二十一世紀の人狼は眠らない AD2003 New York(1)


 その町に吹く風は春でも乾いていた。

 街路に植えられたマメナシがいっせいに咲きそろい、遠くからみれば誰かが白紙をまるめて枝に載せたかのようだった。冬のつらさをいつまでも抱えこまない、アメリカらしい春のしらせだ。

 ここはアメリカ、ニューヨーク。ロウアー・マンハッタンのチェルシー地区だ。

 表通りにはぎらぎらとした硝子ガラスりの高層ビルと、傾きかけたレンガ造りの壁とが隣りあわせに建っていた。新たな風を常に取り入れながらふるきよきものも廃れることなくそこにあり続けている。多種多様なものがまざりあって、モザイクアートのごとくふたつとない芸術性を生みだす、そんなこの町のありようが街角の風景からも見て取れた。

 このチェルシー地区の南に位置するウエスト・ヴィレッジはそのなかでも特に歴史のある通りであり、チェルシーという地名が遠くロンドンからやってきたことを想いださせるヨーロッパ調の町並みをいまだに維持している。

 にぎやかな雑踏のあいまでふわりと、透きとおるような青がなびいた。

 美しい娘が白銀の髪を風に揺らして、人混みをすり抜けるように歩いていた。陽射しを映して髪が一瞬だけ、潤むように青を帯びる。娘の服は青かったが、さきほどきらりと弾んだ青はあの髪だろう。

 現実のものではないような雰囲気を漂わせた娘だった。奇妙なのはこれほどまでに美しい娘に誰も声を掛けたり振りかえることもしないのである。まして美を愛するこの町で。誰もが幻とでもすれ違うように行き過ぎる。

 娘はふらりと路地をまがり、賑やかなアベニューから裏通りにれた。

 旧い建物が軒をつらねるこの細い路地は人影もまばらだ。彼女はれいに折りたたまれた紙を取りだしひろげた。



[──二十一世紀にじんろう現る!]



 主張の強い文字がニューヨーク雑誌の一面に載っている。

 事件の日時は2003年1月18日未明──いまから約三カ月前だ。

 ニューヨークチェルシー地区にあるアンティークショップに押しいった強盗が現場で殺害された。NY市警は当時店舗の責任者である女性を過剰防衛の疑いで逮捕したが、その後無罪と判断し釈放。女性は事件当時強盗によって拘束され気絶していたことに加えてしんたいしようがいがあり、成人男性五人を殺害するのは不可能であると証明された。

 現場には第三者の指紋が残されており、強盗を殺害した犯人が逃亡したものと考え、引き続き捜査を続ける──だがその後、続報はない。

 雑誌記者の調べによると強盗の遺体は激しく損傷しており、獣にいちぎられたかのようなこうしようがいくつも残されていた。さらに強盗のうちのひとりは喉側からけいついをかみ砕かれ、絶命していた。だがそれは野犬や猫、熊や虎などの既存の動物のみ痕とは一致しなかった。そもそも動物単独ならば現場に謎の指紋が残るのはおかしく、ましてもうひとりの強盗は絞殺されている。絞殺は人間にしかできない殺害の手段である。動物をけしかけて強盗を殺害したのか、あるいは──。

 雑誌はこの不可解な事件を《二十一世紀の人狼》として派手に取りあげていた。


「事件があったのはこのあたりね」


 娘がぽつりとつぶやき、紙を折りたたんでから周囲を見まわした。

 路地には一軒のアンティークショップがあった。赤レンガのすすけた壁といい、ドアベルのついた重そうな木製の扉といい、チェルシーが寂れていた二十世紀初頭の郷愁を漂わせている。軒には時計をかたどったアイアンの看板が掛かっていた。

【antique Anastasia】

 娘はアンティークショップの扉に手を掛けた。からんからんとドアベルが鳴る。磨きぬかれたマホガニー材のレジカウンターに頰づえをつき店番をしていた女──アナスタシアは暇をもてあましてうつらうつらしていたが、客の訪問に気がついて顔をあげる。


