第31話 紗季拝
現一様
この度は断りもなく、家を出てしまったことをお詫び申し上げます。呼高さんに促されるまで、こうして手紙を書こうとする気持ちになれずにいました。現実と向き合うのが億劫でした。どうか私の身勝手な振る舞いをお許しいただければと思います。
隆は食事をしっかりとれるようになり、元気にしております。表情も明るくなりました。このこと自体が多くのことを示唆しているようにも感じます。せっかく勉強したことですし、申し込みを済ませた小学校を受験させようと考えています。本人も嫌がっておりません。諸々の書類の送付先に関しては、私の方で変更の手続きをとっています。
私と隆がどこにいるかについてですが、相模原にいます。今回の顛末について私の両親にも説明しました。そうしたなかで私が確信したことについて、やはり思い込みに過ぎないのではないかという疑念が、本当にわずかではありますが、膨らむようになりました。確信が95%に対し、疑念が5%ぐらいのイメージです。家を出た時は確信が99%でした。そもそも私はあなたと言葉を交わす努力をしていなかった疚しさがあります。
こうやって電子メールではなく手紙を、自分のこの指を使って書いていると、いろんな感情を抱えていることに気付かされますし、その感情に冷静に向き合うこともできます。そういう点で、呼高さんの提案は素晴らしかったと感じています。
私が何を確信したのか、と書いてしまえば、あなたはあのことかと察することができるはずです。呼高さんは幼い頃、あなたにひどい目に何度か合わされ、それが遠因となったのか、人と接することに無意識に恐れを抱くようになり、苦しんできたのだと私に打ち明けてくれました。兄のように人と上手くやり取りできない自分は、努力して簿記の資格を取って経理職についたのに、人手の足りない中小企業ゆえ、また営業に回されることになり、本当に嫌だと言っていました。でも呼高さんは、お兄さんを必要としている、とも言っています。兄さんがいなければ、自分は正しい判断ができないだろうし、知力と体力に恵まれた兄が金融の世界で闘い続けているのは、誇らしい、というのです。
では隆は呼高さんと同じように、あなたを誇りに思うでしょうか。色々と問いたくなりますが、その前に恥ずかしい話をします。
私は子どもの頃、お尻にニキビのようなものがたくさんできたことがあります。父はボウルに山盛りになった食卓塩を手で握り、幼い私のお尻に擦り付けました。ニキビは治りましたが、あの時の、火であぶられるような痛みは決して忘れられません。
体質のせいか、父も子どもの頃にお尻にニキビができたことがあり、祖父に塩を塗られたそうです。私のは、父が発症した30年以上、後のことです。不思議なことにニキビは消えてなくなりましたが、医療体制は30年の間にかなり整備されていたわけですから、ほかの、もっと優しい治療法だってあったかもしれません。
子どもに対する大人の、望ましいとされる態度は、昔と今では大きく変化しました。通念ではよくないとされる態度が、数十年前は当たり前の態度とされていました。
通念のほうが間違っているかもしれない、という意見に対し、私自身は上手く反論するための言葉を持っていません。隆の食が細くなったのも、昔なら、よくある話だったのかもしれません。ある手段が社会の秩序を保つうえで、実は今でも有効であるのなら、私は異論を挟めません。異論を挟めないとしても、隆にはしっかりとした人間になってほしいです。
隆の食が細くなった理由について、私ははじめ、受験のプレッシャーなのだろうと思っていました。そのプレッシャーは隆の人間的な成長を促すものだと考えていました。でもプレッシャーの原因が受験ではなく、あなたとの関係だと受け止めるようになった後、そのままでは成長どころか、曲がった人間になりかねないと私は考えるようになりました。この、あなたとの関係、という点について、私はちゃんと確かめないといけません。
あなたは隆にとって、素晴らしい父だと100%の確信を持って言えますか? それとも、自分の欠点を認めながらも隆の人格形成に全力で責任を持とうとする父ですか?
私の問い掛けが、私達家族の結び付きを回復させる力があるのかというと、そうではなく、そんなことを期待するべきなのかもよく分かりませんが、重要なのはもっと別のことだと思います。どうか内省をしてください。
あなたの答え次第で、あなた自身が進む道は、大きく異なっていくはずです。
内省のうえ、自分がどうあるべきか、考えがまとまったら、どうか手紙をください。誠に勝手ではありますが、3カ月以内に教えてください。隆の今後のこともあります。
受験に合格したとしても、あなたの援助が得られないと判断した段階で、公立の小学校に通わせることにします。
私のように、自分の指を使って、文字を丁寧に書いてきてください。両親には、あなたからの手紙が来たら、決して開けずに私に手渡すように、強く求めておきます。
末筆ながら、現一様のご健康とますますのご成長を心よりお祈り申し上げます。
紗季拝
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