第9話 チケットノルマ達成

 快晴の空。切り替えた気持ち。

 今日のあたしは、絶好調だ。


(今日はいける気がする!)


 はっ! 素敵なお花が咲いている! スマートフォンでぱしゃりと撮影。


(今日はいける気がする!)


 はっ! タイミングよく信号が青に変わった!


(ミランダ様! あたし! 今日はいける日です!)


 昨晩のお優しかったミランダ様を思い出す。頭を叩いてとお願いしたのに、ずっと頭を撫でてくださっていた。一緒に眠る時も、あたしがぴったりくっついてうざいはずなのに、背中を何度も何度も優しいおててで撫でてくださって。ああ、ミランダ様。愛おしいミランダ様。どうして貴女はミランダ様なのですか。敬いの心は日に日に倍増し、恋しくて愛しくて、あたし、なんだかおかしくなってしまいそうです。


(お陰様でメンタルゲージが爆上がりな気がする!!)


 あたしは鞄から取り出したミランダ様一筋鉢巻きを頭に巻いて、気合を入れた。


(よーし! 今日も頑張るぞー! おー!)

「うわっ!」

(うぎゃっ!)


 突風が吹き、あたしと前を歩いていた人に風がかかった。そして前を歩いていた人が持っていた書類が地面にバラける。


「うわ、面倒くさ……」

(わ、大変)


 あたしは率先して書類を拾い、持ち主に差し出した。


「どうぞ!」

「あー、すいません。面倒くさいことを……ついでに聞いてもいいですか?」

「はい?」

「ヤミー魔術学校ってどこですかね?」

「え、学校は……」

「おっすー。ルーチェっぴー。はよー」

(あ、クレイジー君)


 あたしが振り返ると、クレイジーが足を止めてきょとんとし、あたしと……横にいた男性に目をやった。


「あれ、兄ちゃん何やってんの?」

「え?」

「あ、お前、馬鹿。急いで来たんだぞ」


 男性が書類を鞄に入れ、その鞄からお弁当の袋を取り出した。


「ほれ」

「え!? うわっ! 忘れてた!」

「お前、いい加減に飛行魔法使えるようになれよ。面倒くさい」

「やー! 感謝、感謝ー! まじありがとー!」

(……すごい。クレイジー君のもう一人のお兄さんだ……)


 ばりばり見た目不良のクレイジーと比べてかなり対象的だ。髪がボサボサで、眼鏡で、いかにも根暗ですと象徴しているような見た目。


「晩飯どうする?」

「あー、食べるー」

「バイトだっけ?」

「そ、そ」

「怪我しないようにな」

「あ、兄ちゃん、あの子、相方」

「え?」


 男性があたしに振り返った。


「ほら、話したべ? ルーチェっぴ! 俺っちのダンスの相方のー」

「……ルーチェ……って、あれ、君もしかして……」

(うん?)


 クレイジーの兄が何か言いかけた直後、彼のスマートフォンから着信音が鳴った。


「うわ、なに。面倒くさっ。……もしもし。こちらジェイ」


 クレイジーがあたしの前に立ち、見下ろした。


「はよー」

「おはよう」

「どうかしたの?」

「なんか、すごい強い風吹いて、持ってた書類が散らばっちゃったの」

「拾ってくれたの? 優しいねー。ルーチェっぴ」

「や、さすがに……放っておけないでしょ」

「あー、はいはい。今外出中なんですぐ向かいます。はいー」


 クレイジーの兄が通話を切り、クレイジーを見た。


「じゃ、仕事だから」

「頑張ってー」

「あと」


 クレイジーの兄があたしを見た。


「ルーチェちゃん、書類ありがとう」

「あ、いえ」

「じゃ」

「じゃーねー」


 クレイジーが手を振ると、クレイジーの兄が――空中から箒を取り出した。


(わっ!)


