第10話 説教
一週間の中で唯一のお休みの日曜日がやってきた。
あたしは筋肉痛の体に鞭を打ち、育成植物の説明書を開いた。
(花が咲いたら抜くんだっけ?)
笑顔のように咲いた花を見て、あたしは説明書を眺める。
(ってことはもうこれ抜いていいのかな。抜いていいって書かれてるし、OK、OK。よし、抜こう)
あたしは枝を掴んで、ぐっと力を入れた。あ、なんか意外と強いな。あたしはもっと力を入れて抜こうとした。しかし抜けない。両手で掴んで引っ張る。しかし抜けない。
(なんなんだ!? これ!)
「ぐっ……! 抜けない……!」
「あん? ルーチェ何やってるんだ?」
「宿題のやつ……! 花が咲いたから抜こうと思って……!」
「花が咲いたら抜く? ……待てよ。おい、その紫の花もしかして……」
「あっ!」
あたしの腕が植物を引っこ抜いた。
「いけた! やった……」
――その瞬間、とんでもない叫び声が轟いた。
あたしは白目を剥いた。セーレムが発狂した。あたしは倒れた。セーレムが転がった。植物が叫び続ける。あたしは泡を吹いた。セーレムがじたばた暴れた。扉が開き、黒いヒールがあたしの前で止まった。杖を向ける。
「黙れ」
――叫び声が止まった。
あたしとセーレムが泡を吹いて体を痙攣させる。白い手がセーレムを撫でると撫でられたところから痙攣が収まっていき、セーレムが正気に戻った。首を振って、植物を見る。
「はぁ! やっぱりマンドラゴラだったか! 花の形を見るまで気づかなかったぜ! 危うく死ぬところだった!」
「……ルーチェ、説明文はよく見ろって何度も言ってるはずだけどね。耳栓をして抜くってちゃんと書いてあるじゃないのさ」
あたしの痙攣は止まらない。泡を吹いて息ができない。
「この馬鹿」
影が近づき、あたしの口を拭ってから唇を重ねてきた。そこから唾液が魔力となってあたしの体に浸透し……正気が戻った。目を開けると、ミランダ様が唇をあたしから離すところだった。
(あれ……ミランダ様……?)
「お前ね、マンドラゴラを知らないわけじゃないだろ」
「……え? マンドラゴラ……? あの、ファンタジー小説の……?」
「説明書よく見な!」
「あ、いてっ」
頭を軽く小突かれ、ふらふら起き上がりながら教科書をめくる。マンドラゴラは人間が気絶するほどの奇声をあげます。しかし調合素材としてはかなり使えるものです。引っこ抜く時には周りに誰もいないことを確認し、耳栓をしてから→→→この絵のように引っこ抜きましょう。
※抜いたら奇声をあげるので、口を閉じる魔法を使いましょう。
(わー、本当だ。絵だけ見てて気づかなかった。ちゃんと書いてあるじゃん)
「説明書は何のためにあると思ってるんだい。ルーチェ、私がいなかったらどうするつもりだったのさ。セーレムは気絶するだけで済むけどね、お前はそのままくたばってるよ!」
「すみません……。ちゃ、ちゃんと……見たつもりだったのですが……」
「だから見辛かったら自分がわかりやすいように書き直せって何度も言ってるじゃないかい! このボケッ!」
「す、す、すみません……(そんな言い方しなくてもいいじゃん。……しゅん……)」
そんなに睨まなくてもいいじゃないですか。ミランダ様。なんとかなったんだから。
(そりゃ、貴女がいなかったら確かに危なかったのかもしれないけど……)
ちらっと見上げると、思い切り睨んでくる目と目があって、すぐに逸らす。ミランダ様が大袈裟なくらい大きなため息を吐いた。
「ルーチェ」
「……ごめんなさい。気をつけます」
「今の状況がどれだけ危険だったのかわかってんのかい?」
「……」
「課題にはね、意味があるんだよ。ルーチェ。マンドラゴラの対応についてこれで学べる。昔と違って説明書なんてものがあるなんて便利な時代になったもんだよ。説明書はなんでついてると思う? マンドラゴラの悲鳴で何百人と魔法使いが死んでるからだよ。だがこいつは調合で役に立つ。必須と言ってもいいくらいだ。魔法使いは常に危険と隣り合わせだって何度も何度も言ってるじゃないかい」
「……はい」
「発達障害持ってるから説明書読めませんでした。なんて言い訳にもならないよ」
「……わかってます」
「わかってないからこんなことになったんじゃないのさ」
「……」
「これは読んでたのかい?」
「読んだんですけど……読んだ……つもりでした……」
「理解できたのかい?」
