Complaint
水曜日。
何とか梅雨前線の到来を今日まで回避できた我が校は、無事に本日体育祭を開催するに至った。思い出したくもないひと悶着もあったが、まずはこうして壇上に立ち、生徒会長の挨拶を迎えられたことを嬉しく思えた。
それだけ、少人数での生徒会活動は疲労とストレスを感じざるを得ない日々だった。去年は六人体制で進めた生徒会活動を、今年に限っては五人で挑まざるを得なくなったのだから当然だった。
鈴木君は、副会長とのいざこざ以降も生徒会活動への参加はまばらだった。週に一回くればいい方、悪い時には一度も顔を見せなかった。
あたし含む生徒会メンバーは、それはもう彼への不満を募らせ続けた。一番忙しくもなる体育祭の準備期間に、碌な貢献もしない彼への不満がたまらないはずがなかった。
死に物狂いで準備して当日を迎えたというのに、その日に限って彼が顔を見せたことも怒りを覚えた理由かもしれない。そう、体育祭当日の今日、彼は今、登壇で挨拶するあたしの前に、生徒会役員のメンバーとして立っていた。
呑気な顔で登校してきて、生徒会の事前準備に混じり始めた時には頭がどうにかなりそうだった。ただ、あたし含む役員一同は既に彼への不満を言う気力すら残されておらず、そのまま流されるように彼の暴挙を許してしまったのだった。
無事に挨拶を終えると、学生達は早く体を動かしたそうにその場で飛んだり軽めの準備運動をしたりしていた。
全校生徒で準備体操をして、まもなく始まる体育祭に備えた。
我が校の体育祭は、各学年が三クラス毎に紅組白組に分かれて、各競技をこなし、順位に応じたポイントを獲得していく。最終的に紅白でポイントが多い方が勝利となる。まあ、どこにでもあるルールだ。
午前中は大縄跳びや大玉ころがしなどのクラス全員が参加する競技が締めて、昼食を挟み、リレーや騎馬戦などのクラス選抜競技を実施する手筈となっていた。
生徒会、体育祭実行委員は、事前会議で一番大変になる時間帯は備品準備が目白押しの午前中になるだろうと睨んでいた。校庭の脇に準備された備品を、いかに円滑にスムーズに準備するか。そして、競技場に残された備品をいかに手早く撤去するか。
事前の数度の打ち合わせで、役割を決めた後に、あたし達はこの場に臨んでいる。まあ、なんとかうまく進めたいものだ。
しかし、やはりそううまくいかないのが机上論と実践の違いだろう。
最初の種目、学年別の大縄跳びが終わった。この場ではすぐに大縄を撤去して、次の種目の綱引き用の綱を用意する手筈になっていた。
しかし、体育祭実行員の一年の子が自分の持ち場を間違え、一本だけ大縄が残るアクシデントに襲われた。
一本だけ残った大縄に学生達がざわつく中、生徒会メンバーも体育祭メンバーも足が完全に止まってしまっていた。
そんな中我れ先にと飛び出したのは、鈴木君だった。
中傷するような笑い声が上がる中、淡々と一人で大縄を回収していった。
「お、自己中先輩。自分の仕事を忘れてたのかなー!?」
どこからか飛んだ野次に、学生達が沸いた。
「あいつ……」
隣にいた書記さんがあからさまに顔を歪めていた。
「あの子がどうかした? 後輩みたいだけど」
「鈴木君も糞野郎だけどさ、あの子も大概ろくでなしなのよ。部活動紹介の時、鈴木君を挑発したのも彼よ」
なるほど。あの子が例の。鈴木君が怒った一件は、野球部の質疑応答中の出来事と後ほど書記さんに聞いていた。つまり、彼は野球部か。
「しっかり仕事しろよ、鈴木!」
生徒会が恥を掻いたからか、副会長は生気を取り戻して頭ごなしに鈴木君を叱っていた。今回ばかりは鈴木君に非はないが、これまでの前科が前科なので擁護する気にはならなかった。
鈴木君は謝罪することもせず、うつろな瞳で副会長の気が済むのをジッと待っていた。
それからは特に問題もなく、円滑に体育祭は進んでいった。
午前の部は終了し、昼食の時間が始まった。生徒会、体育祭の一同は固まって昼ごはんを食していた。通常の学生に比べて、あたし達の休憩時間は十分程短くなっていた。その間に次の種目の準備を進めるのだ。
鈴木君は、この場にいなかった。
「あいつ、午後から休んだりするのかな」
それに最初に気付いたのは副会長だった。うんざりしたように愚痴っていた。
