第15話 天狗には鼻を折れ


 >一次審査突破おめでとう!

 >二週間後だっけ? 残り一週間の3時間だけは予定空けておいたから、Aステージに行けるように頑張ろう!

 >とりあえず、わたくしがいない間は各自魔法とか、ダンスとか、引き続きやっておくこと!

 >愛してるよ。ルーチェ♡


(よし! やるぞ!)


 昨日丸一日お休みだったお陰で家でのんびりできたし、久しぶりに10時間だけ小説書けて満足したし、……本当は続き書きたいけど……。


(Aステージに上がれたら!)


 ミランダ様の膝枕!


(ルーチェの脳内物語。妄想タイトル:膝枕のソナタ。「どうだい。ルーチェ。私の膝は」「ええ。ミランダ様。とても柔らかくて気持ちいいです」「私の膝を気持ちいいなんて言うのはお前くらいなもんさ。気に入った。これからはいつだって膝枕をしてやろうじゃないのさ」「え、でもそんなことしたら、セーレムがヤキモチ妬いちゃいます♡」「セーレムはいつだって私の膝に乗れるんだからいいんだよ。ルーチェ、今はお前の時間だよ。セーレムなんて忘れなさい」「はい。ミランダ様」「いいかい。お前は私だけを見ているんだよ。よそ見したら許さないからね」「はい♡ ミランダ様♡」)

「あ、いたいた。ルーチェっぴ、おはー」

(「ルーチェは♡ ミランダ様しか見えません♡」「ほお? それは本当かね? お前は時に嘘つきになるからね」「正直に言います♡ ミランダ様。ルーチェの身は既にミランダ様のものです♡」)

「あれ? ルーチェっぴ?」

(「危ない、ルーチェ!」「きゃあ!」(車の音)「はっ! 大変! ミランダ様が!」「おや、ここはどこだい? お前は誰だい?」「そ、そんな! ルーチェをかばったせいで、ミランダ様がお記憶を失われてしまった!」)

「ルーチェっぴー?」

(「しゅたっ! 私が何とかしましょう!」「はっ! あなたはジュリアさん!」「私の魔法でミランダの記憶を取り戻しましょう」「え、でもそんなことしたら、貴女の魔力で皆押し潰されてしまいます!」(世界が崩壊する音)「きゃあ!」「危ない! ルーチェ!」(車の音)「ああ! ミランダ様!」「ああ、思い出したよ。お前は私の可愛い弟子のルーチェじゃないかい」「ミランダ様! 思い出してくれたんですね!」)

「ルーチェっぴ、ね、ねえってば」

「ちょっと待って。今いいところだから。(「ミランダ様! あたしは一生貴女の弟子です!」「ルーチェ……!」「どうかもう離さないで!」「ルーチェ!」「ミランダ様!」「ルーチェ!」「ミランダ様!」(なんか良い感じのBGM。ENDの文字))……続編が書けそう。うん?」


 真横でクレイジーが眉をひそませてあたしを見ていたのを見て、あたしはぎょっと肩を揺らした。


「ぎゃあ!」

「いや、『ぎゃあ』はこっちだっぴー」

「い、いつの間に真横に!?」

「ルーチェっぴ、大丈夫? キメてない? さっきからずっとにやにやして……」

「(はっ! 妄想してるところ見られた! 恥ずかしい!)別に大丈夫だけど!」

「あ、そうなの?」

「べ、別に妄想なんて、してないよ!?」

「え? ……ぶふっ! 何? どんな妄想してたの?」

「え!? す、するわけないじゃん! 妄想なんて!(え!? なんで妄想してたことわかるの!? 怖い!)」

「ユアン、女の子を虐めるな」

「や、違うよー。今日のルーチェっぴがいつも以上に変だからぁ……」

(うん?)


