後悔ない人生
墓地を出てから一時間ほどが経とうとしていた。
僕は行き同様、安藤姉の運転する車に乗っていた。車は中央道を走っていた。都心に向けて進む僕達の車は、対向車線の混みようとは比べ物にならないほど快適なドライブをしていた。
しかし、順調に進む車とは打って変わって、僕と安藤は黙りこくって変わり行く車窓の景色をぼんやりと眺めていた。
「鈴木君、野球のことが好きだったんですね」
車内にて、沈黙を破ったのは安藤だった。お墓以来の会話だった。
「多分ね」
僕は言葉短く相槌を打った。まあ結局、死人に口なし、というやつで、鈴木君に素直な胸中を今更聞くことは出来ない。ただ積もった状況証拠から推察するに、間違いないだろうと思った。
「私が中学野球ファンなのは、先輩も今更だと思うけど知っていますよね」
「まあ」
今更すぎる。言いそうになったが、止めた。
「前はよく鈴木君を追って試合を見に行ったものでしたよ。そんな追っかけをしていたある日、鈴木君。未来のプロ野球選手って銘打たれたインタビューに答えていたんです」
「へえ」
「私も鈴木君に期待していた身でしたから……傍まで寄って話を聞いたんですが。そのインタビューを聞いた第一印象は、『ああ、厳しい親の言いなりで無理してやっているんだな』ってものでした。
鈴木君、その試合は完封勝利をしたのに……。何だかどこか辛そうに、それでいて凄い活躍なのにあそこが駄目だ、そこも駄目だって。まるで自分を追い込んでいるように見えたんです。
ああいう子の将来は、長らく中学野球を見てきた身から言わせてもらうと定期路線なんですよね。高校にあがる頃には、名前すら聞かなくなるって感じです。
初めは、鈴木君も例に漏れなかったんだなって思ったんです」
「へえ、いつかこの姿で会った時には君が彼にそんな事考えてたなんて、思いもしなかった」
「そりゃ、それでも一時は期待して応援していた人が目の前に現れれば喜ぶものでしょ」
「そんなもんかい」
そういえば、いつかメジャーの番組の企画でもそんなことをしていたな。ニューヨークの熱狂的なファンが、昨年他球団に移籍した選手をどう思っているという街頭インタビューに答える、というものだった。
ただこれは、実はドッキリ企画で、街頭で移籍した選手をぼろくそに叩いたファンの背後から、その選手が突然現れるというものだった。
その時のファンは、まるで手のひらを返したかのように、その憎さ満点の選手に握手を求めたり、サインを強請ったりしていた。
つまり何が言いたいかというと、結局人なんてそんなもの、ということだ。
人は簡単には変われない。変わらない。
誰もがそれを知っている。
だから人は人に落胆する。他人の本性を知って落胆する。
だから人は人に期待をする。彼なら出来ると過度な期待をする。
そして。
「でも、そうですね。私、酷い女ですよね。彼のこと深くも知らない癖に、年下の子を誤解していたわけですから」
そして誰もが、後悔をする。
知った気になって。
わかった気になって。
他人に落胆して。期待という重荷を背負わせて。
全てを知った時に、後悔をする。失敗したと後悔する。引き返せなくなって後悔する。
『人は必ず失敗するものです』
ふと、我が校の吹奏楽部顧問の台詞を思い出した。
人は必ず失敗するもの。
つまるところ、安藤は失敗した。鈴木君に対してマイナスイメージを抱き、彼の本性を誤認してしまった。
白石さんもそうだ。鈴木君のことを誤解して、生徒会から追放してしまった。
……そして、僕も。
僕も鈴木君に対して、失敗してしまったのだ。
時たま、思う。
特に最近、彼の過去を知り、一段と強く思うようになった。
どうしてあの時……。
あの時、鈴木君を助けられなかったのか、と。
どうして僕は、彼と一緒に線路に落下してしまったのか、と。
もしも。
もしもあの時、僕がもし彼を救えていれば、僕は一体どうしていたのだろう。
