第20話 気さくなクレイジー


「迷い犬をお探しの方はこちらで確認いたしますので、お並びください」

「ペットショップの方はこちらにお願いします」

「目が悪い人でも大丈夫ですよ。犬の記憶を魔法で見れますから」

「あ、あなた虐待されてますね。こらこら、逃げない逃げない。警察もいますからね。お話聞かせてもらいますよ。仕事がある? あ、大丈夫ですよ。明日の朝、警察があなたの職場に「犬を虐待されていた件について話を聞いている」と、きちんと連絡しますので」


 お縄になってる人が続出する中、家族である犬と再会し、涙を流す人もいる。しっかりその腕に抱き締めて、名前を呼ぶ。ボロボロであれば魔法使いが治癒魔法で癒した。迎えが来ない犬は、里親探しを協力してくれる団体が引き取る手続きをし、丁度犬を探していた人達が犬を引き取る機会となり、犬達はまるで何事もなかったかのように大人しくなった。


(わあ、やっぱ可愛いな……)


 大人しいシベリアンハスキーを撫でる。


「ね、アンジェちゃん、アーニーちゃん、この子、大人しいよ」

「目が綺麗」

「青い目してる」


 三人でシベリアンハスキーを撫でる。


「この子ペットショップの子?」

「ううん。農園で飼ってる子だって。い、い、今、飼い主が車で向かってるって」

「そっ」

「そうだよねー。体大きいから走り回れる環境がいいよねー」

「アーニーちゃん、犬飼ってないの?」

「実家で飼ってるよ! 黒い子と、白い子と、あと捨てられてたのを拾ってきた子!」

「あ、捨てたられてたんだ……」

「でもすっごい三人とも……あ、三匹とも、すっごく可愛いの。写真見る?」

「あ、見たい」

「アンジェの家もいたよね?」

「うん。ゴールデンレトリバー」

「え、そうなの?」

「うん。ダニエルとずっと一緒にいる」

「……犬って、会話しなくてもいいから……遊び相手にいいんだよね」

「ルーチェも飼ってるの?」

「もう死んじゃったけど、ミニチュア」

「ああ、そうなんだ」

「遊ぶ相手はあたしだったんだけど、……思ってたな。この子が話せるようになればいいのにって。そしたらか、か、かーいわが出来て、あの子の思ってることも、わ、わかるのにって」

「セーレム見てどう思った?」

「うーん。動物は会話出来ないからこその良さもあるんだなって、思ったかな」

「だよね」

「何々? セーレムって誰?」

「あ、ミランダ様の猫」

「え、ミランダ様の猫って喋るの!?」

「あの口うるさい奴ね」

「声はダンディーだよ」

「声だけね」

「君達、ちょっといいかい?」


 魔法警察が歩いてきた。あたし達はシベリアンハスキーを撫でるのを止めて振り返る。アーニーとアンジェの帽子を見て、魔法警察がきょとんとした。


「ああ、魔法使いか。三人とも身分証明書ある?」

「あ、はい」

「はい、どうぞ!」

「はい」

「はい、ありがとう。……」


 アーニーとアンジェの身分証明書を見て、魔法警察が表情を曇らせた。


「18歳未満だね。駄目だよ。この時間に外に出ちゃ」

「今年18です」

「10月で18歳だけど残念だね。今日はまだ夏だ」

「来れる人は来てくださいってメールが飛んできたんです!」

「緊急事態だったので」

「君は19歳だね。君は大丈夫」

「はい」

「メール見せてくれる? どこの事務所だい?」

「これメールです!」

「第13ヤミー魔術事務所です」

「ほら、見てごらん。18歳未満はメールを無視するよう記載されてる」

「緊急事態だったんです!」

「魔法使いに年齢とか関係ないと思います」

「関係あるから我々がいるんだよ。親御さんに迎えに来てもらうからね」

「箒で帰れます」

「私、寮なんです! 保護者になる人って言ったら、寮の先輩しかいません!」

「だったら保護者になる人に迎えに来てもらおう。君は実家?」

「……実家です」

「じゃあ、親御さんに……」

「……あの……」


 あたしが声をあげると、魔法警察があたしを見た。


「一応、その、あたしが……責任者ってことで、送り届けるじゃ……駄目ですかね?」

「うーん、保護者じゃないからね」

「そうですよね。でも、あの、一応、その、あたしよりも大人もいるので……」

「ん? 大人?」

「ええ。その……魔法使いの方で、い、い、今、空で状況を見ているので、し、し、しばらくしたら戻って……」

「あ、兄ちゃんいた! ちょっすー! 仕事お疲れぇー! あ、事情聴取中? ひゅー! 兄ちゃん、ちょーかっけーじゃーん!」

(ん?)


