泣き落とし

「いきなり何さ」


 本当何なんだ。まさか別れ話か? ええ、無理。病む。

 喧騒とする駅舎を出て、皇居の方に向かって僕達は歩き始めた。白石さんは謝罪以降、何かを言いたそうにしているが俯くばかりで中々話を切り出さなかった。


「この前の部活動紹介で、中学三年生の時のことを思い出していたの」


「……ああ」


 しばらくしてようやく語りだした白石さんに、僕は曖昧な返事をよこした。どうやら別れ話ではなかったようだ。良かった。

 そして、昨日の大石君の発言を思い出していた。確か鈴木君、部活動紹介で彼の挑発に乗って喧嘩を吹っかけたんだよな。


 ……そういえば。

 白石さん、中学三年の時も生徒会会長をしていたんだったな。僕が日々の生徒会活動で雑用ばかりで疲労困憊の中、白石さんはおおよその業務内容を理解していたから雑用があまり回ってこなかったんだった。


 ん?

 ということは、大石君の発言を合わせて考えると、白石さんが中学三年の時の生徒会役員のメンバーは、会長白石さん、書記鈴木君。

 なるほど。まさしく今と同じ役職で、僕達は中学三年の時も一緒に仕事をしていたわけか。


「あの時、あたしは知らなかったの。あなたの肩の怪我のこと」


 ほほう。大石君同様、白石さん達にも鈴木君は肩の怪我で選手生命が絶たれたことを隠していたのか。それで背景を知らない白石さんは、問題行動を起こした鈴木君のことを叱責したのだろう。

 そういえばいつだか、安藤姉は僕の肩の怪我の時期を言い当てていたが、あれは彼女がコテコテの中学野球ファン……いいや、中学野球オタクだから知っていたことだったのだろう。

 時たまメディアに顔を出していたとはいえ、中学野球の星鈴木君の露出の機会はたかが知れていた。故に通な人以外は、それこそ同じ学校に通う間柄の人では、鈴木君のシニア野球の退部理由など知る由もなかったのだろう。

 それかもしくは、あの怪我以来鈴木君が表舞台から去ったから安藤姉はそう思ったのかもしれない。

 まあ野球ファン以外で鈴木君の怪我を知っていそうな人といえば、幼馴染で親しい間柄だった博美さんくらいか。


「へえ、じゃあいつ知ったの?」


「去年の入学式の日よ」


 それはまた随分と遅いな。


「入学式の日、自己紹介があったじゃない? そこであなたの自己紹介の狂いようを見て、思わず隣の席の人に聞いたの。そしたら、あなたが野球で有名なこととか、肩の怪我のこととか教えてくれたわ」


 白石さんの高校一年の時の隣の席の人、か。確か女子だったと思うがあまり覚えていない。鈴木君との関係も濃くないような人だったのだろう。

 そんな人でも知っていたということは、つまりは高校生に入る頃には鈴木君の怪我は周知の事実となっていた。

 鈴木君は当初肩の怪我をひた隠しにしていたが……ある時を境に吐露するようになったのか。はたまた博美さん辺りから漏れたのか。


 それにしても白石さん。当時、他人を信用出来ないとツンツンしていて可愛かったが、他人への興味関心のなさが半端ないな。今では想像出来ない……こともないか?


 皇居外苑を一通り回って、僕達は南下していった。まもなく日比谷公園が望めそうなところまで差し掛かっていた。

 今日のデートはただの散歩に近かった。言うなれば都内の公園巡りだ。いつか上野の公園に行ってから、都内にある大きめな公園巡りを続けていた。こういうのも情緒があって楽しい。


 嘘である。

 ある程度潤沢な資金は溜まっていたが、僕は未だ某携帯ゲーム機を買えていなかった。去年、僕が某携帯ゲームと某ソフトを買うきっかけ作りをしてくれた倉本君とは今年も同じクラスなので、よく「早く買えよ」と文句を言われている。しかし、度々あるデート費用も残しておきたくて、結局僕は彼の誘いを無下にする日が続いていた。