 そしてそのまま飛行魔法で箒を飛ばし、空に飛んで行った。


「……あのお兄さんも魔法使いなの?」

「ん? ああ、ジェイ兄ちゃんはね、魔法使いっていうより、ハッキング? 魔法情報局で働いてる」

「魔法情報局!?」


 あたしはぎょっと目玉を飛び出させた。だって、魔法情報局というのは、いわゆる、国内の情報を収集している場所。外国でいう……CIAの組織のようなチームだ。


「そんな……ところで働いてるの? お、お兄さん」

「ただパソコンカタカタ弄ってるだけなー」


 あたしとクレイジーが歩き出す。学校までまだ距離がある。


「でも、なかなか働けないでしょ? 倍率やばいって聞いたけど」

「あーね。でも、……ジェイ兄ちゃん天才だからなー。家族の中で一番頭いいし」

「す、す、すごいね……。リベルさんは魔法警察だし、その、ジェイさん? は魔法情報局の人だし。……コリスさんはどこで働いてるの?」

「魔法省」

「……今なんて言った?」

「魔法省」

「……えっと、コリスさんだよね?」

「秘書課。時々お偉いさんの付き人」

「本気で言ってる?」

「言ってる言ってる」

「魔法省?」

「魔法省」

「……。……。……はー……」

「どうかした?」

「や、……すごいなあって思って……」

「や、ルーチェっぴ、……会社なんてどこも一緒だよ。雇われたらその分働いてお金を稼いで生活する」

「クレイジー君も、あの、あの、あの、……魔法使いになって、どこか就職するの?」

「や、俺っちは……どうかなー。今はまだ考えてないかな。普通に魔法使い業でやるんじゃないかな」

「……そっか(すごい兄弟だなあ……。家族で魔法使いか。確かにそういう人多いもんな。……そっか。魔法省か。……だから、厳しく言ってたのかな。コリスさん)」

「ルーチェっぴは? どっか考えてるの?」

「……や、あたしも……普通に光魔法使いとして働きたいかな。脳の構造上、難しいこと出来ないし」

「そっか。……ちなみにさー」

「ん?」

「ルーチェっぴは結婚するなら、魔法使い? 一般人?」

「……あー……んー……、……どっちでもいい」

「あ、こだわりない感じ?」

「特にね。好きになったらその人と一緒になりたいかな」

「好みのタイプは?」

「好みのタイプ? ……あー、とね……、……ミランダ様、みたいな人がいいなあ」

「ん? どういうこと?」

「優しくて、強くて、ん、と、……優しく、頭撫でてくれる人」

「……つまり」


 クレイジーがあたしの頭に手を置いた。


「こういうこと?」


 ぽんぽんと手が動く。見上げると、クレイジーがにこーっとして笑っていた。あたしはそれを見て頬を膨らませる。


「そういうの」

「ルーチェっぴ、怒った顔も可愛いっぴー」

「うん。ありがとう。……駄目だってば。本当に」

「はいはーい」


 クレイジーが手を離し、またあたしの頭に触り、あたしがそれを払うとクレイジーがおかしそうに笑いだし、あたしはむっとして、二人で学校に向かった。



(*'ω'*)



 魔法のアイデアを出し合って、一つ一つ順番にやってみる。ここで焦りは禁物だ。雑にやった分、雑なものしか出てこない。練習したものが本番に出てくる。完璧なものを求めるなら、慎重にゆっくりやって、慣れるまで反復練習を繰り返すのみ。


(あ、違う。ここは足を上げる)

(あ、またやらかした)

(ここは体重移動)

(あばばばば!)


 こけそうになると、クレイジーに腕を引っ張られた。


「大丈夫ー?」

「ごめん!」


 諦めるな。まだまだだ。幻覚魔法は使える。魔力はある。ダンスと一緒に魔法を唱えて、駄目だ。止まった。出ろ。ここの魔法も、あそこの魔法も、やれ、やるんだ、全力で。大丈夫。みんなは三歩進んで二歩下がる。あたしは三歩進んで三歩下がる。なら四歩歩けばみんなと同じになる。五歩歩けばようやく倍になる。面倒臭い。こんな脳に生まれてきたことを恨んでる。でも今すぐ改善されるわけじゃない。考えてても仕方ない。とにかく動く。覚える。体に叩きつける。右、左、回って。動いて。さん、し、いち、に、動いて。あたし一人じゃない。クレイジーもいる。迷惑を掛けるな。さん、し。杖を握る。落とす。拾って魔法を唱える。噛んだ。魔法が出てこない。すぐ唱え直す。魔法が薄く出てきた。ごめんなさい。ごめんなさい。悔しい。練習しないと。次は、どれを、どうして、こうして。