 アーニーとアンジェとあたしが振り返った。すると、コンビニの袋を持ったクレイジーがダルンとした服装で立っていた。あたしと目が合った瞬間、目を瞬かせる。


「あれ? ルーチェっぴ?」

「あ」

「あー! クレイジー君だ!」

「うわ、アーニーじゃん。あれ? なんでここにいんの?」

「わんちゃんお散歩脱走事件を食い止めていたんです! えっへん!」

「え、てかさ、お前まだ16じゃね?」

「来月17になるから!」

「つまりまだ16っしょ? えー、悪い子じゃーん」

「来月17になるからいいの!」

「ユアン、知り合いか?」

「去年クラス一緒だった子ー。で」


 クレイジー君がアーニーに指を差し、アンジェに指を差した。


「今年の学祭で一緒にパフォーマンスやった人ー、で」


 歩いてきて、あたしの隣に立った。


「ルーチェっぴ」

「……あー。この子か!」

「そうそう。ダンスの」

「あー、まじか。あ、いやー、弟が世話になってます」

「……」


 あたしはクレイジーを見上げた。


「本当にお兄さん?」

「一番上の兄ちゃん」

「お巡りさん?」

「そう。魔法警察」

「リベル・クレバーだ。……全く、お前も隅に置けないな」

「俺っち、やるっしょ?」

「ああ。はいはい。そうだな」

「はい、これ例のブツー」

「ああ、ありがとう」


 クレイジーがコンビニの袋をリベルに渡した。夜食のようだ。


「あー、そっか。アーニー達まだ18歳未満だから指導してたってこと?」

「そういうこと。今保護者に連絡しようとしてて」

「あ、その、一応、あの、いる……から……連絡は……」

「ん? 何? ミランダいんの?」

「ん? ミランダ?」

「っ」


 やめて言わないで! ――と言う前に、クレイジーが口を動かした。


「ルーチェっぴの保護者だよ。血は繋がってないけど、もう何歳くらい? 三十いくつとか?」

「ああ、そうなのか」

「ん。一緒に来てるんでしょ?」

「……うん」

「じゃあ、ミランダに送ってもらえばいいよ。アンジェ・ワイズとも付き合いあるだろうし、ミランダが送りますって連絡だけ回したら?」

「……まあ、そうだな。大人がいるならいい」

「ミランダが戻って来るまで俺っちここにいるから、兄ちゃん、別の仕事してなよ。他にも迷子とかいっぱいいるだろ?」

「まあな」

「じゃ、そっち優先ってことで」

「わかったよ。じゃあ、お前に任せるからな」

「ういっすー!」

「ああ、もしもし、魔法警察のクレバーと申します……」


 リベルが歩きながらアーニーの寮と、アンジェの家に連絡を始めた。見上げると、クレイジーがあたしを見て、ウインクした。


「ミランダって人、何人いると思ってるの? ルーチェっぴ」

「……ありがとう……」

「別にー? 知られたら色々面倒くせーもんなー」

(なんか、こういうフォローしてくれるところ……ちょっとかっこいいんだよな……)