 そして僕は、某携帯ゲームを買わない癖にそのゲームをどうしてもやりたくなって、丁度配信されているスマホゲームでそれを楽しむことにしたのだった。かのゲームの名前は、『ポケモ○GO』。

 一緒にゲームを始めてくれた白石さんとこうして集まってはデートという名目で、レイド巡り、巣巡りを月一の頻度で行っている。これだけは言いたいのだが、この前の博物館デートはちゃんとしたデートだった。ちょっと上野でゲームを楽しんだりもしたが……。


「あの時のあなたは正直怖かった。何を言い出したのかわからなくて、でも隣の人に聞いてあなたの怪我を聞いて思ったの。あなたこの後、自殺でもするんじゃないかって。中学三年の時、生徒会から追い出したあたしがあなたを追い込んでしまったんじゃないかって

 周りの人は最初はあなたの行動に驚いた様子だったけど、あなたはそんなことまったく興味もなさそうだったから、気付いていなかったでしょう?」


「まあね」


 日比谷公園の噴水傍の木陰で、レイドバトルに興じながら昔話は続いた。

 こんなにも深刻な話をしているのに、スマホを互いにポチポチしているのはご愛嬌。これくらいの空気じゃないと、多分白石さんも変に身構えてしまったかもしれないしな。


 それにしても鈴木君、白石さんに生徒会から追い出されたのか。部活動紹介で問題を起こした後にも、これは何かあったのだろうな。例えば、生徒会にい辛くなってサボりがちになったとか。

 

 それにしても白石さん、鈴木君にそこまでのことをして、よく再び近づこうと思ったな。

 まあ、鈴木君を追い込んだのではという不安もあったのだろうが……。もし本当に追い込んでいたとなったら、報復とか途端に恐れるのではなかろうか。それなのに彼女、よく鈴木君に話せたな。そして、鈴木君もよく寛容的に受け入れたな。

 彼女の話から察するに、鈴木君と白石さんの再会の場が訪れたのは去年の入学式の翌日頃だろうか。


 ……ああ、そういうことか。

 