「ルーチェっぴ」


 クレイジーがメトロノームを止めた。


「昼飯にしよ」

「……」

「トイレ行ってくるー」


 クレイジーがスタジオから出ていった。あたしは息を吐いて――メトロノームのネジを回して、また動かす。リズムを刻んで動き出す。足はこう。手はこう。使わない手は後ろに隠す。ここでクレイジーが腰に手を回してくるから、一緒にステップを踏む。ここ、いつもクレイジー君の足を踏んでしまうんだよな。反省して活かす。振り付けを確認する。ゆっくりやったら出来る。スピードを戻すと回らなくなる。痛い。げっ。魚の目が出来てる。薬局で薬買ってこないと。もう一回やろう。うわ、魚の目意識したら痛くなってきた。でもやろう。とにかくやろう。こんなんじゃミランダ様に見せられない。ミランダ様が感動するような出来じゃないと、あたし、せっかく来ていただけるのに、もっと、やんないと、時間が、量が、焦るな、冷静に、もっと、もっと、もっと、数をこなせば――!


「はーい、ストーップ」


 あっ! 戻ってきたクレイジーにメトロノームを止められた。


「お昼食べよー」

「あたしもう少しや……」


 クレイジーがあたしの手を引っ張った。


「ちょ、やめて」

「はー、お腹空いたー」

「クレイジー君、あたしまだや……」


 ぐにゃりと視界が歪んだ。


(あれ)


 クレイジーがその場にあたしを座らせた。


(なに……これ……)


 急に体温が下がり、めちゃくちゃ寒くなってきた。


(やだ……これ……なに……? 寒い……)


 クレイジーが腰に巻いてたジャージをあたしに羽織らせた。


(さむ……さむ……寒い……)


 クレイジーがあたしのリュックを勝手に漁り、魔力の小瓶を手に取り、あたしに渡した。


「はい」

(……まじ? 副作用……? なんで……?)


 あたしは震える手で小瓶を受け取り、口の中に流し込んだ。液が胃の中に入れば体全体に渡っていき……寒気が収まった。


「……ごめん……」

「俺っち、ごめんよりも気持ちのこもったありがとうが聞きたいっぴー」

「……ありがとう」

「……ん」


 クレイジーが自分のリュックに手を伸ばす。


「お昼食べよー!」

(うええ……頭がんがんする……)


 リュックに入ってたお弁当を取り出し、あたしも食事にありつく。


 休憩は大事だ。特にあたしの脳は誰よりも体力がなくなりやすい。体を使えば使うほど、過剰集中が起きて、体力が一気に減って、倒れるのは時間の問題だ。今は休もう。でも、すぐに戻る。これをできるようにする。


(……眠くなってきた……)


 おにぎりを食べながらうつらうつらとしていると、クレイジーが床を叩いた。


「ルーチェっぴー、寝るなら食べ終わってからなー」

(寝ない……。やる……。魔法を……やる……)


 あたしは珈琲を飲んだ。


(やる……寝ない……やる……踊る……)


 あたしはお弁当をしまった。


(やる……踊る……魔法……踊る……)


 あたしはぼんやりしたままメトロノームを動かそうと手を伸ばすと、クレイジーが言った。


「ルーチェっぴ、休憩時間まだ45分は残ってるよ」

「やる……」

「俺っち動かないよ」

「自主練する……」

「あれ? ルーチェっぴ、ちょっと来てー」

「え?」


 あたしはメトロノームに触れる前に振り返った。


「何?」

「ちょっとこっち」

「ん?」

「後ろに付いてる」

「え? どこ?」

「あれ? んーとね、ああ、後ろ向いて」

「……あった?」

「んー? 見えづらいかもー。ちょっと膝に頭乗せてくれる?」

「あ、わかった」


 あたしはクレイジーの膝に頭を乗せた。


「あった?」

「あ、これかな」

「ん?」


 クレイジーがあたしの目の前でぱちんと指を鳴らした。




( ˘ω˘ )




「おれっ! すっげー緑魔法使いになるんだ!」


 きらきら輝く瞳があたしを見てくる。


「ルーチーはどんな魔法使いになんの!?」

「光の魔法使い!」

「光!? すっげーいーじゃん! じゃーさ! おれとルーチーでタッグ組めば、最強じゃね!?」

「きゃはははは!」

「あ! 坂道だ! 競争しようぜ!」

「あ! 待ってー!」


 小さな足が坂道を駆けていった。




(*'ω'*)









 ――ぱちんと音が鳴って、瞼を開ける。


(ふぁっ!?)