 うわ、なんか夕方のこと思い出してきた。緊張でぶわっと鳥肌が立つと、アーニーが首を傾げた。


「ねえ、ダンスって何?」

「ん? ダンスって、あれだよ。ダンスコンテスト」

「え、クレイジー君が出るの?」

「そう。ルーチェっぴと出るの。あ、学校同じだからBステージ見に来れるんじゃない?」

「えーーー! なんでそういうこと教えてくれないの!? ルーチェ、Bステージいつ!?」

「あ、え、えっと、二週間後……?」

「そうそう。再来週の日曜日」

「うん」

「えー! 絶対行く! アルバイト休んで行くよ! ルーチェ、教えてよ!!」

「友達呼んでいいんだっけ?」

「ルーチェっぴ、Cステージ最後までいたのに知らねーの?」

「……そんな話してたような……」

「同じ学校の人であれば呼んでいいんだよ。むしろ、そうしないとステージ盛り上がらないから」

「あ、そっか。Bステージは観覧者有りだっけ」

「そうそう」

「そっか。……アーニーちゃん、来てくれる?」

「行く!!!!」


 アーニーがあたしを抱きしめた。


「絶対行く!!!」

「ありがとう。頑張るね」


 チラッとアンジェを見る。


「……アンジェちゃん」

「……仕事が入らなかったらね」

「……アンジェちゃん……」

「仕事が入ったら無理だけど、……ちょっとマネジメント部の人に聞いてみるよ」

「あれ? アンジェ、なんか近いうちにイベントの司会の仕事あるみたいなこと言われてなかったっけ?」

「あー、なんか二週間後に学校のイベントの司会があるみたいな……」


 二人がはっとした。


「「それじゃん!!」」

「司会やるの? す、すーごいね!」

「ちょっと確認してみるよ」

「え、司会ならさ、最悪見れないんじゃない? 待って。私、純粋に席に座って見たいんだけど!」

「こればっかりはしょうがないよ。高確率でダンスコンテストの司会だろうけど、別のイベントかもしれないし。そこは確認してみないと」

「ルーチェが踊るんだよ!? アンジェは見たくないの!?」

「誰も見たくないとか言ってないでしょ! 仕事が入ったら見たくたってそっち優先にしないといけないじゃん!! 私だってルーチェの踊るとこ、見たいよ!!!!」

「ど、どうどう……」

「それにしてもびっくりしたー! ルーチェとクレイジー君って知り合いだったんだね!」

「あ、その、学校祭とか、保健室まで運んでもらったから……」

「クレイジー君すごいでしょ!」

「ん?」

「クレイジー君の言ってる事全部その通りにな……」


 ――アーニーの周りに蔓が伸び、一つの牢屋を作り出した。アンジェとあたしがぎょっとし、アーニーが悲鳴を上げた。


「うわーーーー! 何これぇー!!」

「ぎゃははははは!」

「ちょっと、クレイジー君! やめてよー!」

「やっば! ちょーウケるんですけど!」


 クレイジーの手には杖が握られている。


「ぎゃはははは!」

「うえーん! ルーチェ! 閉じ込められちゃったよー!」

「く、クレイジー君! やめてあげて!」

「いや、見てみ! あれ、ルーチェっぴ! 動物園にいるウサギみたい!」

「ひぎっ!? ウサギ!?」

「ぎゃはははははは!」

「ウサギは嫌ぁぁーーーー!!」

「クレイジー君!」

「はいはい。解除するってば。もー。冗談通じないっぴなー」


 蔓が地面に戻って行った。アーニーがすかさずアンジェに抱き着いた。


「ウサギ嫌ぁーーーーー!!」

「ユアン・クレバー」

「はいはーい。ごめんなさーい。ひひひ! ほんの悪戯じゃん。こんなの」

「やっていいことと悪い事があるのよ」

「ワイズ先輩はまた司会やってくれるんすね! いやー、ありがてーっす! まじ頼みますわー!」

「……」

「アーニーも頼むな」

「ウサギ……怖いよ……ウサギ……」

「ルーチェっぴ、ミランダいつ来んの?」

「あ、……ん……今、多分、状況か、確認してると、思うから……もうしばらくか、か、かかるかも……」

「ふーん。そっか。……明日ちょっと集合時間遅らせる?」

「え?」

「この時間だし、今から帰って起きるのしんどくね?」

「……いや、大丈夫だよ」

「そ?」

「うん」

「じゃあ、いつも通りな」

(……なんか、夜のクレイジー君、雰囲気違う)


 いつも昼間の彼を見ているせいだろうか。


(なんか、ちょっと、色っぽい)

「ん? 何々? すごい見てくるじゃん。え、何? 俺っちの顔なんかついてる?」

「え、見てた? ごめん」

「ううん。別に」

(んっ)


 アンジェとアーニーが固まった。


「もっと見ていいよ」


 クレイジーがあたしの額と自分の額を重ねてきた。


(ふぁっ!!!??? 何!? 顔近くね!!!???)


「どー? かっこいいー?」

「だっ、なっ、ばっ、まっ……!?」

「なんかルーチェっぴ良い匂いしね? これ香水?」

「は? こ、は? へ?(あ、お姉ちゃんかな。すごい抱きしめられたし)」

「ねえねえ、もっと近づいてみる?」


 唇が、


「俺は良いよ?」

「や、あの、く、クレイジーくっ……!?」


 重な――



「あーーーーー見つけたーーーーー!」



 ――る前に、誰かが走って来る音が聞こえた。


「良かったーーー! うふふーーー! 見つけちゃったーーー!」


 地面を飛び、壁を蹴り、狙いを定める。仮面越しから紫色の瞳が光る。包丁が輝く。アンジェがはっとした。アーニーが顔を青ざめた。クレイジーに一直線に向けられる。あたしはその姿を見つけて、目を見開いた。


