確実にある、溝

唇で交わすコミュニケーション

 疲れていたこともあったのか、寝袋に入ると同時に意識が遠のく。夢見ることなく、目を覚ます私。


「うへへー。香織お姉さまの寝顔可愛いですー」


 目覚めた私のすぐ真横に、香魚の顔があった。指先で私のほほをなぞりながら、嬉しそうな顔でこちらを見ている。どこか子犬のような人懐っこい顔。自分のDNAを持つ人魚の顔をしばらく呆然と見ていた。


 屈託のない笑顔。自分に似ているその顔は、鏡を見ているようでまるで別物。こんなふうに自分は笑えるんだという錯覚を覚えた。こんな笑顔ならずっと見ていたい。こんな笑顔にずっと見てもらいたい……。


「あ、おはようございます。香織お姉さま」

「おはよ……って、顔近っ!」


 意識が覚醒して、自分の寝顔を見ている香魚に恥ずかしさを感じた。慌てて起き上がり、距離を取ってせき払いする。ずっと寝てる顔を見られたのかと思うと、しばらく香魚の顔を見れそうにない。


「寝覚めはどうですか? 痛い所はありませんか?」

「あ、うん。大丈夫。ありがとう」


 純粋に私のことを心配する香魚。生まれて初めて野外で寝たけど、想像していたよりは体調は悪くない。最近のアウトドアグッズって凄いんだなぁ、と感心するわ。


「それは良かったです。人は寝ている間に汗をかきます。早めの水分補給が大事ですよ。ということで――」


 言いながら両手を広げる香魚。いつものキスハグしてしてポーズだ。確かに喉は乾いてる。できることなら水が飲みたい。飲みたいんだけど、その……。


「起きていきなりキス求めるとか、その、いろいろあれじゃない?」


 なんか、カップルみたいで……いろいろ戸惑う。


「何を言ってるんですか。水分補給は大事ですよ」

「そうなんだけど」


 うん。水分補給は大事。そう割り切れば何の問題もない。香魚もDNAを取り入れたいだろうし、一日三回の一回をココでやってしまうと思えば、まあ悪い事でもない。そう割り切れば何の問題もない(二回目)。


「医療行為と水分補給。医療行為と水分補給。医療行為と水分補給」


 三度呟き、深呼吸。流されないように気合を入れる。落ちつけ私。慣れればどうという事はない。そう思って香魚を見る。私の唇を待っている妹。焦れるような熱っぽい表情と、その唇。


(あう……)


 それを見た瞬間、心に築いた壁は大きく揺れる。心臓の鼓動が早まり、脈打つたびに心の防壁はひび割れていく。認めよう。かわいい。寝起きの笑顔もあるけど、自分にこんな顔ができるなんて思いもしない。同じDNA持ってるとか、絶対嘘だ。


「香織お姉さま、はやくぅ……」

「わ、わかってるわよ」


 せかされるままに近づき、片膝をつく。視線が香魚の顔まで下がり、ゆっくりと顔を近づけていく。香魚の呼気が私の肌を撫でた。それだけで、心臓が大きく跳ね上がる。


(意識するな意識するな意識するな。早く慣れなきゃいけないんだから)


 あふれそうになる感情をぎゅっとこらえる。キスするとか意識しちゃダメ。香魚の顔を意識しちゃダメ。これは医療行為。これは水分補給。蛇口に口づけするようなものと思わなきゃ。その方が建設的――


「ん、ちゅ」


 香魚の顔が少し前に出て、私の唇を奪った。そのまま両手を首の後ろに回されて、引っ張られる。不意を突かれたこととも体勢的にキスする形だったこともあり、私はそのまま香魚に引っ張られた。


