第8話 師からのお仕置き
研究室をノックする。返事は無いが、あたしはゆっくりとドアを開けた。
「ミランダ様」
予想通り、ミランダ様が煙管をふかせながら、室内を暗くさせ、光魔法を試していた。お陰で全く暗さを感じない。全て色の違う光が室内に浮かび、部屋全体に明るさを保たせる。黒色の光があるのに明るいなんて不思議。流石ミランダ様の魔法だ。ミランダ様はこちらに振り返らない。
あの、アイスティーをお持ちしたのですが、いかがでしょうか。
「……ああ、置いといとくれ」
不思議な魔法ですね。これ。お仕事に使うんですか?
「ん。これなら森の探索時に動物が警戒しないだろう?」
そうですね。不思議と温かい魔法です。
「で?」
はい?
「要件は?」
……あ、ですので、アイスティーを……。
「夜のアイスティーをきっかけにするなんて、能無しのお前にしては考えたねえ」
……。
「ルーチェ」
椅子がくるんと回って、ミランダ様が姿を見せる。組んでいた足を崩し、手招きする。
「おいで」
……はい。ミランダ様。
あたしは地面に膝をつけ、ミランダ様の膝に頭を乗せて、瞼を閉じる。ミランダ様があたしの頭に手を乗せ、もう一度煙管の煙を吐いた。
「浮かない顔してどうしたんだい?」
……実は、ミランダ様に叱られに来ました。
「なんだい。私の皿を何枚割ったんだい」
お皿じゃありません。……人を傷付けました。
「……ボーイフレンドと何かあったかい?」
あたしが悪い事をしたという前提でお話しします。
「自白するなんて感心するね。いいよ。その罪に見合った罰を与えてやろうじゃないのさ。……話してごらん」
……ミランダ様に、彼がすごくフレンドリーなことは伝えてますよね。ほっぺにキスしてきたり、手を繋いできたり、なんか、ボディタッチがすごくて、で、その、初めて会った時からそうなんですけど、彼のお決まりの台詞があって、それが、……『俺の彼女にならないか?』だったりしたんです。で、一回じゃなくて、二回とか、三回とか結構しつこくて、冗談なのはわかってたんです。でも、なんか、それが……あたし、嬉しくて。だって、男の子にそんなこと、冗談でも言われたことなかったから。気持ち悪いとか、うざいっていう気持ちよりも、そう言ってくれて嬉しいな。っていう気持ちが強かったんです。で、先日、……あたしの不注意で車に轢かれそうになったことがあって、でも、その時もすぐに魔法であたしを守ってくれて、警察来たら厄介だからって、お姫様抱っこして遠くまで逃げてくれたりとか、あの辺りから、ちょっと……彼がかっこいいなとか、思ってたんですけど……昨日アーニーちゃんから聞いたら、なんかクレイジー君、好きな子いたみたいで……ただの、コミュニケーションだったことがわかったんです。あたし、それがなんか、惨めになったというか、好きな子がいる男の子に、彼女になってと言われて浮かれていた自分がいたんだなって、自覚したと言いますか。……とても情けなくなりました。それで、今日の練習で……頭がゴチャゴチャしてしまって、あたし、感情が爆発してしまって……あの……あたしが……発達障害持ってるからなめないでって、健常者のお前達なんて簡単な人生歩んでるくせにって……言って、……相手に怒鳴らせてしまいました。
「……なんて言ってた?」
……そんなわけないだろって。……その言葉で、あたしも我に返って、言い過ぎたってすぐ思って……少し二人で話をしました。クレイジー君が冷静だったお陰で……あたしも、まあ、少し泣きながら、でも、ちゃんとお話が出来ました。……でも、彼の努力を、下に見てしまった発言をしたのは事実です。
「……ふむ……」
人によって努力は違います。努力し続ける健常者の貴女がいるのに、同じクレイジー君に血が上ってしまいました。だから、……ミランダ様があたしの頭を叩いてください。で、あたしが二度とそんなこと言わないように叱ってください。
「……わかんないね。あの坊や、なんでお前に気を持たすようなことしたんだい?」
ミランダ様、彼はただの女たらしなんです。あたし、わかってたはずなのに、彼の言葉を真に受けて勝手に浮かれてしまったんです。
「その好きな子ってお前のことじゃないのかい?」
彼に好きな人が出来たのは去年の話だそうで、あたし、クレイジー君と知り合ったのは最近なので、あり得ません。
「……そうかい。じゃあ、……違うんだね」
……はい。……違います。
「……その話、大袈裟に言ってるところはないかい? お姫様抱っこなんてされたのかい?」
……腰抜けてたら、……急にされました。で、その後、バイト先まで送ってくれて、……そこで、……ほっぺにキスされて……その帰りに、お姉ちゃんに誘拐されました。
