14
顔のない男は
なんなんだよ、ソイツは! アースに詰め寄りたいが、こちらから話しかけるまで声を出すなとアースに言われている。それに、この状況で下手なことを言えば、あの顔なし男がこっちに来るかもしれない。
鏡の中にアイツを見た時、思わず腰を抜かしたが、見間違いかもしれないと思い直したフィルだった。だが、鏡の中から抜け出してくれば見間違いのはずもない。悲鳴を止めることができなかった。幸い、顔なし男はフィルに見向きもせず(顔がないのだから実のところは判らないが)部屋を出て行く。フィルが顔なし男のあとを追ったのは怖いもの見たさからか、それとも別の何かか?
詩人の横を通り、顔なし男はオリレーズの妻のいる方向に進んでいく。通り過ぎると同時にアースがどこからともなく剣を取り出し、顔なし男に向ける。ハッとしたオリレーズも剣を鞘から抜き、男に向けながら妻を後ろ手に
「おのれ、化け物! わが妻に害をなさせはさせぬ!」
顔なし男は立ち止まり、咆哮を響かせる。
討ちあう剣は火花を散らせ、
剣を出したものの動かないアース、入り口で見ているフィルは、なぜオリレーズの加勢をしないかと焦れる。どう見たって顔のない男などまともじゃない。人間じゃない。ここはオリレーズを助けるところだろうが!
激しい討ちあいが続き、とうとうオリレーズが顔なし男の剣を飛ばす。ハッと息を吐き、男を刺すべくオリレーズが剣を引いた時だった。
「殺さないで!」
妻の叫び声、振り返り妻を見るオリレーズ、心の中で何度も
オリレーズが妻を見つめ、その膝が崩れていく。妻よ、醜い俺よりも、顔のない男のほうがましなのか? だからこの男の命乞いをするのか?
オリレーズの後ろでは、落とした剣を顔なし男がゆっくり拾う。そしてオリレーズに剣を向ける。
「危ない!」
男とオリレーズの間に妻が立ちふさがる。その妻の腕を引いて、オリレーズが慌てて庇う。男が剣を繰り出し、妻を突き飛ばしたオリレーズの体を貫いた。
「きゃぁぁああ!!!」
妻が悲鳴を上げ、男がオリレーズから抜いた剣を投げ捨てる。力なく倒れ込むオリレーズ、駆け寄る妻、男は立ち尽くしているだけだ。
「オリレーズ、オリレーズ!」
妻が懸命に夫の名を呼ぶ。
「お願です、目を開けて。優しい眼差しでわたしを見て」
「姫よ……俺に見られるなど、嫌ではないのか?」
「なにを? 何を言うのです?」
「こんな醜い俺などより、顔のないあの男の命乞いをした」
「オリレーズに人を殺させたくなかったのです――あなたの優しさをよく知っています。あの者を
「姫?」
「わたしのオリレーズ、お願だから思い出して。誰よりも優しいあなた。いつも私を見守り、手を引いてくれたあなた。わたしはあなたの妻になる日を幼い頃より夢見て待っていた」
「この髪飾り……こんな粗末なもの――」
「いいえ、わたしに似合うだろうとあなたが選んだもの。これ以上わたしを引き立てる髪飾りはありません」
その様子を見ていたアースが剣を顔なし男に向けてクルリと振った。すると男が投げ捨てた剣がスルスルとオリレーズの剣に吸い込まれていく。顔なし男がゆっくりとオリレーズの足元に近付くが、オリレーズも妻もそれに気が付かない。
オリレーズに縋りつく妻の上に、男がふわりと倒れていき、妻をすり抜けオリレーズの身体に吸い込まれる。オリレーズの体の傷が、顔なし男の身体で見る間に修復されていく。互いに見つめ合うのに忙しいオリレーズとその妻には、まったくその気配が読み取れない。見つめ合うのに満足したあとオリレーズとその妻は、オリレーズに怪我がないことを知るだろう。剣に貫かれたはずの服にさえ、破れ目がないことに驚くだろう。
「オリレーズ、ここから先は自分で何とかするのだな――フィル、行くぞ」
アースの呟きに呆けたように様子を見ていたフィルも自分を取り戻す。アースはさっさと部屋を出て、オリレーズの部屋に入っていった。