「香織お姉さまが待ちきれないから、引っ張りました。えへ」


 唇を離し、間近で笑顔を浮かべる香魚。いたずら成功と言う笑顔と、唇が触れて嬉しいという笑顔のブレンド。それが私の脳をシェイクする。


 だめだ。


 香魚を意識しないなんてできるはずがない。蛇口に口づけなんて思えるはずがない。香魚を見ないで、香魚と唇を重ねられることなんて絶対できない。


 だってこんなに可愛んだもん。こんな笑顔見せられて、こんなふうに想われて、それを蔑ろになんてできやしない。


「ちゅ、っ」


 二度目の口づけは、私から。熱にうなされるように、自然と体が動いていた。香魚の唇に、自分の唇を重ねる。少し力強く抱きしめて、そのまま唇を重ねあう。


「ん、む、んんんん……ぁ」

「ふむ、んっ、ちゅ、ぱ」


 啄み、離れ、奪い、動く。


 愛撫するように触れ合い、求めあう。唇で交わすコミュニケーション。重ねるたびに顔が熱くなり、いずれその熱も気にならなくなる。ただ唇だけを重ねあい、時を忘れて行為に没頭する。


「は、ふぅ……。ん、ちゅ……っ」

「ふ、ぅっ、は、む、ん、ぷはぁ……」


 私の吐息。香魚の吐息。私の唇。香魚の唇。それぞれが音を奏でる。熱く、熱く、蕩けるような声。自分がこんな声を出せるなんて驚きだった。その事実がさらに私を過熱させる。


「香魚、ぅ……」

「香織お姉さまぁ……」

「「ぁ……っ。んんんんん……!」」


 厚い吐息と共に名前を呼びあい、その後で深く唇を重ねあい舌を絡めあう。離さないとばかりに抱き寄せあいながら、二人同時に舌を動かした。暖かい感覚が敏感な舌を刺激し、それを受け入れる。


 口腔内に入ってきた香魚の舌が私の唾液をなめとる。私の舌もそれを真似るように香魚の口腔内を攻めた。それに合わせるように香魚が舌を動かし、私も下を動かす。


(あ。こうされると、凄い反応する)


 舌先で香魚の舌の先端をつつくように触れると、香魚の力が抜けて私に体を預けてくる。その後で縋るように舌を絡めてきた。何度か舌を絡めた後に、再度舌先でつつくとさらに力が抜けるようにくたぁ、っとなる。


「ふ、ぁ……香織お姉さまぁ……ひ、んちゅ……!」


 唇が離れた瞬間に私の名前を呼ぶ香魚。その唇を塞いだのは私の方が先か、それとも香魚が自分で重ねてきたか。それさえもわからない。わからないまま、お互いを求めあう。


 十分に唾液をなめとった香魚は、その後私の口腔内に水を注いでくる。きれいな水。香魚が私の為に作ってくれた水。注がれる液体を、ごくりと飲み込んだ。水が、私の体内に染み入ってくる。


「あ、ゆぅ……」

「おねえ、さまぁ……」


 唾液と水の交換が終わり、唇を離す私達。蕩けた表情でお互いを見ながら、互いの名前を呼んだ。愛おしげに、求めるように。


「もう少し、もう少しだけ」

「ん……」


 目的語なんてないけど、香魚が何を求めているかは言葉にしなくてもわかる。私はその要求に応えるように、私は香魚と唇を重ねた。


 ※     ※     ※


「は、ふぅ……。お姉さま、激しかったです」


 我に返ったのは日がかなり昇ってから。私は流れる汗を拭きながら、キスに没頭した自分を猛省する。


「誤解される言い方しないで! 確かに汗だくになったけど!」


 一日三回の水分補給だから一度に大量に摂取するのは仕方ない。水分補給は生命活動の基本。ストックできない以上は多めに確保するに越したことはない。そもそも行為そのもので汗をかくんだから。うん、だからたっぷり水を得るのは仕方のないことだ。だから――


 心の中でそんな言い訳をしながら、でも認めざるを得ない事実はある。


「ありがとうございます。香織お姉さま! 香魚はこれで今日も頑張れます!」


 元気よくガッツポーズをする香魚。さっきまでキスに溺れていたかと思えば、元気よく笑顔を浮かべる。私の寝顔を愛おしげに見つめ、あたふたとしたり、頬を膨らましたり、そして泣いたり。コロコロ表情を変えながら、私を好いてくれる。私を守ってくれる。


 認めよう。香魚は可愛い。


 私の心の中で、香魚の割合が大きくなっていくのを感じていた。


 ……可愛いとか言うのはあくまで一般的なことで、私と香魚の関係があるから割合も大きくなるだけで! 好きとか愛してるとかそういうんじゃないんだからねっ! 


 

 

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