「理解した……つもりでした……」
「なんで書き直さなかった?」
「大丈夫だと思ったので……」
「その根拠は?」
「……そのー……手元にあるので……いざという時は読みながら出来るだろうと……」
「理解できてないのに?」
「理解した……つもりだったので……」
「『つもり』が多い奴だね。ルーチェ。やったつもり、見たつもり、読んだつもり、これが依頼人の依頼書だったらどうするんだい。お金もらう分際で、注文と違う魔法を見せるのかい! お前は!」
「……」
「理解できないなら書き直しなさい! そしたら嫌でも頭に入るから!」
「……でも、前それをやって、間違ったこと書いちゃったので……」
「だからそれが理解してるつもりになってるからそうなるんだよ! この馬鹿! わかってんのかい! 私が! いなかったら! 死んでたんだよ! お前!!」
「……」
「……興味なくても、理解しようと思って思考を使いな。わかったね」
「……はい」
「次やったらクビだよ。速攻出てってもらうからね」
「……」
「……ったく、もう」
ミランダ様の手があたしの髪を避け、耳を覗いた。
「聞こえづらいかい?」
「……どっ、どっ、どうでしょう。でもミランダ様のお声はきー、聞こえます」
「傷よ癒えよ」
ミランダ様が呪文を唱えると、ミランダ様の指から緑色の光があたしを包み込み、耳の奥まで風が通った。その瞬間、周りの音がよく聞こえるようになった。
「お前ね、今、大事な時なんだろ。どうするんだい。お前に何かあって、コンテストが中止になったら。お前だけの問題じゃないんだよ」
「……はい」
「やっと今までお前のやってきたことが報われそうなんだろう? 大きな舞台で好きなだけ魔法が使えるんだよ? 学校祭で悔しい想いしたこと、忘れたわけじゃないだろうね?」
「……わすれて……ません……」
「だったら、ルーチェ、なおさら気をつけないといけないよ。お前なんてね、気を抜いたらすぐに足元すくわれるよ。いいね。コンテストが終わったらいつ死んでもいいから、とりあえずそれまでは気を抜かずにやるんだよ」
「……」
「泣いたって駄目だよ」
「……ぐすっ……」
「なんで泣くのさ。お前が悪いんだよ」
「……っ、……、……すみません……」
「謝るのは私にじゃないよ。コンテストのために頑張ってきたお前に謝りな。大雨の中、泥だらけになりながら寝ずに幻覚魔法の練習をしたことだって、お前が死んだら全部無駄になるんだよ」
「ぐすっ……ぐすっ……」
「今すぐ涙を止めな。涙はね、集中力が分散するんだよ。泣くだけ時間の無駄さ。説教はまだ終わってないんだから今すぐ止めな。……ルーチェ、怒るよ」
「ぐすっ、ひぅい、ぐす、ずびっ、ぐすん!」
「……今後はどうするのさ」
「……ぐすっ! ……ちゃんと……ぐすんっ! 理解ずる努力を……じまず……!」
「そうだよ。それでいい」
ミランダ様が両腕を広げると、あたしはその胸にすぐさま飛び込み、胸に顔を埋めてまたさらに泣き出した。悲しいわけじゃない。やってしまったという自分に対する呆れと絶望。やる必要のあることをやらなかった後悔。情けない。
「ぐすん! ぐすん! ぐすん!」
「……怪我はないかい?」
「こくこく!」
「……次やったら本当にクビだからね。出て行きたくなきゃ面倒くさくてもやりな」
「こくこく!」
「落ち着いたらマンドラゴラを使った調合薬を作りな。簡単なものでもいいんだろ?」
「……はい」
「……この後、素材集めに出掛けるかい?」
「……(え、何それ。行きたい。……でも、ミランダ様この後夜からお仕事だよな。今の時間だけでも休憩してほしいのに)」
「ちょうど素材も減ってきた頃さ。近いうちに行かなきゃいけないと思ってたんだが……いい機会だよ。どうだい?」
「……行きたいです……けど……」
「けど?」
「……夜、お仕事だから……休んでほしいです……」
「魔法使いに休みなんて存在しないんだよ。どうせ研究室にこもる『つもり』だったんだから」
「……ミランダ様……」
「行くなら行くよ。どうする?」
「……行きますぅ……!」
「なんで泣くのさ。……面倒くさい奴だね」
そうは言いながらも優しい手であたしの頭をなでてくれるミランダ様の想いを受け取り、あたしは猛烈に反省した。今後はちゃんと行動に移す前に教科書や説明書を読むことをしよう。読んで理解しよう。行動はそれからだ。一つのことで危険がある。それが魔法使いだ。