 スタジオの入り口に真面目そうな男性が立ってる。あたしと目が合うと、優しい笑みを浮かべた。


「こんにちは」

「……こっ、こ、こんにちは……(知らない人がいる……)」


 あたしはクレイジーの背中に隠れた。


(知らない男の人苦手……)


 チラッと見上げるとクレイジーと目が合った。するとクレイジーが微笑み、手で差した。


「ルーチェっぴ、俺の兄ちゃん」

「……え? お兄さん?(似てなくね?)」

「兄ちゃん。この子、ルーチェっぴ」

「初めまして。俺はコリス・クレバー。弟が世話になってます」

「あ、ああ……どうも……。あ……ルーチェ・ストピドと申します……」

「前に言ってたっしょ? 二番目の兄ちゃんが見たいって言ってるって」

「……あー」

「Aステージに行けるように、そろそろ人からの意見参考にした方がいいんじゃね? って思って、連れてきた」

「そうだね。おね……パルフェクト先生も、来週来てくれるって」

「え!? パルフェクトが来るのか!?」


 コリスが目を見開くと、クレイジーが鼻を掻いた。


「へっ。兄ちゃん。だから言っただろ? 俺っち達、パルフェクトにダンス習ったんだって」

「お前の冗談じゃなかったのか!?」

「ひでーぜ! 兄ちゃん!」

「ぱ、ぱ、パルちゃんっっっ! どうしよう! 俺、ファンクラブ入ってるのに! 来週だっけ!? わかった! 半休取る!」

「いや、それは駄目だって! ルーチェっぴの伝手で特別に来てくれてるんだからさ! 来週は流石にスタジオ入れないよ!」

「いいだろ! 少しくらい! 俺、この間の映画記者会見のイベントにも行ったんだぞ!」

「知ってるって!」

「ちょっとだけいいんだ! 会わせてくれよ!」

「駄目!」

「ちょっとだけ!」

「駄目!」

「ユアンのケチ!」

(はあ……。あの女の何がいいんだか……。胸か。顔か。太ももか。……チッ)

「兄ちゃん、いいからそこの椅子に座ってて。……ルーチェっぴ、ラジオ体操からやろー」

「うん」


 チャットでの反応は薄かったけど、どうやらやる気はあるようだ。Bステージに向けて動いてくれるならあたしも動ける。


(嫌味言われるのは嫌だけど)


 今日はお兄さんもいるみたいだし、流石に変なこと言わないでしょ。


(よし、思い切りやるぞ。目指すはAステージで見せれるくらいのダンスと魔法)


「兄ちゃん、ラジカセ再生して」

「ああ。わかった」

「お願いします」

「あー、女の子にお願いされたら断れないなー。いいよー。再生係は任せて」


 あたしとクレイジーが杖を構えた。


「いくよー」


 音楽が始まった。クレイジーが目の前から消える。


(よし、一日休んでも体が覚えてる)


 スタジオの景色が吸血鬼の城の廊下に変わる。あたしの幻覚魔法も使って、蝋燭を壁に並べる。よし。順番に火が付く。怖がる少女。追いかける吸血鬼。弄ばれる少女。日の光に溶けてしまう吸血鬼。杖を手に入れて闇の世界に足をつけてしまう少女。――曲が終わった。


(人の視線を感じてるせいか、いつも以上に見られてることが意識できた)


 幻覚が消え、スタジオの景色に戻る。クレイジーとあたしがコリスを見た。


(どうでしたか? すごいでしょ! 魔法ってすごいでしょ!?)

「どうだった? 兄ちゃん。ガチで言って良いよ」

「ん? いいの?」

「うん! ガチで言って!」

「……うん。物語性があって良かったと思う。面白かったよ」


 コリスが微笑み、


「ただ」


 ――口が動く。


「ガチで言うよ? ユアン、ダンス下手。もう少し家でも練習した方がいい。魔法もさ、幻覚魔法ならもう少し派手な方が良いんじゃない? 演出が足りないように見える。これコンテストでやるんだろ? 今のままだと弱いと思うよ」

「あー、やっぱり?」

「ルーチェちゃん」

(え……)

「滑舌悪いね。魔法に大きく影響してる。家具の模様とか種類とか色合いとかすごくいいのにもったいない。人に見せるってことは意識してる? これは人が見るものだよ。一生懸命魔法を出すんじゃなくて、見せる魔法を出さないと審査も通らないんじゃない?」

