第19話 ワンちゃんお散歩脱走事件


「えーーー! ただいま、西区域やまびこ広場前では、外に脱走した犬達が走り回っている模様!」

「うちのマギーがどこかに行っちゃった!」

「あなた! みーちゃんが急に襲ってきたの!」

「店長、店の犬の様子がみんなおかしいです!」

「普段はとても可愛いワンちゃんですが、今夜はかなり凶暴です! くれぐれも見かけた方は近づかず、速やかな避難を……」

「あっ! 先輩! 後ろ!!」

「え?」


 がぶ!


「ぐあーーーー! 何しやがる! クソ犬ー!! 俺は肉じゃねぇーーー!!」


 人々が逃げ惑い、建物の中に避難する。しかし目のおかしな犬はそれを追いかけ、狼の如く人に噛みついていく。


 父親と子供の手が離れた。子供が転んだ。父親が振り返った。子供が振り返った。3匹の犬が一気に子供に向かって歯を向けてきた。子供が悲鳴を上げた。


「火よ!」

「水よ!」

「「包み込め!」」


 火が壁を作り、水が子供を包んで父親の腕の中へと運んだ。父親が子供をしっかり抱き締め、前に立った二人を見た。


「ここは食い止めますから!」

「避難してください!」

「で、でもっ」


 子供を抱きしめた父親が叫んだ。


「その子も家族なんだ!」


 目のおかしな犬が吠えた。アーニーとアンジェが杖を構えた。


「大丈夫です! 怪我はさせませんから!」

「原因を突き止めて必ずお返しします! なので今は!」

「わ、わかった!」

「行くよ! アンジェ!」

「いつでも! アーニー!」


 火と水が杖から放たれ、犬達を隅へと追いつめる。その様子を、アルバイト先では気前の良い先輩と呼ばれる記者がカメラを向けた。


「おー! アンジェ・ワイズとアーニー・アグネスだ!」

「先輩! 逃げますよ!」

「ふざけんな! こんな珍しい場面で逃げられるか! わざわざこの取材のためにバイト早上がりしてきたんだぞ!」

「でもこっちから犬がーーー!」

「ワンワンワン!」

「行きますよ! 先輩!」

「くそー! 会社から箒を持ってくるんだったー!」


 記者がカメラを空に向けた。すると、鋭い流れ星のような影が見えて、記者がはっとした。


「あっ!」

「え、なんすか! 先輩!」

「今の!」


 記者が振り返った。


「ミランダ・ドロレス!?」


 ミランダ様が箒を止めた。空から現場の様子を観察する。ミランダ様だけではなく、他の魔法使い達も続々と箒で飛んで集まって来る。ミランダ様が何かを見つけた。杖でその方向を差す。


「注目!」

 はい!

「犬達が様々なところから人を襲っている。しかし不自然な点がある」

 なんでしょう。ミランダ様。

「犬以外の動物はみんな大人しい。怯えて小屋の中に隠れている」

 ……あたしの目では見えません。

「私にだって見えないよ。でもね、命あるものには生気が宿る。魔力に似たものさ。それを感じ取ればわかる。犬以外の動物達は完全に怯えている」

 犬のみが狂暴化しているということですか? 狂犬病の一種とか。

「狂犬病ね。それもあるかもね、だが、病じゃなければどうだろうね?」

 どういうことですか?

「魔法石の影響とかね」

 ……。

「ルーチェ。狂暴な犬は処分した方が良いかね?」

 ミランダ様、あたしは猫派ですが、犬も嫌いじゃありません。むしろ実家では犬を飼ってました。ミニチュアダックスフンドです。彼の遊び相手はあたしでした。外のお散歩に連れて行くのもあたしでした。他の面倒は家族が見てましたが、体を動かすことは全部あたしがやってました。涙を流せばその涙はその子が舐めてくれました。学校に通ってる間に実家で亡くなりましたが、本当に可愛かったです。人間じゃなかったけど、一匹の弟でした。犬はいつだって友達にもなれて、家族にもなれます。処分だなんて、物みたいに扱ってはいけないと思います。

「そうだよ。例え種族が違くとも、犬だって尊い命を宿ってこの世に生まれてきた。一斉に処分した方が楽だろうけど、ルーチェ」

 また以前のように、空からやりますか?

「お前がいたら私が満足に魔法が使えないじゃないか」

 ……え?

「注目」


 ミランダ様が杖で別の方向を差した。そこにはアーニーとアンジェが魔法をかけて犬を端に追い詰めていた。


「この騒動を収められそうな魔法で、一つ試してみたいのがあるんだがね、ルーチェ、その魔法は結構時間がかかるんだよ。……あいつらと同じように、時間を稼げるかね? 私の弟子ならば」

 ……あたし一人ですか?

