煙草がやめられない男は日々叫ぶ
焼き鯖
第1話
時は20XX年。6ヶ月前に世界は崩壊した。
都市直下型地震が起きたのだ。主要な機関を首都に詰め込んでいたこのアホウな国は、簡単に終わりを迎えた。
そして大誤算な事に、地下から無数の人型化け物が出現したのだ。涙を流しながら人を襲う、土気色の未確認生命物体。お陰で今まで虐げられていたオカルト信者が息を吹き返し、信仰宗教を立ち上げる始末。
「地震は彼らが土から出てくるときに起こったのだ。プレート変動なんか嘘っぱち。」
「彼らは神が使わせた使者である。化け物を崇める事で救われる。」
そんな馬鹿げた教義を掲げているが、人はそんな物にすがる程、神経がまいってしまっていた。
今この世界では何かしらの宗教団体に入って共同生活する事が定石である。信仰心によって皆協力し合い、生存確率が上がるからだ。
つまりガレキの隙間で生きるこの二人の男女は、明らかに異質であった。
「じゃ、食料調達してくるわ」
「ええ、いってらっしゃい」
男はガレキのスキマから出てった。
彼らは世界崩壊の時に一緒にいた。
つまりは付き合ってたんだな。
化け物から命からがら逃げのび、今の今まで隠れ住んでいた。
宗教に属さないのは、男の意向だった。
曰く、「あそこはバカになる」と。
偏りのある知識を洗脳のように植え付けられてはたまらないということで、男が2人暮らしを提案したのだ。
少々ロマンチックな女はすぐに受け入れた。
私たちなら、どんな試練も耐えられると。
化け物は午後2時から午後5時の間、出現しない事が分かっている。睡眠時間か何かなのだろう。
人はその時間に食料調達をする。
影の具合的に、今は午後3時だった。
男はショッピングモール跡地にズカズカ踏み込む。かなり倒壊してしまっており侵入は困難だが、細身の彼は難なく奥へ奥へと進む事ができた。そしてようやく、ある空間に辿り着く。奇跡的に残っている食料品売り場だ。
男の他にはまだ誰もたどり着いていないらしく、未だ大部分が手付かずだった。
「アー…ナマモノは流石にもうダメだな。缶詰…はまだ在る。よしよし。ってゥオァ、電池じゃん。ラッキー…」
声を出さないと、静寂で死にそうだった。
静寂はうるさい。心臓の音を増幅させるからだ。
さまざまな不安を振り切るように、男は空中に向かって喋り続ける。
時々、「オレ何してんだろうな」と我に返ると小っ恥ずかしくなる。だからこそ一生懸命喋り続けた。正気をどこかへ追いやるように。
人は正気を保ち続けると、すぐに死ぬ。
これは男が最近得た豆知識だった。
こうしてやっとこさ戻った男が手にしていた物は、缶詰6個に水とタバコ一箱。というのも、あまり荷物を持つと、ガレキのスキマを通れない。
このご時世、タバコは富の象徴であり、侮蔑の対象でもあった。生活に必要な火を使わないと楽しめないからだ。マッチやオイルをわざわざ消費してタバコを吸う奴なんてどこにもいない。故にタバコはある意味「高級品」だった。(タバコ自体は買う者が少ないため、値割れしている)
しかし、吸わない奴からしてみれば「こんな時にもタバコをやめられない奴」というレッテルでもあった。故に「侮蔑」。
なんにせよ、価値が低いタバコを売る酔狂な奴なんざどこにもいなかった。なので男はいつもココでタバコを調達している。
「不味いな」
3ヶ月も経ったタバコは風味が若干落ちる。微かな差だが、中毒者の彼は気になってしまう。
男は一仕事終えた後のタバコの時間が、たまらなく好きだった。
この一区切りがついた感じ。世界には俺しかいないという錯覚、故の全能感。世界滅亡以前に家族と暮らしてた時は「副流煙死ね」とか言われて肩身が狭かったが、今やどこでも自由に吸える。
喫煙者を非難する世界はどこかへ吹き飛んだ。そこだけは嬉しい。
(非難する人間はいるが、少なくとも禁煙スペースなんて嫌味なものは無い)
「ゴホ」
そうだ。これはつい嬉しくて、油断してタバコでむせただけだ。生きてるか死んでるか分からない家族を思い出して嗚咽しそうになった訳ではない。
そうだ。これはタバコの煙が目に染みるだけなんだ…
男は何もかもをタバコのせいにできるこの時間が、たまらなく好きで嫌いだった。
そして彼は隠れ家へ帰る。
「ただいま」
「おかえりなさい」
これが1日のルーティンである。
見てわかる通り、彼はけっこう精神がやられていた。
■
(小さい子供はどこへでも侵入できるから、よく食料調達に駆り出される。男はそんな子供を見かけて哀れに思い、食料を持たせる。そうしたら翌日の食料調達をストーカーされ、翌々日には大量の子供が穴場から食料を持ち出していた。男の食糧庫は無くなった。男はなおさら宗教が嫌いになった。女はどんどん不機嫌になった。男はますますタバコにのめり込んだ。)
■
(その後2週間経った)
「ただいま」
「今日の成果はどう?」
とうとうこの女は「おかえり」さえも言わなくなったな、とか思いつつ男は答える。
「スマン、こんだけだよ」
缶詰1コだけだった。
(ちなみに今は食料を新興宗教団体が占有しているため、街中で缶詰を見つけただけでも幸運なのだ)
「ハァ?水が無いじゃない。今から取ってきなさいよ」
「嗚呼ごめんな、けど今からじゃ無理だ。さっきだって5時を過ぎたから命からがら帰ってきたんだ」
「…貴方、分かってるの?貴方がしっかりしないと、私たちは死ぬのよ?」
「…そうだな…そうだな…」
ヒステリックに女は叫ぶ。醜く歪んだ顔。
以前よりも食料品が減ったので、彼女はこんな調子だ。
何かのはずみで、ポッケからタバコが落ちた。
「あら、まだタバコを吸っているの?臭いからやめてと言っているのに!」
「……」
叫ぶ女を横目で見ながらふと、彼は思った。
女は守らなきゃいけない。だってか弱いから。
しかし、この女はか弱い…のか?