「……なるほどね。そこに繋がるのかい」
大袈裟に言ってるところはあるかも……しれないんですけど……でも、あったことは事実です。脚色はしてません。
「あの坊や、犬の狂暴化事件の時に確かにお前の手を握ってたね」
あ、そうです。
「お前の頬にキスしてた」
そうです。
「そうだよね。……なのに他に好きな子は他にいるってのかい?」
本人にも確認しました。片思いを抱いてる相手はいて……あたしが思うに……アンジェちゃんだと思うんです。
「アンジェ?」
彼、アンジェちゃんの悪口をすごく言うんですけど、今日話してみて思ったのが……愛情の裏返しではないかと……。
「ということはお前に近づいたのは」
アンジェちゃんと繋がるため。
「……」
まあ、あたしの見解なので、……その、でも、あたしの知ってる人なんだと思います。あの態度から見ても。
「……あの坊やにはちゃんと女たらし行為をやめるよう言ったのかい?」
言いました。……あたしを誘った理由も訊いたんですけど、それはただあたしとやってみたかったからだと。
「……」
彼、すごい子なんですよ。ミランダ様。実は密かに魔法使いのお仕事も貰ってるそうで、査定試験さえ受けれていれば、デビュー出来たんじゃないかって、アーニーちゃんが言ってました。
「なんで受けなかったんだい?」
ああ、なんか当日お休みをして……その後も、マリア先生から受けるか訊かれたそうなんですけど断ったみたいで……。その理由は訊いてません。そこまで……踏み込んじゃ行けない気がして……。もしかしたら……彼はダンスコンテストで優勝を狙ってるのかもしれません。もし、本当に優勝したら、……査定なしでも、デビューが決まる可能性も大いにあります。本当に、そういうことがある大会だそうで。
「優勝を狙ってるなら、余計にお前を誘う理由がわからないね。お前、ダンスの才能なんてあったっけね?」
いいえ。ミランダ様。以前動画でもお見せした通り、あたしは生粋の素人でございます。
「それ以外の理由があるってのかい?」
らしいです。
「……お前、あの坊やと同じクラスだったこととか……」
いいえ。ミランダ様。あたし、彼とは本当に、最近です。学校祭の花火の練習をしてるくらいに初めて知り合いました。
「……」
ですから、ミランダ様、彼はホストなんです。女の子を喜ばせるのが好きな生粋の女好きなんです。あたしに触れていたのはあたしと仲良くダンスをして、優勝まで行きつく為、そのために煽って、あたしを試して、お陰であたしは幻覚魔法が使えるようになり、優勝に向けての練習を、今、出来てます。ここまでの流れを作ったのは彼です。これがもし計算だったのなら……アーニーちゃんやアンジェちゃんの言う通り、……相当、頭がいいと思います。
「……」
でも、その頭を生かすも殺すも、ミランダ様がいつも言われている努力次第です。彼は努力しているんです。ダンスの練習だって、あたしと何度も合わせてくれます。ミスは断然彼の方が少ないです。だから、そんな風だから、……なんだか馬鹿にされた気がして、惨めな気持ちになって、彼の努力を侮辱するようなことを言ってしまいました。あたしが悪いです。叩いてください。叱ってください。躾けてください。あたし、駄目なんです。いくら反省しても、痛めつけられないとわからないんです。ミランダ様に叱られたら、きっと治せると思うんです。お願いします。叱ってください。
「……お前の話しか聞いてないからね、それが全て真実とは限らないけども……人の努力を侮辱するのは、確かによろしくないね」
はい。
「顔上げな」
……はいっ。
あたしは瞼を閉じたまま顔を上げた。そして、ぐっと唇を噛み、これから来る罰に備えて身を硬くさせる。緊張と恐怖で体が震えて、握り締める両手に力が入る。ミランダ様の人差し指があたしの額に触れた。びくっと肩を揺らすと、ミランダ様が人差し指に力を入れて、ぐっとあたしの額を軽く押し飛ばした。頭が少しだけ後ろに下がり、また元の位置に戻る。あたしはさらなる罰を待った。しかし、ミランダ様の指はもう触れてこない。あたしは恐る恐る目を開けた。ミランダ様があたしの頭に手を乗せて、煙管を吸っていた。あたしはきょとんと瞬きした。ミランダ様が煙を吐いて、灰色の光を眺めながら言った。
「私の弟子なら人の努力を侮辱しない。努力する者がいれば敬い、それを横から手伝えるくらいの人となりなさい。わかったね」
……はい。……申し訳ございません。ミランダ様。
「ん」
……。……。……あの、
「ふー」
罰は、……今ので終わりですか?