「あ、は、はい……」

「ていうかちゃんと魔法を一つにしてる? 今のままだと二人共バラバラに見えるけど」

「鋭いこと言うじゃん! 兄ちゃーん!」

「……はい……」

「チームなら合わせないと。動きもバラバラ。ステップもバラバラ。よくこれで通ったな」

「まじそれな!」

「……はい……」

「形だけ出来ててもそれが通用するのは一次審査までだ。なぜなら一次審査は構造された形のクオリティの高さで見るから。出来栄えが良いと思われたら誰でも通る。だけど二次審査となると今度はコンテストに出せるか出せないかで判断される。今のままだと難しいと思うよ。ユアンの動きと、ルーチェちゃんの滑舌が治らない限り」

「痛いとこつくじゃん! 兄ちゃーん!」

(滑舌……)

「構造は面白いんだから勿体ないよ。もっと練習したら?」

「それなー!」

「……はい……」

「なんか……」


 この人は間違いなくクレイジーのお兄さんだ。だって、笑顔でこんなこと言うんだから。


「期待外れだったわ」


 コリスが立ち上がった。


「もっと上達したらまた見せてよ」

「あ、もう帰る?」

「だってこれ以上見ても仕方ないだろ?」

「それもそっかー!」


 コリスが鞄を持ち、笑顔で手を振った。


「じゃあね。ルーチェちゃん。頑張って」

「……はい」

「ユアン、今夜飯は?」

「あー、家で食べるー」

「ジェイに言っとくよ」

「ありがとー。玄関まで送ってく?」

「いや、いいから練習して。このままじゃ見れたものじゃないから」


 あたしの胸が矢が刺さった――気がした。


「じゃ、ユアンはまた後で」

「うん! 後でー!」


 扉が閉まった。何とも冷たい音に感じた。あたしは思わぬ意見に――つい、言葉を失った。


「あーあ、言われちゃったねー。あははは!」

「……」

「一回休憩しよ。録画見てさ、反省会しよー」

「……そ、そうだね……」

(反省会……)


 あたしとクレイジーは録画した動画を見た。


「あー、でも確かに兄ちゃんの言ってる通りだわー」

(……そうだよな……。階段出すところだよね。噛んだって思ったんだよな……)

「ぎゃははは! 見て見て! ルーチェっぴ! 俺っち達どっちもここ間違ってる!」

(本当だ。よく通ったな。これで……)

「あ、ルーチェっぴここ可愛い」

(そうそう。これ、転びそうになったんだよな……)

「あははは! 俺っちの動きゾンビみたい!」

(Bステージの発表まであと二週間しかないのに……)

「やべー! 吸血鬼に見えねー! あはははは!」

(調子に乗ってた自分が恥ずかしい……。どうしよう……)

「やっべ! 課題いっぱいだね!」

(見れたものじゃないって言われた……)

「ステップ合わせたいね。今日ダンスだけやる? ルーチェっぴ」


 クレイジーの声が止まった。


「……」

(練習、したんだけどな……)


 両目から涙が溢れてボタボタと落ちていく。


(頑張ってるんだけどな……)

「……あー……」

(なんであたし滑舌悪いんだろう……)

「あー……あーあーあー」

(歯並びのせいかな……。ADHDのせいかな……)

「あーえーいーうーえーおーあーおー」

(なんで吃音症なんて持ってるんだろう……)

「あーあーおーおーあ、あった」

(昨日10時間小説書いてる暇があったら、その分練習すればよかった……)

「ね、ね」

(サボった分今日それが表に出たんだ。ああ、あたしもう駄目だ。駄目なんだ……。消えてなくなりた……)

「ルーチェっぴ」


 ――目の前にポケットティッシュが出された。


「兄ちゃん、昔から魔法好きでさ」


 クレイジーがあたしにポケットティッシュを握らせた。


「魔法見ると、ああいう風に熱くなっちゃうんだよ。だからガチで感想聞きたいなって思ったんだけど、あれは……」

「……」

「もう連れてこないから。……まじごめん」

「……なんで、っ、クレイジー君が謝るの……?」

「や、連れてきたの俺っちだし」

「でも……正直な感想だよね……」

「それは、まー、……まあ、な」

「……」

「兄ちゃんがさ、ああいう感じだから、その、俺っちもまあ、なんて言うの? ルーチェっぴ誘った以上、結果出さないとカッコ悪いじゃん?」

(……だから嫌味っぽいこと言ってたのかな……。あたしが魔法使えないから……焦って、ムシャクシャしてとか……)