「いらっしゃい……、ませ」


 アナスタシアは娘をみて、目を見張った。彼女の容貌があまりにも幻想じみていたからだ。年の頃は十五歳ほどか。まるみを帯びた額に卵を裏がえしたような顎の輪郭。雪を欺く肌に柔らかな頰と唇だけが紅を載せたように華やいでいた。

 その美貌を際だてているのが青いドレスだ。暁の、東から薄らいできた宵のとばりで織りあげたような群青の絹に星をかたどる銀のしゆう。コルセットベルトで締めあげられた、しなやかな腰の曲線が際だっている。時代錯誤のロココ調、あるいはヴィクトリア朝の貴族令嬢がまとうその服が、はっとするほどに彼女と調和していた。

 娘は視線に気がついて黄金の瞳を綻ばせると、服のすそをつまんで辞儀をした。


「ごきげんよう。みせていただいても構いませんか」


 茫然としていたアナスタシアは我にかえり、彼女は慌てて車椅子を動かしてカウンターから進みでた。


「どうぞどうぞ。なにかお探しのものはありますか。アンティークの家具から時計まで取りそろえております。時計はそちらの棚に。十八世紀頃のティーカップとソーサー、他にも年代物の首飾りや指環などもございますよ」


 ショップのなかには年季の入ったアンティーク家具や調度品が所狭しとならべられている。古い物ばかりだが、毎日丁寧に磨きあげているのでほこりひとつかぶっていない。


「これといって決まった物ではないのですが、所縁ゆかりのあるものを捜していて」

「所縁ですか……ご血縁のかたがお持ちになっていたものとか?」

「ええ、そのようなものです」


 みるからに育ちのよさそうな娘だ。名門貴族かなにかで大切な品でも捜しているかもしれないと、アナスタシアは勝手に想像を働かせた。

 娘が順にこつとうをみてまわる。英国伝統様式の食器棚に青や緑のヴェネチアングラスのゴブレット、マントルクロツクにブリキ製のもう動かない映写機。数百年の時の結晶がひとところに集まり、栄華を極めた時代の夢をみながら眠りについているかのようだった。

 娘が硝子張りの棚におかれた時計のひとつに視線をとめる。ダービー磁器の女神像に文字盤が埋めこまれた希少な天文時計だった。女神は慈愛の微笑を湛えながら時計を掲げている。だが背に拡がる翼は骨だけになっていた。時間が生を巡らせ、死を運ぶものであることが美しく表現されている。解説を添えようとアナスタシアが車輪をきしませて娘の側に寄る。だが説明するまでもなく彼女はいった。


「これは1780年頃にベンジャミン・ヴリアミーがロイヤルクラウンダービーと契約して手掛けたものですよね。博物館に展示されていてもおかしくはないわ」

「まあ、おわかりになりますか。そうなんです。なのでこちらは非売品なんです。といってもヴリアミー時計は数々の職人に委託されたものなので、ベンジャミンが直接手掛けたものではないと思うのですが」

「いいえ、これはまちがいなく、彼が造ったものです。時計の音を聴けばわかります。彼はムーブメントの端々にまで反響するような歯車の調べを愛しておられたから」


 親しかった故人を懐かしむようなその口調にアナスタシアは内心驚いた。「知りあいのようにおつしやるのね」となかば冗談めかしていったのに、娘はあっさりとうなずいてみせた。


「ええ、美しいものを愛する寡黙な職人でした」


 哀悼の確かな実感をともなった重みのある言葉にアナスタシアは訳もなく胸が震えた。

 三百年前の時計職人と面識などあろうはずがない。けれどもこの娘においては、実際にこの時計を造った彼と親しい間柄だったのではないかと想わせられる不思議な説得力があった。あまりにさりげなくいうものだからか、あるいは吸いこまれるような瞳のせいか。


