第2話
「陽、怒ってる?」
「怒ってない!」
家に帰り着くなりそう問うと、強い口調で彼女は否定した。
ここまで怒りを持続し露にする陽は本当に稀だ。どんな時も寛容に支えてくれる彼女がこうなるのは、真空の記憶上一度しかなかった。
複雑に絡み合った運命が導いたのだろうか。
けれど、そうなるのもなるべくしてなった、とも彼は思えた。
陽は少し自分を落ち着かせて青年に向き直った。
「別に怒ってないけど、あの子が必要だとはやっぱり思えないよ。確かに即戦力だよ。今日ちょっと見ただけでも真空レベルなのは分かる。でも、みんなが納得するかは話が別でしょ? 今は隠せてもいずれ正体がバレる日は来るんだし。そうなった時、下を抑えられるだけの理由なんてないじゃん。最悪、私たちは裏切り者として処刑されるかもなんだよ? それでも真空は、あの子が必要?」
一つの代わりが効くメリットと大きなデメリットを彼女は提示した。
冷静に彼女の言い分を査定すれば、真空でも不要の答えを出す。仲間からの信頼も自身の命も、少女一人のために懸けるなんて愚かだと客観的に考えればそう答えを出す。
けれど冷泉真空にとって、姫野結月とはそれだけの価値があった。
信頼と命を一つの秤に乗せて、もう一つの秤には結月を乗せて、均等に釣り合う価値があると思っていた。
「必要だね。公主との決裂も、この星で姫野結月に出会えたのも、全ては俺の理想になくてはならない運命だったんだよ。だから俺は、姫野結月を手に入れる。だから陽、受け入れてくれ。
新時代の創造には相応の枷があるもんだ」
「私が何を言っても無駄みたいね」
「そんなに心配しなくても一緒にいられる時間は短い。色々後悔する前にあいつとちゃんと話しなよ」
「短い?」
真空の言葉に違和感を感じて目を細めた。
「総督府を陥すから」
「冗談でしょ?」
「本気だよ。保守派を動かすには退路を断つしかねえ。地球とやりあう前に内戦なんてアホらしいし、火星内にある地球政府ははっきし言って邪魔だ」
総督府は火星の動きを監督する地球側の役所。停戦期間がゆえに地球人にとっては安全地帯。ここを攻めるということは、一度敗れた地球軍と再び戦争をするということ。
その重大さは十歳の子供でも理解出来る。
「もちろん戦争するんだからタイミングは慎重に見極めるよ。ちゃんと戦力も整えるし」
二人の間に気まずい空気が流れた。真空を支えることに変わりないけれど、開戦は時期尚早だと感じる陽。
真空が頼りにしている勢力も彼女にとっては不穏分子。彼を裏切らなくても暴走した結果、不利益を被るかもしれない。
「もっと地盤固めてからでもいいんじゃない? 襲撃に失敗したら立場無くなるんだよ?」
「分かってるよ。保守派だけじゃなく公主派の動きも気になるしな。失敗しないようにするけど失敗したら、俺消されんな。ハハ」
「笑い事じゃない」
鋭い視線で真空の乾いた笑いは止まった。
「もし総督府を陥す時は、公主派が動かねえように押さえててほしいんだ。中立派ならできるだろ? コリンを説得してくれ」
「まあ、いいけど」
不満たらたらの陽は口を尖らせて了承した。
◇◇◇
第一学校敷地内の端にあるベンチに黒髪のボブヘアーの少女は座っていた。以前、蒼空が居た場所だ。一人になるのならここほど最適な場所はない。蒼空はそういう所を見つけるのが得意らしい。
「……蒼空。どうしたの? またサザーランドに虐められたの?」
「ちょっと結月さんに聞きたいことがあったので。いいですか?」
「いいよー。こっちおいで」
いつもの明るい結月で自分の隣をぽんぽん叩いた。遠慮がちに少年が座り横目で少女を見る。
変わらない同級生の姿。あれは思い違いだったのかもしれないと思えるほど普通の結月だ。
「で、何を聞きたいのかな?」
「冷泉さんのことで。あの、何かあったのかなと。冷泉さんに誘われた時、様子がおかしかったので」
「蒼空は良く見てるね」
