第20話 インタビューの続きを
中学3年生の春、生徒会長に立候補した際の演説においては、その流暢な話しぶりから一部の女子生徒に気色悪く思われたが、自分は特別なのだと意に介することはなかった。
当時、牧歌的な三河地域に住む中学生が、
私立なら問題はなかったが、費用対効果を考えると、三河地域の公立高校に通うほうが一般的で、現一も慣習に従わざるを得なかった。学校帰りに電車を乗り継いで、放送局のある駅に向かい、1階の窓ガラスあたりに立ち、情報番組の生放送の現場を見られる同世代の人間が、現一は羨ましくて仕方なかった。その場にアクセスさえできないことに、言葉にならない苛立ちを感じた。
自意識は歪み、見る立場ではなく、見られる立場、注目されるべき立場を目指すべきという妄想じみた信念を抱くようになった。中学時代に生徒会長としてマイクを前に話をする経験を重ねた現一は、アナウンサーになるべきだと心に決め、高校では放送部に入ることにしたのである。
OBやOGには、実際にアナウンサーとなった人間がいた。だが活動が活発だったのは彼が入学する2年前までの話で、長年顧問を務めてきた教師が定年退職をした後は、大人の十分な指導が行き届かなくなり、部員は減少の一途をたどった。躍進する新聞部に予算が重点的に振り分けられた結果、放送部の活動は停滞し、映像を記録するカメラの性能はほかの高校よりもひと回り古いものとなった。
入部したばかりの現一はがっかりし、意気消沈したものの、映像で勝てないのならラジオドキュメンタリーを制作すべきだと考え、同学年の3人で企画を立案し、コンクールに作品を送った。
高校2年生の春、学校近くの商店街にある老舗陶器屋の日常を追った作品が県内のコンクールで佳作として入賞を果たした。最終学年となった春のコンクールには、三河地方の湖沼、
放送局の現役社員である審査員は講評資料の文章のなかで、もしテーマが被っていなければ、優秀賞は取れただろう、と評した。顧問の教師が学校間のテーマの重複を避けるための調整を怠っていたのではないかとも指摘した。
顧問の教諭がこうした批判を受けた事実は、校内にすぐに広まることになる。現一らを被害者と同情する教師も少なくなかった。
こうしたなかでの新聞部の躍進は、放送部の顧問にとっては手放しで喜べないものであった。秋のコンクールで何としても名誉を挽回しないと、部活動の指導手腕に対する疑念がますます強まってしまう。それは何としても避けたいところだった。
低下した部員のモチベーションと上手く付き合いながら、秋のコンクールに作品を送るには、新聞部の成功事例を活用するのが効率的と顧問は結論付けた。すなわち、在日ブラジル人をテーマとすることである。もちろん真似事をするだけでは能がない。顧問が考えたのが、新聞部との連携だ。
顧問は部長の現一に、新聞部がなぜ在日ブラジル人問題を扱うことを決めたのか、インタビューをするように求めた。
新聞部の
月曜日の朝礼が終わり、体育館から教室に戻る生徒の群れを縫うようにして現一は、一人で歩いていた朱音に近づいた。
「
朱音の髪は肩まで伸びていた。人懐っこい目を現一のほうに向けた。
「放送部?
「今回の企画が終わったらな。あの、表彰された新聞部の、あっただら。あれでお前にインタビューしたいんだわ」
「インタビュー? なんであたしなの?」
「部長だら」
「あの記事やったのあたしだけじゃないじゃん」
「でも代表者はお前だら。そんなに時間かからんから、授業終わったら打ち合わせしに部室にいくでな」
「ちょっと、本気で言っとんの?」
「大丈夫。顔は出んから」
あっけにとられたような表情をした朱音を背に、現一は逃げるように、同じクラスの男子生徒の輪に加わった。
数日後、現一が顧問の教師と後輩二人とともに、新聞部の部室に収録機材を抱えて入ると、朱音は不機嫌だった。
日系ブラジル人を朱音がテーマにしたのは、彼らと肉体関係を持ちたいからではないのか。そんな噂が広がっていると、朱音は同じクラスで比較的仲のよい女子生徒から、婉曲的に聞かされていた。顔は出ないからと言われても、ラジオドキュメントに自分が出演し、再び目立つような行為をすれば、ますます自分を悪く言う人間が増えるかもしれない。考えれば考えるほど、面倒だった。
「では始め」
顧問が切り出すと、現一はマイクを左手に持ったまま、MDコンポのボタンを押して、録音状態にした。音のない時間が過ぎていく。朱音は身構えて、現一が口を開くのを待った。