「これらの骨董はあなたが集められたのですか」

「いえ、私もアンティークの調度品は好きですが、ほとんどは夫がしゆうしゆうしました。もとは夫の父親の趣味だったそうで」

「素晴らしいご趣味ですね、ぜひとも今度ゆっくりとお話を伺いたいわ」


 にっこりと愛想よくほほみかけられる。実は、と言葉をよどませて、春陽が陰るようにアナスタシアは眉を曇らせた。


「夫は昨年、不慮の事故に遭って……」


 一周忌の追悼ミサも終わったばかりだというのに、夫のことを考えるとアナスタシアは涙がこみあげそうになるのだった。


「幼なじみだったんです。生まれつき病弱だった私のことをずっと護ってくれて。まさか、夫のほうがさきに逝ってしまうなんて。運命とは意地悪なものね……」

「……お悔やみいたします」


 娘は愁いに瞳をふせていった。


「それでしたら、いまはおひとりなのですね。心細いのではありませんか。チェルシーは他とくらべれば犯罪の少ない地区ではありますが、それでも女性だけでショップを経営されているとなれば、強盗などに狙われる危険もあるでしょう」

「強盗……ああ、もしかして、あの事件をご存知なのですか」


 アナスタシアはこまったように愛想笑いを浮かべた。


「記者さんもたくさんこられるんですが、証言できることはなにも。私は強盗に殴られて意識を失っていて、なにがあったのか、なにひとつわからないのです。ただ意識が戻ったら血の海で……監視カメラも故障していて。おおかた強盗が破壊したんだろうと」

「ご愁傷です……。逮捕された強盗のものと一致しない第三者の指紋が残されていたとか。でしたらよけいにその人物が万が一現場に戻ってきたら、と思われることはないのですか」

「考えないこともありません。でもここを離れる気にはなれないのです。あの事件があってから客脚も遠のいてしまいましたが、ここにいるとまだ、夫が側にいるような気持ちになるときがあるんです。だから……ええ、だいじょうぶよ」


 はたとアナスタシアは言葉の端を結んだ。ついついしやべりすぎてしまったことを恥じたように苦笑いを浮かべる。偶然立ち寄っただけの客にここまで込みいった話をするつもりはなかったのに、この娘を前にするとなぜだか、言葉があふれてとまらなかった。彼女の瞳には人が胸のうちに秘めている思いを氷解させ、言葉にさせる奇妙な熱がある。

 娘はアナスタシアの背後にある鏡にちらりと視線をむけ、なにかを察するように睫毛をふせた。六芒星を模った首飾りが微かに音を奏でて揺れる。


「そう、きっとまだ、あなたのことを案じていらっしゃるのね」


 彼女はとんと、軽やかに靴を鳴らしてきびすをかえす。


「また伺いますね、アナスタシアさん」


 名乗ったおぼえのないアナスタシアが戸惑い首をかしげれば、娘はドアをくぐったところで振りかえった。舞いこんできた風が青い服のすそを踊らせ、刺繡がきらめく。


「とても奥様想いの旦那様だったのですね」


 Antique Anastasiaと書かれた看板を指差して彼女はいたずらっぽく頰をもちあげた。


「わたしはモリアといいます。きっとまた、おいすることになりますわ」


 それだけを言い残して、モリアと名乗った娘は賑やかな表通りに紛れていった。幻想じみた後ろ姿は背の高い人混みに埋もれ、見えなくなる。

 チェルシー地区は芸術家の町だ。時折風変わりなお客さんが訪れることもあるが、それらともまた違っていた。まるで魂を吹きこまれたアンティークドールのような娘だった。アナスタシアはあらためて息をらす。

 カウンターに戻りかけて、娘の眺めていた鏡が不意に気に掛かり、のぞきこんだ。縁にりんの意匠が施された黄金の鏡だ。彼女はこの鏡のなかに誰かをみたような素振りだった。まさか愛する人でも映っているのではないか──。


「そんなはず、ないわよね」


 古びた鏡にはただ、心もとなげな女の顔が映っているのみだった。


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