自慢のお兄さんなんですね

 私の名前は皆川香織。山の近くにいたら洪水にあって、何とか生き延びた。制服を着ているのは学校をさぼったから。水着もカバンに入っていたから着替えた。また水に飲み込まれた時怖いもん。


 趣味のサバイバル知識と道具のおかげで何とか夜を過ごして、今のところお腹も水も大丈夫。そう言えば道の駅があったよね、ってことで歩いてきました。洪水後にあったのは貴方達は初めてです。


「なるほど」


 雑ともいえる私の説明に納得する男。香魚の事を隠して説明したんだけど、とりあえず納得してくれたようだ。……納得っていうか、あえて不審な点は突っ込まないでいてくれる感じだけど。


「ふーん」


 対して男の傍にいる妹さんは露骨に疑念を抱いている。あの洪水を生き延びたこともそうだが、どうやって夜露を凌いだのかとかその辺を疑っているのだろうか? ともあれ鋭い視線が突き刺さる。


 私の前には未開封のお茶のペットボトル。見れば奥の部屋には大量のペットボトルが並んでいる。おそらくこの道の駅にあったものだろう。電気が止まっているので冷蔵庫も物置同然だ。そこに入らない分を外に置いているのだろう。


「僕の名前は立花裕也。こっちは妹の里奈だ」

「……どうも。里奈です」


 自己紹介する兄妹。兄が自己紹介したから仕方なく妹も倣った。そんな印象だ。あまり歓迎されているようには思えない。


「世界がこういうことになった以上、お互い協力していこう。二階に部屋は空いている。自由に使ってくれ」

「感謝します。正直、何がどうなったのか全く分からないので」


 兄――裕也さんの申し出にうなずく私。香魚の元に戻らないといけないことを考えると長居もできないけど。ともあれ寝泊りできる場所があるのはありがたい。ずっとテントに寝袋とか、さすがに厳しい。


「何がどうなったか、か。……そうだな。情報は欲しい。

 ネットはまるで通じず、TVも止まっている。そもそも電気も来ない状況だ」


 予想はしていたけど、電気は止まっている。電線が水につかっていることもあるが、発電所そのものが水没しているのだろう。ネットもサーバーが水につかっているなら機能しない。TV局も水の中。


「……やっぱりそうなんですね」

「まさに未曽有の危機だ。世界規模の大洪水。誰もその原因が分からない。ラジオでもいろいろ騒がれている」

「ラジオ?」

「ああ。ラジオだ。まだ電波は飛んでいる。電池さえあれば電波の受信はできるから、こういう災害時には強いな」


 ラジオ。私からすればスマホで聞く放送のイメージが強いけど、災害でラジオは重要な情報源になるらしい。物置を探して見つけた古ぼけたラジオ。どこをどうしたらいいのか全く分からないけど、これで情報を得られるらしい。


「山の上にあるのか奇蹟的に生き延びたラジオ局もある。そこからいろいろな事を聞くことができる」


 ――後で香魚に聞いたことなんだけど、えふえむ放送? とかのラジオ電波は障害物の反射とかで届かなくなるんで、高い所から直接アンテナに届かせる方式なんだとか。なので山の上とか高い位置に放送局を置くことがあるらしい。


「日本のどこもかしこも水没し、低い標高の街は完全に水没。政府からの公式発表もまだないく、救助の見込みもない。これが昨日までの情報だ」

「……うん」


 覚悟はしていたけど、やっぱり世界は水没したのだと改めて知らされた。


 町は沈み、国は沈み、山の上にいる人間がかろうじて生き延びた。


 私が知ってる災害のニュースでは、災害発生してから数時間後には救助活動が開始されていた。自衛隊が動き、支援のための募金が始まり、そして被害を受けてない人たちは何事もなかったかのように日常に戻る。


 だけど今の話を聞く限りはそんな様子もない。見渡す限りの水平線。ヘリも船も通りかからない。電気もネットも寸断され、生き延びたのは今ここにいる三人。香魚がいなかったら、私も死んでいた。