「在日ブラジル人問題を巡る新聞部の取材活動が、大きな反響を呼んでいます。県の文化部合同祭では優秀作品として表彰されました。きょうは新聞部の部長の伊豆丸朱音さんにお時間をいただき、なぜ取材を敢行するに至ったのか。取材活動を通して学んだことは何か、お話を伺いたいと思います。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「伊豆丸さんと私は高校3年間、ずっと同じクラスだったばかりか、中学1年生から6年間、同じ教室にいたのに、実はこうして、二人だけでお話するのは今日が初めてですね。実は緊張しています」
朱音は質問事項を列記した紙をみながら現一が話を進めていくものだと思っていたが、まるでラジオ番組のトークコーナーのようなインタビューの進め方に面を食らった。実は緊張しています、という同級生の一言を耳にすると、今度は笑いをこらえずにはいられなかった。
「緊張しとんの? 6年も同じクラスで?」
朱音につられて、現一は丁寧語の使用を中断した。
「そりゃするわ。ロクに話したことないし」
「なんで話をしなかったんだろう」
朱音は意地悪な質問をした。朱音の母がワゴン車に乗って、政党名と自らの名前を連呼しているのを現一は何度か目にしたことがある。近所でも、党に親近感を持つ家族の子ども達と親しくしていたのも知っている。でもそれが理由なのかというと違う気がする。必要があれば話をしたし、別に互いのことを憎むこともなかった。
これが小学校から同じクラスであったら、違っていたのだと現一は考える。また同じ運動部に入っていたら、とも思う。
「カット。おい、お前ら、真面目にやれ。プライベートなことなんてどうでもいいんだから、そんな話をすな、たわけ。だいたい霧島、お前なんで原稿を作ってこんかったんだ。用意しろといっただろう」
顧問の教師の注意を受けて、現一はコンポの「停止」ボタンを押し、すみません、と言って頭を下げて、咳払いをし、軽く発声練習をしてから、再び顔を朱音の方に向けたのだった。
――四十を過ぎた現一の顔は、骨格に大きな変化はないものの、当時よりも皮膚は浅黒く、眼光は鋭さを増した。表情の変化のスピードも、あの時のままだと、朱音は感じている。
「あの時、ちゃんと原稿を作っていたんだよ」
現一は
「じゃないと変よね。だってその後、すごくテンポよく進んだもん」
「原稿を持ったまま話をすると、あらたまっちゃうでしょう。あの時顧問に、ちゃんと用意しています、と言い返したら、予め立てておいた筋書き通りに物事を進めようとしているのがバレてしまうからね。隠し通さないといけなかった」
「結果としてその機転が吉と出たのね。そこまで高校の時にやれたのなら、就職活動でアナウンサーを受ければよかったのに」
「自分が名古屋とか東京で育っていたら、そのまま目指していたんだろうか」
現一はアナウンサー養成学校に通った過去があったのを朱音や紗季には隠している。都会で育った人間同士の会話に付いて行けず、自信を失い、入学後3カ月経った頃には、校舎に足を運ぶことはなくなった。
「証券会社に入ってカネ持ちになって都会育ちの人間を見下したいとでも思ったのかな」
「なんだかもったいないな」
「そろそろ日本酒にしてもいい?」
「いいよ。あたしは、温かいお茶がほしいな」
現一は女将から手渡された銘酒リストのなかから、珍しい酒を見つけた。
「『吉隠』? 何て読むんだろう」
「よなばり、ですよ」
自称、日本酒ソムリエの女将が続けた。
「付き合いのある奈良の酒蔵さんが、地元で栽培したヒノヒカリというお米で造った新作なんです。奈良の桜井の方の地名だそうで、万葉集で詠われた場所らしいけど、難しいことは忘れちゃった。うちのシャリに合う味だというので、大将が試に取り寄せたんです。でも知名度が高くないし、名前も読みにくいでしょう。まだ在庫があるので、お安くしますよ」
「じゃあ
はいよ、と大将が威勢よく答える。
現一はスラックスの後ろポケットに入れた、朱音とのやり取りに使うiPhoneを取り出し、グーグルで吉隠の醸造元を調べようと検索ボックスに文字をフリック入力したが、「実行」のタップする前に朱音が話しかけてきた。
「ゲンはアナウンサーになりたいんだろうな、とあの時から思っていたのに、証券会社に入ると聞いて、意外って思ったのよ。経済学部だから分からなくはないけど」
現一はスマートフォンを後ろポケットに戻した。
「俺だって、朱音は文学部とか、社会科学系のほうに進んで、ジャーナリストを目指すものと思っていたよ。なんで経済学部に入ったんだ?」
「それはあの新聞の一件が原因よ。マスコミなんか死んでも入るものかと思ったの。片親だったから県外での一人暮らしは無理だし、文系で、進路の選択肢の多そうなところといったら経済学部とか法学部になるよね。本当は法学部に行きたかったけど、落ちちゃったからね。とはいえね、母親がああいう人間だから。大手企業の就職が難しいのだということをもっと早くから悟っておけば、教育大学に進んだのだと思う」
冷酒が運ばれてきた。
