Junior high school Era

 夕暮れの中、無事に体育祭は終わった。

 所属していた紅組は、僅差の末白組を下した。皆が歓喜で沸く中、あたしは一人生徒会としての仕事もまた一つ無事完了したに安堵のため息を吐いていた。

 今回は鈴木君のサボりもあり五人体制での仕事になったが、やはり先駆者の功績というのは偉大だなと感じさせられた。

 六人体制。人手が足りるか足りないかの瀬戸際、三十年間で我が校の学生達が幾度となく失敗してきたからこそ、こうして今の体制があるのだなと思わされた。


「皆さん、今日はお疲れ様でした」


 あたしの挨拶に、皆が陰鬱気に応じた。

 お祭り気分の体育祭も終わり、学生達が日常へと戻っていく中、生徒会と体育祭実行委員は最後の仕事を実行するところだった。それは、後片付けだ。今日の数時間のためだけに準備した備品を、これから全て欠損などがないかを確認した上で体育倉庫に戻すのだった。

 事前に準備したボールペンとチェックリストが、夕日で真っ赤に染まっていた。

 やりきったな。

 思わずそう思ってしまった。


「会長。すみません。一つだけ」


 しかし、あたしの感傷的な気持ちを遮るように、体育祭実行委員が手を上げていた。


「何でしょう」


「鈴木君がいないのですが」


「え?」


 言われて気付いた。最近、あまりにも彼がいない時間に慣れてしまったから、まったく気付かなかった。

 あたしは体育祭実行委員陣営。そして生徒会陣営を見回した。

 確かにこの場に、鈴木君の姿がなかった。


「なんだよあいつ、最後までサボりかよ」


 生徒会副会長が不満の感情を叫んだ。

 そういえば彼の姿は、件の野球部部員に転ばされて、保健室の先生に連れられてからは一度も見ていない。


 ……まさか。


「皆さん、片づけを先に始めていてくれますか。少し彼を探してきます」


 顰蹙の声を気にすることもなく、あたしはチェックリストとボールペンを生徒会副会長に預けて、夕日で真っ赤に染まった校舎に乗り込んだ。

 階段を昇って、三階へたどり着いた。そのままあたし達の教室の前までたどり着くと、大きな音を立てながら扉を開けた。

 まだ下校していなかった生徒数名が、驚いた表情でこちらを見ていた。


「鈴木君を見なかった?」


 階段を駆け上ったせいで荒れた息を整えながら、あたしはクラスの男子に尋ねた。確か彼は、平田健二君と言ったか。


「ううん、見てない。そういえば、体育祭の途中から見てないなあ」


「そう。ありがとう」


 悪い予感が的中したことを内心で察していた。

 歯を食いしばりながら、あたしは彼を探すために校舎を駆け回った。しかし、夕日に染まる校舎で彼の姿はまるで見当たらなかった。それはまるで、もうこの校舎に彼がいないとでも言うように。忽然と姿を消していた。


「失礼します」


 最後に、あたしは保健室に立ち寄った。あたしが知る限り、今日彼が訪れた場所の一つである。


「あら白石さん、また熱でも出た?」


 走り回ってきたせいで紅潮した頬を見たからか、保健室の先生はいつかの熱を思い出したのかそう尋ねてきた。


「鈴木君は見ませんでしたか?」


 あたしは先生の言葉を無視して、尋ねた。


「ああ、あなたの彼氏?」


「全く違います。不快なのでやめてください」


 以前も茶化された内容に、あたしは思わず眉をしかめて抗議した。まったく、彼と恋仲になるだなんてありえない。勘弁してほしい。

 そうだ。それよりも、だ。


「それよりも鈴木君は?」


「彼なら帰ったわ」


「帰った?」


 あたしが先生に聞き返した声は、とてつもなく冷たかった。


「たかが足を擦りむいただけで、帰ったんですか?」


 怒りを隠せなかった。確かに彼は野球部部員のタックルであの場で数秒立ち上がれない程に転げた。しかし、その後はまるで何もなかったかのように立ち上がったじゃないか。問題なさそうな足取りで歩いていたじゃないか。

 それなのに、帰った?

 あれくらいのことで帰った?


 そんなの。

 そんなの……ただの仮病じゃないか。


 生徒会活動を休む件は事前に連絡をしてくれたからまだ許せた。遅刻だって、結果的には姿を見せたのだから追及はしなかった。

 でも。

 でも、仮病でのサボりだけは許せなかった。こちらに何も言わずに帰るのは……面倒事から逃げ出すのは、それは違うじゃないか。筋が通っていないじゃないか。


「白石さん、彼とキチンと話はした?」


 何かを察したのか、保健室の先生は深刻そうな顔であたしにそう尋ねた。

 しかし、遂に我慢の限界を向かえたあたしは、先生の問いかけに苛立ちばかりが募った。

 あの彼とキチンと話したか、だと?

 何故、あんな人と話さなければならないのだ。


「彼となんて話すことはありませんっ」


「あなた、一度は彼に助けてもらってここに来たじゃない。少なからず恩義はあるんじゃない?」


 恩義?