「おはよー」


 笑顔のクレイジーが顔を覗いてくる。


「休憩時間終わったから練習しよー」

「……え? 寝てた?」

「ちょー爆睡」

(やっちまったぜ……ん?)


 あたしはゆっくりと起き上がり、目を瞬かせた。あたしとクレイジーの周りだけ草原となっており、花がいくつか咲き、風が吹いたように花が揺れるとどんどん小さくなり、やがてみんな姿を消した。ただのスタジオの地面に戻る。あたしはクレイジーに振り返り、訊いた。


「何かしてたの?」

「癒やし効果。睡眠作用に丁度いいんだ」

「……そ、そ、そんなに寝てた?」

「眠り姫みたいだったっぴー。キスで起こそうかと思ったくらいだっぴー」

「うわ……」

「あれ? もしかして……惹いた?」

「ううん。引いた」

「酷いっぴー!」

「練習しよう」


 ここで駄弁ってたって何もならない。


「早く」

「はいはい」


 手を引っ張ってクレイジーを立たせる。時間ギリギリまで魔法を、ダンスの練習をする。時間は限られてるぞ。もっと自分を追い詰めて、もっと体を動かして、もっと叩き込んで。もっと、まだ足りない。もっと。まだ足りない。ダンスは難しい。魔法は楽しい。ダンスは疲れる。魔法は楽しい。あたしはやっぱりダンスは向いてないと思う。でも動くのは嫌いじゃない。抑えきれない多動性がここで発揮される。


 体力も使って、集中力も使って。限界を超えてふらふらの状態でアルバイトに行く。よーし、今日も頑張って稼ぐぞー。


(だるーーーー)


 今日に限ってアダルトグッズ納品大量に来てるしーーーー。


(あー……休めばよかった……いや、ここで休んだらその分お給料が減る……。学校代……学校代……)


 這いずるようにアダルトグッズを棚に入れていく。男性客が入ってきたが、あたしが品出しをしてるところを見て去っていった。去るなよー! 買っていけよー! オナホールとか、ローションとか、すごく棚に入れたからそれだけでも見ていけよー!


『インカム失礼しまーす。ルーチェちゃん、品出し終わったらゴミ出しできる?』

「あ、いきまーす……」


 ぱんぱんに膨らんだゴミ袋を左右の手に持って、店の裏口に行く。


(はあ。今日帰ったら早めに寝よう……)


 ゴミ捨て場にゴミ袋を放り投げ、よし、と思って振り返ると、


 ――膝を抱えたジュリアがダンボールに入って、魔法で出した雨に打たれながらめそめそ泣いていた。


「ああ、悲しい。寂しい。アンラッキー。胸にどっかり穴空いて、私の心は極寒地。私、大失恋をしちゃったみたい……。ああ、どうしよう。涙が止まらない。絶望が押し寄せる。これじゃあ鬱になるのも時間の問題。モン・デュ……。もうこんな世界にいたって何も良いことない……。もう死んじゃおうかな……」

「わん!」

「ああ、犬にまで吠えられる始末。ホワイ? 私が何をしたって言うの? なんで私ばかりが責められるの? 私のゴッドよ、大魔法使いアルスよ、一体どうして? 私が何をしたっていうの? ああ、雨が降る。溶けちゃう。溶けちゃうよぉおおお!!」

 ……何やってるんですか?

「オ・ララ! これは浮気者のお嬢さん! どうもどうも! 人たらしの間抜けちゃん!」

 誰が人たらしですか。(そんなのなってみたい)

「浮気しておいてよく言いますよ! よくもそんな口が叩けますね!」

 風邪引きますよ?

「そんな優しさ見せつけたってもう遅いんですよ! 君がそんな薄情な女の子だとは思いませんでしたあ!!!!」

 ちょ、ちょっと、なんですか? 何があったんです?

「まだしらばっくれる気ですか!? これが! 何よりの証拠ですよ!!」


 ジュリアが手を広げると、地面に写真がばらまかれ――全てあたしとクレイジーが写っていた。


(なにこのしゃし……。……。……え、盗撮? あれ? これ前にも……)


 クレイジーに頭を撫でられるあたし。帰り道を一緒に歩くクレイジーとあたし。クレイジーに茶化されてむくれるあたし。あたしの腹チラ。あたしの首元。あたしの笑ってるところ。横から。斜めから。前から。後ろから。


(え? 何これ、何これ、何これ……?)

