私も香魚も、それで幸せになれるんじゃない?

「香魚、なーんか変な事考えてるでしょ」

「へ? そんなことは……あ、お姉さまにネコミミつけてみたいとか! ネコとサカナで食べたり食べられたり――」

「その食べるは弱肉強食な意味だからね。そういう妄想じゃなくて」


 頭に手を当てて『ケモミミにゃん』なポーズをとる香魚にちょっとドキドキしながら、鋼の心で問い返す。なにこの人魚。本当に私のDNAが入ってるの? 悪いけど私同じポーズしてもそこまで可愛くないからね。


「あー、えーと……」


 私の圧力に負けてあっさりゲロった香魚。その内容は――


「……『Adaptableアダプタブル Unitユニット』の同胞か……」


 香魚が語った内容を思い出しながら、私は山道を進んでいた。香魚が拾ってきた水着に乾かした制服を羽織り、靴下と靴と言う何とも言えない格好だ。


 津波が来る可能性を考慮すれば水着は外せず服もすぐに脱げるほうがいい、という香魚の強い意見である。スカートは最後まで粘ったけど、すぐに脱着できないから駄目だと押し切られた。水を吸った服の重さは実感している。


 ……山とか陸を歩くのにはどうなんだろうという恰好なのは、自分でも否定しない。水没前なら痴女扱いかそういう動画の撮影を疑われる。まあ、それはともかく。


 香魚が語った内容は、水の中にDNA暴走した『Adaptableアダプタブル Unitユニット』がいること。そいつに同胞扱いされたこと。そして人間の生存者がいるなら、私はそっちに行った方がいいのではと言う事だった。


 他の『Adaptableアダプタブル Unitユニット』が生きていたという事自体は、ありえる可能性なのかもしれない。『Adaptableアダプタブル Unitユニット』なんて私の常識外の存在がどれだけいるかは知らないけど、香魚がいるなら他にいてもおかしくはない。


 暴走した怪獣のように水中でいろいろ喰らっているソレに同胞扱いされ、香魚は動揺していた。自分がああなっていたかもしれないという恐怖と、そして同胞に対する同情。そして、私との関係。


 言うまでもなく、私と香魚の関係は普通ではない。お互いがお互いを必要としているが、私の問題は香魚以外にも飲水の確保ができれば解決する。そして飲水は、文明が生きていれば問題ない。水道はまだ生きている可能性がある。


 水を飲むたびに、あんな思いをする必要はない。あんな……あんな……その、蕩けるような胸がドキドキするようなお腹がきゅんきゅんするようなそういう思いはしなくていい。っていうか、普通はそんなことはない。


 香魚は香魚の同胞の元に。私は人間とその文明の元に。それが正しい形です。香魚はそう言ったのだ。


「……何も言えなかったなぁ」


 そして私もその意見に反論できなかった。今まで生きてきた常識が、そうあるべきだという意見を受け入れてしまった。


「ですよね。香織お姉さまがそう思うのなら、それが一番です」


 沈黙を肯定と受け取ったのか、香魚はそう言って頷いた。無理やり作った笑顔。それに何かを言おうとする前に、香魚は水の中に潜っていった。


「香魚はもう少し水中を捜索してみます。香織お姉さまは地上の捜索を!」


 そういう流れで言うべき言葉と相手を失い、私は頭を掻きながら山を歩いている。あの子にあんな顔をさせてしまった後悔と、それでも何を言えばいいのかわからない自分にいら立っていた。


「まあ、言ってることは正しいのよね。アダプタナントカに関しては同じ体を持つ者同士相談し合う方がいいだろうし。私も人間と一緒に過ごせるならそれに越したことはないし」


 言いながら、それが意味することを意図して避けていた。


「……私も香魚も、それで幸せになれるんじゃない? うん」


 キスしないと生きていけない関係はこれで終わり。香魚も人間のDNAを水中で確保できるだろうし、私も人間の輪に戻れてめでたしめでたし。世界がこうなった理由とか、その後どうして生きていくかとか。その辺はいろいろあるんだろうけど。


 幸せになれるはずなのに。


『ですよね。香織お姉さまがそう思うのなら、それが一番です』


 香魚はあんな顔で笑うし、私もそれに納得していない。とても幸せだなんて思えない。一番正しい形なのに。一番あるべき形なのに。


「っていうか、私がそう思ったかどうかとかまだ言ってないじゃん。決めつけるなってーの」


 勝手に結論を出した香魚を責めながら、同時にあの時に言葉にできなかった自分に腹が立った。そして今なおどうすべきかを決められない自分にもだ。


 私はどうしたのか? 香魚をどうしたのか? どうありたいのか?