「そ、そんなことはっ」
暖かくも儚げな眼差しを向けられた少年は頬を赤らめて目を逸らしてしまった。
「私さ。冷泉真空のこと大嫌いなんだよね」
「えっ?」
思わず逸らした視線を彼女へ戻した。誰もが憧れる同世代の英雄を嫌う人がいるなんて少年には到底信じられなかったのだ。特に結月のような優等生は真空に近づきたいと当たり前のように思っていた。
「嫌い、だったんですか……?」
「うん。大嫌い。殺したいほど嫌いなんだ。意外でしょ?」
年相応、無邪気に言う結月に少し怖さを感じた。いつもの誰にでも優しい姫野結月でありながら、中身は全く別人の誰かであるような、そんな怖さ。
そして素直な蒼空は取り繕おうともせずに口を滑らせた。
「はい」
「あはははは。蒼空ぃ、正直すぎー」
「あっ、すいません! そういう意味ではっ」
「あははは。いーよ。そこが蒼空のいいとこだから。そこが気に入ってるんだもん。そのままでいてよ。何があってもそのままでね」
結月は急に立ち上がって振り返った。座る少年を見下ろして、いつもの彼女で言う。
「私、冷泉真空の部隊に入ることにしたんだ。向こうも私が殺したいほど憎んでいるの知ってて誘って来たんだけどね」
「そうなんですか⁉︎」
「変わってるよね。まあ東雲陽の方は随分警戒してたけど」
◇◇◇
第一地区。政治の中心地区の中央に聳える白い城。その一角に少女の住処はある。
「コホッ。コホッ。コホ」
「体調が優れないようでしたらベッドにお戻りください。公主さま」
街を眺めていると側近の女が進言する。冬でもないし気温も低くない。だが、体の弱い公主には立ち続けるだけでも常人より疲労が溜まりやすい。
「ええ。それより、サイラスの方はどうなっていますか?」
「なかなか尻尾を掴ませません。もしかしたら、本当に裏切っていないのかも」
「監視は、続けてください。彼が裏切っていれば大打撃です。修復出来るうちにしておきたい」
「承知しました」
公主は視線を街から側近に向けた。
「冷泉真空の動きは掴めていますか?」
険しい顔つきになった彼女を見て、状況が芳しくないと悟ってしまった。かつての仲間は、今となっては行動を警戒しなければならない強敵として存在する。
「無法地区の長老たちと会合をしたそうです。会話の内容は定かではありませんが、何か企んでいるのは確かです。保守派の幹部を消そうとしているのか。もしくは公主さまが標的なのか……」
「私ではないでしょう。彼の力ではまだ、私に手を出せません。狙うのであれば保守派の幹部でしょうね。抹殺するのか仲間に引き入れるのかで、今後のパワーバランスが大きく変わりますが、保守派が力を失うのであれば我々がトップに立つチャンスです。彼の動向は逐一報告してください」
「はっ」
側近は静かに退室した。
四十畳の自室に一人ポツンと佇む。
公主として自分の勢力を持てるようになったのは真空のおかげ。大戦直後から保守派の傀儡だった父とは違い、自身の勢力を欲した少女を彼がバックアップしてくれた。
今となっては目的達成の手段があまりにも違い過ぎて袂を分かち、命を取り合う関係に変化した。
もう昔のように彼が何を考えているのか全く解らない。最も頼れた友は最大の脅威へ。
「真空……何をする気?」
今の彼女には懸念するしか出来なかった。
◇◇◇
時は数日遡る。
欧州と日本の血が混ざった青年は、各地区とは違い中途半端な整備のまま放置された荒れた街に来ていた。隣には陽ではなく、切れ長で一重の眼を持った少年がいる。
そこはかつて、地球統治時代に開発失敗に終わった地区。正統地区では生きられない浮浪者たちが流れ着く、無法地区であった。
無法地区の中にはいくつもの縄張りがあって各長が支配していた。地球が火星から撤退した今日も、それは続いている。
二人が無法地区に足を踏み入れるなり、ざっと百人に囲まれた。