「大人になったゲンなら、あたしにどんなインタビューをするんだろうな」
朱音が昔みたいに、意地悪な質問を投げかけてきた。
「ん?」
「インタビューしてほしいなあ」
「なんか変だな。本当はここに来るまで一杯飲んで来たんじゃないのか?」
「ゲンならやれるって」
「やり方を忘れた」
「大丈夫。ちょっと待ってね」
スマートフォンを取り出した朱音はふふ、と笑った。
「昔みたいに、なぜ私が転職活動をしているのか、聞いてみてよ」
「は?」
朱音はウインクをする。
「仕方がないな」
現一は肩をすぼめた。
「じゃあスマホで録音するね。ちょっと待って。OK。じゃあいくね、5秒前、4、3……」
朱音は背筋を伸ばして、あらたまった。
「……きょう、おこしいただいたのは、南欧諸国の経済情勢にお詳しい、シンクタンク調査員の伊豆丸朱音さんです。お忙しいなか、ありがとうございます」
現一が、こんな感じでいいのか、という目をする。朱音は頷いた。
「よろしくお願いします」
「早速、本日のテーマですが、こちらです。パンデミックで南欧諸国の財政問題は一段と深刻化するか……」
「あれ、きょうのテーマってそうでしたっけ? 経済じゃなくて、もっと軽いものだと聞いていたんですけど」
朱音が現一に目配せをする。
「あ、そうでした。間違っていました。南欧諸国の調査員として活躍されている伊豆丸朱音さんは、高校で3年間、公民の教師として勤務した後、ポルトガルに単身渡り、大学院で経済学を学んでシンクタンクに入社したという異色の経歴の持ち主です。きょうは伊豆丸さんに、魅力的な女性であり続けるための秘訣についてお伺いしようと思います。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。素敵なネクタイですね。赤地に細い緑のレジメンタル」
「ああ、ありがとうございます。普段褒められないので、すごくうれしいですね。実は、ポルトガルの国旗の色と合わせてみました」
「本当ですか? 適当に言っていませんか?」
「ごめんなさい」
「はは。やっぱり」
「ポルトガルに住んでいた経験があると、赤と緑の2色が使われているものには自然と目が向かうものなんですかね」
「そうなんですよ。あと緑と黄色も。日本で耳にするポルトガル語って、ほとんどがブラジルのポルトガル語ですからね。ブラジルに行ったことはないですけど」
「遠すぎますからね。ところで、伊豆丸さんはポルトガルのどんなところがお好きなんですか?」
「ご飯ですね。海に囲まれた国なので魚料理が豊富で、日本人の舌にはすごく合うんです。お寿司もあって、おいしいんですよ」
大将が朱音を一瞥し、すぐにまな板に視線を落とした。
「それと、私はリスボンにいたんですけど、街並みがとにかく美しいんです。古くからの街並みがそのまま残っていて、絵のなかを歩いているような感覚になります。最初は緊張しましたけどね。治安は良くなっているといっても、南欧ですからね」
「女性だというだけで、声を掛けられたりもするんですか?」
「そりゃ、もう。下心丸見えでした」
「伊豆丸さんから見て、ポルトガルの男性はどう見えるんですか?」
「恋愛対象というなら、アウト・オブ・眼中ですよ。大人になった今となっては、日本人のほうが安心して会話できますし」
「へえ。でも日本人も千差万別じゃないですか?」
「もちろん、日本人なら誰でもいいという訳じゃないですよ。共通言語というのかな。いやちょっと違うな。日本語が通じても、共感しあえる相手って、そうはいるものではないですよ」
現一は恥ずかしさから、朱音から目を外したい衝動にかられたが、朱音の目は次の質問を求めている。
「伊豆丸さんにとって魅力的な相手というのは、どんな方なんでしょう?」
朱音の瞳孔が少し開いた。
「年齢を重ねるにつれて、変化していきますよね。若い頃は顔をかなり重要視していましたけど、今は経済力に敏感になっています。もちろん経済力だけでは共感しあえることはできないですよね。相手の人格に対して、どうしても許せない部分があれば、関係を維持するのはできないと思いますし。何と言えばいいんでしょうね。自分の身体に鍵穴のようなものがあるならば、合う鍵と合わない鍵があると思うようになっていて、その鍵穴は自分の欠陥でもあり、承認されたいという欲求であり、承認してほしい人に承認してもらわないと、満たされないような気がして…」
そこまで言った時、スマートフォンの着信音が鳴り響いた。現一がスラックスの後ろポケットに入れていた、会社のiPhoneだった。妻とのやり取りに使う別の筐体はカバンのなかにある。朱音は魔法から目覚めたように、我に返った。
「ごめん。会社からだ」
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