慌てて追うとアースはオリレーズの寝室で、あの鏡に剣を向けている。カッと剣が光り、鏡がパリンと音を立てバラバラと割れて崩れて落ちていく。
「その鏡は?」
訊いたって答えちゃくれないだろうと思いながらフィルが問う。そんなフィルをアースがチラリと見た。
「古い鏡だ――夢の悪魔でも棲み付いたのだろうよ」
「あの、顔なし男が悪魔? そう言えば、獣が威嚇するような声が奥方の部屋から聞こえたけど、あれは?」
「現実を見ようとしないオリレーズの現実だ。獣のような声が聞こえたのはおまえの中にもドラゴンが棲んでいるからだろう」
「ドラゴン?」
その質問には答えずアースが部屋を出る。気が付くと剣は消え、アースが手に持つのはいつもの竪琴を入れたサックだけだ。
そのサックを肩に掛けながら
「さて、裏口はどこだ?」
と首を
「任せろ、着いて来い」
アースも少しフィルに笑顔を向けた。
もしも裏口があったとしても、当然そこには守衛がいる。オリレーズが一緒にいないとなれば通して貰えるはずもない。適当な窓から庭に出てフィルがアースに問いかける。
「木登りは得意かい?」
「やってみよう」
大丈夫かとフィルが心配する前で、割とスルスルと木に登り、塀の向こうの木に乗り移ったアースだ。
「判っているとは思うが街には戻るな」
地に降り立った途端、アースが言う。
「おまえ、命を狙われているぞ」
「命まで取ろうと思っちゃいないと思うんだけどね。でも殺気は感じたな――まぁいいさ。あの街には用もない」
「やることはやった、と?」
アースが鼻で笑う。それがフィルの気に障った。
「俺がしたことは無駄かねぇ?」
「どうだかな。無駄であり、無駄ではない」
「わけの判らないことを言うのが得意だな」
「あの少女が救われるか否かは、これからのあの子次第だ。だがフィル、こんなことを何度繰り返そうとおまえが救われることはない」
クッとフィルがアースを見る。
「あんたに俺の何が判る?」
「何も判りはしない。答えは自分で見つけるしかない」
コイツとまともに話そうって思うのは無謀だ、そう思ってついフィルが笑う。そんなふうに思うってことは、俺は自分がまともだと思っていやがる。少しもまともじゃないくせに――
フィルの胸に遠い思い出が蘇る。あれは十一の時、しばらく世話になった八百屋の親方が『まじめに働け、そうしたらおまえにだって店が持てる』、そう言ってくれたのに、造り酒屋の旦那の追手に見つかってあの街にいられなくなった。
盗むな、自分を売るな、胸を張って生きていけ――そんな約束は、空の向こうにとっくに消えた。自分が何のために生きているのかさえ見失う。貧しい子どもを一人でも助けられれば、少しはましな人間になった気がする。
でも――違う。そうじゃない。判っている。だけど自分じゃどうしようもない。
「探しても見つからない答えはどうしたら手に入る?」
「さぁな……」
フィルをチラリと見てアースが歩き出した。
「アース、どこに行くんだ? ついていってもいいか?」
アースと一緒に居れば、答えが見えてくるような気がした。それ以上に、アースといればきっと退屈しないだろう。コイツはただの詩人じゃない。
そんなフィルを振り返りもせずにアースが答える。
「おまえの道はおまえが決めろ。行きたい道を行けばいい――わたしは西だ、西に向かう」
そう言えば人を探していると言っていた。探される俺と探しているアース、面白い取り合わせじゃないか。
「待ってくれよ――どうせなら、何か話そうよ」
追いついたフィルが話しかけてもアースは知らんふりだ。煩いと言われないだけマシか。アースの横顔を見てフィルがクスリと笑う。これからの旅が楽しくなる予感に、つい微笑んだフィルだった。
<完>
姫ぎみと「鏡のなかに棲む男」 寄賀あける @akeru_yoga
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