「ラジオ局も伝える情報がないのか、今は音楽を流すだけになっている。それでもないよりはマシなんだろうが」


 ラジオから流れるのは、一世代前の音楽だ。辛いこともあるけど、生きていれば明日がある。そんな感じの明るい曲。ある意味いま流すのに適した曲なのかもしれないし。今聞くのは茶番としか思えない曲でもあった。


「結局救助もないし、何もわからないか。うん、想像していたけどキツイなぁ」

「皆川さんはこの洪水に関して、何か知っていることとか感じたことはないか?」

「ありません。新大陸ができて水が盛り上がったとか、空から氷の隕石が降ってきたとか。そんな根拠のない想像なら言えますけど」


 少しでも情報が欲しい立花兄の言葉に、私は肩をすくめてそう返す。しかも香魚の受け売りだ。


「……氷彗星の落下か。ありうるかもしれないな」

「え? マジ?」

「ノアの方舟大洪水では地球規模の大洪水が起きたのではと言う説もある。その中の一つにそんなものがあった。有力な説ではないが」

「……はー、博識なんですね」


 ノアの方舟の名前ぐらいは聞いたことがある。大昔に世界を滅ぼしかけた洪水。確か神様が大雨を降らしたとかそんなんだっけか? そんな昔話。ホントかどうかもわからないお話。


 でもそれを笑えないのが今の状況だ。


「そうよ。お兄ちゃんは大学で神話の勉強をしていたんだから」


 それまで黙っていた里奈さんが話題に入ってくる。これまでは少し睨むような……突き刺さるような……そんな視線で私を見てた。いまもそんな感じの視線だ。


「自慢のお兄さんなんですね」


 話の流れと会話のとっかかりを求めてそんなお世辞を言ってみる。正直、無言で睨まれ続けるのはちょっと辛い。


「当然よ。お兄ちゃんは小学校から頭がいいって言われていて中学高校も成績トップ! 生徒会会長も務めてて先生からも評判がよかったんだもん。大学も一発合格して、そこで歴史と神話の勉強をずっとしているの。

 他の人は頭でっかちで運動能力がないとか言うけど、運動能力なんて20歳を超えたらどんどん低下していくんだし、知識を重ねるほうがいいに決まってるじゃない。そんなこともわからないのにお兄ちゃんを下に見るなんてほーんと頭悪いんだから!」


 そしたらスイッチが入ったかのようにしゃべりだす兄自慢を始める立花妹。表情も180度回転し、ものすごい笑顔である。


「お父さんもお母さんも『お前の成績ならもっといい大学に入れたのに』とか言うけど、お兄ちゃんは自分の夢と将来を考えて選んだのが分かってないのよ。大学をブランドとかそういうものと勘違いして、お兄ちゃんそのものを見てないんだから」


「周りの人もお兄ちゃんのことを『頭でっかちの陰キャ』とか『知識だけの歴史オタク』とか言うけど、そんなの頭の悪い人間のいいわけなんだから。頭のいい人を妬んだり嫉んだりする時点で人として終わっているんだって気づいた方がいいのに」


「時々お兄ちゃんのいい部分に気づいて話しかけてくる女の人もいたけど、その人も全然わかったないわ。成績なんて言う数字だけでお兄ちゃんを見て、お兄ちゃんが何をしたいのか。なんで勉強しているのかを全然わかってないもん。お兄ちゃんを一番知ってるのはあたしなんだから。何もわかってないのにわかったふうして近づいてきて困るわ」


 まあ、だいたいこんな感じの事を滅茶苦茶早口で熱く語ってくれたのである。


「あ、はい。そ、そうなんですか」


 何とか合間に相槌をうつ以外に何ができたというのか。


 ちなみにその対象である兄は『いや、そこまででは』『里奈、落ち着け』と言ってはいるけど強く止めようとはしない。その様子が、この兄妹にとってはいつもの事なのだろうことを教えてくれた。


「ところで皆川さん。お兄ちゃんを博識だって尊敬したようですけど、それ以上の感情を抱いたりはしませんよね?」

「ないない」

「よかったぁ。水着で誘惑しようとしていたとかだったら、どうしようかと思いました」


 いや、本当にどうされたんだろう。考えたくないわ。



 

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