「……お前の話を聞いてるだけだからわからないけどね、それがもし本当なら」
ミランダ様の魔力で、煙管が潰れた。
「私はお前よりも、その坊やをぶちのめしたいよ」
あたしは目を見開く。ミランダ様がそれはそれは静かに額に青筋を立たせ、右目をぴくぴくと震わせていた。潰れた煙管をぎゅっと握り締めると、粉となり、ミランダ様の手から落ちていく。
「完全に弄ばれてるじゃないのさ。ルーチェ」
あ……も、も、申し訳ございません! ミランダ様! あたしが馬鹿なせいでっ……!
「お前みたいに素直で人懐っこい女はね、男にとっちゃ美味い獲物だよ。簡単に扱えるから吸い取るもん吸い取ろうとしてんのさ。で、吸い尽くしたらとっとと本命に行くんだよ。そんな男が……」
部屋の家具が小刻みに揺れ始める。
「このミランダの
その瞬間、雷が轟いた。あたしは悲鳴を上げてミランダ様の膝にうずくまった。宙に上がった家具が地面に叩き落とされ、木製の棚にヒビが割れ、テーブルの上はゴチャゴチャに散乱し、本の山が地面に落ちた。しかし、それら全てがあたしに当たることはない。空気が静かになってから顔を上げて確認すると、あたしとミランダ様の周辺だけは清潔さが保たれていた。
そして――そっと――ミランダ様の優しい手が動き出し、優しく頭を撫でられる。
「男が悪い」
……ミランダ様。
「お前に気を持たせたそいつが悪い」
……ミランダ……様……。
「彼女になってって言われたのかい?」
……はい。彼の口癖でした。
「嘘はついてないね?」
ついてません。いつもそれを流してました。でも、やっぱり、……慣れてないので……嬉しくて……。
「そんな男はろくでなしだからやめておきなさい」
はい……。
「お前を好きであればその坊やの言動も理解できる。でも蓋を開けてみたら、他に好きな女がいるのに、お前にそんな口説き文句をたらたら言ってたってかい。なんだい。そいつ。最低だね」
ミランダ様……。
「お前は好きになってたのかい?」
……や、……恋人になりたいとか、そんな……おこがましいことは、思ってません。あたしは……、っ、……障害者ですし、……ただ、……寝顔可愛いとか、っ、言ってくれたのとか、嬉しかったなって、思ってたくらいで……。……ぐすっ。……でも、なんか、そんな、中身のない言葉だけで喜んでたんだなって思ったら……。
「そうだよ。そうやって大人になるんだよ。忘れちまいな。そんな軽率な言葉も、女たらしの戯言も」
う……ふぅ……ふぅ、うう……!
「お前は優しいから、悪い男の餌食になりやすいのさ。でも逆にそんな相手と駆け引きしながら行事に参加するのはこれまた良い経験になる。ルーチェ、参加する気はあるんだろう?」
もちろんです。っ、あたし、ぐすっ、ミランダ様に、最高の魔法をお届けするんです。
「ああ。楽しみにしてるからね」
ミランダ様の手があたしの頭をなで続ける。
「辛くなったら私がいることを思い出しな。いいね。お前の後ろにはこのミランダがいるんだからね」
ふぐっ、ぐすっ、ひぐっ、ぐすっ……!
「それでね、ルーチェ、これだけは覚えておきな。そのクソガキがまたとんでもないことを言ったら、拳で殴っていいからね。気にすることないよ。傷害事件になったらジュリアにもみ消してもらえばいい」
は、はい……! ミランダ様……!
「もう泣くんじゃないよ。女の涙は男に隙をつかれるんだよ」
はい、ミランダ様! ぐすっ、あたし、強くなります……!
「また幻覚魔法の練習に付き合うかい?」
っ、ぜ、ぜひ、ぐすっ、お願い、します……!
「明日からバイトだったかね?」
……はい。ぐす。でも、ぐす。帰ってからなら……いくらでも……。
「じゃ、お前が帰ってからでもやるかね」
はい……! ありがとう、ぐすっ、ございます……! ぐすん!
「今日泣いた分は、明日倍にして魔法で返してやりな。魔力なら用意しておくから」
……っ……今夜……っ……一緒に寝ちゃ駄目ですか?
「……今夜くらいはいいよ」
……ぐすん。
「また私の部屋かい?」
……ぐすん。
「はいはい。わかったよ」
ぐすん、ぐすんっ。
「最低な野郎だね。本当に。これだから若い男の子は駄目なんだよ。ほら、ルーチェ、顔を上げなさい。全く、間抜けた顔して。よしよし、もう。そんなに泣くんじゃないよ。お前の瞼が腫れちまうよ。さあ、瞼を閉じな」
(ミランダ様……大好きです……)
ミランダ様の指があたしの瞼に触れると、熱くなった瞼がひんやり冷えてきた。
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