 香魚は私の妹だ。ただしそれは血縁関係とかいうものではない。ただ同じDNAを有するというだけの存在だ。


 香魚は私の命の恩人だ。私のDNAがないと人間の形を保てないから助けてくれたとはいえ、その事実には変わらない。


 香魚は私にとって――


「……あ」


 結論が出る前に道が開けた。急こう配の先にあるアスファルト。そして案内状の看板。『宮間の里 約1km』。地元民なら聞いたことがある道の駅だ。山中にあるんだけど、そこまで水が上がってきているという事実を再認識した。


 ……沈没した世界。沖にある町は言うまでもなく水に埋もれ、山沿いの街も標高によっては沈んでいる。事実、香魚が缶詰を取ってきた町は水の中。そして今な水はじわじわと増え続けている。いずれ全ての陸地は水に飲まれてしまうのではないか。


「いけないいけない。今はやるべきことをやらないと」


 つまんない妄想を断ち切って、アスファルトを進む。今やるべきことは捜索だ。この先にある道の駅が無事なら、そこから何かを得られるかもしれない。もしかしたら生存者がいて――


「生存者がいたら、どうしよう?」


 こんな世界で水に飲まれずに生き延びた人間。当然困っているだろう。人間として協力すべきだ。となると持っている缶詰は共有しなくては。水の件で困っているなら香魚の事も話して――


 ……つまりそれって。


『ん、ふぁ……んちゅ。好、きぃ』


 …………香魚の唇が他人に触れることなわけで。


『ん、ふー、はぁ……ん……ちゅ、ちゅ、ちゅ、ぷはぁ……んんんん!』


 ……………………いやいやいやいやいやいやいやいや。


 その、それは何というか。きれいな水が必要ならそれは仕方がないことで、でもそれは何というか色々もやっとするっていうか。そもそもそんなことを香魚に相談せずに決めるのは間違ってるもんね。うん。


 なんで香魚の事は秘密にしておこう。そもそも言っても信じてもらえるかはわからないし。そういう事だから。香魚と他の人がキスするとか、あまり考えたくないのは別にそういうわけじゃないから。


 そもそも誰も生存者がいない可能性の方が高い。ありもしない可能性とか考えても仕方ない。今大事なのは事実確認。視界に写る道の駅。そこに歩を進めていく。遠目に人がいる気配はない。入り口は空いているので、その中を覗いてみる。


「お邪魔しまーす……」


 開かれた道の駅なんだから挨拶は要らないんだろうけど、念のため。お土産を売っていたのか、キーホルダーやらなんやらが並んでいる。お菓子の類があっただろう場所には何もない。という事は、誰かが食べ物を移動させたのだろうか?


「誰だ?」


 挨拶に帰ってきたのは男の声。警戒心を含んだ硬い言葉に顔を剥ければ、眼鏡をかけた男性がいた。大学生かそれぐらいの年齢だろう。インテリっぽいイケメン風だ。


「……皆川香織と言います。あの、えーと……」


 言ってから、どう会話をしたものか悩んでいた。誰かいるかもしれないという事だけを考えて、誰かいたらどうしようというのは全く考えてなかったのだ。


「え? どうしたのお兄ちゃん」

「信じられないが、生存者のようだ」


 奥から顔を出す一人の少女。こちらは私と同い年ぐらいか、一つ下ぐらい。男を兄と慕う所や顔立ちから、妹なのだろう。


「あ、はい。生存者です」


 嘘は言っていない。私はそう言って頷き、奇異な目をしている二人の視線に気づいた。


「その……格好はいろいろありまして」


 制服羽織った競泳水着っていう恰好は、やっぱりそんな目で見られるわよね。香魚の奴、後で殴ってやるぅ。

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