「浮気者……」


 青い顔を上げると、重たい闇がジュリアから放たれていた。


「浮気者……浮気者……浮気者……」

「ジュ、ジュリアさん……?」

「そうやってあざとい目で見つめてくるの? 私を失いそうだから引き止めるの? 所詮私はキープ扱いってこと……?」

「あの……おー、仰ってることが、あの、あの、あの、わからなーいんですけど、あの、あの、あの、これは、あの、写真、あの、すーー、なんでしょう、これ……」

「君の浮気証拠写真です……」

「浮気とは……?」

「しらばっくれないでくれるかな……。あの狐男と付き合ってるんでしょ? だからこんな笑顔を見せるんでしょう? 私にこんな笑顔を向けてくれたことあります?」

「いや、付き合ってません……」

「間抜けちゃん」


 闇に身を包んだジュリアがダンボールから抜け出した。


「私、嘘はわかるんですよ?」


 一瞬だった。ぱちんと瞬きしたらジュリアが視界から消え、ぱちんと瞬きしたらすぐ目の前にジュリアが現れ、歪な光を見せる紫の瞳があたしを定めていた。杖を首に向けられ、はっと両手を上げて、ジュリアが近づき、一歩下がり、また近づいてきて、一歩下がると、壁に背中が当たった。逃げ道なし。あたしの動きが止まる。ジュリアがあたしの耳に囁いた。


「もう一度聞きます。嘘偽りはしないほうがいいでしょう」

(うわっ!)


 闇の魔力で両手が勝手に後ろに固定された。


「彼と、付き合ってますよね?」

「……付き合ってません」

「彼が好き?」

「ダンスの相方です」

「またまた」

「本当です」

「じゃあなぜあんな笑顔を浮かべてるの? 私、あんな君の笑顔見たことないのに」

「いや、普通に笑ってるだけ……」


 ――っ!!


 ジュリアがあたしの首に噛み付き、痛みを残し、口を離した。あたしは唖然と目を見開き、青い顔で目の前のジュリアに目を向ける。


(噛まれた……!? 今、首、噛まれた!)

「間抜けちゃん」


 低い声が響く。


「言ってるよね?」


 紫の瞳があたしを見る。


「その声も、その体温も、その心も、その笑顔も」


 ルーチェ・ストピドの全て。


「私のものだって、言ってるよね?」

(いえ、聞いてません!! そんな話、知りません!!)

「君には時間をあげてるだけで、私達、結婚する関係なんですよ? わかってます?」

(プロポーズ断りましたよね!?!?!?)

「もう一度聞きます。正直に言ってね? ……彼のことが好きですか?」

「いえ、あの、ですから、あの、あの、あの……すーー、……彼は、ただの女好きな男の子です。あたしが女で、ダンスの相方だから、こうして、触れ合っているだけです。それに、あの、あの、あの、……彼には好きな人がいます。もちろん、あたしじゃないです」

「……」

「ただの、ビジネスパートナーです。嘘は……言ってません」

「……そのようですね」


 ジュリアが杖を顔の前に戻して確認した。


「杖が反応しない。君は本当のことを言ってるようです」

(ほっ!)

「ビジネスパートナーね。……ビジネスパートナー」


 ジュリアが歯を食いしばり、杖を強く握った。後ろには殺意の魔力が見える。


「気に入らない狐め……」

(美人に不人気で残念だね。クレイジー君)

「でも、嘘偽りはない……。君は正しいことを言っている……。彼と付き合ってもいない……。恋人じゃない……」

「仰る通りです……」

「……」

「……ジュリア……さん?」


 ジュリアが目を閉じ、黙り、すっと息を吸って、吐いて、大きく吸って、――笑顔で吐いた。


「良かった」


 あたしの固定された手が解放された。


「もう! 心配しちゃったじゃないですか!!」

「いえ……心配とか……あの……よくわかんな……」

「あー! 心配して損した! いやー、そうですよね! そうだ、そうだ! 君が私以外といられるはずがない!」

「そ、それもどうでしょうか……」

「間抜けちゃん」


 ジュリアがあたしを力いっぱい抱きしめた。


(わぶっ!)

