お姉さまのDNAが欲しいんです
私こと皆川香織の人生と言うのは、ありていに言えば不遇続きだった。
自分で言うのもなんだけど、頭はいい。少なくとも学校の勉強で躓いたことはない。成績も常に上位1桁。全国模試だって、かなり上位にいる。運動能力は部活をやっている人間には負けるけど、運動音痴と言うほど悪くはないと思う。
そんな状態だから、妬まれた。誰が始めたのかわからない嫌がらせ。最初は無視。仲の良かった友人も、次第に離れていく。最初は罪悪感を感じていたその子達も、新しいグループで笑顔を浮かべていた。
物を隠されたり、黒板にあらぬ噂を書かれたり。先生に相談したら『別に暴力を振るわれたわけじゃないし』とやんわり協力を拒否られた。教師と言うか大人が事なかれ体制なのはもうどうしようもないと思ってる。
大人。私の親もそんな感じだ。私が高校に入ったあたりで双方浮気がばれて離婚の空気。でも両親共に『子供がいると再婚できない』という酷く我儘な理由で、私を引き取ろうとしなかった。未だにその争いは続いており、別居状態。
私が卒業するまで続けるつもりなんだろう。それまで相手が待ってくれればいいけど。ともあれ、私は学校でも家でも邪魔者扱いだ。不幸とまではいわないけど、境遇に恵まれないぐらい程度の愚痴は言ってもいいだろう。
冷え切った家を出て、誰も私を見ない学校で勉強に励む。そんな毎日だ。それでも私は成績を維持できたし、学校をやめたりはしなかった。そんなことをしても何の解決にもならないとわかっている。
友達だとおもってたクラスメイトは私を無視して。
大人だと思っていた先生は問題を大きくしないように私を助けず。
私を生んだ両親さえ、自分の幸せの為に私を邪魔者扱いする。
頼れるものなんてどこにもいない。人間は究極的には一人だ。誰だって自分は大事で、何かあったら最後には誰かを見捨てる。なら最初から一人の方がいいに決まっている。社会として最低限の関わり。その程度で十分だ。
確かにそんなことを思ってました。全部消えてなくなっちゃえって。でもさあ。
一切合切を全部水に流して(物理)リセットとか、さすがになくない?
※ ※ ※
「う……」
目を覚ました私が最初に感じた感覚は、湿った土のにおい。どこかの島で寝ていたようだ。生い茂る草の上で寝ていたようだ。
周りを見回す。見渡す限りの水平線。濡れた服が体を冷やす。夢だと思った水の災害は、今も続いていた。雨はやんでいるが水の上昇は今も続いているのか、じわりじわりと波打ち際がこちらに向かっている気がする。
「夢じゃなかったんだ……」
全部夢ならよかった。さっきまで見ていた冷たい生活。一人で頑張り続ける学園生活。潤いなんてない。助けてくれる人なんていない。いまは潤いだらけだ。助けてくれる人は相変わらずいないけど。
頬をつねる。痛い。ついでに頬をひっぱたく。もっと痛い。
「夢じゃ、なかったんだ」
痛みがこの理解できない状況が現実だと教えてくれた。突然の大洪水。文字通り日常のすべてが水泡に帰した。今生きている私だって、そうならないとは限らないのだ。ならいっそ、一緒に死んだほうがよかったんじゃないかな?
