イケメン吹奏楽部毒舌顧問の知りたくもない過去

「前の君は、与えられたタスクをこなしているだけに見えました。タスクの本質を見抜いて、自分のするべきこと、相手にさせるべきこと。ただそれを見定めているように見えました。

 ただいつ頃からか、君は前に比べてほんの少しだけ、相手の気持ちを理解しようとしている気がします」


 相手の気持ちを、か。

 確かに、昔に比べて相手の気持ちを考えることが多くなった気がする。鈴木君のこと然り。大原さんのこと然り。


 昔の僕であれば、多分気付けなかったことも気付けるようになった気がする。ようなしないような。


 白石さんへの好意を自覚した頃から、僕は成長を望むようになった。成長していく彼女に置いていかれないように。

 そのために僕は、過去の自分との関係を清算し、今を生きていこうと決意した。


 その決意から、しばらくが経った。


 そして、こうして忌々しいこの男から、成長したと告げられた。

 であれば、僕は多少は自分の望みを叶え始められているわけ……なのだろうか。


 正直、自覚がないからイマイチ実感がない。



 複雑な顔をしている僕をチラリと見て、鳳はクスクスと悪戯っぽく笑っていた。


「存分に悩んでください。青春とはそういうものです」


「さいで」


 鳳の言動を見て、なんだか彼に乗せられたような気がしてきて、僕は不服と思いながら窓の外を見ていた。



「良いものですね。青春とは。たくさんの仲間と思いや感動を共有して。先も見えないはずの将来も、その時ばかりは明るい気がするものです。

 だけど、私は君の言う通り、失敗したんです」


 フロントガラス越しに遠くを眺める鳳は、続けた。


「君達にも青春時代が在ったように、私にもかつて青春時代がありました。それはいつかと言われると、少しだけ気恥ずかしい気持ちにもなりますが……。多分、高校時代。

 今の君と同じくらいの年の頃です。


 あの時の私は、トランペット奏者として、吹奏楽部に所属して、青春の時間を過ごしていました。


 君のように、気の置けないような恋仲の相手はいませんでしたが、それでも私の心は日々満たされていた。大好きな音楽を、目が覚めてから夜眠るまで。ただひたすら、音楽に没頭していました」


「まるで生活の一部みたいに語りますねぇ」


「生活の一部だったんですよ。価値観の違いですね。そういう価値観の違いの代表例といえば、車ですね。

 車はたくさんの人が所持しているものの、物好きでもなければただの移動手段の一つでしかない。

 でも、車好きの人たちは違うでしょう。

 まるで生活の一部のように、暇を見つければ車を洗車して。暇を見つければ運転する。誰彼に共感される趣味ではなく、生産性を生まない時だってあったりする。

 でも彼らはそれをやめない。洗車すること。運転することは、彼らにとって生活の一部なんです。だから、人によっては嫌がる行為も嬉々として行える。

 

 私の場合、それがたまたま音楽だった、というだけです」


 なるほどね。

 まあ、そういう人種の人間は知っているし、理解は出来なくもない。


「博美と一緒、ということだね」


「そうですね。明智さんもそうでしたね」


 それはまさしく、博美さん。

 一時、この隣にいる野郎のせいで退部寸前までいった彼女だが、今では毎日楽しそうに音楽に打ち込んでいる。

 誰よりも早く学校に行って。

 誰よりも遅くまで、音楽に打ち込んでいるのだ。


 端から見れば、大変そうな生活をしているな、と思わなくもない。だけど、彼女はそれを嫌がる素振りはまるでない。


 理由はわかっている。

 だけど、共感出来るかと言えば、それはどうやら別問題だった。


 ただ……。


「君もそうだったんじゃないですか?」


 きっと鈴木君も。

 この男や博美さんと、同じ人種だったのだろう。


「……そうだったね」


 僕は苦笑した。




「かつての私は、音楽はただ好きだから行うものでした。所謂趣味、ですね。ただその趣味で、偶然にも才能というものを開花させてしまった。それだけだったんです。でも、その好きだから、が崩壊する事件が起きた」


「それは?」




「敗北です」


 なるほどね。


「私の高校は、全国でも有数の吹奏楽部有名校でした。全国大会金賞は当たり前。そんな学校だった。だけど、私の一つ上の代の先輩達は、通なファンからは不作の時代と言われるような世代だった。ただ端から聞いていて、彼らの演奏が拙いと感じたことは一度だってなかった。いつだって楽しそうに、辛い練習も、仲間と一体になって乗り越えてきていた。