「せっかくBまで上がれたわけだし、ほら、来週にはパルフェクトさんも来るわけじゃん? 兄ちゃんだったら結構良い意見くれるかなって思ったんだけど……あははは! あれは駄目だわー! もうちょっと柔らかく言えないもんかねー。あはははー!」

「……でも、本当の、っ、ことだよね……」

「あー……ね」

「……」

「……。……ルーチェっぴ、ちょっと話そっか!」

「……何話すの?」

「世間話?」

「……練習……っ……しようよ……」

「あんなこと言われた後じゃそんな気分になれねーって」


 クレイジーが膝を抱えるあたしの正面に胡坐をかいて座った。


「ね。ルーチェっぴ、兄ちゃんのことまじで気にしなくていいから」

「正直なこと言ってくれたんだよ……」

「でもさ、ルーチェっぴって最近までまじで幻覚魔法も使えなかったわけじゃん? 一日で仕上げてきたわけじゃん? それってやっぱ、すげーことだしさ、自信持っていいって!」

「あと二週間しかない……」

「大丈夫だって! 二人で頑張ろうよ!」

「大丈夫かな……」

「大丈夫大丈夫! 俺っちもいるから!」


 クレイジーがあたしの手を握った。


「二人で協力して兄ちゃん見返してやろ? ね?」

(……クレイジー君……)


 嫌味な子って思ってごめんなさい。


(すごく励まされてる……。ちょっと胸に来た……)

「ルーチェっぴ、水飲んで」

「ん……」

「ちょっとしたらダンスだけやろ。ステップの見直し」

「……そうだね」

「で、見直しして、練習して、出来そうなら魔法もつけよ。ね?」

「……うん」

「大丈夫大丈夫! 泣くなって! ルーチェっぴ!」


 背中を叩かれる。


「俺っちがついてるから!」

「……うん」


 ティッシュで鼻をかむ。


「……ありがとう」

「全然!」

「ごめん……」

「いいよいいよ!」

(ああ、駄目だな。あたし……)


 クレイジーに負担をかけてはいけない。やっぱり、もっと魔法を磨かないと。


「でも、や、や、やっぱり、人からの意見、大事だよね」

「まあな。今週は兄ちゃんの言われたこと参考に練習しよ」

「ね、やっぱりア、ア、アンジェちゃんとかに、みて、みて、見てもらった方が……」

「や、あの女は無理」

「……じゃあ、あの、アーニーちゃ」

「ルーチェっぴ、言っていい?」

「ん」

「苦手なんだよ。あの二人」

「……んー……」

「ね。お願い。俺っち、女の子にまで情けない姿見せたくないのよ」

「……あー(そっか。男の子特有の見栄とかもあるよね……)」

「今日はとりあえずダンスして、幻覚魔法も出来そうならやろ?」

「うん」

「今日は何時までいける?」

「……16時まで……」

「俺っちもそんくらい! ちょっと落ち着いたらやろ!」

「……ありがとう」

「もー! 俺っちとルーチェっぴの仲じゃん!」


 ――いひひ!

 クレイジーが『笑顔』であたしの肩を揺らした。


「今日も練習すっべ!」

「うん……」

「がんばろー!」

「うん……!」


 そうだ。負けてられない。正直な意見を聞いたのだから、ちゃんと受け入れて練習しなきゃ! 受け入れる。落とし込む。反省する。


(ミランダ様、あたし、頑張ります!)


