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不思議というほど不思議なのかはさておき、私は事の次第を語ることにした。舞台は杠葉駅の駅ビル。七階建てだが、今回登場するフロアはひとつのみである。
「あそこ、最近テナント入れ替えしてるよね。今度はなにが入るんだか。まあいいや」
「とりあえず問題の人物をXとしますね。私が見たのは、Xが二階にある本屋に現れたところからです。土曜日の――お昼ごろだったかな」
「Xの外見的な特徴は?」
「そのへんにいそうな若い男です。ふらっと部屋から出てきたような恰好の。Xはしばらく本棚の前をうろうろしていたんですが、不意に検索機に向かいました。なにかを調べて、そのまますぐに本屋を後にします。さすがになにを調べたのかは、見ていないので分かりませんが、たぶん欲しい本の在庫がなかったんでしょうね。ここまでは別によくて、謎なのは次からです」
頷く琉夏さん。「続きを」
「Xはしばらくきょろきょろしながら、同じフロアを歩いていました。やがて売店に行き、ジュースを買います。なんの変哲もないスポーツドリンクです。わざわざ売店に寄らなくても、本屋の近くにある自販機でも買えるやつでした」
琉夏さんは身を屈め、椅子の傍らに置いてあった鞄をまさぐった。青いラベルのペットボトルを抜き出し、「こういうの?」
「まさにそれです」
「私もさっき、下の自販機で買ったんだよ。確かにどこでも買えるね」
「ええ。それからですけど、買い物が終わると同時にXは慌てた様子になって、急いでどこかへ行ってしまったんです。行き先は分かりませんが、電車に乗りたかったわけではないと思います。改札とはまるで違う方向に行きましたから。私が見たのはここまでです。ちょっと不可解な話だと思いません?」
「なるほどね。Xはなぜ、自販機ではなく売店でジュースを買ったのか。なぜその直後に慌てはじめたのか。そしてどこに行ったのか。疑問点としては、これでいい?」
「はい。部長、なにか分かります? 部室でホームズとか読んでる人は、こういう話に興味があるんじゃないかと」
「興味はあるけどね。ホームズはただ、懐かしくて読み返してただけなんだってば。まあいいや。ちょっと考えてみよう。複数の場所で同じ品物が手に入るとき、どこで買うかをどうやって決める?」
「値段が安いところ」
「堅実だね。自販機ならこれはたいがい一二〇円。駅の売店はどうだろう? 安いってイメージある?」
私は頭を振り、「ないですね。ディスカウントストアや薬局のほうが安いんじゃないでしょうか」
「だろうね。ジュースをお得に買いたいならその手の店、それも一本じゃなく箱買いするほうがいい。つまり値段の問題じゃない」
「咽が乾いてすぐに飲みたかったってのも違いますね。だったら近くの自販機をスルーするはずがないから」
「うん。それにXは買い物後、急いでどこかに去ったんだったよね。すぐにジュースを開けてはいない。咽が乾いてどうしようもない人の行動とは考えにくい。他に店を選ぶ基準として思い付くことは?」
私は少し考え、「ちょっと大きな買い物――たとえば服とかだったら、気に入った店で気分よく買うってことはありますよね。でもジュースだからなあ」
不意に琉夏さんが立ち上がった。お手洗いにでも行くのかと思いきや、荷物を片付けはじめる。鞄を肩に引っ掛け、意気揚々と、「現地を見に行ってみない?」
「今から?」
「ここで悩んでるより効率的でしょう。現場を見てみれば、なにか手掛かりが掴めるかもしれないし」
「締切がやばいんですけど」
「だからって、ただ唸ってたって一行も進まないでしょ? 断言してもいいけど、このまま粘っても埒が明かないと思うよ。最終下校時刻って七時だっけ、そこまで悶絶してるだけで終わるね」
一理あった。現にそうして、今日までの時間を浪費してしまったのだ。
ほら、と琉夏さんがドアの前から私を手招く。「行くぞ、志島後輩」
この人が自ら率先して行動しようとするのは実に珍しい。単に原稿作業から逃避する理由が欲しいだけなのかもしれないが。
「分かりました。部長の仰せの通りに」
そういった次第で、部室を後にすることとなった。琉夏さんが自転車を回収するというので、まずはともに駐輪所へ向かう。
「皐月は徒歩通なんだっけ?」
「そうです。家、すぐ近くなんですよ。駅からだと五分くらいですね」
ごく平凡な、いわゆるママチャリばかりが並ぶ駐輪所のなか、やたら目立ったのがあるなと思っていたら、それが琉夏さんの愛車だった。淡い水色のフレームが美しい、クラシカルな雰囲気のシティサイクルである。
「かっこいいでしょう」と彼女は自慢げに笑った。「入学祝いに買ってもらったんだ。なにより色がいいよね、色が」
「確かにいい色ですね。ダフネブルーって感じ」
「ダフネって月桂樹だよね。珍しい呼び方。ちなみに杠葉の学名は、月桂樹の葉っぱに似てるって意味なんだよ」
初めて知った。杠葉市に生まれ育ち、県立杠葉高校に入ったというのに。生徒手帳あたりには書いてあるだろうか。「意識して選んだんですか」
「まさか。ただの好み。で、ダフネブルーって呼び方はどこから?」
「似た色のギターがうちにあるんですよ。ギターのカラーチャートだと、そういう呼び方をするらしいんです。入学祝いといえば、私もこれ」琉夏さんの眼前で手首を返してみせる。「腕時計。文字盤の色が綺麗でしょ」
こちらは自転車より少し深い、コバルトブルーに近い色だ。たいへんにお気に入りで、外出時は必ず身に着けているのだと話した。琉夏さんが繰り返し頷いてくれたので、私は気をよくした。つい頬が緩んだ。
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