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私は思わず、「できるんですか」
「まあね。さっきのはしょせん、その場の思い付き。穴があることに気付いちゃった」
「はあ」なんだか力が抜けたようになって、私は琉夏さんを見返した。そのわりにずいぶんと自信満々で語っていたような気がするが。「聞かせてください」
「この万引きに必要な人員は最低ふたり。Xが担っていた合図役と、実際に商品を盗む実行役。リスクが大きいのは――とうぜん実行役だね。合図役がやっていることは、それ単体では別に、犯罪でもなんでもない。実行役が下手を打って現場を押さえられても、自分は商品に指一本触れていないんだから、うまく逃げ切れるかもしれない。つまり立場が上の人間が合図役、下っ端が実行役になるのが自然」
「Xがボスだったってことですか。でもそうすると――」
「うん。さっきの私の推論は成り立たなくなっちゃうんだよ。店員に話そうとして怖気づく、あるいは売り上げに貢献して罪滅ぼしをする。どっちにしても、罪悪感を理由とした行動だったわけでしょう」
「Xに罪悪感があったなら、自分がボスなんだから最初からやらなければいいだけ、か。でも待ってください。ボスのほうが万引きの腕前が上で、自ら実行役を買って出るって可能性もあるんじゃ? これだとXは、下っ端ながら合図役ってことになりませんか」
この私の意見に、琉夏さんはすぐさまかぶりを振って、
「だったら嘘の合図をして、万引きを失敗させればいい。捕まるのはボスだけ。裏切る踏ん切りがつかなかったとしても、合図自体しないって選択肢もある。チャンスが見つかりませんでした、とか言って」
私は頷いた。「なるほど。万引き説はなさそうですね」
「よしよし」琉夏さんは微笑し、「安心した?」
「けっこう安心しました。ありえないとは思ったんですけど」
「じゃあ改めて、Xに仲間がいなかったとした場合の仮説を検証しようか。こっちのケースで検索機を弄った理由は――ただの演技」
「本を探すでも、誰かになにかを知らせるでもないなら、そうなりますね。自分は本が見つからなかったからこの場を離れるのだ、というアピール」
「あるいは自己暗示。この場合、Xが書店から見ていたものはなんだと思う?」
「見当がつきません。さっきの検証で、本屋に居残ったのは部長でしたよね。なにが見えました?」
「細かく位置を変えれば、わりといろんな場所が見える。でもいちばんよく見えたのはレジだね」
「レジですか。じゃあXは、やっぱり店員を見てた?」
琉夏さんは唇を湾曲させて、「直感で答えてみて。自分だけ姿を隠して、こっそり相手を見てるって状況。どんなとき?」
「――相手が気になってるとき?」発してから、私はぽかんと口を開けた。「え? Xは売店の店員さんが好きだったってこと?」
ふふ、と短い笑いが返ってきた。悪戯っぽい表情。
私が困惑している間に、琉夏さんは鞄を開けてペットボトルを取り出した。一口付けてから、
「推論。どこにでもいそうな青年のXは、売店の店員さんに一目惚れした。でもいきなり声をかけるのは躊躇われる。そうこうするうちに彼は、思い人を遠巻きに眺めるのに最適な場所を発見した。書店の棚の裏側。あそこからなら売店の様子がよく見えるし、逆にこちらの姿は見られないし、長居もしやすい――これはさっき検証した通りだね。そしてXはあるとき遂に、ささやかな行動を起こす。その店員さんがレジにいるタイミングを見計らっての買い物。ジュースを選んだのはたぶん、緊張で咽が渇いていたからかな。特別な相手から買うことに意味があるんだから、とうぜん自販機はスルーされる。買い物のあと、彼は自分の行動が照れくさくなって、大急ぎでその場を離れた」
私は吐息を洩らした。そののちに短く、「そういうこと――ですか」
「証明する手立てがない以上、これも憶測だけどね。でも万引き説よりはずいぶん平和的でしょう。ああ、喋りまくったら咽渇いちゃった」
琉夏さんはまたペットボトルを傾けたが、すぐにはたとした表情で私を見返してきて、
「もう空だった。買って来ようかな。皐月も来て。確かめてみよう」
ふたりで問題の売店に戻り、初めて気付いた。レジに立っていたのは、二十歳前後のぱっと人目を引く雰囲気を湛えた女性であった。千円札で料金を支払った琉夏さんの手に、丁寧に小銭を返しながら、ありがとうございました、と頭を下げる。なるほどこれは――。
「まあ、推理の傍証にはなったよね」
エスカレーターを下りながら、琉夏さんが満足げに私を振り返って言った。心なしか、頬が緩んでいるように見える。私は唇を尖らせ、
「部長。あの人にお釣りを手渡ししてもらうために、わざとお札で出したでしょう。そういうところ、やらしいですよ」
「失礼な。本当に小銭がなかったんだって。そういうのは推理じゃなくて、難癖って言うんだよ」
「難癖でけっこうです。ともかく、今回はありがとうございました」
「どういたしまして。これでどうにか、部誌に載せる小説の題材が見つかったでしょ。今日の話をいい塩梅に纏めれば、短篇一本くらい行けるんじゃない?」
私は曖昧に頷き、「部長も、岡麻又郎論のほうを頑張ってくださいね」
「こっちはもう、だいたい仕上がってるようなもんだから。小説、第一稿ができたら最初に私に見せること。それが私を登場させる、唯一にして絶対の条件だからね」
自動ドアをくぐって屋外に出る。すでに日は落ち、あたりには暗がりが訪れていた。平坦な灯りを頼りにして駐輪場へ向かう。愛車のスタンドを蹴った琉夏さんに向け、
「お疲れさまでした」
「帰るの? 皐月んち、この近くなんでしょ? 送ってくよ」
「いえ、大丈夫です。部長も早く帰って、評論の誤字脱字でもチェックしてください。今日はこれで失礼します」
琉夏さんが唇を開きかけたのが分かったが、私は構わず踵を返した。ただ一心に歩きはじめる。
さすがにもう追いかけては来ないだろうという確信が生じると、途端に張り詰めていた糸が切れた。苛立ちにも似た胸苦しさに見舞われる。
「――なんだよ」足許を見下ろしながら、独り言ちた。「なんだよ、なんだよ、なんだよ、もう」
本当はずっと、否定したくて堪らなかったのだ。ただそのすべが、琉夏さんを納得させるだけの理屈が、見つからなかっただけで。
「違う。私には――分かってるのに」
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