「いけそ?」

「うん!」

「よし、ゆっくりからやろ!」

「うん!」


 あたしとクレイジーが立ち上がった。



(*'ω'*)



『インカム失礼! ルーチェちゃーん! ちょっと手空いてたりするー? 食品手伝ってほしいんだけどー!』

「……」

『あれ、ルーチェちゃーん? 応答してー? 接客中ー?』

「……」


 気前の良い先輩に肩を叩かれ、あたしはびくっとした。


「うわ、びっくりした」

「ルーチェちゃん、イヤホンしてる?」

「え、してますよ」

「俺呼んだの聞こえた?」

「え?」

「ちょっと待ってね。はーい。マイクのテスト中ー」

「聞こえます」

「オッケーでーす! ……大丈夫?」

「眠たいです」

「練習?」

「はい。この間休んじゃったので、その分働かないと、がく、く、学費が」

「大変だね。魔法学生は。魔法使いになったからってすぐに仕事もらえるわけでもないしね」

「……はい……」

「どうする? 15分くらい休憩する?」

「いえ、大丈夫です……」


 あたしはもう19歳。親には頼めない。学費は自分で稼がなければ。前まではこれにプラスして生活費と家賃代があったが、それらは今ミランダ様が出してくださってるからそれがありがたい。住み込みのいいところ。


(だからこそ家事に手を抜いちゃいけない。ご飯を作れる時はあたしが作って、掃除できる時は綺麗に隅々までやらないと)


 タイムカードを切る。


(あーーー終わったーーー。やっと帰れるーーー)


「ルーチェちゃんお疲れ様!」

「おーつかえあまれす……」

「気をつけて帰りなよ!」


 気前の良い先輩に見届けられ、千鳥足で屋敷まで帰って来る。


(あーーー疲れたーー)


 ソファーに力尽きると、セーレムがじっとあたしを見た。そして……あたしの背中をめがけて高く飛んだ。うごっ。セーレムがあたしの背中に乗り、ドヤ顔をして、そのまま体を丸めて、瞼を閉じた。


「セーレム、あーし、起きれ、れーなくなるから」

「あ、動くなよ。せっかく眠れそうなのに」

「ベッドじゃないよぅ……」


 あたしはもぞもぞと動いて床に落ち、セーレムはソファーに落ちた。


「あ、良い寝心地だったのに!」

「嬉しくないよぉ……」


 あたしはのそのそと隣のソファーに移った。セーレムもついてきた。今度は寝るんじゃなくて座ると、セーレムがあたしの腿に頭を乗せて、あたしを見上げてきた。それで、別に何を喋るわけでもなく見て来るの。セーレムに限らず犬も猫もそうだと思うんだけど、なんかよくわかんないけど、見て来るんだよね。こうやって。これって何考えてるんだろう。あ、セーレムが欠伸した。その欠伸があたしに伝染して、セーレムよりも大きな欠伸をした。


(やべ……寝ちゃいそう……)


 あたしはぼーっとテレビを見る。今時期は深夜まで夏のスペシャル番組が流れている。あ、パルフェクトだ。あたしは杖を構えた。


「風よ。リモコンを運んでおくれ。あたしの手が求めてるの」


 風が吹き、あたしの手にリモコンが運ばれる。あたしはチャンネルを変えた。全部のチャンネルを見て気づいた。どの番組にも必ずパルフェクトがいる。


(もういい……)


 あたしは深夜アニメを見ることにした。パルフェクトが脇役で声優をしていた。声なら我慢しようとあたしはぼーっと眺めることにした。魔法学校一おちこぼれの女の子。しかし実は誰にも使えない【時の魔法】が使える。それしか使えないから落ちこぼれなんて言われてる。コミュ障でうまく喋れないけど、かなりの美人で頑張り屋さん。こんな女いるわけないじゃん。美人は人生イージーモードだから頑張らなくても誰かが手を差し伸べてくれるもんなんだよ。と思いながらアニメを見る。


(コミュ障コミュ障っていうけどさ……いいじゃん。吃音持ってるわけじゃないんだから……)

(どうせ人見知りでしょ。あのね、人見知りは慣れなの)

(接客業しててお客さんと喋らないの? なわけないよね? 毎日12時間以上人と話すアルバイトしたらいいよ。人と喋ることが当たり前になるから。この子は人と喋り慣れてないだけ)