「でも翌日、非常階段であなたが疲れたように階段で座って愚痴っているのを見て安心したの。ああ、自殺とかは大丈夫みたいだなって。

 そして話してみたら、当時のことも気にしていないようだった。謝るのも少しだけ怖くて、あたしはなあなあにしてあなたと一緒に色々してきた。

 そしてあたしは、あなたの厚意に甘えてその事すら忘れ果ててしまった。何だかんだ中学時代の大きな失敗だったから、忘れたかったんだと思う」


 鈴木君は当時のことを気にしていなかったのではない。知らなかったのだ。

 非常階段で彼女と出会ったその日は、僕と鈴木君が入れ替わった最初の日。過去を何も知らない僕が彼女と出会った日なのだ。


 多分、白石さんが当時の鈴木君との一件を思い出したのは、先日保健室から出るや否や、遠くで歩いている大石君を見つけたからだろう。

 部活動紹介で鈴木君が怒る一端を担った、というか主原因だった彼の顔を見て、忘れたくて忘れていた当時の一件を思い出してしまったのだろう。


 そして、思い出す。


『あなたが言うと重みが違うわね』


 僕と彼女が出会ったあの日。手摺を伝って屋上から危なげに降りてくる白石さんは、彼女の身を案じる僕にそんなことを言った。

 僕は最初、この言葉を皮肉交じりな言葉だと思った。ツンツンした白石さんが肩を怪我した鈴木君に放った嫌味だと思った。

 でもこうして彼女と触れ合い、彼女がそんな酷いことを放つ人かと考えてみると、意外にも頭に疑問符が浮かんだ。少なくとも、本心から彼女が悪態を突くことは極稀だ。


 多分彼女は、皮肉でこの言葉を言ったのではない。今になればそう思う。

 白石さんは、鈴木君に憎まれていなかったことへの安心から、思わず洒落のつもりでこう言ったのだろう。肩の荷が下りて、油断して口走ってしまったのだろう。


「そこからのあなたは、本当に頼りにしかならなかった」


 過去に耽る白石さんの目はどこか遠くを見ていた。

 PTA総会。バンドのマネージャー補佐。彼女にはたくさん力を貸した。去年の記憶が蘇る。



 ……そういえば。



『あなたが、あたしを信用させてみてよ』


 いつか彼女にそう挑発された。

 あの時、僕は彼女にもう少し他人を信用出来ないものかと聞いた。その時の彼女の不機嫌そうな顔といえば、それはもう酷くて忘れられない。

 ただこうして鈴木君と白石さんの過去を聞くと頷ける。

 多分、いくら肩の怪我で野球が出来なくなったとはいえ、中三の時に公の場であんなことしておいて、どの口が言うんだと白石さんは思っていたのだろう。

 それでも彼女は荒ぶる内心をこらえてそう挑発したのだろう。


『あなた、本当に高校生?』


 非常階段で、度々彼女にそう言われた。

 中三の生徒会活動の鈴木君の暴走の理由を肩の怪我による不慮の暴走と知り、白石さんは最早本当の鈴木君の姿を見失っていた。問題児という肩書きに疑問符がつき、その時、丁度僕が成果を出してしまった。

 その結果の率直な意見だったのだろう。

 彼女はもしかしたら、中三時代にもっと鈴木君とコミュニケーションを取っていたら、失敗ばかりの生徒会活動にはならなかったと考えたかもしれない。




「そして、あたしはあなたのことが好きになった」


 白石さんの肩が触れた。視線はスマホに落としていたが、少しだけ憂うような瞳をしていたように見えた。

 子供達が噴水に群がって騒いでいた。とても楽しそうだった。


「謝らなければいけないのは僕も一緒だ。公の場で、暴れたことは事実なんだから」


「そうかもね」


 クスリと白石さんは笑っていた。彼女はスマホから視線を外していた。ふいに、僕の手を握った。


「こういう時にどうするべきかしら」


「え?」


「あたし達は中学時代に失敗した。だから、きっと何かをしないといけないの。何かを決めないといけないの。

 そして、もう二度と離れないようにしなければならないの。

 ううん。あたしはもう、あなたと離れたくない。

 鈴木君」


 ひとしきりの白石さんの感情をぶつけられて、僕は黙って頷いて微笑んだ。

 つられて、白石さんも微笑んだ。


「そうだね。じゃあ何故失敗したのか、一緒に考えよう。そして、同じ失敗は繰り返さないようにする」


 だって、と僕は続けた。


「僕も君と別れたくない。ずっと一緒にいたいものね」


 僕達は失敗した。いいや、鈴木君と白石さんは失敗していた。

 でも、僕達は今こうして、互いに寄り添いあい進めている。ならば、同じ失敗は繰り返さない。それだけ肝に命じて進み続ける。それでいいじゃないか。


 人は失敗をする生き物だ。

 

 先日、学校で誰かにそう言われた。その通りだと思う。

 失敗を恐れる人は成長出来ない。それは僕もその身をもって味わってきたことだ。

 でも、失敗に対して後悔するのは間違いだ。後悔したって過去に戻れることはない。僕達がするべきことは、失敗を反省して前に進むこと。

 立ち止まってはいけない。

 彼女のためにも。


 そして、僕のためにも。


「ありがとう」


「うん」


 微笑みながら頷いて、僕は続けた。


「そろそろ行こうか」


 すっかりと日比谷公園のレイドも狩り尽くしたので、僕はそう提案していた。

 このまま芝公園の方へ抜けて、竹芝にも少し寄りたい。内陸県出身だった僕は、海に恋焦がれていた。


「そうだ。鈴木君?」


 仲睦まじく手を繋ぎあい、オフィス街を歩いていたら、白石さんが口を開いた。


「何?」


「そういえば、忘れていた」


 忘れていた?

 何を?

 先ほどよりも少しだけ晴れた顔で、白石さんは続けた。


「また中学三年の頃の話に戻ってしまうのだけれど……。あなた、部活動紹介が終わってからしばらく生徒会を休ませてくれって言ったじゃない? 確か、体育祭くらいまでは中々来なくなったじゃない?」


 え。そ、そうなの?

