3
校門を出る。ふたり乗りをするわけにもいかないので、琉夏さんは自転車を押して歩いている。夜の六時近くになっていたが外は明るく、やや蒸し暑かった。九月に入ったとはいえ、本格的な秋の訪れはまだ遠そうである。
駅までの道々、私はふと思いついて、
「――そういえば岡麻又郎でしたっけ、部長の研究対象。どういう作家なんですか」
「ねえ、そろそろその部長ってのやめない? なんか距離を感じて切ない」
「部長は部長でしょう。他にどう呼べと? 倉嶌さん、のほうがいいんですか?」
「それも距離を感じるな。琉夏って名前で呼んでよ。私は最初から皐月って呼んでるんだからさ」
「はあ。じゃあ、そのうち。それより質問に答えてくださいよ。岡麻又郎はどういう作家ですか?」
彼女は小さく鼻を鳴らしてから、「絵本を一冊だけ出した新人絵本作家」
「それはさっき聞きました。もっと詳しく」
「杠葉市に生まれたけど、物心つく前に宵宮市に越して現在はそっちに在住している、絵本を一冊だけ出した新人絵本作家」
「居住地の情報はいいですよ。どんな絵本を描いてるんですか?」
「動物が出てくるファンタジー」
「『エルマーのぼうけん』みたいな?」
「また懐かしいものを。あれに出てくる竜の名前、覚えてる?」
「ボリスでしょ。蜜柑の皮が好物で、エルマーは実を、竜は皮を、それぞれ十九個食べるんです」
はは、と琉夏さんは笑い、「よく覚えてるじゃん。にしても蜜柑十九個って食べられる? 竜は竜だから大丈夫にしても、エルマーは人間の少年でしょ?」
「別にいいじゃないですか、そこは」
「皮を手に入れたかったら剥くしかないんだから、自動的に中身も出てくるわけじゃない? せっかくの実を捨てるのは忍びないよねえ。かといって剥いちゃったら持ち運びも効かないし」
「だから、いいじゃないですか。仲良くぜんぶ食べたんですよ」
あまり生産的でない雑談を交わしているうち、目的の駅ビルに到着した。琉夏さんが自転車を駐輪場に預ける。エスカレーターで二階へと移動した。
先ほど琉夏さんも言っていた通り、施設内はテナント入れ替えの真っ最中である。かつて衣料品売り場だったスペースが雑貨屋に、百円ショップがスイーツ店に、といった調子で、あちこちで作業が進められている。以前よりお洒落になるには違いないのだが、見慣れた光景が失われていくようで物淋しくもあった。
今回の舞台となる書店はその例外で、同じ店舗を保持している。私は琉夏さんを振り返り、「ここですね」
「よしよし」言いながら、棚に近づいていく。「Xはどんなふうに過ごしてた? じっくり立ち読みしてる感じだった?」
「いえ。ぱらぱら捲って、すぐ戻して、うろうろして、という感じだったかと」
琉花さんは店内をゆっくりと徘徊しはじめた。本を手に取ったり戻したりといった動作をときおり挟んでいるので、Xの行動を再現しようとしているのだと察しがついた。黙って追従していると、唐突に彼女が足を止めて、
「人が本屋に来るのはどんなとき?」
「どんなって――本が欲しいときでしょう」
「うん。でもXは、こうやってしばらく行き来してたんでしょ? 目当ての本が決まってるなら、検索機に直行すればいいだけの話じゃない」
「それはまあ、そうかもしれませんけど。せっかく本屋に来たんだから、ちょっとぶらついても不思議じゃないでしょう。まずはぶらついてみた。探してる本が見当たらなかったから、検索機を使った。在庫がないと分かって帰った。別におかしくありませんよね」
琉花さんはあっさりと、「おかしくないね。だけどただの暇潰しでした、じゃ推論としての面白みに欠ける。ここはXに、明確な目的意識があったと仮定してみたいの」
「目的があったなら検索機に直行で終わりだって、さっき自分で言ったじゃないですか」
「目的の本が決まってたら、ね。目的があったら、じゃない」
「そういう謎かけじみた言い方、やめてくださいよ」
言い返した私に、琉花さんは笑い顔を見せながら、
「ごめんって。だけどこれは重要なポイントかもしれない。思い出してみてほしいんだけど、Xはさっきの私みたいに、店全体をぐるっと回ってた?」
質問の意図がよく分からず、「それは、特定のコーナーにだけ興味を示してたか、みたいな話ですか? 新刊の文庫だけ見てたとか、翻訳ものばっかり見てたとか」
「どのあたりの場所を行き来してたか、かな」
私は首を傾げつつ、当時の状況を思い返そうとした。言われてみれば、Xは似たような場所を延々と左右していた――ような気もしてきた。確信はなかったが、なんとなくこのあたりではないか、という感じの位置へと移動する。
「このへんだった、かもしれません」私は棚を見やり、「国内作家た行。これが、なんのヒントになるんですか?」
「ああ、今回の仮説だとね、本は関係ないの。大事なのはとにかく場所、それからこの棚」
「どういうことですか」
「まあ、実際にちょっとやってみなよ。この通路を蟹歩き」
命じられるままに右に移動した。眼前の本棚がやがて途切れ、視界が開ける。「あ」
「ね? 現地に来てみたら新発見があったでしょう」
私は立ち止まって正面を見据えたまま、小さく顔を上下させた。「この位置からだとちょうど真正面なんですね、Xがジュースを買った売店」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます