再登校初日

ジリジリジリジリジリジリ! ジリジリジリジリジリジリ! ジリジリジリジリジリジリ!


 朝7時の事だった。けたたましい、目覚まし時計の音が鳴り響く。聞きなれない音に脳が拒絶反応を起こしているような気がした。


 目覚ましの音を聞いて猶、脳が目覚めようとしない。目覚ましの音で起きるという習慣にまだ慣れていないのだ。


「うっ……ううっ……ううっ」


 一度狂った生活リズムというのはすぐには戻らないものだった。俺は夜、なかなか寝付けなかった。やっと眠れた時はもはや早朝になっていた。それが俺のいつもの生活リズムだったのだから、そう簡単に直るわけがない。長年の生活で身に着けた習慣というのは、そう簡単には直らないのだ。


「後……5分、後……10分……後……30分、いや、1時間……いや、もっとだ……もっと、丸一日、俺を眠らせてくれー」


 人間の意思の力など弱いものだった。あれほど、家族の前で学校に行くと、変わると宣言したと言うのに、俺は睡魔の力に、一瞬で屈服されそうになった。自分に負けたのだ。明日から本気出す……そう、明日から。


 そう、いつも逃げ回ってきた結果が今の自分だったのだ。再度深い眠りにつく為、俺は目覚ましのアラーム音を切ろうとする。


「お・き・な・さ・い!」


「うわっ!」


 俺は強引にベッドから引きずり落とされた。


 ゴン! 後頭部をフローリングの床に叩きつけられる。


「いてて………………な、なんなんだ……痛いじゃないか」


 不幸中の幸い――俺の意識は睡眠不足だったにも関わらず、痛みにより一気に覚醒した。


「いつまで寝てるのよ……変わるんじゃなかったの! 今日から学園に行くって、それなのに起きずにまた寝ようとして、そんなんじゃ前と同じ、引きこもり生活を続けるだけじゃないの!」


 俺は制服を着たアリサに叱責された。


「……そうは言ったってな……ん?」


 俺は大の字になっていた。そんな状態で制服を着た――当然のように下はスカートだ――アリサの奴を見やるとどうなるか。それはもう言うまでもない。


 ばっちりとアリサの履いている下着が見えたのだ。白のパンティーであった。


 思わず見えてしまったパンチラに、俺の表情はにやりと嫌らしく崩れ落ちた。そして、不幸な事に、俺の股間には健全な男子なら誰でも起こる、ある生理現象が起きていた。説明は不要であろう。これは別にアリサのパンツが見えた事に興奮したから起きた現象なのではない……。そう、健康な思春期の男子であるならば毎朝自然となる、ただの生理現象なのだ。


 ――だが、見られたアリサ側からすればそうは思わないであろう。パンチラに性的興奮を覚え、生理現象が発生したとしか思えない。俺の事なんて、アリサは性欲の滾った猿のようにしか思わない。


 アリサは冷ややかな表情で俺を見下ろす。


「……最低。人が起きるの手伝ってあげてるのに。性欲の捌け口にしてくるなんて……」


「ち、違うんだ! これは!」


 俺は起き上がって、言い訳をする。


「これは別に、お前のパンツを見たから興奮してこうなったんじゃない。最初からこうなってたんだ。男はな……そう、特に健康な男だったら性的興奮を覚えていなくても朝はこうなってるもんなんだよ。これはただの生理現象なんだ……男にとっての健康の証みたいなもんでさ。仕組みは俺もよくわかってないんだけど」


 俺は懇切丁寧に説明する。


「……そう。ムキになって否定するところが怪しいけど……いいから起きなさいよ。急がないと学校に遅刻するわよ」


 むう……。もっと見ていたかったのだが……いつまでも寝ているわけにもいかない。遅刻してしまう……というよりも遅刻以前に二年近くまともに学園に通っていかったのだから遅刻以前の問題だった。

 そもそも引きこもりだった俺が登校する時点で一大事であった。だがまあ……どうせ登校するならば遅刻しない方が良いのは確かであった。


 俺は渋々起き上がり、服を脱ぐ。


「……ちょ、ちょっと! 勝手に脱がないでよ!」


 アリサは顔を真っ赤にしていう。


「なんでだ? 脱がないと制服に着替えれないだろ?」


「私が目の前にいるでしょ……出てくから。それから着替えて」


 顔を赤くしたアリサは俺の部屋から出ていった。変な奴だ。男子の身体なんて水泳の授業でもあれば嫌という程見るだろう。大した問題だとはとても思えない。


「ああ……わかったよ」


 俺はアリサが廊下に出た事、着替え始める。久しぶりに制服に裾を通した。久々だった為、制服を着るのに戸惑った。始めて制服に袖を通すようなものだったのだ。ある種の新鮮味があった……。高揚感は別にないが……。初めて制服を着た時にはある種の期待感と、それに伴う高揚感みたいなものがあった。


 不安はあったが、それでも期待感みたいな事があった。未来に希望を持てていたのだ。学園の中等部に入学するより前は。


 誰だってそうだ。希望を持って学校に入学したりする……不安はあっても僅かかもしれないが希望や期待を持って新しい生活を送る。


 だけど、現実に叩きのめされてその淡い希望や期待を失ってしまう。


 俺もそうだ……現実に叩きのめされた。そして家で引きこもるようになった。俺にとっては学園にはもはや希望や期待なんてなかった。俺にとっては学園は恐怖しか感じないし……嫌な思い出しかなかったのだ。


 今でも過去のトラウマを思い出し、身体が小刻みに震えてくる。だけど、逃げてばかりでは前に進めないのは確かだ。俺はこれ以上逃げて、引きこもるわけにはいかなかった。別に父や義母——そしてアリサの為なんかじゃない。自分自身の未来の為に必要な事だったのだ。


「よし……」


 俺は制服の乱れをチェックし、整えた。鏡に映った自分は引きこもってた時とは違い、見違えて立派になったように感じる。少なくとも見た目だけは……。


 俺は覚悟を決めて、教科書の入った鞄を手に取った。


「……行くか」


 俺は部屋を出て、学園に向かう事にした。その前に朝食を済ませ、俺はいよいよ豊月学園へと向かう。


 ◇


 父は既に会社へ行っていた為、自宅にはいなかった。自宅にいるのは義母ソーニャだけだった。


 アリサは俺とは登校するつもりはないらしい……。俺を置いて、学園へと早めに出ていった。それも当然の事だった。


 アリサからすれば俺なんてとても周囲に義兄(あに)として紹介できるような人間ではない。そもそもアリサは母親が再婚した事で俺が義兄(あに)になった事など、誰にも言ってはいない事だろう。


 俺も特別言うつもりはなかった。俺とアリサの関係は秘密にしておくつもりだ。俺にとっては特別その秘密がバレる事のデメリットはなかった。俺の株価は学園でも最低だからだ……これ以上下がるという事がない。

 だが、アリサは別だ。容姿端麗で文武両道、人望のあるアリサが俺みたいな引きこもり野郎の義妹になったという事が知られれば間違いなく彼女の評価を落とす事になる。

 良い印象を周囲に与えるはずがない……。その程度の価値しか、今の俺にはないのだ。自分が無価値な人間でアリサに不利益を与えるしかないという事くらい、自分で痛い程わかっている事だった。


 だけど俺は学園に行かざるを得なかった。自分自身の未来の為に、俺は変わらなければならなかったのだ。


 義母ソーニャは俺を涙目で見やる。その眼差しには悲痛さが込められており、さながら戦地に向かう自らの子供を見守る母親のようだった。そんな大げさな……とも思う。俺みたいな陰キャにとっては学園っていうコミニティは決して天国ではないし……地獄みたいな場所だといっても過言ではないが。

 獄まれな可能性を除き、学園では命まで取られるという事はない。大抵の場合はそうだ……。


「……行くのね。真治君」


 ソーニャは瞼に溢れてきた涙を指で拭う。


「気を付けて行ってきてね……」


「大袈裟だよ……お義母(かあ)さん。ただ学園に行くだけじゃないか……」


「それはそうだけど……それは普通に毎日学園に通っていた場合よ。アリサが相手だったら、こんな心境にはならないわ。だって……真治君は何年も学園に通っていなかったわけじゃない。私はそんな経験はないのだけれど……それなのにまた学園に通うっていうのは凄く大変な事じゃない」


 ソーニャはそう言った。確かにそうだ。義母であるソーニャの言う通りだ。何年も学園に行っていなかった人間がまた学園に通おうとしているのだ。正直に言えば不安はあった。今も動悸がして、なかなか治まりそうにもない。


 二年間ろくに学生らしい事をしていなかった人間がまともに学園生活を送れるとも思えない。勉強だってこの二年間遅れているのだ。とてもついていける気がしない……。だけどやるしかなかったのだ。そうする事でしか、自分の人生は変わっていかない。そんな気がしたのだ。


「行ってきます……」

 

 俺は義母ソーニャに見送られ、約二年振りに豊月学園へと向かっていくのであった。



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引きこもっているだけなのに、学園一の北欧美少女が俺の義妹になった つくも/九十九弐式 @gekigannga2

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