エピローグ

第51話:エピローグ

「彼女は生きています」

 少し疲れの見える女王が、しかし力強く言った。


「マルガリータが?」

 ここ数日で抱え込んだ暗い記憶の一つが、その表情を変える。

 何もかも黒く塗りつぶされた私の心の中にあっては、大事な一筋の光だ。


 二日前の朝、眠りから覚めてまず決めたのが、この街から出ていくことだった。本当は昨日の内にも出発したかったのだけれど、コイトマから女王が話したがっているという話を聞き、一日先延ばしにして今日にいたる。


 謁見えっけんに関しては、女王が二人で話したいということだったので、以前謁見に使ったのとと同じ部屋に二人きりで座っていた。大きな机の一番左、入り口を背に私は座っており、そのすぐ左前、机の短辺付近に配置された大きな椅子に女王が一人腰かけている。


「えぇ、命を絶ったのは母だけです」

 室内の雰囲気とは裏腹に外は快晴で、私の向かいにある窓から、たくさんの光が差し込んでいた。女王の顔にも、薄く光がさしている。


「非常に幸いなことでしたが、もちろん、だからと言ってマルガリータを許すつもりはありません。今までとは別の、何かしらの方法で償ってもらう予定です」

「まずはルール作りから、ということですね」


「はい」彼女は大きく頷いた。「罪の償い方だけではありません。いろいろな側面でこの街を変えていく必要があります」


「ここで言っても仕方がないことかもしれないのですが」女王の決意を聞いて、私も決意を固めた。「街の平穏を乱してしまい、申し訳ございませんでした」

 そう言って、頭を下げる。


 女王の母に会わなかったら、とずっと考えていた。私が女王の母に会わなければ、この街はなんとか今の問題に対処して、進んでいったかもしれないのだ。今まで通りの平穏を不可能にした責任の一部が、自分にはある。


「いえ、謝る必要はありません。少なくとも私には。むしろ、私はアガサさんに感謝をしています」

「感謝?」


「えぇ。私は、この街のり方に賛同はしていませんでした。ただ、今ある生活を崩してしまうことを恐れていたのも事実です」女王はそう言って、息をゆっくりと吸った。「毎日のように、街の在り方に対する違和感は増していきましたが、それと同じくらい、街の生活を維持する重圧も増していきました。正直苦しかった。アガサさんがそれを解消してくれたんです」


「そんな、私は何も」

 返す言葉が見つからなかった。


「すみません、こんな愚痴のような話をするべきではありませんでしたね。はしたない真似をいたしました」


「いえ、はしたないなんて、全然」

 目を伏せた女王を見ながら、もしかしたら人に謝られるというシチュエーションは苦手なのかもしれない、と私はひそかに予感する。


「アガサさんは、旅を続けられるんですよね?」

 再び視線を上げた女王が、言った。


「はい、その予定です」

「でしたら、いつかまた、この街におこしください。より良い姿になった街をお見せします」


「えぇ、ぜひ」

「約束ですよ」

「もちろんです」


 私が答えると、疲れた顔をした女王は、それでもわずかに笑みを浮かべた。

 今度来たときは、曇りのない笑顔を見ることができるだろうか、とそんなことを考える。


「では、あまり引き留めてしまっても気がとがめますので、そろそろお開きにしましょうか」

「そうですね」


 話すことはいくらでもあるけれど、今はもう十分だという気がした。ここ数日間の出来事を振り返るには、まだ記憶が新鮮すぎる。どうあっても冷静ではいられないし、私たちの心をいやおうでも傷つけるだろう。話はまた今度、この街の再建が軌道に乗って、暗い記憶を客観的に昇華させることができるようになってからでいいはずだ。


「では、そろそろ失礼します」

 私が席を立つのと同時に、女王も席を立った。


 ともに扉の方へ向かうさなか、

「そうそう、この街で生まれた男児に関してですが」

 女王が耳元でささやく。

 

 *******


「怖かった?」

 離れの寝室に至る扉を開けると、パドマが言った。


「何が?」

「女王様と一人ぼっちで会ったこと」

「全然」


「またまたぁ。私の前で強がらなくていいのに」

 ほとんど冗談のように、でも少しだけ本気の調子で、少女は言った。

 なんだか、想像以上に臆病な人間だと思われている気がする。


「ありがとう」

 ひとまず、率直な心情を言葉に乗せた。


 すると、

「いい子いい子してあげようか?」

 今度は完全に冗談だと分かるように、パドマは言う。


「そろそろ街を出ようと思うんだけど、いい?」

 彼女の言葉を聞き流し、尋ねた。


「だめって言ったらどうなるの?」

「私が悲しくなる」

「それは魅力的だなぁ」大げさに考え込む仕草をする、少女。「でも、人類を救うのが旅のモチベーションだったんでしょ? この先はどうするの?」


「ちょっと気になる場所ができたから、まずはそこに行こうと思って」

 先ほど女王から聞いた話に、心がかれていた。


「そっか。それは良かった」

「それで、ついてきてくれる?」

「まぁ、アガサは私がいないとだめだからね」

 やれやれといった感じで、パドマは首を振る。


「逆だと思うけどなぁ」

 そう言いつつ、彼女の言葉は事実かもしれない、と考えている私だ。

 

 不満げな顔で仁王立ちする少女の向こうには、美しく晴れ渡った空。

 その清らかな空が、私たちの背中をそっと押してくれているような気がした。

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ラス・メニーナス 西木夋介 @Saiki_Shunsuke

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