生き様

 部活動紹介も終わり、外も薄暗くなってきた頃だった。

 職員室と隣接された応接室に僕はいた。向かいのソファーには、鳳と大石君が並んで座っていた。


「それで、大石君は僕の何をそんなに知りたいんだい?」


 鳳はとりあえず黙って静観をするようだったので、僕は威圧しないように微笑みながら彼に尋ねた。

 大石君は俯いて黙っていた。部活動紹介の途中から、彼はずっとこんな調子だ。これではまともに会話も出来そうもない。


「そろそろ喋ったらどうだい」


 呆れたようにため息を吐いて、僕は腕を組んで言った。これじゃ埒が明かない。折角白石さんとの反省会を明日のデートの場にしてもらったのに。

 時間ばかりが無駄に過ぎていく。

 彼が何故こんなにも頑なに黙っているのか。さすがの僕もそれがわからない程馬鹿じゃない。ただ理由がわかっているからこそ余計に腹が立つ。


「まったく。自業自得なんだから、ここまで来たら盛大にやらかせよ」


 大石君がこちらを見た。


「僕に喧嘩を吹っかけていたのなんて、端から見ても明らかだっただろ。今更そんな反省してますみたいな演技をしても無駄だ。沈黙していれば帰してもらえると思ってる?

 帰してやってもいいよ。でもその方が余計君には辛い結果になると思うけどね。

 あの場には新入生一同、並びにそこの人含む学年の担任が一同に集まっていたんだぞ。ここで全てを打ち明けず、なあなあにしたらどうなると思う? そんなこともわからないのかい。時間が全て解決するとなんて思うなよ」


「鈴木君、少し言いすぎです」


 乱暴な物言いをしたつもりはなかったが、鳳に指摘された。


「ごめんなさい」


「ただ、大石君。君も早く胸中を吐露してください。これ以上は時間の無駄だ」


 ただ、大概鳳の言い方もドライだな。


「彼の言うとおり、あの場であんなに煽って、何かあったら時間が解決してくれるとは思わない方がいいですよ。

 君の担任である私が、既にそうする気が更々ないんですから。

 だから、何故あんなことをしたのか。彼に謝るのか否なのか。この場ですぐに決めてください」


 鳳は腕時計に視線を落としながら言った。

 大石君はようやく観念したのか、舌打ちを一つかましていた。どうやら大概なのは彼も同じだったようだ。


「うまくいくと思ったのに」


 大石君はそう呟いた。


「中学の時はあれでうまくいったから、今回もうまくいくと思ったのに。直情的なバカだと思っていたんですが、見当違いだったみたいですね」


 中学の時……? 大石君、中学の時も鈴木君にこんな下らない挑発をしたのか?

 そして、うまくいったとは……。つまり鈴木君は、当時大石君の挑発に乗せられて喧嘩を吹っかけたのか。


 鳳の視線がこちらに向けられた。知っていることは洗いざらい吐けという目だった。

 しかし、悪いが当時を知らない僕には説明出来ることは何一つとしてなかった。目を丸めて黙っていると、鳳のため息が漏れた。


「中学の時とは……君、中学の時にも鈴木君に同じように挑発をしたんですか」


「そうですよ。あの時は傑作だった」


 本性を現した大石君は、薄気味悪い笑みを浮かべていた。彼は続けた。


「目を丸めている彼に代わって教えてあげますよ。丁度、今回と同じ新入生への部活動紹介の時でした。彼、中三の時も似合いもせずに生徒会になんて入っていてね。それもあれだけ熱中していた野球を辞めて。

質疑応答の時間に、質問の返答の度に何かと鈴木さんを連想させる返しをしたんです。大うけでしたよ。彼が野球を辞めたことはそれなりに有名だったから。

 それで……確か、三件目の返答の時でしたね。練習はキツイですかって質問への返しだったかな。

 『生徒会書記さんが投げ出すシニアの練習よりはよっぽどマシですよ』って答えたら、突然彼が大激怒してね。凄い剣幕でこちらに迫ってきて、最終的には先生達に連れて行かれて。辺りはずっと騒然としていました。

 その後は彼、ずっと一人で校長先生に叱られていたそうです。

 本当、今思い出しても傑作だった」


 そうゲラゲラと笑う大石君を見ていたら、内面に湧き上がるような感情が溢れた。しかし、罵詈暴言をすれば彼の思う壺。僕は握り拳を固めて、彼を睨んでいた。


「それで?」


 ただ幾分か冷たくなった鳳の声に、僕の怒りの感情は飛び去った。


「それで、それから当分は普通の学生生活を僕も送れていた。ただ、突然あるニュースが飛び込んだ。それはそこの人がシニアで野球を辞めた理由だった」


 大石君の恨み混じりの視線が、僕の右肩に寄せられていた。

 そうか。鈴木君、最初は肩の怪我を隠していたのか。

 だから茶目っ気で鈴木君を煽った大石君がお咎めなしで、身勝手に野球を辞めた癖に茶目っ気のある煽りに激怒した鈴木君だけが叱られると言う構図が生まれたのだろう。

 ただ、それだけでは大石君がお咎めなしになるには少し弱い気がする。悪気のある発言を彼もしている。喧嘩両成敗と言う言葉だってあるのに、何故鈴木君だけが一方的に悪くなる。