よく見たらブルドッグみたいな顔して吠えている。美人なのに勿体ない。
その瞬間、男の中で何かがプツッと切れた。
きっとコイツなら、攫われそうになっても吠えて追い払うに違いない。じゃあもう、大丈夫か。俺がいなくても生きていけるな。
座ってグチグチ文句垂れる女を背にして、男は立ち上がる。
「別れよう」
「話そらしてんじゃないわよ」
「俺は本気だよ」
「は」
男は振り返った。
光の無い目が女を捉え、女はそのどこまでも虚な目に身震いした。
「君はもう一人で生きていけるさ。だってこの世界で怒鳴り散らす元気があるもの」
「え、本気……」
「寝床はあげるよ。俺が明日出ていく」
「待って待って、私はまだ貴方の事が」
ゴッ
鈍い音
女の怯えた顔の横に足は振り下ろされ、片足が壁についたまま男は女を見下ろす。つまり足ドン。
噛み締めた歯の奥、喉から絞り出すような声で男は言う。
「オマエ、その後の言葉を、胸張って、言えんのかよ?」
「……」
「出会った頃と、同じ顔で、その言葉を、言えんのかよ?」
「…言えるわ」
「じゃあ言ってみろよ」
「……」
「ったく、どいつもこいつも」
世界が崩れても、人間は変わらないんだな。
助けた人間は初め感謝するが、手助けを繰り返すうちにふんぞりかえる。助けてもらう事が当然の権利だと思い込む。
そして俺が断らないのを良い事に、いつのまにか俺をコントロールできるなんて妄想を抱くんだ。
俺はいつだって使われる身なんだ。
「貴方のせいよ」
「?何が?????????」
「貴方が繰り返し助けるから、私は」
「」
「こんなに醜くなった」
「(絶句)」
ここまで酷い女は初めてだった。
口を開けば責任転嫁の嵐。
そんな女を男はどうしてか憎みきれなかった。
多分男のそういう性格が、女につけ込まれやすいのだ。
「オマエがどうやって告白したのか、思い出したら戻ってきてやるよ」
マァ無理だと思うけどな
そう言いながら男は闇に去って行った。
大切な物など何も無いから、すぐに出ていけた。
背後から女の罵倒が聞こえたが、追いかけてこない。やはり女には、別の男がいたのだ。
というのも女の顔をよく見ると、薄く化粧をしていたのだ。あの甘い匂いは化粧品の匂い。
男は食料だけをとっていたから、化粧品なんぞ女が持っているわけない。おおかた宗教団体の教祖に言い寄られたに違いなかった。なにせ化粧品は高級品だ。
(男が人より多くの食料品を女に与えていたため、女は周囲の人間よりも栄養状態が良く美人だった。)
男はしばらく走った。女の声が聞こえなくなるまで走った。それはもう、一生懸命に走った。なにも考えたくなかった。
しばらくして道路に倒れ伏した。タバコをやっていたから肺が弱い。そんな自分を彼は恨めしく思う。
「タバコを吸っている貴方の背中が寂しそうで、寄り添いたくなったのよ」
思い返してみれば、そんな言葉がきっかけで2人は一緒にいたのだ。
チクショウ、マジで全部タバコのせいじゃないか。タバコで物語が始まり、タバコによって俺が正気に返った。タバコが無ければアイツと出会わなかった!
今じゃきっとアイツは宗教にのめり込み、俺を侮蔑の対象としているに違いない。
「貴方のせいよ」
あの言葉が未だ耳にこびりついている。
一度だって俺は「一緒に食料調達に行こう」とか誘った事があるか。いいや、無い。足手まといだから。
彼女と一方的に別れたが、自分も原因であるような気がしてならない。そもそも俺は彼女が好きだったろうか…
「グ、うぅ…」
認めない。それもこれも全部、女が悪い。
俺の視界で困った顔する奴が悪いのだ…
転がって、仰向けになった。
男のことなど意にも介せず、星は煌めく。
世界崩壊した後特有の、綺麗な空。
世界は男を1人ぽっち置いてって、変化していく。
たまらなくなって、男は空へ吠えた。
「助けるのが悪いってかァ⁈
ナァおい、道徳がそんなに悪い物だったのかァ?
いつから倫理は女を堕落させる道具に成り果てたんだよ、答えろよ、教えてくれよ…」
誰も応えない。誰も答えを知らない。
優しい男はすがる思いでタバコを吸った。
思考を停止すべく。
その目の涙をタバコのせいにすべく。
煙は男を嘲笑うかのように、ユラユラと揺れていた。
(その後、女は死んだ。醜くなった女は教祖に見捨てられたし、男がタバコのためにマッチを無意識に持ってってしまったからだ。)
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