「ルーチェ、30秒で支度しな!」
「はい!」
「俺は留守番してるよ。耳がヒリヒリするし、猫はそんな素早く動けないんだ。ま、本気を出せば、3秒でいけるけどな。猫は人間と違って瞬足だからさ」
セーレムに留守番を頼み、ミランダ様の飛行魔法で森の奥まで連れてきてもらった。
(うわあ、森だ)
アンジェからこの森はすごく広いと聞いていたが、予想以上だった。
「ほら、この袋に詰めな」
あっ、すごい。これ、学校で使ったことあります。蛇の皮で作られてるんですよね。
「そうだよ。蛇は神様の使いなんて言われてるからね。運気が良くなるんだとさ」
ミランダ様、薬草の種類が載った本を持ってきました。……お恥ずかしいことに、あたしは全部同じ草に見えてしまうので。
「薬草の種類は多いからね。スタンダードなものから覚えていきな。例えば……」
ミランダ様が青い葉っぱを取った。
「ブルーハーブ」
見たことあります。
「効果は?」
……。
「何のための本だい? めくりな」
あ、はい。……疲労、魔力回復。
「レッドハーブ」
香味料。臭みを抑える。
「グリーンハーブ」
代謝、免疫力アップ。
「この三つを組み合わせると?」
エナジードリンクができます。……魔法使い専用の。
「そう。でも材料の少ない多いでもかなり効果は左右する」
調合初日で習うやつですね。
「初日で習うやつなのになんで効果知らないのさ」
……すみません……。理解する努力をします……。
「あとは……」
リスが走ってきた。あ、可愛い。その横に毛虫がいた。うわっ。ミランダ様がその毛虫をヒールで踏みつけ、心臓を止めた。あたしはぎょっとし、リスはビビって逃げた。ミランダ様は手を合わせてから、死んだ毛虫を袋に入れた。
「ひいっ! ミランダ様!」
「素材に必要なんだよ。毛虫の毛と、中身」
(うおお……)
「ルーチェ、たとえ虫だろうがね、命をもらうことによって私達の調合薬が出来上がる。だから必要のない殺しはしちゃいけないよ」
「……はい」
「……出来そうかい?」
「次回でいいですか……」
「ふふっ、そうだね。次回は必ずやらせるから虫の解剖の仕方を勉強しておきな。調合に虫は必須だよ」
「す、少し気分が……」
あたしはスマートフォンにメモした。※虫の解剖課題。
(課題多くね……? 帰ったら優先順位まとめよう……。レポートも書かなきゃ)
一つ一つ細かく丁寧にやっていこう。そうすればちゃんと理解できる。
(それで……)
調合室に怪しい緑色の光が照らされる。鍋のお湯が緑色に輝き続ける。あたしは唾を飲み込んだ。ミランダ様がマンドラゴラの根、毛虫、ならびに蛆虫、虫の血を入れ、その他のハーブを数を分けて入れる。ぐつぐつ煮込む。ミランダ様が本のページをめくり、指でその一文を差す。
「ルーチェ、杖を構えて」
「はい」
「この呪文を唱えて、魔力を注いでごらん」
「はい」
あたしは杖を構え、一度一文を心の中で読み、息を吸って、どもらないようにゆっくりと口を動かした。
「魔力よ、毛虫、蛆虫、血と混ざり合い、薬となれ。イット・アップ」
ドクロの顔が煙として鍋から出て来た。それを見てミランダ様が頷く。
「そう。それでドクロが出たら成功だよ」
「はー……」
あたしは鍋の中身を覗いた。緑色のお湯だったものが少量の液体となり、湯気を放っている。あたしはフラスコを取り、調合薬を中に入れて蓋をした。言われるままに作っていたけど、あたしは何を作っていたのだろう。本を見てみる。調合【冷静薬】。
「冷静薬?」
「頭空っぽにしたい時に飲むんだよ。興奮状態とか、気が荒れてる時に飲むと一瞬で冷静になれる」
「パニックになった時にも効きますか?」
「効くよ」
「調合すげー……(でも材料虫かー……)」
「持っときな」
フラスコを持つあたしの手の上に、ミランダ様の手が重なった。
「お前には必要だと思うよ」
「……これで、レポート書けそうです」
「材料は覚えたかい?」
「ばっちりです」
「私が帰ったらテストしようかね」
「……復習しておきます」
「そうだよ。何でも繰り返さないと覚えない。復習はいくらでもしておきな」
「はい」
そろそろミランダ様が出掛ける時間だ。支度をするため、あたしとミランダ様が調合室から出て行った。
(*'ω'*)
ミランダ様が仕事に行ってしばらく経ってからだった。突然、あたしのスマートフォンが鳴った。
(……え、この時間に?)