 今日まで、彼はどれだけ生徒会活動を休んだ?

 どれだけ彼に、あたしは迷惑をかけられた?


「そんなのありませんっ!」


 怒りで震える手を握りながら、あたしは先生に対して怒りをぶつけてしまった。

 先生は、一瞬呆気に取られた顔をしたが、しばらくしてあたしの前に立ち、あたしの両手を優しく握った。


「白石さん、彼は不器用な子よ。でも、誠意はあるの。周りはちゃんと見ているし、理由もなしに誰かを傷つけたりもしない。

 だから、少しだけ考えてあげてほしいの。寄り添ってあげてほしいの」


「先生は彼の味方なんですかっ!?」


 先生の言い分を聞いていたら、まるであたしが悪いみたいに聞こえて、あたしは吼えた。

 彼の気持ちも汲まずに、一方的に吼えるあたしが悪いみたいじゃないか。

 悔しさで頬に涙が伝った。多分、この時のあたしはまともな思考回路じゃなかった。


「味方というわけじゃない。ただ、あなた達は分かり合えると思っているだけなの。キチンと話をしてほしいだけなの」


「もういいです」


 先生の手を振り払って、あたしは校庭に戻った。

 激情に駆られるままに、誰の指図も受けずに仕事をこなした。

 そして、悟った。

 無断でサボる鈴木君は信用できない。私怨で物を語り、利己的な行動に出た副会長も、彼に賛同した他の生徒会メンバーも、体育祭実行委員のメンバーも、あの先生だって。


 皆、信用なんて出来ない。信用なんかしちゃいけない。

 結局こうやって裏切られて、あたしが苦しむだけなのだから。だから他人なんて、二度と信用なんてしてなるものですか。


 そうして翌日、六月十三日。あたしは生徒会活動が休みなのにも関わらず、放課後鈴木君を生徒会室へ呼び出した。

 彼は上の空であたしの呼びかけに応じた。内心、既に怒りに駆られていた。


 そして……。




 先に生徒会室で待つこと数分、扉がノックされた。


「どうぞ」


 扉が開かれた。今あたしが一番怒りに駆られている人、鈴木君が顔を覗かせた。


「ご無沙汰ね、鈴木君」


「どうも」


 簡素な挨拶で、あたし達の会話は始まった。ただ、二人ともぶっきらぼうに返事をしていた。


「座ったら?」


 いつまでも扉の前に立ち続ける彼に、業を煮やしてそう提案した。


「いや、いいよ」


「そう?」


「ああ。そんなに長話にもならないだろう?」


 ばつが悪そうにそっぽを向きながら伝えられた。確かにそうだと思ったので、それ以上は何も言わなかった。


「鈴木君、早速だけど教えてくれるかしら?」


 あたしは怒りの感情に一度蓋をして、彼に尋ねた。

 彼に情状酌量の余地があるのか。昨日の保健室の先生との一件で、少しだけ胸に引っかかっていたから、そう尋ねた。


「何を」


「最近、どうして生徒会を休み気味なのかしら?」


「……どうだっていいだろ。僕の勝手だ」


 ただ彼は、先日同様やはりまともに取り合ってくれなかった。


「そう」


 あたしは生徒会室の自分の定位置で、怒りの感情を隠すように俯いていた。

 昨日はあんなに晴れていたのに、今日は先ほどまでずっと雨だった。一日ずれてくれて良かったと心から思った。

 そうでなくては、あたしは彼に対して、更に長い間悶々とした思いを抱かなければならなかったのだから。


「何も教えてくれないのね」


 最早聞くまでもないが、最後通告のつもりで尋ねた。

 夕日に染まった鈴木君の顔は、いつも通り冷淡なものだった。


「関係ないだろ」


「そう」


 思わず握り拳を作ってしまった。溢れんばかりの激情で、どうにかなってしまいそうだった。

 あたしは立ち上がって続けた。


「結局あなたも、他の人と一緒だったのね。あなたも結局、信用なんて出来ない」


 やはり保健室の先生の言うことは間違いだった。

 彼は他の生徒会メンバー同様、信用出来ない。他人の不幸を笑い、蔑む彼らと変わらない、信用出来ない人間なのだ。

 一度でも先生を信用しようと思ったあたしが馬鹿だった。


「まあ、いいわ。元に戻るだけだもの」


 自分に言い聞かせるように言った。これで彼とは晴れて無関係だ。生徒会での関係も解消されるのだ。

 一度でも信用しようとした甘ったれた自分を戒めるように。


「そっか」


「うん。あなたの好きにするといいわ。鈴木君」


 ただ、とあたしは続けた。


「もうあたしには、二度と関わらないで」


 彼を睨みながら、あたしは言った。

 その後はこの場にいても彼と喧嘩をするだけだと思い、生徒会室を後にした。


 しばらく頭を冷やしてから教室に戻ると、既に彼はいなくなっていた。


 それ以来、鈴木君が生徒会活動に参加することはなくなった。




 あたし達がまだ中学三年生の時の出来事だった。

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