「おかげで僕の経歴に傷がついた。僕は成績優秀者でもあってね。その件で結局教師陣からのお咎めはなかった。でも、同級生からは私怨のようないたずらをしょっちゅうされましたよ」


 なるほど。

 鈴木君だけが一方的に責められたのは、大石君のテストの点数が良く、鈴木君が悪かったから。つまり不良学生に見られていた背景があったからか。

 狼少年は日頃嘘をつき続けたせいで、最後村に狼が来ると言っても村民の誰にも信じてもらえなかった。

 それと同様で、学校という勉学の場では成績の良し悪しで生徒の内面まで把握しようとする現象も少なからずある。

 鈴木君は、成績不良者というレッテルからただ一人教師陣営に咎められたのか。

 可哀想に。


 正直、大石君が自らのせいでされた悪戯の内容など興味も沸かなかった。どんなことをされようと、彼のそれはただの自業自得。ただ一言それで片付けられるからだ。

 ただ彼は、どうやらその常識に囚われていなかったようだ。


「本当に、辛い日々でしたよ。バカな奴のせいでバカな奴らにストレスを与えられ、誰も助けてくれない時間は苦痛でしたよ。

 悪戯される度に内心でフツフツと怒りが沸いていました。鈴木さん、あなたに対しての怒りがね。

 だってそうでしょう。

 あなたが悪いんだ。あなたが初めから肩の怪我のせいで野球を辞めたと言えば、僕だってあんなこと言わなかった。あんなこと言わなければ、僕は同級生に苛められることだってなかった……!

 だから僕はあなたを憎んだ。腹いせをしてやろうと思ったんだ。

 兄貴にアンタが性懲りもなくまた生徒会に入っていると聞いた時は笑いが止まらなかった。そして、前と同じように大衆の前で恥を掻かせてやろうと思ったんだ」


「だから、わざわざ質疑応答で手を挙げたのかい」


「そうさ。うまくいくはずだった。単細胞でバカなあんたなら、絶対に前と同じようにキレると思っていた。そしたらあんたはまた、教師達に叱られると思ったんですよ。後輩の茶目っ気ある質問に激怒したあんたがね。ただ……まったく、がっかりだよ。

 あんたみたいな腑抜けに突っかかって、時間の無駄だった。臆病者め」


 大石君は自らの私怨を余すことなく吐露してくれた。

 僕目線で語らせてもらうと、単細胞で直情的な男はどっちだよ、と言いたい気持ちに駆られる。ただの一方的な逆恨みじゃないか。

 下らない話を聞いている内に、彼への批判の言葉も呆れるあまりに引っ込んでしまっていた。


「何ですか、それ?」


 そんな僕に代わり、冷たい声で言ったのは鳳だった。顔は笑っているのに、目は笑っていなかった。

 思わず背筋に悪寒を感じるような、殺気だった声だった。


「大石君。君の鈴木君への恨みが自業自得かどうかは当事者ではなかった私には知りようがない。だからこの場では言及しません」


 鳳はそう前置きをした。


「ただ、彼への恨みがあったなら、何故大衆の前で恥を掻かせるだなんて手段に出たんですか。小姑の小言のような悪態を付いたんですか。そうしたいなら、大衆の前で彼の悪行を淡々と述べて、謝罪させれば良かったじゃないですか」


 なんて事言うんだ。

 まあもしその場に立って断罪されようと、間違っても僕は謝罪などしないが。


「それも何故発表の場でそれを実行したんですか。あなたの恨みは他の大衆には興味も関係もないことでしょう? 何故他人の迷惑も考えられないんですか? 鈴木君も言っていましたが、君のしたことは他人の時間を奪う迷惑行為です」


「それは……」


「口ごもっていないで教えてください。私の時間まで奪うつもりですか?」


 おおう、怖い怖い。

 さすがイケメン毒舌吹奏楽部顧問。


「答えられないんですか?」


 そりゃ、考えなしに動いた行動を説明しろと言われても辛いだろう。まあ多分、鳳もそれは織り込み済みだ。


「いつまでに答えられますか?」


「え?」


「この場では答えられないんでしょう? なら待ちますよ、担任としてね。いつまでに答えられますか? 約束してください。いつまでに答えられるかを。そうしないと巻き込んだ人達に示しがつかないでしょう?」


 高圧的な鳳の言動に、大石君は最早成す術もなくなったのか、口をパクパクとさせていることしか出来なくなっていた。

 しばらくして大石君は、来週中に何故自分が大衆の迷惑を考えずに僕に腹いせをしたのかを説明してくれると約束してくれた。彼にどう転んでも辛い運命が待ち受けることになった瞬間であった。