「私の可愛い間抜けちゃん。心から愛してます」

「あ、ああ……どうも……」

「でも、駄目ですよ。君の行動はどこかあざといところがある。あの狐がその手にころっと転がってしまったらどうするの? だからね、うふふ、そういうのはね、私以外に見せては駄目。何回言わせるんですか。もう。いけない子」

「いや、あの、(あざとい?)ははは……(あざといってなんだ?)」

「君は私のもの」


 耳元で囁かれる。


「いつでも見てますからね」

(……この人の冗談っていつも本気に聞こえるんだよなー……)

「ね? わかった?」

「あ、はい」

「あーもう、マ・ココット。大好きです。……怒ってごめんね。もう怖がらせないと約束したのに、私ったら君のことになると周りが見えなくなっちゃって……。本当にごめんなさい」

「あ、はあ、大丈夫です」

「君は何も裏切ってなかったのに勝手に勘違いしちゃいました。ルーチェ。ああ、私のルーチェ、本当にごめんなさい。でも君も悪いと思うの。思わせぶりな行動は控えるようにお願いしますね」

「(思わせぶりな行動ってなんだ……? ただ学校に行ってダンスの練習してるだけだよな……?)ああ、はい、まあ、はい」

「ああ、安心した。心の底の底からスプーンですくわれたような気分です」

(あ……)


 ジュリアが噛んだあたしの首の箇所を撫でた。痛みが引いて、噛み痕もなくなる。


(治癒魔法。ジュリアさんも使えるんだ……。さすが……)

「間抜けちゃん、今月でお時間ある日はないの? デートしない?」

「いやぁ……そっすねー。(日曜空いてるけど普通に休みたい)……今月はダンスコンテストで忙しいので……」

「あれ? そういえば結果はどうなったんですか?」

「あ」


 そうだ。この人に伝えてなかった。最近会ってなかったしすっかり忘れてた。


「実は、最終審査まで行けまして、コンテストへの参加が決まりました」

「オ・ララ! それはおめでとうございます! ……チケットは?」

「……えっ!? あ! い、1枚なら、あります!」

「おいくら?」

「え、あ、あの、い、い、いいんですか!?」

「何を今更! 選ばれたら見に行くって言ったじゃないですかー!」


 ジュリアがニコニコしながらあたしの頬をなでた。


「ああ、ただ、可憐な私の将来のお嫁さんが大きな舞台に立って多くの人の目に映るのはあまりよろしくないですね。観客全員の目を塞いでもいいのですがまた魔法省に文句言われても面倒。だとするならば……いっそ全員病院送りに……ふーむ……でもせっかくの機会ですし……まあ……君が頑張った結果なので……うん。今回は良しとしましょう。絶対仕事が入らないよう上にも下にも伝えておくので、安心してください。間抜けちゃ……」


 あのジュリア・ディクステラに魔法を見てもらえるなんて!


「ジュリアさん!」


 ジュリアの両手を握りしめると、ジュリアが黙った。


「あたし、頑張ります!」


 今までこの人がここであたしを散々批判してきたことは鮮明に覚えてる。そして闇魔法を勧めてきたことも明確に覚えてる。あの頃はあんな言い方ないじゃん、とふてくされていたけれど、だけど、……今思えば、全てこの人の言うとおりだった。


 あのままのあたしなら、早々に卒業証書が来ていただろう。けれど、今は魔法の研究に時間を費やし、沢山練習してきた。幻覚魔法だってまだ歪だけど、使えるようになった。


 大きな舞台であたしの魔法を見せて、今までのあたしを見てきたこの人からの正直な意見が聞きたい。この人は嘘を言わない。ミランダ様同様の魔法オタクだもの。


「だからっ……お願いです。……ぜひ見にきてください!」


 ――この時、ジュリアの脳内で言葉が変換された。ジュリアの中で、愛しい人が笑顔でこう言った。「ジュリアさんにあたしの魔法を捧げます。どうかあたしの気持ちを見てくれますか? あたし、ジュリアさんの為に一生懸命頑張ります」ジュリアが満面の笑みを――あたしに向けてきた。


「もちろんです!!! 私のルーチェ!!!」

(わー。こんなに喜んでくれるの嬉しいなー。いいもの見せなきゃー。あ、チケットノルマ達成した。うわっ、やったー!)

「ここで待ってますからチケット持ってきてくれる? 大丈夫ですよ。私、君から離れたりなんてしないから」

「ありがとうございます! 持ってきます!」


 わーい! ノルマ終わったー! ばんざい、ばんざーい! と思いながらあたしは事務所へ走った。


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