 狙いを定めたジュリアが真っ直ぐ包丁を下ろす。


「この泥棒ギツネ」


 低い声が囁かれた直後――クレイジーが急にしゃがみこんだ。


「あ、なんだこれ」

「っ」

「わー! アンジェ!」


 ジュリアの包丁が避けられた。アーニーが悲鳴をあげた。アンジェが唖然とする。あたしは血の気が引いたまま無音で悲鳴を上げる。クレイジーが落ちてたものを拾った。


「あ、五ワドルじゃん。ルーチェっぴ、見てこれ。拾っちゃった。兄ちゃんに届けねえと」

「く、く、クレイジー君……あの、あ、う、う、うし……」

「あ、てか今こそダンスの練習じゃね? ルーチェっぴ、暇潰しにやろうよ」

「い、いや、す、すぐに……」


 避けられたジュリアがふらりと体を起こした。その目には殺気が放たれている。


「に、に、にげ……」

「ふぁいぶー、しっくすー、せーぶん」


 ジュリアがとんでもない速さで包丁を刺した。クレイジーの足が動いてそれを避けた。


「えいと」

「わあっ!」


 あたしの手を取り、くるんと回った。ジュリアが狙いを定め、後ろから飛びついた。


「やー、やっぱさ、初期より全然踊れるようになったよなー」

「く、クレイジー君! 危ないから! 逃げっ!」


 包丁が振られた。倒したあたしを支えるためクレイジーが上半身を前に倒した。避けた。起き上がる。あたしを再びくるくる回す。


「やっぱルーチェっぴ誘って正解だったよ。今年の夏休みちょー楽しいもん」

「あばばばば!」

「あははは。ルーチェっぴ、ちょー回ってるぅー」


 喋ってる間にもジュリアが包丁を振り回している。しかし――クレイジーはそれを全て避けている。まるでわかっているように。


「ま、待って、ちょっ、待って!」

「あ、回しすぎ? 俺も回ろうか?」

「じゃなくて、うしっ!」

「え? 俺っちと付き合いたい?」

「違う!」

「えー? まじぃー? 俺っちまたフラれちゃったぁー。ルーチェっぴ、まじでガード緩いと思ったらガチガチの鉄壁じゃん」

「う、うしっ」

「そういうとこ好き」

「はっ?」

「でも、やっぱあれかなー? ルーチェっぴに近付くなら、マイナスから持っていくんじゃなくて、もう少しこねた作戦を立てるべきだったかなー」

「ジュリアさん! この子は一般人です!」

「人って不思議だよなー。苦手と思ってる人ほど仲良くなった時、すごく距離が縮まりやすくなる。煽って、凹ませて、褒めたら、人間は案外コロっといくはずなんだけど。ルーチェっぴにはちょっと刺激が足りなかったみたいだっぴねー」

「こいつ××××××××××××す!!」

「あーーー! ミランダ様! 早く来てぇー!!」

「じゃあ次はどうしようかな」

「クレイジー君! うしっ」

「なんだってそうだ。物事を行う際には必ず勝利を目指さないといけない。作戦は立てないと。調べて、情報を得て、絶対に敗北しないような、完璧な」


 あたしの体が後ろに倒れた。それをクレイジーが支えて、距離が密着する。


奇策きさくを考えるんだ」


 気さくなクレイジーがあたしに微笑んだ。


「でもたまにはストレートさも大事。ルーチェっぴ、俺っちの彼女になる?」

「……それはいいってば」

「あー、まだ好感度足りない感じ? そっかそっか。じゃ、相方、Bステージ頑張ろうね」

「……えっと……」

「離せぇーーーーーーーー!!」


 ジュリアが部下達に引きずられていく。


「あの狐だけは許してはいけなーーーーーーーーい!!」

「ジュリアさん!」

「一般人に何してるんですか!」

「私のルーチェに! 間抜けちゃんに! よくも近付きやがって!! あのピュターーーーーーーン!!」

「調査にお戻りください!」

「みんな待ってますよ!」

「メーーーーーールドォーーーーー!!!!」


 体を起こしたクレイジーがようやく振り返った。


「うわ、何あれ。魔法調査隊じゃん! しかも一軍じゃん! ひゅー! 初めて生で見た! ちょーかっけー!」

「うぎゃぁぁーーーーーーーーーーーーー!!!!」

「ルーチェっぴ! あの仮面つけてるの、ジュリア・ディクステラじゃね!? やっべー! ちょーいかしてるぅー!」

「……」

「ん? どした?」

「……寿命が縮んだと思って……」

「え、なんかあったの?」

「んー……」


 その時、黒い影が空から飛んできた。


(あ)


