天井のシミの数を数えながら

 鳳の車で自宅まで送ってもらい、夕飯を食べて風呂に入って、後は寝るだけという状況。僕は自室の布団に仰向けに寝転んで、天井のシミの数をぼんやりと数えていた。


「ふう」


 ため息が漏れたのは、ため息を思わず漏らしてもらうくらいに疲労が蓄積されていたということなのだろうか。

 原因はわかりそうもないが、そんな無駄な思考に頭を悩ませる気も更々なかった。理由は勿論、宿敵との下校ドライブでされた発言のせい。まったくあの男は、面倒事を押し付けるのが好きで困る。


 ドライヤーで乾かしたものの、髪は微かにまだ湿っていた。濡れた髪が枕を湿らせる感覚を感じていると、スマホが震えた。


『こんばんは』


 スマホ画面を見ると、白石さんからメッセージが来ていた。


『熱、下がったわ』


 ロック画面を解除しようとすると、再度スマホが震えた。本日学校を休んだ彼女だったが、どうやら体調は快復傾向らしい。正直、鳳のせいで白石さんの熱のこと、すっかり忘れていた。お見舞いに行こうと朝思っていたんだよなあ。


『良かった』


 メッセージアプリを開き、返事を返した。


『さっきまでずっと寝てて、起きたら下がっていたわ』


『そっか』


 そんな返事をしながら、白石さんが熱を出していたことを忘れていたことをバレないようにしないとな、と思った。


『明日は学校来れる?』


『うん』


 ホッと安堵した。


『誰かがお見舞いに来ることもなくてうつす心配もないし、明日は会えるね』


「あははっ」


 お見舞いに行かなかったこと、これは根に持ってますねえ。

 思わず笑ってしまった。そして、肝を冷やしてしまっていた。多分、笑っている場合ではない。


『ごめん。不審者に絡まれちゃって、それどころではなかったんだ』


 よもや鳳も自分が不審者扱いされる日が来るとは思っていなかっただろう。あいつイケメンだし。いや、イケメンは不審者にならないってどんな了見だ。


『いいわ。知っているもの』


『何を?』


『安藤さんが偶然見てて、教えてくれたの』


『何を???』


『今頃、界隈では阿鼻叫喚だそうよ』


 何それ怖い。


『あたしとの関係はカモフラージュだったのね』


『いや違う断じて違う絶対違う』


『鳳先生とドライブデートなんて、あなたも隅におけないわね』


 思わず頭を抱えてしまった。まさかバレていたなんて。下心なんて一切なかったし、何なら拉致られたようなものだが、それでもバレていただなんてショックが隠せない。穴があったら入りたい。学校辞めたい。


『酷いわ……』


 ……白石さん、楽しんでいるな。ベッドに横たわりながら笑いながらスマホ弄っている白石さんの姿が目に浮かぶ。まあ、僕をいじれるくらいまでには体力が快復したことは嬉しいことだ。


『あたしよりも鳳先生の方が大事なのね?』


『そんなことあるはずがないだろ?』


『あら、そうなの?』


「勿論さ」


 と言いながら、


『勿論さ』


 と打ち込んだ。


『じゃあ、証拠を見せて頂戴』


 一日寝ていたからか、風邪から快復したからか、今日はいつにもまして、白石さん積極的だなあ。


『何をすれば良いの?』


『しばらく、あたしとお話して』


 それだけで良いんかい。お可愛いことね。


『嫌なの?』


 画面を見ながら苦笑していたら、既読無視されたと思ってメッセージが来た。不安になるくらいなら送らなきゃいいのに。


『構って』


 また来た。


『構ってー』


 ……泳がせておくのが、これは吉なのではないだろうか。


『ひまー』


 うむ。もうちょっと放っておこう。


『ひーまー』


 このメッセージが来てから、五月雨メッセージが止まった。


 と思った数秒後だった。


「うわっ」


 白石さんから電話が来た。

 僕は、電話に応じた。


「もしもし」


 白石さんからの応答はない。


「もしもし?」


 あれ、電波障害かな? と思ったタイミングだった。


『何よ、スマホ見てるんじゃない』


 少し寂し気な白石さんの声が聞こえた。


「ごめんごめん」


 少しだけ申し訳なくなりながら、僕は続けた。


「可愛かったから、少しイジメたくなった」


 いつもならこんな浮ついた言葉口から漏れ出ないのに、気分が絆されたせいで口から漏れた。


『そ、そう……』


 気恥ずかしそうな声がスマホから聞こえた。


 しばらくの無言。


『少し、お話良い?』


「勿論」


『今日、ずっと寝てたから元気が有り余っているの』


「体はもう大丈夫?」


 と聞いてから、少しだけ白石さんの声が鼻声であることに気が付いた。


『大丈夫。明日は学校に行くわ』


「無理はしない方が良いよ?」


 なるべく角が立たないように、優しい声色で言った。


『嫌よ』


 しかし、はっきりと嫌と言われた。

 どうして、と尋ねる前に、


『……二日も会えないなんて、イヤ』

 