無法地区は火星政府から完全に独立した言わば自治区なのだ。ゆえに他エリアからの訪問者の出迎えは壮大なものとなる。
危惧すべきなのは全員が銃器を装備していることだろう。ただ、百人が一つの塊ではなく、いくつかの集団が集まった結果のこの人数。一つ一つは十数人規模の小集団に過ぎない。
「何用で?」
最も構成人数の多い塊の、中心にいる男が愛想なく出迎える。いや、その態度を見る限り入口で回れ右を勧めそうな空気すら漂わせている。
「お前、兄貴に対していつからそんな態度取れるようになったんだ?」
真空と一緒に来た切れ長一重の少年が怒気の籠もった声で睨みつける。ただでさえ目付きの悪い少年が睨むと凄みが尋常ではない。
百人が相手だろうと彼らに立場を解らせるには充分な効果を発揮していた。
「……本日はどのような御用件でしょうか? プティ アンファン」
「長老を集めろ」
「御意」
男が頭を下げると集団は四方八方に散らばった。
真空が召集をかけた長老は無法地区の各縄張りを治める長たちから選ばれた、言わば大幹部たち。
それを一言で集められる真空は相応の立場にあるということだ。
真空たちが通されたのは地区の中でも比較的清潔な場所。部屋の中央には円卓と六つの椅子。真空はその一つに腰を落とし、時を待った。
三十分も経てば長老たちが集結。この時間こそが客人・冷泉真空のVIP度を物語っていた。
歳はバラバラで二十代後半から六十代までさまざま。それでも最年少の真空には最大の敬意を示していた。
五人共に最敬礼の角度で腰を折る。
頭を上げた白髪と黒髪が混ざった六十代の長老が代表して口を開いた。
「お久しゅうございます。プティ アンファン。お元気そうで何よりです。
……貴方様が直接ここに来られるのは珍しい。それほど、重要な案件、ということでしょうか?」
「総督府を陥そうと思ってな。兵隊を借りに来た」
「総督府を陥す? まじっすか?」
長老の中では最年少の男が身を乗り出して詰め寄った。五人共に驚いてはいるものの双眸の奥はギラギラとしていた。
これこそが無法地区に生きる者たちの習性。出来る出来ないや後先のことなど関係ない。
彼らは地球人たち皆殺しにする機会をよだれが垂れるほどに待ち望んでいた。
驚いたのは、非現実的な襲撃に恐れをなしているのではない。渇望した未来に手が届きそうで、それが突然降ってわいたがために驚きを禁じ得なかった。
「一つお聞きしても?」
「ああ」
「今回のはプティ アンファンの部下との共同作戦ですか?」
顔つきから好戦的な性格に見える三十代の女は、真空の先に視線を送る。そこには直立不動で控える一重の少年がいた。
「いや、俺の部下、派閥の人間は使えない」
「失敗した時のためですか」
真空は肯定も否定もしなかった。ただこの場にいる全員が肯定であると受け取り、それは正しかった。
もし、自分の部下や派閥の力を借り失敗したら組織全体の力が衰える可能性が高い。
成功すれば派閥の手柄。失敗すれば真空一人の責任。この結果が真空にとっての理想だ。
個人よりも組織を優先することが、今回は大事なのだ。
それが真空の理由。だが、女が質問したのには別の意図があった。
実は真空も含め彼の部下たちは無法地区の出が多い。無法地区から出た者。無法地区に残った者。これが案外にも折り合いが悪いのだ。
無駄な衝突を生まないためにも女はそう問いた。
「承知しました。では、私の地区からは精鋭三十人を出します」
女を皮切りに四人の長老たちが部下を差し出す。
無法地区の出世頭である冷泉真空に忠を尽くして悪いことはない。むしろ、冷泉真空の名の下、存分に復讐を行える。下っ端には分からないが、その辺長老格は良く理解していた。
こうして真空は、火星から地球人を排除する勢力をいとも簡単に手に入れた。
四龍の国 青井 真 @Aoi-shin
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