第2話
「マッチ1本 ざんげ聞き〼」
段ボールでできた立看板があった。
見慣れない看板だから男は立ち止まった。
フン、と鼻を鳴らす。
うさんくさく見えてしょうがないのだ。
こんなご時世だから仕方ないが、対価を貰っている時点で低俗な告解に見える。
それに、元々カラオケ店があった場所だったらしい。料金の表やのぼりがそこらへんに落ちている。そんな状態だから、男は「こんなのミスマッチだろ」としか思えなかった。
「マァ暇だしな…」
男はマッチを結構持っていた。無論タバコのためである。しかも女と別れたばっかりだからヤケクソ気味である。
気晴らしになれば良いが…とか思いながら、男はカラオケ店に足を踏み入れた。
一応護身用の鉄パイプを隠し持って。
■
受付だった所に男は入った。しかし中には誰もいない。
「誰かいますー? 懺悔を聞くって見たのですが」
すると女性らしき人が出てきた。
前に布を垂らしており、顔はよく見えない。
「あ、こんにちわー。マッチ貰って良いですか?」
「ハイ、これ」
男は1本のマッチを受付の台に置き、マッチ箱をポケットにしまった。
「ハイ丁度ー では2階に上がりましょう」
「もしかして君1人なのか? 襲われたりしないの? 大丈夫?」
「ここは『土人を崇める会』の管轄区域です。ちゃんと複数人の仲間がいます。」
げ、ココは宗教絡みの場所なのかよ
というかネーミングセンス無さすぎだろ
男は分かりやすく苦い顔をした。
「また、我々は客を選んでいます。信頼のおけそうな人のみ接客をしているのです」
「あ、そう…(やっぱり馬鹿なんだな)」
「どうぞ、コチラへ」
どこか1室の中に案内された。
中は狭い。しかしイスが取り払われており、床に直接座るような感じになっていた。
「でははじめましょう。…その前に、背中に何か持ってますよね?出していただけますか?」
鉄パイプの事である。しっかりバレていたらしい。
「あ…いやすみません。この場所を集団で襲われたら俺、死ぬじゃないですか。せめて手に持っておきたいんですけど」
「お気持ち分かります。では、私も持って良いですか?」
「は?」
「つまりあなたの持つソレを、2人で持てばお互いの護身になると思うのです」
「なるほど」
「向かい合って座りましょう。そしてお互いの利き手で持つのです」
彼らは向き合って体育座りした。そして彼らの前に鉄パイプをナナメに置いて、両者右手でつかむ。
「ではどうぞ。何があったのですか?」
■
「地雷女ホイホイじゃないですか…」
「は?」
男は女と別れた事を喋った。
そうしたらこのザマだ。
なんだこの女。人をゴキブリホイホイみたいに言いやがって。
「え…っと、つまり『女を甘やかしていたら、いつのまにか浮気されてた』っていう事ですよね」
「その言い方に悪意がある気がするけども、恐らくそうだな」
「あの、失礼を承知で言いますが、悪魔の生まれ変わりじゃないんですよね」
「やって良い失礼にも程度があるだろう」
なんだこの女(2回目)
聞くだけじゃないのかよ…
口出すなんて聞いてないぞ…
コレだから宗教は…
「俺帰りますね」
「あ、ああ待ってくださいぃ…えっと優しい!