 白石さんから嬉しい言葉が聞けた。


 少しだけ、温かい気持ちになった。口角が吊り上がりそうなところを必死に堪えた。


 白石さんも気恥ずかしかったのか、次の句は中々出てこなかった。


「ごめんね、今日はお見舞い行けなくて」


『大丈夫。風邪、うつしたくなかったのは本当だから』


 そう言えば、いつか僕が風邪を引いた日に、白石さんはが僕の家にまでお見舞いに来てくれたことがあったな。あの時はまあ、色々あったが……翌日しっかり僕は彼女に風邪をうつしたのだった。

 二人してあまり体が強くない質なんだよなあ。


『それで、鳳先生と何してたの?』


 少しだけ凛とした声に戻った白石さんに尋ねられた。最近されている下級生からの相談事含めて、白石さんも今日僕が鳳に連れて行かれた意味を悟っているのだろう。


「まあ、多分想像通りだよ」


『……そう』


 電話口から、ため息が漏れた。


『あの人、結構我が強いわよね』


「あははっ」


 確かに。


『そう。高校生とお付き合いするつもりはないってことね』


「うん。まあ、元々まずい話だったよね。教え子と交際だなんて、バレたら懲戒処分とかされそうだ」


 なんだかひと昔前のトレンディードラマとかで粗造されてそうな展開だな、それ。

 今更ながら、そういうリスク面を考えても、鳳の判断は懸命なのだろう。ついでに、それ以上に鳳の赤裸々昔話は白石さんには話さないでおこう。せめてもの情けだ。


『でも、それでは朝倉さんがあまりに可哀想だわ』


「うん、まあそうだね」


 鳳からは、これ以上の追撃が成されないまでに朝倉さんに言ってくれと言われている。確かに、好意をそれほどまでに一蹴されるのは可哀想な話だ。

 

『何とかする術はないかしら……?』


「恋愛事だからね。意中の相手である鳳が眼中にないって言っているなら、それ以上は難しいよ」


 さて、であれば朝倉さんにどんな風に言って鳳への気持ちを諦めてもらうか、か。まったく、面倒事を押し付けられたものだ。


 一人考えに耽っていると、しばらく白石さんの返事がないことに僕は気付いた。


「あれ?」


 電波障害かと思って声を発した。


『あ、ごめんなさい』


 どうやら声は聞こえていたらしい。


「どうかした? ……あ」


『違うわ。風邪はぶり返してないし、疲れたわけでもない』


 思っていたこと、全部否定された。


「じゃあ、どうしたの?」


 そう言うと、白石さんは逡巡したようにまた静かになった。


 しばらくして、


『あなたって、鳳先生のこと嫌いよね?』


 白石さんは言った。


「うん、大嫌いだよ」


 不変的な事実である。


『……その割には、なんだかんだ彼のために尽力するわよね』


「それは、貸しがあるからね」


『……貸し?』


「そう。貸し」


『でも、あなた達って教師と教え子の関係じゃない。貸し借りの関係があること自体、おかしな話よ』


「……まあね」


 目から鱗とはまさにこのことか。

 

『教師である以上、鳳先生はあなたを頼ること自体おかしいし、逆にあなたが鳳先生を頼るのは当然のことじゃない。あなたの悩みを真摯に受け止め解決に導くのが教師のするべき仕事だわ』


 ぐうの音も出ない。


『……あなたは多分、鳳先生にその貸し借り関係が不当と言えば受け入れてもらえる立場にいる。なのにどうして……どうして鈴木君は、鳳先生とその関係を続けるの?』


 言葉に詰まっていた。

 確かに、一番初めに鳳に貸しを一つ作って、さも当然のようにそれから貸し借りの関係が続いているが、それは白石さんの言う通り、いつ一方的に終わりを告げても良い話なのだ。

 なのに、僕はそれを未だに続けている。


 一年と少し、鳳とこんなしょうもない関係を続けている。

 さっきあいつの車の中で、今のあいつとの関係をほんのちょっぴり嫌いではないと思った。でも果たして、ほんのちょっぴりで一年以上もこんなことを続けるだろうか。まして今、頭を悩ませる程の面倒事を押し付けられて、かつてサラリーマン時代に余計な仕事は受け持たないと心に決めた僕がこんなことを続けているのか。


『ねえ、鈴木君?』


 白石さんは、続けた。


『どうして?』


 どうして、なのか?