「あの」
絶望する私に、声がかけられる。
「……あ」
見るとそこには、水面から体上半身だけを出した女性がいた。
髪は黒と青が混じったような色。群青っていうんだろうか? 肩までのシャギーカットは水に濡れているとは思えないほどふわりとしている。
顔立ちは、私に似ている。だけど私のような何かを拒むような剣呑な顔立ちはしていない。心のガードを溶かすようなやわらかい笑顔。私があんな笑顔を浮かべた事なんて久しくない。私に似てるのに、私じゃない気がする。
そして服は何も着ていない。胸部まで続く青い鱗がふくよかな乳房を覆っている。鱗は腹部を避けるように生えており、おへそが丸見えだ。そこから下は、下半身。すべて鱗に包まれている。
水面下にある魚の下半身を捕らえる。明るい青色の鱗。水を効率的にかき分けるヒレ。流線的にうごく奇麗な下半身。
人魚。
人と魚の融合。海に潜れぬ人間が抱いた海への憧れ。ある地域では歌により船乗りを魅了して返すことはなく、ある地域では不吉の代名詞。そして日本では不老不死の伝説を持つ存在。
そして私を助けてくれた子。彼女がいなかったら、私は死んでいただろう。私はお礼を言おうとして、その姿に目を奪われてしまう。人ではない何か。はるか昔から人が恋焦がれ、そして怖れた存在。
その唇が、開く。思わず先ほど交わした口づけを思い出してしまう。小さい唇が開き、
「自分の頬を叩いたりして、そういう趣味の方でしょうか? 痛いのが好きとか。えす、えむ?」
「違うわよ!」
あまりにも俗っぽい言葉が出てきたので、思わず叫ぶ。
「いいんです。性癖は自由であるべきだとおもいますから。他人に迷惑をかけないのなら、それを恥じる必要はありません」
「だから違う! っていうかなんで人魚が性癖とか人間のこと知ってんのよ?」
「いろいろありまして」
どんないろいろなんだか聞いてみたい気がするけど、聞いたら聞いたで人間のイヤなところを知りそうなんでやめた。
「えーと……私を助けてくれたのは貴方よね。ありがとう。貴方がいなかったら間違いなく死んでたわ」
「いえいえ。こちらこそ助けてもらったのでお互い様です。お姉さま」
「……お姉さま?」
深々と頭を下げる人魚。っていうかなんか変な事言わなかった、この子? お姉さま? 私は周囲を見回す。私以外に誰かがいて、その人のことを言っているのかと思ったけど、そんなことはなさそうだ。
「お姉さま?」
「はい、お姉さま」
自分を指さし、問いかける。人魚は間違いありません。貴方がお姉さまです、とばかりに満面の笑みを浮かべてそう言った。
「どういうこと……っくしゅん!」
「あわわわ。そのままだと体が冷えてしまいます。服を脱いで乾かさないと」
「そうね。さすがに風邪ひくかも」
濡れた服を着たままだったので、一枚ずつ脱いでいく。暑くなかったら、凍死してたかもしれない。絞っては近くの木の枝に引っ掛けていくけど、その度に人魚からの視線が熱い。
「はぅ、お姉さまの太もも、おみ足、きれいです……」
熱いっていうか、イタイ。身の危険とかを色々感じて、下着を脱ぐ前に手を止める。
「えーと、できればあっち向いてもらえないかな? 目線が怖いっていうか」
「そんな……。お姉さまの体が見れる絶好の機会なのに」
「いや待って。助けてくれたのは嬉しいけど、私が気を失っている間にいろいろ変な事したんじゃないでしょうね?」
「シテナイデスヨ」
「目をそらさずに答えて!」
「あっち向いてって言ったのにー」
ぶーぶー、とわざわざ口にする人魚。何なのこの女子高みたいなノリは。
「先ずは人工呼吸と心臓マッサージです。ここに運んだ時、水を飲んでて結構危ない状態だったので」
「う、それは……ごめん。助けてくれたのに変な事言って」
「あとは口移しで水分と栄養の補給を」
「……ちょっとその光景を想像するとあれだけど、命を助ける為だもんね。うん」
医療行為、医療行為。そう何度もつぶやいた。人間食べないと衰弱するもん。弱った体を回復させるのに、重要な行為だ。気を失っている私が養分を得るのには、口移し以外では無理だろう。点滴とかないんだし。だから仕方ない。うん。
「ついでに粘膜から分泌されたお姉さまの遺伝情報をいただきました」
「ちょっと待って。なにそれ」
「はい。唾液……正確には唾液に含まれる粘膜細胞には大量のDNAがありますので、それをいただいて――」
「いやいやいやいや。確かに遺伝子検査とかで使うって聞いたことあるけど! なんで私のDNAをいただくの、貴方!?」
さすがに異常な発言だったので、聞きとがめた。
「私……お姉さまのDNAが欲しいんです」
潤んだ瞳で、その人魚はそう言った。甘く、懇願する声。
その姿と声に背筋がゾクっとしたのは、きっと寒くて体が冷えたせいだろう。決して変な気分になったとか、そんなことはないはずだ。
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