 やばい。それ知らないよ、僕。


「あの時、あなたは何を理由に休んでいたのかなって、気になったの」


「あぁと……」


 僕は頬を掻いた。


「ごめん。忘れてしまった。確かたいしたことではなかった気がするんだけどさ……」


 そして、少しだけ困ったように頭を掻いた。

 

「そう」


 何とか誤魔化せたようで、白石さんはあまり深刻そうな顔をすることもなく微笑んでいた。多分、今僕が抱いた理由と同様、生徒会に通いづらくなったから、とかそういう理由だと思ったのだろう。


「まあ今度、思い出せたら教えて?」


「うん。勿論。隠し事はしないよ。約束する」


 捲くし立てて伝えると、白石さんのまばゆい微笑みが返ってきた。


「じゃあ、行きましょうか」


「うわわっ」


 ひとしきり昔話も済んで安堵していたら、元気になった白石さんに手を引かれた。

 すっかりと過去との因縁も断ち切れたようで、晴れやかな笑顔の白石さんを見ていたら、心の底から僕も安心できた。辛いことがあっても、多分僕達二人なら乗り越えていけることだろう。そう思った。


 次の目的地の芝公園はもうすぐだ。


 と思ったら、白石さんはなにやら右折をした。


「白石さん、まっすぐ行けば芝公園に着くけど」


 彼女、増上寺で徳川家の墓にも行きたいと言っていたし、キチンと教えてあげねば。


「まあまあ、少しだけ寄り道してもいいじゃない」


「寄り道?」


 どこに。

 とはいえ可愛い彼女の寄り道の誘いを断る紳士の僕ではなかった。文句も言わず、後を着いていった。


 そして……。


「着いた!」


「ん?」


 ん?

 ……ん!?

 赤々とした鉄塔が前方に聳え立っていた。足が震え始めた。


「し、白石さん、まさか昇るとは言わないよね」


「勿論。早く昇りましょう?」


「何言っているの?」


 何で高所恐怖症だと言っているのに、彼女はこう高いところに僕を行かせたがるのだ。


「だって、あなたの怯えた顔可愛いんだもの。もう、言わせないでよ」


「勝手に言っているだけじゃないか」


 前言撤回。

 僕に辛いことを運んでくるのは白石さんで、僕はそれを乗り越えるよう白石さんに強要されているだけでした。

 まあ確かに、君にそこまで言われるなら、君を喜ばすためにも昇ってやろうと思うのだが……。


 だが、聳え立つ電波塔を見上げたら、その気も失せた。


「ごめん。これだけは本当に無理。無理なものは無理!」


 今回ばかりは、僕は彼女に頑なな姿勢を見せなくてはならない。


「どうしても嫌?」


「嫌と言うか無理。多分僕死ぬ」


「そう」


 え?

 何、悲しそうに俯いているの?

 鼻をすすって、目尻を拭って……。


「あたしは、あなたと一緒に昇りたいだけなのに……」


 な、泣き落としじゃねえか!

 出たよ、白石さんの奥義パワープレイ。いつもこれには勝てないんだよなあ……。でも、今回ばかりは抵抗しないと僕もまずい。

 

「ちょ、ちょっと白石さん。周りの目があるからさ。あの……えぇと」


「……グスン」


 あわわわわ。

 嘘泣きとはいえ泣かしてしまった。東京タワーを昇りに来ていた客に睨まれた。周囲の目が痛い。


「わ、わかったよ。行こう」


 僕は落胆したように肩を落としながら囁いた。途端、白石さんは大層嬉しそうに微笑んでいた。やっぱり嘘泣きだったみたいだ。良かった。いや、ちっとも良くない。


 その後はただの地獄であった。

 窓際に行くにも、白石さんに手を握ってもらわないと怖くて足が竦む始末だった。

 

「鈴木君、ほらこっちも!」


 そんな僕の手を引いて、白石さんは大層楽しそうに地上百五十メートルの景色と怯える僕の顔を楽しんでいた。

 結論、僕の彼女はやっぱり色々と酷い。


 怯える中、僕は何とか他所事を考えることで正気を保っていた。

 その時ふと、白石さんの先ほどの言葉が蘇ったのだった。


 結局、鈴木君は何故、部活動紹介から体育祭までの間、生徒会活動をサボったのだろう。

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