第11話

 あれから親と何度も交渉し、私はやっと念願を手に入れた。かつて私が昔高校生の頃入院していた篠川病院へ入院することができたのだ。篠川病院が嫌いな私の親は入院させる時「服薬だけはさせないこと」「親が退院を求めたときはすぐに退院させること」と主治医の井川先生に念書を書かせていた。同じ医者だからなのかな。井川先生に対してずっと強く言っていたのが印象に残っている。


 篠川病院へは午後15:00過ぎに到着した。昔入院したときのことを思い出し荷物も割りと準備している。あの頃は女性だけのT3の南病棟へ入院していたが今回はT3中央病棟への入院で男女同室だ。私は入院する時にT3病棟への入院を希望した。理由は、篠川病院はT1、T2、T3、T4、T5病棟でそれぞれ担当看護師さんが分かれていて、中央病棟と南病棟は看護師さんが一緒。T3の看護師さんたちはとても親切で南病棟にいるときによく話を聞いてくれていた。それがT3病棟を希望した理由だ。

 T3の閉鎖病棟のドアをくぐるとそこには多くの患者さんがいた。若い女の子が一人、窓際で本を読んでいた。歳は私とあまり変わらないくらいだろうか。整った顔立ちだけど着飾らない気さくさのようなものも感じる。

 病棟に入るとすぐにナースステーションで持ち物検査をした。特に持ち込み禁止のものはなくすんなりと病室まで行けた。病室に入ると私はウォークマンの電源を入れ、床にゴロンと転がった。「何にも映らなくなった」、湯木慧の存在証明がイヤホンから耳に流れる。今目の前に映るのは病室の汚れで霞んだ天井だ。それでもどこか実家の自分の部屋の天井よりは色鮮やかに見える。ゆっくりと流れる時間の中で私は自然と深い眠りに落ちた。このままずっと目が覚めなければいいと思った。


 どのくらいの時間が立たったのかな。気がつけば夕食の時間になっていた。日中過ごすデイルームに向かうともう大半の人にはご飯が配られていた。私も席に着きご飯を食べることにした。家で食べるご飯よりは少し質素。だけど、家で食べるよりは少し味がする気がした。私はゆっくりとご飯を口に入れ、飲み込んだ。やっぱりここは居心地がいいな。食事を食べ終わるとまた、私はウォークマンで音楽を聴くことにした。親を気にすることなく自分の好きなように過ごせるのは何とも言えない幸せだった。今度はさっきと違って廊下に備え付けられているベンチで聴いている。「ラジオ体操みたい きただけでもらえるハンコ 生きただけでもらえるハンコ よくがんばりましたって 押してほしいよ」。ヒグチアイの「ラジオ体操」を聴きながらぼーっと窓の外を眺めていた。ぼーっと外を眺めていると暗闇に自身がまるごと吸い込まれそうになる。一度吸い込まれ始めると私はどこまでも深く気持ちが落ちてしまうんだ。深く深く。気がつけば私は自然とベンチから降りて廊下の床の上に座り、柱に背中をつけて体育座りをし小さく丸くなっていた。私はしんどいといつもこの格好になる。自然と小さく丸くなるんだ。このまま消えてなくならないかな。いつものようにそう思っていたその時、私の頭の隣右側の方から声が掛けられた。


「あの、大丈夫?」


 ふと顔を上げると、そこには20代半ばくらいの男性が私と同じ目線になるように小さくしゃがんでこちらを見ていた。この人の名前は確か、小森さん。優しそうな雰囲気とオーラを持っていて話しかけられるとなんとなく気分が落ち着いた。


「小森さん、なんか波長が合う。」


 私の口から、自然と言葉がこぼれた。自分でも意図しなかった言葉だったが特に違和感は感じなかった。小森さんは私の言葉に少しびっくりした様子だったがすぐに取り直し、


「看護師さん呼ぼうか?」


 と優しく声を掛けてくれた。


「大丈夫。少しこのままで居たい。」


 私は素直に返事をした。小森さんにはなんか気を遣わなくてもいい、そう思った。

小森さんは


「分かった。」


 とだけ一言返事をして、柱の近くのベンチに座った。私のことを心配していて、それでいて干渉はしない人なんだなと思った。それはすごくありがたかったし、嬉しかった。ゆっくりと時間が過ぎていく。しんどい時の時間の流れはいつもより遅いんだ。まるでこのしんどさが永遠に続く気にさえなってくる。うずくまる格好のまま、私は殻に閉じこもることにした。それがいつもしていることだった。


 気がつけば消灯時間が来ていた。病棟内の電気が消える。殻から少し顔を出した私は、ナースステーションを尋ねることにした。消灯後は夜勤の看護師さんが時間を作って話を聞いてくれる。日勤の方が看護師さん多く都合をつけてもらいやすいけど、夜勤の方が人が少ないから騒がしくなくて私は好きなんだ。わがまま、なのかな。


「あの、少し話を聞いてもらいたいんですけど…。」


 声を掛けると看護師の鈴木さんが快く対応してくれた。あったかいと思った。篠川病院は私にとって落ち着ける場所なんだ。親は篠川病院が嫌いだけど、説得した甲斐があったと思った。私は、落ち着ける場所に来れて本当によかったとそう思った。

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略奪恋 色音こころ @cocoro_shikine

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