「あり得る。あいつのせいで最初の大縄跳び、ぐずったもんねぇ」
それは彼のせいでは決してないのだが、あたしは黙って彼女らの話を聞いていた。
「おかげで俺も怒っちゃったよ。叱られないような行動を心がけて欲しいもんだ」
副会長が言っていた。当日の持ち場もキチンと覚えていない癖にどの口が言うのだ。しかし、周囲は副会長の意見に賛同していった。
この場での全てのミスは鈴木君のせい。
まるで手頃なサンドバックを見つけたと言わんばかりに、あることないことを全て彼のせいにするような会話がなされていた。
鈴木君も大概だが、この人達も大概だな。
そう思った。自分の仕事すら全う出来ていなかった一年生が、一緒になって鈴木君のことを愚痴っていた時はさすがに不快感を隠せなかった。
弁当は半分程度しか食せていないが、この場に残っていたくなかった。
席を立つも、あたしはすぐに手持ち無沙汰になり、トイレでも行こうと足を進めた。
「じゃあ、ヒロちゃんは……」
その途中、廊下で誰かの話し声を耳にした。深刻そうな声色に、思わず物陰に隠れてしまった。
ヒロちゃん?
こっそりと廊下を覗けば、鈴木君と吹奏楽部トランペットの明智さんが話していた。え、何で明智さんを知っているかって? それはあたしが彼女の演奏にメロメロだからだ。
そんなことは良くて、二人は一体何を話しているのだろう。
「どうしてこうなってしまったんだろう」
明智さんの言葉への返答なのかわからないが、彼女の言葉からしばらくして、鈴木君は淡々と言っていた。
明智さんは、俯いたきり何も言えなかった。
「いやまあ、わかるんだよ。僕は自分勝手に行動しすぎた。でも、あまりにもむごい。そう思ったらさ、邪な感情で始めたことだったんだけど、悲しくなってさ」
鈴木君の言い振りに、これが恐らく生徒会活動の話なのだとあたしは結論付けた。あれだけ自分勝手に行動すれば、そりゃ信用は失うわよ。と文句を言いたくなった。
他の生徒会メンバーも大概だが、彼も大概だな。やはり鈴木君を擁護する気には更々ならなかった。
「ヒロちゃん。この後リレーあるじゃない?」
「そうだね」
「ヒロちゃん。走りなよ」
「無茶言うなよ」
いつもより少しばかり抑揚のある口調で、鈴木君は苦笑していた。
「無茶でも、だよ。走ればきっと、嫌なことも吹き飛ぶからさ」
微笑みながら、明智さんは言っていた。
「そうかな」
「うん。絶対そう」
鈴木君は苦笑していた。
「あたし、進言するよ。絶対にする」
「ありがとうな」
「ううん。幼馴染だもん」
そこまで聞いて、彼らの会話を盗み聞くことへの興味も失い、あたしは元来た道を引き返した。そろそろ丁度いい時間だろう。
ただ、午後の部は生徒会メンバーはそこまで忙しくはないはず。
鈴木君も、リレーのメンバーとして駆けっこ出来るだろう。
持ち場に戻ると、そこにはまだ誰もいなかった。昼食を取っていた場所から談笑する笑い声が聞こえた。ゲラゲラとした不快になる笑い声だった。多分、まだ鈴木君への中傷が終わっていないのだろう。
「あら」
あたしの次に持ち場に戻ったのは、鈴木君だった。
取り留めない会話を交えて、あたし達は他のメンバーの帰還を待った。彼らは、集合時間に五分程遅れて現れた。
あたし達は午後の部への決意を固めた。といっても、形式ばかりの下らない物だった。
手短に準備も終わらせ、クラスの集まりに混じった。
「鈴木、リレー走るんか?」
男子生徒が鈴木君に尋ねていた。
鈴木君は、ぶっきらぼうな顔で黙って頷いた。
「そうか。こりゃ優勝間違いなしだなー」
そうして、午後の部最初の種目、リレーが始まった。
クラス選抜の紅白対抗で計四チームに別れて、リレーは実施される手筈になっていた。選抜選手は事前に壇上付近に集まるが、鈴木君もその輪に加わっていた。ウチのクラスの選手交代は滞りなく進められたようだ。
そうして、いくつかの準備の後、リレーは開始された。
鈴木君の所属するBチームは順調にバトンを繋いでいった。順調に、一番でバトンを繋いでいた。
「あっ」
しかし、鈴木君の直前のランナーがバトンの受け渡しに失敗してしまった。落ちたバトンを拾う内に、Bチームは最下位まで転落していた。
「お願いしますー」
そんな風に叫びながら、後輩の女子は鈴木君にバトンを繋いだ。
鈴木君が走り出した。
……!
