偽物クリスマス

海沈生物

第1話

 純粋無垢な子どもたちの「お願い」と「ヘドロ」の塊みたいな大人たちの性欲が渦巻いている、クリスマス・イブ。例年通り社畜と化していた私は真夜中に帰宅すると、酒に泥酔する力もなく、実家から持ってきた羽毛布団の中へ潜り込む。うつらうつらとする中で、私は一つ、サンタクロースへお願いをした。


「どうか一日だけでもいいので、もう一人の私をください」


 まるで純粋無垢な「お願い」のように見えるが、薄皮一枚めくった先にあるのは「ヘドロ」だ。本当は一日だけじゃない。一生労働したくない。一生推しのコンサートへ行きたいし、グッズを大量買いして自分のお金を推しに費やしたい。日常の一部になりたい。不老不死の人間が短命の人間に対して「儚い……」と思うような感じで、貧困層に対して「可哀想……」と思いたい。それだけでなく、聖夜の夜に然るべき施設へ数百万円を送金したい。そうして、自己承認欲求を満たしたいのだ。


 良い歳をして、別にサンタを信じているわけではないのだ。しかし、0歳の頃から「サンタは上司である神からの”どうして私に聞かなかったんだ!”というパワハラと、今の若い子から”それってセクハラじゃないですか?”という言葉の板挟みにされ、酷い鬱状態から首吊りをして死んでしまったんだよ」と変な質感のあるサンタ終了制限をされてしまってから、もう「プレゼント」というものとの出会いがなかったのだ。それはとても……寂しいこと、であるように思った。

 今日はやけに眠かったので、十二時になる前に床へ就いた。


 そして、クリスマス当日。布団の中で出勤をうだうだ嫌がっていると、味噌汁の良い匂いがしてきた。隣人の部屋からの匂い、だろうか。もしかして窓を開けっぱなしだったのかと思っていると、キッチンにエプロン姿のがいた。

 夢かと思ってもう一度寝ようと思ったが、突然布団が引き剝がされる。


「えっと……どういう状況?」


「どうもこうもないです。今日は私の出勤日ですよね? さっさと起きてください」


 ぷんすかと頬を膨らませながら、吹きこぼれる味噌汁に「あー!」と急いで火を止めに行く姿に私を思い出す。最近はめっきり味噌汁なんて作らず朝食を抜いているが、一人暮らしを始めた頃は「丁寧な生活」というものに憧れ、毎朝一汁三菜を作っていた。

 これは夢じゃないかと私と私の頬を同時に引っ張ってみたが、痛みがある。夢は覚めない。それどころか、私から頬をしばき返される。理不尽の極み。これが民主主義社会という不平等だからの社会なのか。やはり社会主義こそが至高。


 憎悪を心にたぎらせていたが、鮭の焼ける良い匂いに感情がリフレッシュされる。テーブルに次々と置かれていく理想的な一汁三菜を見ていくと、心が浄化される。


「これ……私が食べていいの?」


「当たり前じゃないですか。私が作ったものは私にちゃんと還元する。それが私たちで決めた”ルール”ですよね?」


 なんてすばらしい民主主義だろう。国民が国民として主権を得ることができる。「そういえば昨日の夜中に”うんうん”と答えてくれていたと思ったけど、寝ていたんだし、あれってもしかして寝言だったんですかね?」という言葉は聞こえないふりをする。


 昨日の晩御飯を食べ損ねていた私にとって、これほどの魅力のある食事には逆らえなかった。「ちゃんと噛んで食べてください」という注意の言葉を無視して、まるで飢えた獣のように食事に貪る。気が付くと、ご飯のおかわりをしていた。食べ終えた後にカロリーのことを考えて、死にたくなる。

 そんな私に私が近付いてくる。慰めの言葉でもかけてくれるのかと思っていると、


「ほら、出勤の時間ですよ」


 慈悲の無い言葉だった。これが神なき世界の絶望。依存する対象や世界の不条理が全て私という存在に帰ってきて、誰のせいにもできない。なんて残酷な世界。渋々鞄を受け取ってドアの向こうへ行こうとすると、「待って」と引き止められる。まさか代わりに労働でもしてくれるのか。そう期待していたが、空いた左手に袋に包んだ何かを渡された。これは、確か押入れの奥の方にしまっていたランチクロス。あるいは「弁当包み」。長らく使っていかったので色落ちしていたが、中に入っている箱からは遠い昔に嗅いだことのあるようなにおいがする。