 肩を落として帰る大石君を僕達は応接室から見送った。

 僕はまだ応接室を出る気はなかった。彼と一緒に出て行きたくなどなかったから、という理由だった。


「ありがとな。貸しに付けておいてくれよ」


 扉が閉まりしばらくして、僕は鳳に言った。


「止めてください。私のクラスの生徒の不祥事で貸しをつけられるはずがないでしょう」


 鳳は陰鬱げに答えた。立ち上がって、粗茶を振舞ってくれるようだ。

 なんだ。意外と良識があるじゃないか。


「なら、部活動紹介の時にあんたのクラスの生徒に迷惑かけられた分、貸しにしてもらおうかな」


 ニヤつきながら答えるも、


「へえ、あなたが白けさせた空気を私のおかげで取り戻せたのに、そんなこと言うんですね」


 カウンターを食らった。


「ちょっ」


 鳳の食えない台詞で、吹奏楽部の質疑応答の白けた空気を思い出した。


「あれはお前のおかげと言うより、あの新入生のおかげだろうに」


 まあ確かに、大衆の前で独り身であることを独白されたら恥を掻いただろうなあ。イケメンでなかったら。

 でも残念ながら、彼イケメンなんだわ。おかげで独り身であることを知った女子からの歓声が館内に響いていた。まったく、あんなにも喜ばれたのだから良いではないか。


「それでもあなたのフォローを私がしたことは事実でしょう」


 確かに。

 黙った僕の前に、鳳は粗茶を置いた。

 僕は無遠慮に喋り疲れた喉を癒すように粗茶を啜った。


「君も、喧嘩を吹っかけることなんてあるんですね」


 ズズズーと二人して粗茶を啜っていたら、鳳に言われた。


「若気の至りですよー。やだなー」


 一切知らない過去故、僕は適当に茶化す。


「それでも意外でした」


「何が?」


「君は失敗などしなさそうだからですよ」


 ……っは!

 舐めてもらっちゃ困る。僕はそこらの社会人よりも多くの失敗をしてきた男だぞ。その所感はあまりに的外れだ。得意げに言えたことでは決してないな。


「ただまあ、当然でしたね」


 内心でふざけていると、鳳は真面目な口調で話し始めた。


「人は必ず失敗するものです。でもね、失敗を恐れる人は成功など出来ません。むしろたくさんの失敗をした人ほど、もっと成長出来る。たくさんの成長を掴める」


 同感だ。

 今の僕があるのも、昔社会人時代にしたたくさんの失敗があるから。たくさんの失敗を繰り返して、その度に反省して、対策して。

 多分、人生はそんなことの繰り返しだ。でもだからこそ、失敗を恐れない人はもっともっと成長出来る。代え難い成功体験を味わえる。


 ……ふと、気になったことがあった。


「先生は、失敗したことあるのかい?」


「勿論。失敗だらけですよ」


 まあ、昔は『ゴシップ』なんてインディーズバンドをやっていた時期もあったみたいだしな。色々とあったのだろう。


「でも不思議なことでね。昔はそんな昔のことを思い出したくもないと思っていましたが、今ではそんな過去も悪くないと思うようになりました」


 時間が解決してくれる。

 さっきは大石君に否定したことだが、これがあることはまた事実。

 人は忘れる生き物だ。どれだけ大切な思い出も。いつかはまるで波に流される砂城のように崩れ落ちて消え果る。


 そんな脆い生き物だからこそ、自分が踏みしめてきた道標をいつか懐かしめるのだろう。


「おかわり、いりますか?」


「いいよ。もうそろそろ帰る」


「そうですか」


 僕はソファから立ち上がった。

 ふと、遠くからトランペットの音色が聞こえた。博美さんのものだろう。


「やっぱり、貸し一つつけておくよ」


「いいですよ」


「あんたのためじゃない。今日の練習、講師がいなくてつまらないものにさせてしまった部員達のためにさ」


 僕は微笑んだ。


「お人好しですね」


 そう言って微笑む鳳に背を向けて、僕は応接室を後にした。


 廊下を歩きながら、応接室での彼とのやり取りを反芻していた。

 正直に言って、僕は鳳のことが羨ましいと思った。思い出したくもない過去を懐かしむことが出来るようになった彼が、羨ましく思った。


 僕には。

 この体に乗り移った僕には。


 鈴木高広としての記憶がない。


 僕はもう僕じゃない。二十五歳でもサラリーマンでもない。

 決別したのに。心に誓ったのに。

 結局僕はまだ鈴木高広になれていなかったようだ。


「彼のことをもっと知りたい」


 そして僕は思った。

 今日まで必要最低限でいいと思って考えてこなかった感情だった。

 鳳と話して、人間が儚い生き物と知って、沸いてきた感情だった。


 僕は今、僕が僕であるために。鈴木高広であるために。


 彼の思い出を。

 彼のしてきたことを。

 彼の生き様を。


 鈴木高広のことを、もっと知りたい。


 そう思った。




 でも手段は限られていた。今や彼の身なりをしている僕が、昔の彼のことを知りたいと言い始めるのはあまりに不自然だから。

 あてもない中、僕は考えていた。

 何かきっかけはないものか。

 ただそう思っていた僕に、早速一つの機会が舞い降りたのだ。


 四月二十四日。土曜日。白石さんとのデート当日。


「ごめんなさい」


 待ち合わせ場所の東京駅で会うなり謝る白石さんに、僕は目を丸くしていた。

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