(コミュニケーション能力が足りないと思うなら磨けばいい。磨くための努力をすればいい。方法はいくらでもある。匿名で電話出来るアプリもあるし、配信者も出来るし、学生ならあえて先生に教科書の問題聞きに行って会話をするってことをすればいい。人の目なんか気にする必要ない。別にそれは恥ずかしいことじゃない。努力することは恥ずかしいことじゃない。この子はそれを怠ってる。それだけの話。努力もしないで人と話せるようになれると思うなよ。「私、なんでいつもこうなんだろ……」じゃないんだよ。やってないだけだろ。この子、ただのサボり魔じゃん。だから落ちこぼれなんだよ)

『ファイアーボール!』

(ほら、滑舌は綺麗じゃん)


 喋れるじゃん。あたしと違って。噛まないじゃん。全然どもらないじゃん。


(むかつく……)


 こういうの見るとむかむかしてくる。たかがアニメだってわかってるのに。


(こういうテイストの方が売れるっていうのはわかる。美人やイケメンの落ちこぼれが上に行く物語ってモチベーションも上がるし、楽しいし、だからシンデレラストーリーの本って売れるんだろうし)


 むかつく。


(口を開けば綺麗に喋れるくせに)

『はあ……まただ。私、どうして言いたいこと言えないんだろう……。いっつもこうなんだよなあ……』

(喋り慣れてないだけだっつーの)

『タイムマジック! 時よ止まれ!』

「タイムま、ま、……ま……」


 復唱したらどもったから、あたしは口を閉じた。


『やった! 成功した!』

(アニメの世界で良かったね。現実はこんなに上手くいかないよ)

『おばあちゃんからこの魔法が使えることは言っちゃ駄目って言われてるけど、大切な時には使ってもいいよね!』

(あー、チートスキルかー。あははー。なるほどねー。いいなー。欲しかったなー)


 あたしには存在しない。

 存在していたとしても、脳の形が決まった瞬間消え去った。だからこの子が何をそんなに悩んでいるのかわからない。アニメに共通点を探そうなんて言ってる方がおかしいのはわかってる。でも、主人公が落ちこぼれって聞いて、ちょっと嬉しかった自分もいる。一緒だ、って思って。だけどこの子の場合は、他の男の子が声をかけてしまうくらいの美人で、そこでもう共通点はなくなった。美人な落ちこぼれと、下の落ちこぼれは違う。第一印象は顔だ。その後中身。そんなことないと思う? 思う人はきっと優しい人が周りにいるんだろうね。でも、あたしはそれを味わってきたからよくわかるの。顔が良い子は大抵何でも上手くいく。ADHDを持ってても、顔が良ければ天然や不思議ちゃんで許される。あたしは許されないレベルだからこそ、この子が美人で、健常者で、チートスキルを持ってるという設定の時点で、あたしにとってこのアニメは『ただのアニメ』になってしまった。ああ、結局サボり者か。落ちこぼれでもなんでもなかった。


『ふふっ、面白そうな子が入学してきたな』

(ああ、出た出た。イケメンだー。イケメンと美女はくっつくもんね。そうだよね)


 映像が変わった。音楽が流れる。製作スタッフの名前がずらっと出てくる。あたしはそれをぼんやり眺める。セーレムが欠伸をした。あたしは瞼を閉じた。今日のことが鮮明に思い出された。クレイジーの兄の言葉が今聞いたように頭に響いた。勝手に反芻する。繰り返し思い出す。やめて。思い出すな。胸がむかむかして、急激に悲しくなる。やめて。お願い。今じゃない。急激に消えたくなった。嫌だ。思い出したくない。急激にいなくなりたくなった。嫌だ。嫌だ。嫌なのにはっきりと思い出す。頭から消えない。やめて。消えて。思い出さないで。楽しい事だけ考えていたいのに。やめてよ。もう嫌だ。いらない。


 こんな口も脳も、いらない。

 お願い。誰か交換して。

『個性』なんていらない。『天才』なんていらない。

『普通』が良い。


 ――研究室が開かれる音が聞こえた。


(あ)


