世界がこんなことになった以上、必要な服ですよ
衣服。
それは人類が身にまとう物である。動物に服を着せる人もいるけど、とりあえずそれはさておき。
被毛のない人類は寒さなどに対抗すべく衣服をまとう。最初は動物の毛皮を纏い、絹糸などを用いて進化していく。それは温度変化から体温を守り運動性を損なわないことが目的だ。そしてファッションと言う美的な事へと変化する。
人類の文化における衣食住。その一端を担うのが衣服。人が生きるのに重要な要素の一つ。それは時代により変化していく。そう、環境が大きく変わったのなら当然着るべき衣服も変化するのだ。
その大前提の上で、
「……いや、これはないわ」
私は香魚から差し出されたものを否定した。
「何を言ってるんですか。世界がこんなことになった以上、必要な服ですよ」
「服っていうか……水着じゃないの。これ」
香魚が自信満々に持ってきたのは、水着だった。胸部から腹部を覆う紺色のワンピース型水着。いわゆる競泳水着だ。
「はい。何かしらのアクシデントで水中に身をさらすことがないとは言えません。その際に水中活動に影響しない服装であることは重要です。頑丈で乾きも早いとうってつけです」
理路整然と説明する香魚。言っていることは正しい。世界がいきなり水に埋まったのだから、水に備えるのは大事。それを笑えない世界になったのだから、当然着る服もそれに備えるべきだ。
「それに香織お姉さまのおみ足が良く見えて香魚としては……じょ、冗談です! 冗談だから捨てようとしないでくださーい!」
「冗談に聞こえないのよ、アンタの場合!」
反射的に水着を捨てようとする私にストップをかける香魚。すんでのところで水着を投擲する腕を止めた。
「実際のところ、備えは重要ですよ。できることならライフジャケットとかも欲しい所だったんですけど」
「ライフジャケット?」
「水に浮くジャケットです。船舶とかだと常備しています。不意の津波で波に飲み込まれないとは限らない状況ですので」
香魚は言いながら、沖の方をちらちらとみる。大きな波の兆候はない。だけど注視するに越したことはないのは、私にも理解できる。
「そこまで顕著ではありませんけど、まだまだ水は増えているみたいですし」
そうなのだ。世界を襲った水没。その水は、まだまだ増え続けているのだ。
昨日は波打ち際から少し離れたところでテントを張った。おおよそ2mほど。香魚と会話することもあったので、それぐらいが妥当と言う話だった。
だが今朝起きたら、地上に上がれない香魚に寝顔を見られるぐらいに波打ち際が迫っていたのだ。もう少し沖に近ければ、波で起こされていた可能性がある。
じわじわと、陸を――香魚の話ではここは山だったんだけど――を侵食する水。それを想えば急に水に襲われる可能性は笑い飛ばせる話ではない。そういう意味で、水着はあり得る選択肢なのだ。それは理解できる。
理解できるんだけど……。
「なんか悪意を感じるのよね。怒らないから、変な事考えてるなら言ってみて?」
「変な事だなんてないですよ。ただ水着なら濡れてもいいから水の中でキスしたり、溺れない程度に二人で潜ったりできるますよね、ってだけです。そんな状況なら香織お姉さまに体を絡めていろいろしても合法――」
「素直でよろしい」
「いたいいたい! ふぇーすろっくっ! 色々抱き合いたいけどこれはなんか違う!?」
頬に手を当てて欲望を語る香魚。怒らないけど、何もしないとは言ってないからセーフ。
「まあ、おおむね理解したわ。着替えてくるから少し待ってて」
「今目の前で着替えてもいいんですよ。見てるのは香魚だけですし」
「……香魚に見られるのがイヤなの」
えぇー、という香魚のセリフを聞きながら香魚から死角になるようにテントに身を隠す。女性同士だから気にするととはないし、下着姿も見られた。水着に着替えるぐらいは恥ずかしくないと言えば恥ずかしくない。だからこれは気分的なモノだ。
……うそ。ちょっと恥ずかしい。あの子に着替え見られるとか思うと、いろいろ意識しちゃう。名前を呼ばれながらキスしたり、唇を塞がれながらあの子の事を心の中で呼んだり。強く抱きしめたり抱きしめあったり。
くどいようだけど、私は普通の子。女性同士でキスしたり抱き合ったりがいいとか言うわけじゃない。キスは医療行為。お互いの生存のため。それは香魚も私も理解していること。
ふと、指先が唇に触れる。ついさっきまで交わした香魚とのキスを思い出し、思わず顔がほころんでしまう。その後で頬を叩いて、緩んでいた自分をたしなめた。だめだめだめ。流されちゃダメ。早くキスに慣れないと。
私は自分を律して水着に着替える。遊びのない体にぴったりとする感触。軽く水着の記事に触れれば、なるほど水を弾きそうな素材だと納得できる。不意に水の中に落ちたとしても、水を吸って重くなることはなさそうだ。
「お待たせ」
「きゃあああああああ! 香織お姉様似合ってます! まさに真夏のマーメイド!」
「……それ、香魚が言うの?」
人魚姿の香魚にそう言われると、いろいろもにょる。アンタの方こそマーメイドじゃん。しかも可愛いし。……可愛いって思た後で、ちょっと赤面した。咳払いして誤魔化す。
「それよりもちょっときついんだけど。動きにくいっていうか」
「大丈夫です。ポリウレタンは伸縮性があるので来ているうちに伸びていきます。水中では水圧がかかるので気にならなくなります」
「そんなものなの?」
「むしろぴったりしてるから水の抵抗を受け流しやすいんだと思ってください」
なるほどそういうものなんだろう。専門的なことはわからないので、この辺は香魚に任せた方がよさそうだ。
「えへへー。香織お姉さまのボディラインとおみ足ー。ラインが浮き彫りになっていつでも見れるとか最高ですー」
……任せていい、のよね?
「いろいろ怖いんで、上から制服羽織るわ」
「ああん。でも水着の上にブレザーとかそれはそれでマニアック。40代のオジサンはきっとイチコロですよ。やりすぎるとドン引きでしょうけど」
「だからなんであなたはそういうマニアックな知識が深いのよ!」
「諜報知識って色々闇が深いんですよねー」
闇が深いのは知識よりもコロっといっちゃう男の方だと思うんだけど、それはどうでもいいわ。
「ともあれ、今日はこの山? ここの散策ってことでいいのよね?」
「はい。歩いていける範囲で無理しない程度に調べてください。車道か歩道が見つかると思いますし、その先に人が住める場所があればラッキーです。
もしかしたら生存者がいるかもしれません」
香魚が昨日水の中に潜って調べた結果、ここは町から離れた山らしい。それが水に埋もれて島のようになっているだけで。もしかしたらキャンプ場なり何らかの施設なりがあるかもしれない。
「生存者……か」
その言葉を聞いて、私はちょっと希望が見えてくる。こんな世界でも生き延びた人間がいる。私以外にも人間がいる。みんなで助け合えば、人間社会を復活させることができるかもしれない。
「はい。誰か生きていればいいですね」
香魚はニコニコした顔で言う。死んでるより生きているほうがいい。それは一般的な常識的な事だ。死んだ人間は生き返らないし、この水没でどれだけの人間が死んだのか想像もできない。そんな中生きている人がいるなら、それに越したことはない。んだけど、
――まーた変な悩み抱えてるって顔してるわよねー、この子。
いろいろ隠してるだろう香魚の笑顔に、私はため息をついた。
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