女の人に尽くしたんでしょう?とても優しいですね!」
「黙ってくれ」
「しかし、女性と別れただけで懺悔しようとは思いませんよね。女が100%悪いと思うなら、懺悔なんて必要ないはずです」
「黙れ」
「けど貴方はここに来た。つまり貴方は心のどこかで自分も悪かったと「ウルサイ」
バッと女性を振り払い、鉄パイプを手元に引き寄せる。そして男は胸に引き寄せるように、自分を守るように武器を持った。
このままだともう、女不信になりそうだった。
「アンタ…アンタさっきから一体なんなんだよ、俺の悪口ばっかりじゃないか」
「ああスミマセン、一応ちゃんと理由はあるんですよ」
「そうだよ、どうせ俺が悪いんだろ⁈ 確かに俺は女になんでも与えたさ。そうしたら女はどんどん堕落し、醜くなった。なあ、俺は何が悪いんだ?何が、何がダメなだったんだよ…」
なんというか、目の前の女性が男の地雷の上でタップダンスをしているのだ。
男は発狂するしかなかった。
沈黙が訪れる。
一回沈黙すると、音を立ててはいけないような気がして、男は動けなかったし気まずかった。
沈黙は冷たい。故に男の頭は冷めきった。
見ず知らずの奴に怒鳴っちゃったな…
謝るか…
とか思ったその時。
女が立ち上がり、急に衣服を脱ぎ始めた。
黒いローブとズボンの組み合わせだったが、まずしゃがんでズボンを脱いだ。
あらわになる白い脚。
肉が程よくついた、柔らかそうな腿。
黒いローブとの対比でとても美しく男の目に映った。
「お客様、申し訳ありません。私の至らなさで、貴方を怒らせてしまいました…」
「何…なにをして…」
女性が男にゆっくりと近づく。
男は立って後退する。しかしカラオケ店のワンルームは大して広くない。
1.5歩ですぐに壁に背がついてしまった。
女性が男の前に来る。
「まぁ、とても冷たい手をしている」
女性は男の手を取った。
ガラァンと鉄パイプが落ちる。
「このままだと私は大層叱られてしまいます。
お詫びに、この体を貴方に預けましょう」
女は男の手を、胸の方へ持っていく。
そして、ボタンを両手で握らせた。
「ほら、この手を動かして…女を黙って立たせるのは無粋よ」
男は混乱しながらも、なんか色っぽく叱られたので手を動かす。
プツ…プツ…と7つほどのボタンを外した。
滑らかな肌をつたいながら、ローブが落ちる。
すると、もうなんというか「さすが」としか言えない体が現れた。
下着と肌の境目を見れば分かる、程よい脂肪。
白っぽい肌に鮮やかなベルベット色の下着。
華奢そうな骨格。
全てが全世界の男のために作られたような体だった。
極め付けは顔の前の布。
女が動くから布がヒラヒラしており、時折顔が見える。それがマァー美人なのだ。
整った鼻筋。
血色の良い唇。
パッチリした目。
コチラを射抜くような瞳。
それらが完璧には見えず、しかし女はチラチラと部分的に見せてくる。
完璧な体に部分的な顔。
さながらミロのヴィーナス。
男はチラリズムの需要を知った。
「ほら、来て」
そうして無様に興奮するが良いさ
女は男をゆるりと抱きしめた。
が、しかし
これだけお膳立てされても男は動かなかった。
紳士だからではない。
単純に勃たなかったからだ。
というか、男が今欲しいのは情欲ではなかった。
なんせ男は優しくした女と別れ、懺悔を聞くとかいう女に図星を突かれている。
男は精神がキャパオーバーして、女を抱くとかそんな余裕が微塵も無かった。
そんなもんだから男は逆に女が滑稽になり、故に冷静になった。
「アーすみません。雰囲気壊して悪いんですけど」
「なぁに(怒)」
「膝枕してもらって良いですか?」
男が欲しかったのはどちらかというと、温もりだった。
■
「屈辱」
「すみません」
女はそこそこ怒っていた。
あのアプローチで今まで堕とせなかった男なんていなかったのだ。プライドが許さなかった。
「でも⁈ 良いですよ⁈ 貴方は女よりも膝を選んだんです! 意思を持つことは立派ですよ!」
「やっぱり怒ってますよね」
「当たり前よ…恥ずかしい」
男は無事、膝枕をしてもらっていた。
女にローブを来てもらい、足はそのままで。
「でも貴方がいけませんよ、最終的に俺を追い詰めたのは貴方だ」
「そんなにヤワな精神だと思わなかったのよ」
「グフゥ(200ダメージ)」
久しぶりに人の体温を、耳で感じた
童心に返ったようだ…
女の鼓動が肌越ごしに聞こえる
女性は一定のリズムで背中を優しくたたく。
男はそれがまた、心地よかった。
「どこが悪いか、と貴方は言いましたね」
「え? あ…ハイ」
「貴方は悪くないと思いますよ。むしろ、堕落に耐えきれない人間が悪いのです」
「宗教勧誘…?」
「違います」
