもありませんし』……って言いたかったんだろうけどバレバレだ。


『香魚がいつでもそばにいれるわけでもありませんし』……そう言おうとして、言葉を飲み込んだ。笑顔で誤魔化してるけど、それが痛いぐらいに伝わってくる。


「……まあ、水の重要性は理解してるわ」


 気づいている。殴ってその笑顔を止めたかった。『馬鹿』って言ってその後――言うべき言葉がなかった。


 香魚が何時までもそばにいれるわけじゃない。人間と人魚。この関係は水とDNAの関係だ。その供給が満ちるのなら、この関係を維持する必要はない。こんな形で必要なモノを交換するよりも、同胞同士でやり取りする方がいいに決まっている。


 そう言われたら、頷くしかない。それが普通で、それが当然なんだから。


 なのに、私は頷けない。頷きたくない。


 香魚の誤魔化す笑顔が、私の中のもやもやが、首肯するなって私を突き動かす。答えなんかないのに、それはダメだってズキズキと杭のように心に突き刺さる。痛みとぐゃぐちゃになった心を整理するだけの余裕がない。


 だからってわけじゃないけど、


「一日何度も水分補給してもいいんだよね」


 私は気が付くと香魚を抱き寄せていた。背中に手を回して下半身が水から出ない程度に引き上げる。すぐ間近に香魚の顔があった。


 答えなんか出ない。答えなんか出せない。だけど、だから――


「は、あの、香織おねえ、さ、ま……んくぅ!」

「ん、ちゅ……ん、ぁ、んん~~~~~!」


 答えを出せないまま、私は香魚の口を塞いでいた。


 水が欲しいから、DNAを与えたいから。そんな関係の私達。その意味を、確かめるように。心が求めるように、行動していた。


 ――後になって気づいたけど、私の方から香魚にキスをしたのは、これが初めてだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る