 ミランダ様がリビングに来る気配がして、あたしは瞼を上げた。廊下からミランダ様が入ってきた。あたしとセーレムを見て、きょとんとする。


「ああ、帰ってたのかい」

「あ、はい。さっきか、か、帰ってきました」

「お帰り」

「うふふ。お疲れ様です。ミランダ様」


 笑顔を浮かべるあたしの脳内には、今までの嫌な記憶が鮮明に反芻され続けている。


「ずっと研究されていたんですか?」

「三時間くらいだよ」

「三時間も」

「夢中になっちまってね」

(……夢中で魔法の研究してたなんて、あたしも言ってみたい)


 ――ルーチェ・ストピド! 滑舌が悪いザマス!

 ――ルーチェちゃんはさ、努力が足りないよ。

 ――私も出来たから、ルーチェさんにも絶対出来るから。

 ――ねえ、ルーチェの手触っちゃったー!

 ――お前何言ってるかわかんねえんだよ! 責任者出せよ!

 ――え? 今なんて言ったの?

 ――ルーチェはしっかりしてるから大丈夫だよね。


「冷たい飲み物でもいかがですか?」

「ああ、いただこうかね」

「あたしも一緒に」


 ――あなた早口で全然聞き取れないんだけど!

 ――外国人の方ですか?

 ――レジ変わって。お前まじ無理だから。

 ――タバコ。それ。早くして。

 ――袋必要に決まってんだろ! いちいち聞くんじゃねえよ!


「頂いていいですか?」

「ああ」

「用意しますね」


 あたしは杖を振った。


 ――うるせえ! 声がでけえんだよ! 黙ってろよ!

 ――あ、貴女に訊いた僕が馬鹿でした。

 ――あなた爪が汚い! 買うものに触らないで! 誰か変わって頂戴!


「夜のお茶会の時間だ。何でもない日万歳」


 あたしの杖から光の影で出来た眠りネズミが現れた。眠そうな顔でとてとて歩いていき、小さな手でカップに触れると、カップが光に導かれてテーブルの上に並び出した。グラス。ミルク。ストロー。おっと足りない。


「水よ温まれ」


 ――ルーチェちゃんの脳って、なんかいつも楽しそうだよね。交換してみたいわー。


「あたしのストレス炎で沸騰せよ」


 あたしはストレスを吐き出すように口から息を吹いた。すると吹いた息が炎となり、水が入ったヤカンを包み込み、あっという間に沸騰した。眠りネズミが欠伸をしながら紅茶の葉が入った袋をぽんぽんと叩いた。光が袋に移り、袋が網に葉を出し、お湯と合わさってポットの中に少しだけ入っていく。三分間眠りネズミが仮眠をとった。タイマーが鳴ると、ポットは自ら歩いていき、氷が入った別のポットに味がよく混ざった紅茶を注ぎ込んだ。持ち手部分に黒猫の顔があるマドラーが飛び込み、氷と熱い紅茶を混ぜていく。すると熱が急に冷めていき、あたしのストレスで燃えていた紅茶が、とても冷えたパルフェクトのような紅茶になった。「ふわあ。今何時? コウモリさんはどこ?」眠りネズミが最後に大きな欠伸をして、紅茶の中へ入り、氷の冷たさに溶けて消えた。


 用が済んだ道具達は流し台へ行ってらっしゃい。


「……」

「……ルーチェ、どうしたんだい? 座りなさい」

「……ミランダ様、ちょっと」

「ん?」

「……外で飲みませんか?」


 訊くと、ミランダ様がきょとんと瞬きして、テーブルに並んだ食器を見て、キッチンを見た。


「クッキーがあった気がするねえ」

「え?」


 ミランダ様が手を叩いた。棚のドアが開き、円型の青い缶がふわふわと浮いてきた。


「二階のバルコニーに行こうかね」

「えっ、あ、はい」

「セーレム、お前も行くかい?」

「ぐおーーーーー」

「夢の中にいたいとさ。行くよ」

「あ、はい」


 ふわふわ浮かぶカップ達と共に、あたしもミランダ様についていった。


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