「可愛い子には旅をさせよ。獅子の子落とし……ってね」

 ……わかりました。


 時間を稼ぐだけなら、あたしでもできる気がする。


「すごい魔法を期待してます。ミランダ様」

「ああ。期待してな。いけるかい?」

「はい」


 あたしは杖を構えた。


「いつでもどうぞ」


 ミランダ様が箒を急降下させた。強い向かい風が吹く。犬達が吠えた。風が吹いた。犬達が足に力を入れて堪えた。あたしはその場に着地した。ミランダ様が一人で空高く飛んでいく。あたしは杖を構えた。犬達が顔を上げた。走ってきた。


(大丈夫!)


 マインドコントロール。あたしは、落ち着いて魔法を操れる!


「光よ」


 杖が薄く光る。


「星のように輝き、希望となりて、恋が生まれ、盲目となれ!」


 光の弓矢が現れた。キューピッドのあたしは弓矢を引いた。駆け出した犬達に目掛けて矢が放たれていく。光に眩んで盲目恋の虜になった犬達が喚く。遠吠えをする。他の犬達が集まってきた。次!


「星よ! 天の川となりて、銀河の光を流したまえ!」


 あたしの杖から光が放たれた。その光が夜空の星に当たり、天の川になってお願いしますと頼み込んだ。すると優しい星は「仕方ねえな。ちょっとだけだぞ」と言って仲間を呼んだ。星が集まり、定位置に移動した。すると星達が輝き空は銀河となり、一本鉄道が敷かれ、列車が通った。友達の命を助けた子供が手を振った気がした。列車が通り過ぎると、レールがドロドロに溶けていき、光の水となり、それが大量に流れ始め、やがて川となった。天の川が流れて来る。銀河の光が襲い掛かる。大量の犬達を覆う。目が眩しくなって、犬達はみんな目を閉じた。何匹か遠吠えをした。天の川が過ぎ去ると犬達は気絶していた。しかし、新たな犬達がやって来る。


(思ったよりも数が多い)


 さあ、どうする。ルーチェ。逃げる選択肢はない。ミランダ様にここを任されてる。その責任を全うしなければいけない。


(ミランダ様が言ってた)


 考えるんだ。


(どうしたら自分が犬達を食い止められるのか)


 ただ魔法を使うだけでは駄目だ。このままでは魔力をひたすら消耗するのみ。


(考えろ)


 犬達が走って来る。


(思い出せ。何かあるはずだ。あたしは夏休みに入ってから、魔法使いになる為に何をしてきた)


 ダンスの練習をした。

 発声の練習をした。

 魔力の調整を練習した。

 なぜ。


 幻覚魔法を使う為。


「……」


 あたしは瞼を閉じた。集中する。犬達の荒い息と足音が聞こえてくる。心臓がどきどき鳴っている。大丈夫。あたしになら出来る。その準備をしてきた。雨の中、泥まみれになりながら、ちょっと待ってくださいも言えない状況下で、あたしは練習した。繰り返した。犬達がやってくる。噛みつこうとあたしに向かって走ってくる。ならば、ならば――。


「諸君」


 さあ、――魔法を始めよう。


Shall we Danceあなたとあたしで踊りましょう?」


 あたしは杖を振った。


「地面よ風よ、姿を変えよ。我の思う通りの姿となりて。頭を見よ。思考を見よ。我はこの姿を求める」


 ――犬達が異変を感じて急に足を止めた。それはそうだ。だって地面がコンクリートではなく、泥になっているのだから。


 一匹が足を取られた。もう一匹も足を取られた。泥が犬達を引きずり込んでいく。犬達が悲鳴を上げるように鳴き始めた。遠吠えをする。遠くからも犬達が走ってきたが、やはり泥に足を取られ、どんどん引きずられていき、みんな泥の中へと沈んでいった。


「草よ土よ、姿を変えよ。我の思う通りの姿となりて。頭を見よ。思考を見よ。我はこの姿を求める」


 泥に沈められた犬達が地下に落ちた。動物の習性なのか、綺麗に着地をすることに成功した。しかし、ここは妙な感じがした。だって、暗闇なんだもん。一つ。スポットライトが落ちた。犬達は警戒した。あたしが指揮棒を持っている。犬達は思い出して、自分達の配置についた。あたしは指揮棒を犬に差して、指示をした。


「ワン(ド♪)」「ワン(レ♪)」「ワン(ミ♪)」「ワン(ファ♪)」「ワン(ソ♪)」「ワン(ラ♪)」「ワン(ファ♪)」「ワン(ミ♪)」「ワン(レ♪)」「ワン(ド♪)」