「冷蔵庫にあった賞味期限ギリギリのもので、お弁当を作っておきました。栄養バランスも考えているので、いつもみたいに変に甘いパンとか買って食べないでくださいね?」


 きらりんと目の奥が光る。すごい。あまりの良さに感涙しかけていると、私からドン引きされた。私なのに私の行為にドン引きするのか、不思議。涙をハンカチで拭き取られると、「掃除とか洗濯はやっておくから」とドアの向こうへと背中を押された。私は久しぶりに清々しい気持ちになっていた。



 今日も疲れた。疲れたが、昼休みに「これ、佐藤さんが作ったんですか!?」といつもは塩対応な後輩からの反応がもらえたのが最高だった。「彼女が作った」と見栄を張ろうとしたが、大人しく「知人に作ってもらった」という穏便めな嘘にした。まぁ実際、彼女という存在があまりにも非現実的すぎるし、まるで私なのに私のメアリー・スーすぎるような気もする。


 「ただいまー」と声をかけると、中から「おかえりー」の声が返ってくる。久しく学生時代から彼女を持ったことがなかったので、懐かしさに脳がふにゃふにゃになる。掃除をしていなくてゴミだらけだった私の部屋だが、まるで新品の頃のように片付いてた。少しずつ増大し続けていたエントロピーが消滅した。また感涙していると、「なんで泣くのよ」と言われた。それは泣く。家族とも長らく連絡を取っていなかったので、余計に「仕事以外の人間に干渉される」という行為に感動する。


 また涙を拭いてもらうのもアレなので、手洗いうがいをするついでに顔を洗って涙を拭き取る。それでもしばらくは涙が出ていたが、落ち着いてくると、洗濯機にタオルを入れた。

 リビングに戻ると、良い匂いがしてくる。この匂いには嗅ぎ覚えがある。


「えっと……素うどん?」


「違いますよ。蕎麦です、蕎麦」


 テーブルに置かれていたのは、具だくさんの蕎麦。一口サイズの鶏むね肉と、ネギの上に常温保存のお揚げとワカメ、あとは月見卵。素うどんかもやし生活ばかりしていた私にとって、それは救済のように思えた。


 「いただきます」を速攻で終わらせると、卵の中央にお箸の先で穴を開け、とろりんと黄身が割った。これを撮影して飯テロ動画として深夜のSNSにあげて、阿鼻叫喚地獄にしてやりたい。卵と絡んだ蕎麦をすする。


「これが……お袋の味……?」


「お袋ではないし、私は貴女ですよ。いくつかレシピ帳に作り方を残しておいたから、また作りたくなったのなら、レシピを見て自分で作ってください」


 嫌じゃないタイプの、甘み。コンビニのすき焼きの甘さに辟易としていた私にとって、甘いを目的としない液体の「甘い」が「美味しい」とイコールになる瞬間というのは、まさに奇跡のようだった。これが宗教、これが手料理。

 目を輝かせてご飯を食べる私に、私は溜息をつく。


「……長生き、してくださいね」


「私が私なら、私の健康管理してくれたらいいじゃん」


「まぁ……それが一番なのは一番なんですが。この世の摂理に反する存在というのは、あまり長くもいれないというもので。そう思うなら、新しい彼女でも作ってください。こんな、聖夜の奇跡なんかに頼ってないで」


 ガーン、ガーン。深夜0時を知らす時計の音。一瞬だけ時計を見たその瞬間、まるで最初からいなかったように、彼女は姿を消した。ただ食べていた蕎麦と、冷蔵庫に残された作り置き、あとはレシピ帳。

 私はレシピ帳を手に取り上げると、中を見る。私と同じ筆跡。相変わらず字が汚い。月明かりが部屋に差し込み、私の脳天を照らす。今はただ、月明かりと喪失の中で、子どものように泣きじゃくるしかなかった。

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