『その人、私の初恋相手だったんです』



 

 思い出したのは、あいつがそう言った時の少しだけ寂しそうな顔だった。

 停車した車の中、真っすぐな道路の先をぼんやりと眺めていたあいつの……寂しそうな横顔だった。


 失敗をいつまでも引きずる、あいつの後悔を孕んだ、そんな顔だった。




「重なったんだ」




 あいつのあの時の顔が、重なったんだ。


『おじさん……』


 あの時の鈴木君の顔に。


『ちゃんと運転に集中してくれよ』


 安藤姉の運転する車のサイドミラーに写った、泣きじゃくる男に。


 重なったのだ。


 鳳も、鈴木君も僕も、同じだ。失敗に失敗を重ねて、後悔して。そんなことを繰り返しているのだ。


 そんな似た者同士であるあいつに、僕は……。


「負けたくないって思ったんだ」


 鳳の運転する車の中、僕はあいつのことを否定した。

 多分、心の奥底にある情けない自分に。恐らく、あいつと同じく失敗を恐れたがる自分に言い聞かせるために、僕はあいつの考えを否定した。


 逃げたい気持ちはある。

 でも、逃げたら成功はないし後悔しかない。


 僕は、それを学んだから。かつての自分から学んだから。


 だから、同じ失敗を繰り返さないために。言い聞かせるように鳳にそう言って見せたのだ。


『……あなたも大概、我が強い』


 呆れたように、白石さんは言った。


「一緒にしないでくれ」


 大層不服だった。


『教師を言い負かそうと思う人が我が強くなくてなんなの?』


「確かに」


 一理ある。ところでさっきから僕、君にずっと言い負かされているんだけど、君も我が強いってことで良い?


『……ふぅ』


「何のため息?」


『……ふふっ』


「何の笑い?」


『なんだか少し、あなたの人間味が見えた気がしてね』


「僕のこと、鉄仮面かなんかだと思ってたの?」


 と言うか、僕今まで君に人間味見せてなかった? 人間味の塊だったと思うんだけど。


『だって鈴木君……誰かにお願いされたことをなんとかするために行動はしても、自分の意思で何か行動を起こすことは滅多にないじゃない』


「そうだろうか?」


『そうよ。横断歩道の件も文化祭の件も部活動紹介の件も、あなたはいつも誰かのために行動してた』


「なんだか背中がむず痒いんだけど」


 そんな誇れるようなことをした覚えは一切ない。


『そんなあなたが鳳先生を言い負かしたいだなんて……なんだか、少し悔しい』


「……今日の白石さんは、熱に浮かされてよく舌が回るね」


 皮肉めいたことを言ったのは、恥ずかしかったから。


『あら、もう熱は下がっているわよ』


 ただまるで効果はないらしい。


『今あたしの舌が良く回っているのは……好きな人の新たな一面が見れたから』


 むしろ、反撃をされる始末だった。

 思わず、息を呑んだ。


 ……まったく。


 白石さんは、見る目がない。僕の人間味が中々見れないだなんて。

 今だって、君のせいで心臓が高鳴っているというのに。


 スマホから、微かな吐息が漏れた。




『好きよ、鈴木君』




 顔が熱い。

 湿った髪も、顔の温度によってか、はたまた時間が経ったからか、すっかり乾いていた。ただそんなことに気を留める余裕は、今の僕には一切なかった。

 元気が有り余っていると白石さんは言っていた。確かにそうだ。だから、こんな時間にこんなことを言ってしまうのだ。

 ただ付き合わされるこっちの身にもなって欲しい。おかげで疲労困憊だった僕は……少しだけ、元気になれた。


 そろそろ宵も深まる時間。

 あとは寝て、朝になったら起きるだけ。朝になったら平凡的な刺激のない毎日が繰り返される。


 いつもなら、もう少し起きていようかと思うのに。今は、そんなマンネリ気味な明日を望んでいる。




 白石さんに早く会いたいと、そう望んでいる。




『も、もう良い時間ね』


 自爆した白石さんは、気恥ずかしそうな声で捲し立てた。


「そうだね」


『……寝ましょうか』


「うん。そうだね」


『……おやすみ』


「うん。おやすみ」


 明日のことは明日悩もう。

 そう思って、スマホを充電器に挿して、部屋の電気を消した。


 布団に潜り込み、目を瞑った。今日はさっきまでの悩みも吹き飛んで気持ちよく寝れそうだ。


 ただ、目を瞑って浮かされた熱から覚めていくにつれ、また一つ僕は考えに耽るのだった。思い出していたのは、やはりさっきの鳳との会話だった。




 ……もし。




『高校三年の時、一人の女子に『ようやく終われる』と言われたって』


 もし、もしも……。


『その人、私の初恋相手だったんです』


 もし僕も、似たようなことを白石さんに言われたら。




 そうしたら僕は……後悔を繰り返さないようにだなんて、そんなことをまた言えるだろうか?

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