 でも、大人は過程よりも結果を重視するものです。


 私が二年の頃の吹奏楽部コンコール、私達の母校は関東大会ダメ金という結果に終わりました。


 あの時は、悔しかった。

 私達は誰よりも頑張ってきた自覚がある。なのに結果が出せなかったこともありますが、何よりも一番悔しかったのは周囲の反応でした。周囲のOB、OGはダメ金に終わった結果だけを見て、まるで全てがダメだったかのように、私達や顧問に文句を言ってきたんです。

 ただ先輩達が不憫でならなかったんです……。まあ、先輩達はそれでも笑顔を絶やしませんでしたけどね。


 私が変わったのは、それがきっかけでした。

 たまたま私は、吹奏楽部の私の代で、一番演奏が上手かった。何故だか女生徒からの人気もあった。

 そういった色々な都合が重なって、私は三年の時に部長を務めるようになりました。


 そして私は部長として、周囲の演奏に文句をつけ続けた」


 なるほど。それは今も変わってないのでは?


 口に出すのは野暮だと思ったので、僕はとりあえず黙っておくことにした。


「あの時の私は、前年の結果への挽回。それだけしか頭にありませんでした。だから、周囲に発破をかけ続けて、演奏レベルを向上させることしか頭になかったんです。

 結果は、前年果たせなかった全国大会への出場。そして、金賞。無事前年の雪辱を果たせた。


 だけどね。

 全国大会が終わった後、三年生達は誰も喜んでいませんでした。三年だけじゃない。二年も。一年も。誰一人として。私でさえも。


 三年生の一人がポツリと漏らしていた言葉は、今でも覚えています。


 彼女は、言いました。




『ようやく終われる』ってね」



 けたたましいエンジン音だけが、しばらく車内には響いた。



「その時、私は自分の犯した過ちを知りました。部活動はあくまで部活動。学びの一環なんだってね。結果を求める場では、本来ないのだと。

 結果を出すことで、成功体験を学べることもある。だけどそれは、皆が嫌々辛い思いをしてまで手に入れるものではなかったんです。

 そこから私は、一度吹奏楽から離れました。でも、音楽の道からは脱却できず、インディーズバンドでギターやボーカルをしながら、音楽の道を続けていました。

 何故だか、若い女性を中心に私達のバンドはそれなりの人気を博しましたが、私の中ではどこか満たされない気持ちがありました」


 出たな、インディーズバンド『ゴシップ』時代。ある種の鳳の黒歴史時代だ。


「わざわざ女性がどうのは言わなくていいから」


 あと、むかついたので文句も忘れなかった。


「鳳、あんたいつか言ったよな。新入生が一同揃ったところで、部員全員に今年の目標を決めさせるって」


 そして、間髪入れずに僕は、かつて鳳に聞いた話を思い出して言った。


「えぇ、そうですね」


「あれはあんたにとって、免罪符だったんだな」


「……否定は出来ません」


 今年の目標を決めること。

 それは、皆の目標へのベクトルを揃える意図がある。目的がバラバラな集団は脆い。各々好き勝手に、自分のペースで練習を行えば、取りまとめなんて簡単に出来るはずがないのだ。だから初めに一年の目標を決める。そうすることで、皆のベクトルが明確になるから。


 ただ、鳳の意図する本来の目的はこっちじゃない。


 鳳の目的。

 それは、自分が咎められない状況作り。


 どんな文句を言われても、二の句にはでもこれは君達が決めたこと、と袖にすることが出来る。そんな状況を作ることで、鳳は過去と同じ過ちを繰り返さないようにしようとしている。


 だけど、いざ退部問題だとか重い話になると、この男は自らで動こうとは決してしない。それのせいで部活を辞める人は辞めていくし、心を病んだ人は別の誰かがフォローをして救わないといけなくなる。


 どうして、この男が自分から皆を救う行動に出ないのか。



「あんたは思ったわけだ。自分が出て行くことで、皆が余計に苦しむことになるのではって」



 それは、先ほどの話を聞いて理解できた。


 つまり鳳は、未だその高校時代の体験を引き摺っている。自らが全力で取り組んだ結果、周囲のやる気や活力を奪い、そして挙句自分まで、寸でのところまで追い込まれた経験を忘れられていないのだ。


 だから鳳は、問題が発生すると気後れ、どころか介入をやめるのだ。


「でも、それは正しくない。失敗したのなら、同じ失敗を繰り返さないように対策を立てるべきなんだ。今のあんたのしていることは、ただの逃げだ」


「そうですね。でも、対策すれば全てが上手くいくとは限らない。大人は失敗することで、その失敗の責任を取らないといけなくなります。当時まだ学生の頃に逃げ出したツケが、今になって来ていますね」


