額縁の死神は誘う AD2021 Tokyo(2)
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日本の春は桜に始まり、桜に終わる。
それはビルとアスファルトに占拠された東京の大都会でも同じだ。日頃から時間に追いたてられ、慌ただしく過ぎていく人の群も、この季節だけはそこはかとなく浮かれて宴のような賑わいをみせる。
だがその年の春はやけに静かだった。桜前線が北上し東京でも見頃を迎えているにもかかわらず、例年であれば人が溢れかえっているはずの名所は何処も閑散としている。昨年から続く新型感染症の影響だ。緊急事態宣言の発令により、桜の時期にあわせて催される祭りなどは自粛というかたちでおおかた取りやめとなった。今夏は東京五輪が開催されるということもあって、いまが我慢の時期だという衆論が強かった。
それでも春を諦めきれないものはいる。
女は人を避け、午後十一時を過ぎてから、山谷堀公園にやってきた。かつては堀があり、吉原遊郭に赴く猪牙舟が浮かべられていたという。堀のさざ波に浮かぶ提燈のあかりはさぞかし風雅だっただろう。花魁という麗しき華をもとめて客が足繁く通った堀は吉原の衰退にともなって埋めたてられた。現在では隠れた桜の名地として知られ、やはり花を愛でる人々が訪れている。ライトアップの時間帯は過ぎていたが、却って遠くに望む東京スカイツリーが際だっていた。紫と黄の光を帯びた塔が桜の格子に縁どられて暗闇にぼうと浮かびあがるさまは、明治期の幻燈を想わせた。
肌寒さを振りきり出掛けてきてよかったと、遊歩道を覆う桜のトンネルを振り仰ぎながら女が歩きだしたとき、ふと後ろから声を掛けられた。
「ごきげんよう。今宵は桜が一段と綺麗ですね」
清かに静まりかえる桜にかこまれて、ひとりの娘がたたずんでいた。
はっとするほどに奇麗な娘だ。まだ少女と淑女のあわいを漂う年齢だろうか。月あかりから縒って紡いだような銀の髪を宵風にそよがせ、黄金の瞳を輝かせていた。それだけでも充分に幻想じみているのに、身に纏っている服がいっそう彼女を現実から遠ざけていた。舞踏会にでもいくような銀糸を織りこんだ群青のドレスにうす絹のボレロを羽織り、暗がりでも視線を惹くほどに青い靴を履いている。真珠を砕いて乗せたのではないかと想うほどに透明感のある肌に艶やかな青が映えていた。
アニメーションという言葉が女の思考を過る。ラテン語で霊魂を意味するアニマからきたのだったか。空想の産物や創作物に魂を吹きこみ、動かすからだ。例えば幻燈はアニメの元祖といえる。
まさしく娘は、魂を埋めこまれた造り物めいていた。
娘の漂わせる幻想感に女は一瞬にして、のまれる。
「――それはそう、死を想わずには、いられないほどに」
娘の唇からほつと滴り落ちた不穏な響きに女が眉根を寄せた。
「死、ですか」
「あら、日本では昔から桜と死を結びつけて考えていると伺ったのですが。桜の根かたには死者が眠っているとか。華やかに咲き誇っては惜しみなく散りゆく桜は、死を強く連想させますもの」
娘は何処か妖しく微笑んだ。
「あなたも桜に誘われないよう、御気をつけて」
風が吹きつけた。女が睫毛をふせたあいだに娘はこつ然といなくなっていた。
桜がみせた夢まぼろしだったのか。女はぼんやりと首を傾げながら、娘の残した死という言葉を頭のなかで復唱する。確かに昨今、その言葉を耳にすることは増えていたが、それでも彼女の日常からは遠い言葉だった。
希望していた東大に進学して一年。想いかえせば、大変な時期に就学したものだとため息をつかずにはいられない。
突如として現れた新たな感染症の影響で、社会のあり様は急変した。感染の拡大を防ぐために授業はすべてリモートになり、友だちを増やすどころか課外活動もできず、なんのために受験を頑張ったんだろうと気が塞いでいた時期もあったが、すっかりと慣れてきた。慣れとは凄いもので、いまとなってはマスクをつけずに出掛けることなど想像できない。なにも死ぬほどのことはないのだ。好きなアニメの劇場版だってまもなく上映が開始する。生きていれば悪いことはあるが、楽しみもある。
そんなことを考えながら彼女は桜の写真を撮ろうとスマートフォンを取りだす。何枚か撮ってはみたが納得できる写真にならず、しゃがんでみたり背伸びをしたりと角度を変えていたが、不意に妙案を思いついたように「そっか」といった。
靴を脱いで側に置かれたベンチにあがり、彼女は肩にさげていた鞄の紐をふとめの枝に引っ掛けた。おもむろにその輪に首を通して、スマホを掲げる。
満足そうに笑って、彼女はためらいなくベンチを蹴りたおした。
枝が裂けそうなほどに軋む。散るには早すぎる桜のはなびらが、はらはらと、水の涸れた堀に落ちた。
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