 振り返る。ミランダ様が下りてきた。


「ミランダ様」

「……なんだい。ジュリアの奴、何をあんなに暴れてるんだい」


 ミランダ様があたしを見た。横にクレイジーが立っている。緑色の髪の毛を見て、あたしの手を握っているのを見て、ぴんと来た。


「ああ、そういうことかい」

「ミランダ様、あの、クレイジー君です。相方の……」

「ああ、どうも」

「クレイジー君、あの」

「ミランダ・ドロレスっしょ? やべー。本物じゃん!」


 ミランダ様がじっとクレイジーを見た。


「え、てか、めっちゃ綺麗じゃね!? 写真で見るよりちょー美人じゃん! しかもちょー若ぇー! 20代でも通じるじゃん!」

「ちょ、クレイジー君、っ、そういうの、本当にやめて」

「つーかさ、ミランダ様って感じじゃないよな」

「はえ?」

「ミ ラ ン ダ ち ゃ ん って感じじゃね?」

「ミ ラ ン ダ ち ゃ ん ?」

「うん! しっくりくる! しっくりくる! 俺っち、これからミランダのことミランダちゃんって呼ぶわ!」


 ――あたしの脳から、糸が切れた音が聞こえた。


「ミランダちゃん! ういっす! 俺っち、ユアン・クレ……」

「ねえ」


 クレイジーが口を止めた。


「やめろって言ってるの、聞こえない?」


 あたしを見たクレイジーが黙った。


「クレイジー君は、何? 魔法使い?」

「……やー」

「学生だよね?」

「……あー」

「まだ、学生だよね?」

「……あ、まあ」

「失礼過ぎない?」

「いやー……」

「失礼なんだよ。お前」

「……んー」

「ミランダ『様』だから」

「……あー」

「『様』つけろ」

「……あ、うん」

「あ?」

「あ、いや、うん」

「わかった?」

「うん。わかった」

「二度と『ちゃん』付けすんなよ。お前が『ちゃん』付けしていい相手じゃないんだよ」

「あ」

「まじで」

「ま、あ、うん」

「いい?」

「わかった」

「謝れよ」

「……すんません」

「……も、も、申し訳ございません! ミランダ様! た、た、大変、し、失礼致しました!」


 クレイジーと一緒に頭を下げると、ミランダ様が吹き出した。はっとして顔を上げると、ミランダ様の体が震えている。


(ま、まさか、お怒りで……!?)