多分、自殺しようとした彼を叱って、仕事を遅刻したことへの文句のためにもう一度彼を叱って。文句を言いながら、駅員に連れて行かれる彼に付き添って……。
そして、彼と友人になれたのではないか。失意の彼の心の支えになれたのではないか。
……彼の自殺を食い止めることが出来たのではないか。
「せ、先輩?」
僕が物思いに耽る内に立ち直った安藤は、何やら戸惑ったように前方に注意しながらこちらをチラチラと覗いていた。
「ちゃんと運転に集中してくれよ」
フロントガラスから外を見ていた僕は、彼女に悪態をよこした。僕の声は、何故か少し震えていた。
彼女は、未だ戸惑っていた。
「先輩」
「何さ」
「どうして、泣いているの?」
「え?」
指で頬をなぞると、涙が指に触れた。僕は今、泣いていた。涙はとめどなく溢れた。気付いた拍子に、より一層涙は溢れた。
いくら拭っても拭っても。涙は止まることはなかった。
止めることが出来ないと悟ると、この涙の意味を、僕は考えた。
そして、わかった。
僕は今、僕がこの体に乗り移らなかった時のことを想像していた。
僕が。
僕が鈴木君を救えていた未来のことを想像していたのだ。
僕が失敗しなかった世界のことを想っていたのだ。
ああ、そうか……。
僕は今、後悔をしていた。
鈴木君を死なせてしまったことを。
彼に、僕を巻き込んで死なせてしまうという十字架を背負わせてしまったことを。
僕は今、後悔していた。
安藤に取り繕う暇もなく、僕はしゃくりあげながら涙を拭っていた。目元はもう、見せれなかった。
「先輩」
安藤の声は、優しかった。
「時間が忘れさせてくれることも、あるんです」
多分、僕の涙の意味もわかっていた。
「私だってそうだった。先輩を失った悲しみはね、先輩と再会出来たから忘れたわけじゃないのよ。先輩を失って、しばらくしたら気付いたの。
先輩、何が好きだったっけ。
あの時、なんて言ってくれたんだっけ。
忙しい仕事を送る内にさ。少しづつね、そんな感じで先輩との記憶が薄れていってたの」
僕は涙を拭いながら、彼女の話に耳を傾けた。
「人はね、忘れる生き物なの。辛い記憶だけじゃない。かけがえのない思い出さえ、忘れたくない記憶さえ、忘れるの。忘れていくの」
安藤は続けた。
「でもそれは当然だよ。だって、いつまでも過去に囚われていたら、人は成長出来ない。
後悔だけじゃない。昔のことをいつまでも振り返っていたら、立ち止まっていたら。それじゃ人は成長出来ないの。
先輩は……『鈴木君』は、成長したいから自分の体と決別したんじゃないの?
白石さんと隣を歩きたいんじゃなかったの?」
……白石さん。
そうだ。
僕は白石さんと成長をしたい。だから僕の元の体とも決別した。……決別したんじゃないか。
こんなところで足を止めていいのか?
後悔しても、何もない。むしろいつか、何に後悔したかも忘れて停滞した事実だけが残る。気付いた時には、全てがもう後の祭りなのだ。
人は忘れる生き物だ。
それは過去から目を背けるためじゃない。先に進むために忘れるのだ。
かけがえのない思い出も。
思い出したくもない黒歴史も。
全て、全て。
「ありがとう、真奈美さん」
僕は俯きながら、彼女にお礼をしていた。
真奈美さんは、微笑んでいた。
もう僕は迷わない。足を止めない。
でもそれは、失敗から目を背けるためじゃない。
もう二度と後悔しないためにだ。
僕はこれから行動しよう。二度と後悔をしないように、最善を尽くそう。
そしていつか、今抱いた感情をふと思い出した時、若気の至りと思えるようにしよう。笑い飛ばせるようにしよう。
それがきっと、後悔ない人生を送る、ということなのだろう。
車は、再出発を決意した僕の心に同調するかのように、目的地に向けてどんどんと先に進んでいった。
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