 鳳は苦笑していた。


『学生は良いものですね。部活動に勉強に恋、色々なことで楽しめる。青春を謳歌出来る』


 先ほどの話は、そういうわけか。

 当時、もし鳳が逃げ出さず、大学時代にも吹奏楽部に打ち込めば。そこで、衝突をすれば。今の彼のように、逃げ出す選択肢以外の、折衷案とも解決案とも言える案を見つけられたかもしれないのだ。


 そうすれば、今の鳳はその時の経験則で、もっとたくさんの人を教えられる吹奏楽部顧問になれたかもしれない。


 ……とまあ考察したが。


「それさえも、僕は逃げだと思うけどね」


 口を尖らせながら、僕は言った。

 結局、それらは全てこの男の言い訳でしかない。失敗したら責任を取らなくてはならない。でも、失敗するのは怖い。そうじゃないだろう。失敗するのがわかっているのなら、失敗してそれを正すべきだ。結局人は、失敗からしか学ぶことは出来ないのだから。


 まあ、なまじ結果は出しているから、指摘するのは結局僕くらいなものだろうが。


「あんた、よくそんな考え方で吹奏楽部顧問だなんて、人を教える立場に就こうと思ったな」


「私も、初めはするつもりなんかなかったですよ」


 鳳はかつてを懐かしむように、優しい微笑みを浮かべていた。


「色々あって、今があります。でもね、今は意外と、教える立場も面白いと思うようになりました。

 成長していく君達や吹奏楽部員の姿。

 日々美しくなる音色。

 練度を増していく音色。


 そして、再び築き上げる音色。


 全て、楽しくて、美しい。

 こんなにもやりごたえのある仕事に巡り合えた私は、幸せものだと思えるようになりました」



 それが、当時と違い、逃げ出さずに今の立場に居続ける理由、か。



「じゃあ、その失敗の対策も、早くしないとな」


「そうかもしれません。でもそれは、多分今じゃない」


「何故?」




「君がいるからですよ」




 聞き終えてからしばらくして、僕は目を細めていた。


「君との関係は、やはり楽しい。こうして自分の胸の内を話したのは、多分君が初めてだ。そんな君が、お節介を焼いてくれる。損得勘定しあえば、切磋琢磨しながら助けてくれるのです。

 ならば今は、それに甘えておくのも手、でしょう?」



「……あと二年もしない内に、僕はいなくなるぞ」

 

「そうですね。その先のことを思うと、少し寂しいですね。

 ……いっそ、留年してはいかがですか?」



「誰がするかっ」


 まったく、この男は……。


 ……。


 まあ、確かに。

 僕もこの男とこうして、色々と持ちつ持たれつの関係でいれる現状は、意外と、ほんのちょっぴり、嫌いじゃない。




「この辺でいいですか?」


 会話がひと段落付いた頃、車は白石さん宅傍の上野駅に到着した。


「ああ、ありがとう」


 シートベルトを外して、僕はお礼を言った。


 ……そして、


「朝倉さんの件は、言い含めておくよ。鳳は今、君達のこと、大切な生徒としてしか見ていないって。ただいつか、頑張り次第ではもっと目を向けてくれるようになるかもしれないよってね」


 僕は言った。


「それではダメです」


 鳳は、先ほどまでの話がなかったかのようにあっけらかんとしていた。


「それでは、希望があるように見えてしまう。もっと突き放してください」


「そんなことして、彼女が吹奏楽部からいなくなったらどうするんだ」


「それも困ります。なんとかしてください」


「はぁぁ……?」


 この男、ちょっと我儘が過ぎません?

 さすがの僕も、苛立ちを隠すことが出来なかった。


「あんた、もしかしてホモか?」


「違います。失礼ですね、君」


 いや、だってそう思うでしょう。僕がどうにかするからって、そこまで恋愛感情に対して無理難題吹っ掛けるなよ。そこまで無下にしようと思っている時点で、色々と思うところがこっちにだってあるよ、そりゃあ。


「……フゥ」


「なんだよ、そのため息」


 鳳が僕の目の前で吐いた大きなため息に、思わず青筋が立ちそうになった。


「失礼。本当は、言いたくないと思っただけです」


「何を」


 あっ、これまた失敗談だな?

 というか、まだあるのか。この男の失敗談は。

 意外とこの男も、たくさんの失敗をしているのだな。


「さっき話したでしょう。高校三年の時、一人の女子に『ようやく終われる』と言われたって」


 そう言い、鳳は当時を懐かしむように遠くをぼんやりと眺めていた。しばらくすると、苦笑にも似た笑みを浮かべ始めて、続けた。




「その人、私の初恋相手だったんです」

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