「も、申し訳ございません! ミランダ様!」

「……。……。いや、……、……っ」

「み、ミランダ様が怒ってる……!!」

「ルーチェっぴ、ミランダちゃん笑ってない?」

「ちゃん付けすんなって言ってんだろ!」

「やっぱりお前……パルフェクトの妹だね……くっくっくっ……」

「めっちゃ爆笑してるじゃん」

「ああ、ミ、ミ、ミーランダ様、ど、どうかお許しを!」

「……くくくっ。ルーチェ、ボーフレンドにお別れ言っておいで」

「か、かしこまりました!」


 あたしはクレイジーに振り返った。


「というわけだから、また明日ね。クレイジー君」

「ん。じゃあね。ルーチェっぴ」


 ――クレイジーがあたしの頬にキスをした。


「っ」

「また明日ねー」


 すぐに離れ、ひらひら手を振りながら笑顔のクレイジーが去っていった。あたしは

 ミランダ様に振り返った。ミランダ様が――にやにやしていた。


「……あの、……違います」

「ああ、そうかい」

「ちが、違います……。付き合ってません……!」

「顔が真っ赤だよ。ルーチェ」

「ま、ま、真っ赤なんかじゃ、あり、あり、ありません!」

「ああ、ああ、そうかい。……ま、Aまでなら良いんじゃないかい?」

「……? ミランダ様……えー、ってなんですか?」

「え?」

「え?」

「……Aがわからないのかい?」

「え」

「アンジェ」

「はい?」

「お前ABC知ってるかい?」

「は? なんですか急に。アルファベットがどうかしたんですか?」

「……っ!」


 ミランダ様が、目を丸くした。


「今の時代は、ABCが通用しないのかい!?」

「A、B、C……検索……。ん? お店の名前しか出て来ない……」

「ルーチェ、『ABC』『意味』で検索してみたら?」

「あ、そっか。なるほど。……あ」

「わあ! 何これ! 『昔』流行った恋愛の隠語だって! 初めて知った!」


 アーニーの言葉が刃となり、ミランダ様の胸に深く刺さった。


「Aがキス。Bがペッティ、……ペッティーングって何?」

「あれよ。ルーチェ。挿入しないやつ」

「あー、なるほど」

「てかこんな言葉使う人見た事ないんだけど」


 アンジェの言葉が刃となり、ミランダ様の心臓に深く刺さった。


「で、でも、ミランダ様が使っているという事は、す、す、すごーく、大事な言葉なんだよ! ですよね!? ミランダ様!」


 あたしの言葉がとどめを刺した。ミランダ様が血を吐いた。


「げふっ!!」

「ああ! ミランダ様!」

「はあ。疲れた。師匠、家まで送ってくれますか? 私達連絡行っちゃってるみたいで」

「アンジェ! 大変だよ! ミランダさん、なんか胸を押さえてるよ!?」

「ああ、大丈夫。いつものことだから」

「そうなんだ! じゃあ大丈夫だね!」

「なんてお労しいお姿に! ミランダ様、しっかりしてください!」

「私も……年を取ったって事かね……うぐ……」

「あー! ミランダ様ー! 大丈夫です! ミランダ様はいつだってお美しいです!  年齢なんて関係ありま……あーー! ミランダ様ーーー!!」


 あたしの遠吠えが、夜の街に響いた。














「ジュリアさん、一般人に包丁向けるなんて、何考えてるんですか!」

「あのクソガキを知らないからそんなことが言えるんです」


 ジュリアが部下に隠し撮りさせた写真を握った。


「お前、この写真を見て、違和感を感じませんか?」

「え、えーと……違和感というのは……」

「このガキが見ている方向です。間抜けちゃんはこの狐を見てますけどね、狐の視線はこっちを見てるんです」


 その方向には、


「どうやら居眠り運転しそうな車があったそうで」


 部下の報告によると、信号待ちしている時に少しぼんやりしていたそうです。瞼を閉じてははっとして、瞼を閉じてははっとして、曲がる所を曲がれず、またその道路を走ろうとカーブを始めた。


「そしたらどうですか? このガキは。それを見てなぜか大股で歩き出したというじゃないですか。間抜けちゃんもそれについていった。そして何が起きたと思います?」


 間抜けちゃんが青信号で渡ろうとした時に、その車が走ってきた。


「その状況とタイミングをわかっていたように、このガキは杖を握ってた」


 緑魔法で植物を生やし、車を持ち上げ、間抜けちゃんを守ったように見せた。


「怖い思いをして、完全に油断した間抜けちゃんに」


 キスをしやがったんですよ。あのピュタンは。


「計画的であったとしか思えません」

「ジュリアさん、偶然ですよ。運転手は二人と知り合いでないと伺ってます」

「いいえ。計画です。彼の頭の中で瞬時に計画を立てたんです。彼はね、相当な策士ですよ。はは。魔法調査隊に欲しいものですね。その頭脳を活用して、間抜けちゃんに近付いたということです」

「何の為に?」

「決まってるでしょ!」


 ジュリアが怒鳴った。


「間抜けちゃんの崇高なる処女を、奪う為ですよ!!!」


 部下が哀れみの目をジュリアに向けた。


「男が女に近付く時! 99.9%! 体が目当てなんです! あの子は純粋だから! 間抜けちゃんだから! 騙されるのも時間の問題! いいですか! 引き続き間抜けちゃん盗撮部隊の活動は必須です! 肝に銘じておくように!」

「ジュリアさん、訊いてもいいですか?」

「はい。なんでしょう?」

「うちは公私混同って禁止ではありませんでしたか?」

「禁止ですよ? 何言ってるんですか? 仕事は家に持ち込まないように。そして、会社にも持ち込まないように。我々のやってることはスパイ同然です。様々な仮面を被れるよう準備をお願いします。肝に銘じておくように」

「あ……はい……」

「ああ! 間抜けちゃん! 私が絶対守ってあげますからね!!」

「あの、魔法石の回収が終わりましたけど……」

「ああ、先に戻ってくれ」

「あっ、……わかりました」

「はあ、間抜けちゃん! はあ! 間抜けちゃん!! 私の間抜けちゃん!! ぶっちゅぅううう!!」


 ジュリアが写真に写った愛しい子に濃厚なキスをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る