13
腰かけたままのオリレーズの妻、その
「どうだ、美しいだろう?」
興奮気味のオリレーズに妻は答えず、
「さぁ、早く! いまさら
「おまえは
「俺のことなどどうでもいいのだ――妻が喜んでくれさえすれば」
オリレーズの言葉の、最後のほうは小さな呟きに変わっている。
「だから詩人よ。飛び切り美しい調べを妻に聞かせて欲しいのだ」
「まぁ、待て……どんな曲にするのか、考えている」
竪琴の糸の具合を見るように触れながら、静かにアースがオリレーズを
オリレーズの部屋では忍び込めたことに驚くフィルがいた。
「オリレーズの部屋に? 無茶言うな、鍵が掛けてあったら無理だ」
「施錠されていても、もう一度開けてみろ。ドアは二度目には開く」
奇妙なアースの言葉、思った通りオリレーズの部屋はしっかりと施錠され、僅かな時間で破るのは無理そうだ。それが、言われたとおりに試してみるとすんなりと二度目には開いた。いつの間にか開錠されている。
(吟遊詩人で魔法使い?)
フィルの中にアースへの疑念が浮かぶ。だが、そんなことをゆっくり考えている暇などない。
アースはオリレーズの寝室にある鏡を見つけ、布が
「それでは今日は異国の曲をご披露しよう」
やっと演奏を始める気になったアースが、薄く微笑んで竪琴に軽く接吻する。それを見て、まるで一幅の絵のようじゃないか、同意を求めて妻を見るオリレーズ、妻は軽く
詩人の長い指が糸を押さえ糸を弾き、優美な音色に部屋が満たされていく。そこへ詩人の歌声が加われば、空気が溶け出してしまいそうだ。その響きに心が揺さぶられ、身体が震えてくるのが判る。だが、この言葉は? そうか、外国の曲と言っていた。言葉の意味が判らずとも、これほどに引き込まれるのなら意味が判ればどれほどのものか――
何とか意味の判る言葉にできないものか? 尋ねる機を探そうとオリレーズが詩人を見る。すると詩人の視線は妻のほうに向かっている。そして妻は……うっとりとした眼差しで詩人を見つめている。あれほど潤んだ瞳、今まで見たことがあっただろうか? 心に焼けつくような痛みを覚えるオリレーズだ――
アースが言っていた鏡はすぐに見つかった。フィルの背より幾分高さのある姿見は、部屋の隅で厚い布を被せられ、なるべく目立たないように置かれているようだ。
(あぁあ、まったく手入れをしてない。汚れちまって何にも映しやしないじゃないか)
まったく金持ちは物を大事にしない。しっかりした造りの鏡は大事に使えばまだまだ使える。売れば庶民なら二、三ヶ月は食える……つい値踏みしてフィルが苦笑する。
(今はこいつの値段などどうでもいい、それより曇っていたら磨けと言ったな――ん? アースのヤツ、とうとう始めたようだ)
アースが奏でる竪琴の
(なんだろう、あの音は? 歌声? いいや違う、まるで
不思議に思いながら、はぁっと息を吹きかけて、外した覆いで鑑を磨く。だんだんと艶が出て、何かが映し出されていく。当然自分の顔だと気にもしなかったが、違和感に手を休めて鏡を見る。
「うぉっ!!!」
小さな悲鳴を上げてフィルが尻もちをつく、そこに映し出されるのは顔のない男だった。
妻の顔を見つめるオリレーズの耳に、もはや竪琴の音も詩人の声も届かない。心の中で自問自答を繰り返す。
妻を喜ばせるために連れてきた詩人だ。そして妻は詩人を気に入った。今まで、どんな花も宝物も、気に入ることのなかった妻が、詩人に見惚れ瞳を
なぜ、その眼差しを俺には向けてくれなんだ? 思った通り、俺の妻になどなりたくなかったか? あぁ、そうだ、最初から判っている。こんな醜い俺の妻になど、なりたくなんかなかったはずだ。そうだ、だから、妻を責めるのも、詩人を恨めしく思うのも、俺が間違っている。だけど、この痛み、この苦しさをどうしたらいいんだ?
おまえの十分の一ほども、俺に美しさがあればよかったのか? オリレーズが冷めた視線を詩人に向ける。輝くように美しい詩人――そう思ってオリレーズが我に返る。
(違う、確かに詩人は輝いている――しかもその輝きは徐々に強さを増している。それになんだ、この心地よさは……懐かしいような切ないような)
詩人が放つ光に照らされるオリレーズ、光は身体を照らし、染み込むように体内へと忍び込む。地平に昇る朝日のように心の内さえ温めていく。静かにゆっくり差し込んでくる。
(姫が目を
「うおおおおおおおっ!!!!」
フィルの悲鳴が
部屋の入り口に、ゆっくりなにかが近づいてくる。やがて姿を現したのは……ゆらゆらと揺れる影のような男――男には顔がなかった。
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