女性は静かに言った。
「人は助けてもらうときに、堕落の味を覚えてしまいます。負担を相手に押し付ける事で楽になる感覚を、忘れられない」
「そんなつもりで助けたんじゃ…」
「ええ分かっています。しかし本来ならば手助けされたら、その徳を相手に返すべきなのです」
「…」
「対価を求めるというのは、必ずしも下品な事ではありません。むしろ堕落を是正するシステムですし、心の防衛機能になります」
「…対価を求めずにホイホイ助け、堕落を振りまいているから『悪魔』と」
「ああ、全くもってその通りです」
クツクツと女が笑う。
男はふと、女が悪魔に見えた。
今まさに、俺を堕落させにかかっているから。
それに美しい。
別れた女が美人だと思っていた俺は阿保だったらしい。
「その話は遠回しに、俺が悪いと言ってますよね」
「確かにそうですね。しかし、貴方は今までちょっと不幸だったんですよ」
「というと」
「助ける時に対価を設定せずとも、見返りをくれる良い人間がいるのです」
「それは当たり前では」
「ところが、そういう事をちゃんとできる人間は少ないのですよ」
トン…トン…
ゆりかごに揺られているようなリズムだった。
「じゃあ、どうしろと?」
「軽くでも良いから、対価を求めなさい。そして良い人と長く付き合うようにしなさい」
「良い人って」
「貴方が助けなくても、1人で生きていけるような人間です」
「…」
「貴方は助けすぎて疲れているんですよ」
つまり、俺に寄ってこないような人種と付き合え、と
無理ゲー感がすごいな
しかし男は良くも悪くも環境に左右されやすい人間だったから、あながち間違いではなかった。
女の手が男の耳を優しく包む。
そして女は耳元で囁いた。
「貴方は今まであまり他人に施されなかった」
「…そうです、かね」
「しかし今、貴方は施されている…話を聞いてもらっている」
「…はい……」
「貴方の悩みは、終わりが無いのでしょう。私の回答も、正解のうちの1つでしか無い」
「…」
「しかし、どうです? 答えらしきものが見つかった安心感、思考を他人に委ねる快楽」
「……」
「助けられた者に生まれるのがコレなのですよ」
「………」
「ねぇ、どうですか。貴方はそんな快楽を振り撒いていた。これを罪と言わずして、なんと言うのでしょうか」
「…スピー」
「あら、お眠りになられましたか。精神をくじいてワタシのものにしようと思ったのに…」
残念です
女は母性あふれる笑みをしながら、男を寝かせてやった。
■
男は寒さで起きた。
一瞬どこだか分からなくなったが「あ、懺悔だわ」と思い出す。
しかし、女の姿はどこにも見えなかった。思えばもう対価(マッチ1本)を払ったわけだから、いなくてもおかしい事はない。
フラつきながら男は立った。
あんなに熟睡したのは久しぶりだ、とか思ってタバコを吸おうとして
無い
マッチが無い
全ポッケを探すが、見つからない。
あたりを見回す。落ちていないか探す。
アレが無くなったら割と困る。
すると、足元に不自然な紙切れが落ちていた。
見ればまるっこい文字で
「良い女(ひと)捕まえてくださいね」
と書かれていた。
してやられた
アレは詐欺だったか
男はギリギリ歯ぎしりする。
つまり、この詐欺の手口はこうだ。
まず客にマッチ1本を払わせる。そして、客がマッチ箱をしまう場所を見て覚える。
男の場合はズボンのポケット。
そして頃合いを見てなんとか奪取。
(普通は興奮した男が服を脱いで、無防備になる時に盗む)
客を選んでいるとか言ったから、メンタルがやられてそうな、抵抗されても返り討ちにできる人間しか客にしないのだろう。
そう考えると、本当に仲間がいたかどうかも怪しいし、宗教絡みだったかも怪しい。
というか、武器も取られている。
考えれば分かる事だった
それに健全な精神だったら、1人で訳分からん所に足を踏み入れないのに
男は焼けるような後悔をした。
ナァニが良い女だ、良い女は総じてお前らみたいに俺から何か取っていく
俺などまるで意にも介さず
「クソ女(アマ)、テメェよりも上玉見つけたるわ」
そう吐き捨てつつ男は去った。
今は夜で危なかったが、ココに居座ると女が戻ってくるかもしれない。
外に出た。相変わらず星空は綺麗である。
しかし男は初めて「綺麗だな」という感想を持てた。心に余裕ができたのだ。
マァ、カウンセリングの対価としてはマッチ箱くらい安いか
そんな気持ちは負け惜しみだと認めつつ、しかし男は前を見て進み始めた。
煙草がやめられない男は日々叫ぶ 焼き鯖 @mere_caprice
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