 犬のおまわりさん。困ってしまって、わんわんわわん。わんわんわわん。

 犬達全員、混乱していて、わんわんわわん。わんわんわわん。

 犬達全員、動転していて、わんわんわわん。わんわんわわん。


「声よ風よ、姿を変えよ。我の思う通りの姿となりて。頭を見よ。思考を見よ。我はこの姿を求める」


 犬達の鳴き声から音符が物体となって現れた。音符が犬達の周りをくるくる回り始めた。犬達の目がくるくる回り始めた。音符酔いした犬が嘔吐して気絶した。犬が遠吠えをした。その遠吠えからも音符が現れ、遠くからやってきた犬にめがけて降ってきた。犬達が潰された。しかし、潰されてはいなかった。潰されたような感覚になった犬が体を起こした。


「闇夜よ闇よ、姿を変えよ。我の思う通りの姿となりて。頭を見よ。思考を見よ。我はこの姿を求める」


 暗闇が歪んだ。犬達が警戒し、ぐるる……と唸り始めた。しかし、闇が笑い出す。犬達が噛みつこうとした。だがね、無理だよ。それは闇だから。犬達は哀れ。闇に噛みつくことは出来ない。だって闇は存在して存在しないもの。まるでこの幻覚魔法のよう。犬達は見事に闇に翻弄される。そう。これこそが闇。これこそが暗闇。これこそが幻覚。楽しくなってきて、私は歩き出す。


「闇よ影よ、姿を変えよ。我の思う通りの姿となりて。頭を見よ。思考を見よ。我はこの姿を求める」


 狂った犬達はとうとう闇に怯えだす。それでいい。それがいい。


「闇よ夜よ、姿を変えよ。我の思う通りの姿となりて。頭を見よ。思考を見よ。我はこの姿を求める」


 闇が蠢く。主の命令に従う。


「ヤミヤミ」


 影が動く。


「犬どもよ」


 手が伸びる。


「肉だるまとなって滅びなさい」

「「ルーチェ!!」」


 両肩を引っ張られて――あたしははっと目を開く。


「お待たせ!」

「ルーチェ、副作用になってない!?」


 アンジェとアーニーの顔を見て――安心したのか――幻覚魔法が解けた。泥は消え、オーケストラは消え、音符は消え、闇だけが残る。二人があたしの前で杖を構えた。


「ルーチェがいるってことは師匠もいる! でしょ!?」

 ……。……。……うん!

「ならあとは時間の問題ね!」

「でも、アンジェ、今の時間は何とかしないと!」


 犬が走ってきた。


「ほら、また来たよ!」

「とりあえず三人いればどうにかなるでしょ! 他の魔法使いも色々やってくれてる!」

「でも私も結構魔法使っちゃったから!」

「あとでマリア先生から魔力貰えばいいでしょ!」

「その前に副作用になっちゃうよ!」

「副作用になったってアーニーは死なないから大丈夫!」

「酷い! 大丈夫じゃないよぅ!」

「ルーチェ、師匠はどこ!?」

 ミランダ様は、空で魔法を使うって……。

「は? 空で魔法?」




「星よ」


 アンジェが空を見上げた。


「風よ」


 アーニーが空を見上げた。


「闇に覆われし獣を眠らせたまえ」


 空に、たった一人の魔女が呪文を唱える。


「夢よ、愛よ、獣に安らぎを与えたまえ」


 沢山の魔法使いが犬に杖を向ける中、その魔女は杖を構えず、犬のおもちゃを持っていた。


「草原で走り、家で甘え、家族と共に、幸せな生を過ごすため、今は寝る時」


 あたしが空を見上げた。


「光よ」


 ミランダ様が唱えた。


「意識を飛ばせ」




 犬のおもちゃを投げた途端――それが爆発し、とんでもない光が町を包んだ。




 犬達が叫んだ。眩しくて人々が目を閉じた。魔法使い達も驚いて目を閉じた。アンジェが腕を顔の前に出した。アーニーが両手で両目を隠した。あたしは目を開けたまま、瞬きもせず、その光を見つめる。凄まじい。美しい。綺麗。圧倒される。押し潰される。感動する。涙が出てくる。その光が嫌なことを全て消え去るように、希望となって、愛となって、この身を優しく包んでくれるような気がして、星のように輝く光を見つめる。綺麗。なんて綺麗な光なのだろう。記憶に刻まれる。この記憶だけは絶対に忘れたくないとナイフで刻み付ける。この美しい光を。言葉に表せない綺麗な光を。まるで天の川。まるで……銀河の光。さらに光の中に、みるみるカラフルな星が混じってきた。まるでそれが金平糖みたい。あたしはその星を見て、少し笑った。もう一度光を見つめる。もう一度見上げる。ミランダ様は、とても高い所にいる。


 とても、届かないところにいる。




 人々が瞼を上げた頃、事件は収まっていた。凄まじい光魔法によって、駆け回っていた全部の犬が、一匹残らず気絶していたから。


「……またすごいものを発明しましたね。流石ですよ。ミランダ」


 現場に到着したジュリアが地面に足を付けた。地面を見ると、――やはり魔法石が転がっていた。


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