快刀乱麻という言葉が脳裏をよぎった。それほどに、鈴木君は自らの快速をいかんなく発揮していた。あれよあれよと、コースの中盤あたりで他三チームの男子を抜き去った。その中に一人、先ほど鈴木君に罵声を浴びせた野球部の男子が混じっていた。苦々しい顔をしていた。
そして、鈴木君の快速ぶりに、学生達も沸きあがった。
……しかし。
バトンを繋ぐ直前、鈴木君は苦悶の表情を浮かべると、大失速をしてしまった。
「先輩、おっせーよ!」
そして、先ほど抜き去った野球部男子の後方からのタックルにより、鈴木君は前転しながら地面に倒れた。
歓声が、途端に凍りついた。
リレーは続いた。
鈴木君は未だ立ち上がれていなかった。うずくまりながら、右肩を押えていた。
Bチームが半周遅れする頃、鈴木君はようやく立ち上がった。ふらつく足取りで、次のランナーへとバントを繋いでいた。
足こそすりむいていたが、その後は普通の足取りで歩いていた。どうやら鈴木君は無事のようだ。
ただ、待機するリレー走者の列に戻る彼に、事態を案じた保健室の先生が近寄っていた。
既に学生達の意識が鈴木君になくなった頃、保健室の先生に連れられて、彼はその場から退場していった。恐らく保健室に直行するのだろう。
まあ足を擦りむいただけだろうし、すぐに戻ってくるだろう。
リレーが終わると、Bチームの面々が鈴木君にタックルした野球部部員を引き連れて生徒会と体育祭実行委員の前に現れた。
「あれは故意だろ」
議論は、野球部部員のタックルが故意か否か。もし故意であれば、野球部部員の所属するAチームの処分をどうするか。皆で考えなければならなかった。
「あんなとこで減速するからかわせなかったんですよ。危うく僕も怪我するところだったんだ」
「お前、直前で彼の方に近寄っていたじゃないか」
「そんな証拠あるんですか? なら見せてくださいよ」
悪魔の証明に近い言い分に、Bチームのリーダーは口を閉ざした。
「皆、あれは故意だろう?」
最早こちらに判断を委ねるしかなくなった彼は、切願するような瞳でこちらを見ていた。ただそんな瞳ではいても、彼は自分の言い分が通ると信じて止まなかったのだろう。
しかし、
「あれは故意じゃないです」
副会長は言い放った。
勝ち誇る野球部部員に対して、Bチームリーダーはそれはもう呆気に取られたように口を開けていた。
そして、あたしも正直に言えば呆気に取られていた。だって、あれはどう見ても……。
「ちょっと待ってくれ。あれはどう見ても故意だろう」
「故意じゃないと言っているでしょう。主催者側がそう言っているんだ。それが結論だ」
副会長の言い分はあまりにも横暴だった。
そして、あたしはようやく気付いた。
副会長が客観的意見でなく、鈴木君への私怨でこの判定を下したことを。
そこまでするのか? と正直思った。いくら真面目に彼が仕事をしなかったとはいえ、私怨で彼に不利益を被らせるのか。
しかし、確かに彼に対して擁護する気も起きない。あたしはただ傍観者としてその場を見送った。
そして結局、この判定が覆ることはなく、Bチームはリレー最下位から順位が覆ることはなかった。
鈴木君は、結局体育祭中、校庭に再び姿を見せることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます