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 真向かいに位置するふたつの店舗。では向こう側からはどう見えるのか――。

 検証すべく、私だけが売店へと移動した。店先の、特価商品が置いてあるあたりから後方を振り返る。

 やはりそうだった。こちらからでは、琉夏さんの姿は棚の陰になって見えない。

 打ち合わせておいたとおり、両手を交差させてバツ印を作った。書店側の彼女は、私の合図を見て少しずつ立ち位置を変える手筈になっている。

 しばらく待ってみたが、なかなか相手の姿を確認できなかった。腕を上げつづけているのにも疲れてきたころ、いきなり後方から肩を叩かれた。

「――ひ」と反射的に情けない声が洩れる。「びっくりした」

「ごめん。でもこれで分かったね。売店からでは、ほとんどあの棚の裏側の様子は分からない。逆に本屋からだったら、こっそり売店の様子を伺うのは簡単」

 首を捩って見返すと、琉夏さんの満足げな顔があった。いつの間にか、こちらへ回り込んできていたらしい。彼女は私の両肩を悪戯っぽく揉みながら、

「つまりXの目的は、身を隠しながら売店を見張ることだった。本屋だったら多少長居しても違和感は抱かれにくいし、打ってつけだよね」

 なるほどと思う。「売店に程近い立地と、視界を遮るための棚。この両方を満たしていたのが、たまたま本屋だった」

「そういうこと。条件さえ満たせば、別になんでもよかったの」

 私は周囲を軽く見渡した。人ひとりがすっかり姿を隠せそうな遮蔽物となると、確かに書架しか思い浮かばない。他の店の棚では、どうしても背が低いのだ。

「皐月、身長いくつ?」と肩揉みを続けながら琉夏さん。「私より少し小さいから、一五〇代後半くらいか」

「一五八センチですね。ちなみに測ったのは昨日です」

「なんでまた」

「身長を測るための目盛りを刻んである柱が、うちにあるんです。私のは三歳から毎年記録してあって、前を通るたびに、なんとなく――こう」

「ふうん。私は一六一センチで、ジョディ・フォスターと同じなんだけど」

「その情報、要ります? なんでもいいですけど、ともかくXは私たちより背が高い。さっきの本屋以外の場所で完全に身を潜めるのは困難。これでいいですよね」

「大いに結構」

 私たちは軽く店内を一周した。そう大きな店ではない。品揃えはコンビニと似たり寄ったりといったところである。レジが一箇所、出入口が二箇所。

「問題のジュースはこれだね」琉夏さんが棚の前で立ち止まる。「この硝子の扉の付いた冷蔵庫、なんて名前か知ってる?」

「知りません。というか名前、あるんですか」

「リーチインっていうらしいよ。雑学でした。事前の予想通り、とくべつ安くはないね。普通に一二〇円か」

 見れば見るほど、どこにでもあるスポーツドリンクである。我が家でもわりとよく飲まれている。アウトドアにも持って行くし、風邪のときもたいがいこれだ。

「皐月」と琉夏さんが私を手招く。「行こ」

「ああ――はい」

 ひとまず店を出た。なにも買わなかったが、ありがとうございました、と店員に声を掛けられた。

「ごく平凡な売店って感じでしたね。部長、なにか気付きました?」

「とりあえず順番に考えよう。まずXは、本屋からなにを見張っていたのか」

「なにって――見張るっていうんだから、動くものですよね」

「だろうね。あの狭い店だから、人は頻繁に出入りする。平均的な滞在時間でいったら、たぶん五分とか十分。客の誰かが対象だったとしたら、わざわざ本屋に腰を据えて見張るのはむしろ非効率的だと思う。もっと近くに張り付いて、尾行したほうがいい」

「じゃあ対象は、ずっとあの店に居残ってる人? 店員さんですか」

「たぶん」

 私は顎を摘まんだ。「そういうことにしましょう。ではXが本屋で検索機を使った――使うふりをした理由は?」

「ちょっと考えを纏める。どっかで座ろうか」

 連れ立ち、あまりひと気のないベンチへと移った。スペースの限られる売店の前に突っ立って長々と喋っていたのでは、他の客の邪魔にもなろう。

 座るなり、琉夏さんは声を低めて、

「纏めた。検索機の操作が別の誰かへの合図として機能していたか、もしくは演技か」

「誰かへの合図?」

「うん。その場合、合図を受け取る仲間がいたってことになるよね。仮にそうだとしたら、どういう展開が考えられる?」

 私は視線をさまよわせた。「Xが店員を見張っていたとするなら――その注意が逸れた瞬間を知らせるとか?」

「それで?」

「売店にいた仲間が――万引き?」

「なんで疑問形なの。自分の推理でしょう」

 複雑な色味を湛えた瞳が私を見据える。こちらの返答を見越した上で、人に聞かれないよう場所を変えたのだと分かった。

「いえ、だって」私は言葉を探した。「犯罪じゃないですか」

「思いっきり犯罪だね。不思議な行動をとっていた人間が犯罪に関わっていた。順当じゃない?」

「それはそうですけど――」

「自分が合図を送ったことで、仲間は万引きに成功した。Xは実行犯じゃないにしろ、加担してしまった罪悪感があった。店員に真相を告白しようとして土壇場で怖気づいたのか、あるいはせめて売り上げに貢献することで罪滅ぼしをした気になりたかったのか、ともかくXはジュースを買った。自分のやったことに恥ずかしくなり、急いでその場を去った」

 淡々とした口調だった。確かに理屈としては通る。通る気はするが――。「でもそれは、仲間がいたとしたら、という前提ありきですよね」

「もちろん。そもそも皐月の話には仲間なんか出てこなかったんだしね。仮にそうだとしたら、こういう推測ができるんじゃないかってだけ。不満? そもそも発端は、不可解な状況にもっともらしい理屈をくっつけるっていう遊びだったんじゃないの?」

「犯罪が起きてたかもしれないなんて結論、想定してないです。遊びなら遊びらしく、もっと平和的に終わってもいいじゃないですか」

「推理って普通、犯罪の真相を究明するものじゃない?」

「推理小説ではそうでも、現実のものとして身近に起きたら厭です。よく来る店だし、ちょっと信じたくないです」

 琉夏さんは腕を組み、「じゃあ別の理屈を提示して、仮説を崩してみたら?」

「Xは独り。仲間なんかいなかった」

「そこからやり直してもいいけど――今ひとつ面白くないんだよね。こういうのってさ、積み上げた推理が崩壊して初めて、次に進むものでしょ」

「急にやる気出して真面目になるの、やめてくださいよ。いつも無気力、無関心、無感動のくせに」

「私のやる気は鹿威し式なんだよ。今まで溜め込んだぶん、どばどば溢れてる」

 推理のみならず、屁理屈も一丁前である。「部長のそういうところ、嫌いです」

「唯一の後輩に嫌われたんじゃ、立つ瀬がないな。皐月がいないと、部誌の完成なんて夢のまた夢だからね」

「私にとってはこの現実が悪夢ですよ」

「悪夢とまで言うか。なら仕方ない、崩壊させようか」

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