あたしは冷静薬のレポートをタブレットで作成してる中、応答ボタンを押した。
「もしもし」
『……』
「お疲れ様」
『……』
「こ、こ、こんな時間にどうしたの? クレイジー君」
『会いたい』
あたしはきょとんと瞬きした。
『会って話したい』
「……酔っ払ってる?」
『……どうかな。酒は飲みたい気分だけど』
「……な、な、なーんか、嫌なことでもあった?」
『……会えない? 今』
「……えっと……」
『中央駅まで来てくれたら迎えに行く』
「……ん……」
あたしは時計を見た。女の子が出歩く時間ではない。
(でも)
なにか様子がおかしい気がする。声色が違うというか。なんというか……。
「……ちょっとだけならいいよ」
『……まじで?』
「中央駅ね。今から行くから、ちょっと時間かかるけど……」
『待ってる』
「あ、わかった」
『……ありがと』
「あ、うん」
『じゃ』
「あ……うん」
あたしから通話を切って――ちょっとだけ思う。――今、クレイジー君、泣きそうだった?
(……まさかね)
メモに文字を書く。
ミランダ様
夜遅いのですが、クレイジー君の様子がおかしいので少し会ってきます。中央駅待ち合わせなので、そんなに時間はかからないと思います。
お風呂の準備はできてますが、冷めてると思うので温めてから入って下さい。
お仕事お疲れ様です。
ルーチェ
「セーレム、ちょっと出かけてくる」
「え? この時間に? 何しに行くの? あ、わかった。ルーチェ、お前、花火をしに行くんだな? アンジェも一緒か? ってことは、あのアーニーって子供もか。あーあ。人間ってさ、夜もはしゃぐ生き物だよな。昼は仕事。夜は暴れ放題。忙しいな。人間って。そんなに花火をぱんぱんさせて楽しいの? 俺はボールをぱんぱんさせてる方が楽しいよ。なんて言ったって猫はさ、人間と比べていつでも冷静で、いつでもクールなんだ。かっこいいんだよ。これが。俺は猫に生まれて良かったって思ってるんだ。ぼーっとしてるだけで優しい手で撫でられるんだ。俺は本当に猫に生まれてきて良かったよ。俺は性格上、猫に向いてる。そう思うんだ。向いてることで生きていくのって、すごく大事なことだってミランダも言ってた。あ、でも一つだけ。料理の道が向いてたとして、猫の刺身を作るのはやめてね? かの有名な男爵令嬢は怪盗事件が解決した夜に大切な猫を追いかけてこんなことを言ったそうだ。『今日こそ切り刻んで特製猫刺身にしてやる!!』ってね。恐ろしい世の中だぜ。……あれ、それ違う作品?」
「いー、一応メモ残し、し、してるけど、ミランダ様が帰ってきたらすぅーぐに帰りますって伝えて」
「おう。気をつけていけよ」
「うん」
あたしは部屋にあったワンピースを適当に着て、手提げバッグを肩にかけて屋敷から出ていった。
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