ガールズバンド結成
定刻通りに試合が開始されて、早十分程度が過ぎた。
本日の先発は、神奈川に縁のあるハマグチ。左の速球派。に見せかけた技巧派で、カナガワ大出身だ。きっと今頃、T○Kあたりが彼のことをポジっていることであろう。
さて、そんなハマグチと本日投げあう相手の先発はヤナギ。彼らは同い年で、大学ドラフト一位仲間でもある。かつ、ヤナギもまた神奈川に縁のある、あの甲子園優勝したこともあるヨコハマ高校のOB選手だ。きっと今頃、TV○あたりが彼のことでポジポジしていることであろう。
初回の攻防。
ハマグチは味方のエラーや彼の代名詞である四球で、二死からランナーを貯めてしまっていた。今や満塁の大ピンチだ。
「頼むよー、ハマグチさんよお」
僕は座席で頬杖をつきながら、重苦しい幕開けを迎えた先発投手への激(野次)を送っていた。
「大丈夫だよ、大丈夫」
しかし、そんな僕とは違い、安藤さんは依然と落ち着き払っている。さすが、プロ。先ほどの一件以降、僕は野球のことで彼女に勝てないと悟り、今や尊敬の眼差しすら送って、彼女の言葉に深く頷く姿を見せていた。形無しである。
「その心は?」
とはいえ、初回の大ピンチにそこまで落ち着いていられるのも大層不思議だったので、そう聞いた。
「試合の結果はね、関係ないの。今後に繋がるプレーが見れれば、あたしはもう満足なの」
つまるところ、負け惜しみ。彼女、どうやらこの大ピンチに、僕より深く悟りを開いてしまったみたいだ。
暗黒時代を知る横浜ファンにありがちなやつである。つい数年前まで横浜は、シーズン九十敗。勝率でいえば三割台と暗黒期と呼ばれる時代があったのだ。そんな時代は、勝率から見てもわかるとおり、三試合に一試合しか勝ち試合は見れなかった。
その時の横浜ファンといえば、やれ彼の選球眼は凄い、だの、やれ彼のタイトル争いを応援するのにシフトした、だの、試合結果そっちのけで精神安定を常に図っていた。常軌を逸していたと、今になると思わされる。
「……おっ、回った回った」
僕は興奮気味に左手を上げてくるくると回した。所謂スイングのサインである。
「よっしゃー」
「わーい。抑えたー」
二人で、初回のピンチを乗り切ったことをハイタッチで称えあった。僕達がプレイしているわけではないんですがね。
ただやはり、この瞬間はこの世の何事にも変えがたいくらいに幸せな瞬間である。
「ようし、裏の攻撃だね! ゴホッ、ゴホッ」
意気込む安藤さんが咳き込んだ。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
背中を擦る僕を制しながら、彼女は微笑んで答えた。そういえば彼女、今日は少し喉が枯れている気がする。
「風邪でも引いた?」
心配げに聞く僕に、安藤さんは困ったように苦笑していた。
「ははあ。さては昨日あんだけ騒いで、喉を潰したね?」
昨日の彼女の様子を思い出した僕は、目を細めて言った。
「え?」
「え?」
なんだ、この反応。絶対に合っていると思ったのに。
途端に、安藤さんは笑い転げた。
「アハハ、違う違う。あんなの日常茶飯事だもん。喉をつぶすわけないじゃん」
あんなの日常的にしないでくれよ、という僕の文句は声になることはなかった。
まあそれはおいておいて、ならば何故彼女、喉の調子が悪いのだろう。
「じゃあ、何で?」
「えぇとね」
安藤さんは再び苦笑していた。
「あ、カズキ様ー!」
僕はバックネット越しにグラウンドの方を見直した。いつの間にか先頭カジタニは倒れていて、カズキ様が打席に入っていた。
カズキ様は、甲高い彼女の声援に気付く素振りはなく、いつものルーティーン、構えで打席に集中しているように見えた。
「イーヤサッサー! カッミサトー!」
隣で、安藤さんはカズキ様の応援歌を熱唱していた。喉が枯れているのに、そんなに大声張って言いのかい。
途端、元気ハツラツな彼女に対して僕は、呆れと羞恥の感情を覚えた。なるべく知り合いと思われたくないものだ。
そんな外野が集中出来ていない状況は、選手達には一切関係なかったようで、一ボール二ストライクから、カズキ様はセンター前へヒットを放った。
「きゃー。打った打った!」
彼のヒットにスタンドが沸いた。そして、安藤さんも沸いた。珍妙なダンスのように小さく跳ねながら、歓喜の声援を送っていた。
というか、安藤姉と彼女が一緒に球場に来たら、どうなっていたんだ、これ。
想像するだけでも恐ろしい。
「いやー、代表監督の前でいいアピールになったよ、絶対」
「代表監督?」
「ほら、あの辺だよ」
安藤さんは、僕達の真後ろ当たりにある記者スペースの個室を指差していた。
「あの辺に、井上監督が今日来ているの。四年に一度のスポーツの祭典の代表選考みたい」
本当彼女、コアなファンだな。僕だってそんな情報知らないぞ。
「そんな情報、どこで?」
「フフフ。今はスマホ一つあれば大抵の情報は調べられるんだよ、鈴木君」
ああ、SNSの類ね。
それよか、井上監督か。確かつい先日までは一局のスポーツニュースのコメンテーターをやっていた記憶がある。2千本安打を達成した優男みたいな印象だったが、今回晴れて、代表監督に就任したんだな。
ただ、代表監督って結構貧乏くじなところあるんだよな。負けるとすぐにバッシングにあうし。
「ようし、満塁だー」
いつの間にか試合そっちのけで井上監督に同情していた僕だったが、安藤さんの叫び声にも近い発狂に視線をグラウンドに戻した。
いつの間にか、フタフリとサノスが塁上へ。初回のこちらと同じく、ヤナギも満塁のピンチを背負っていた。
「打てー、ホセー!」
「厳しいかもねえ」
必死に応援する彼女と違い、僕は少しだけ冷めた目でホセの打席を見守った。彼女も言っていたが、今年に入ってからホセの打席では加齢による衰えを感じる場面が多々ある。正直、期待しすぎない方がいい気がする。ゲッツー回避出来れば、万々歳みたいな。
……ところが。
「きゃー! 打ったー!」
「うっそ」
ホセの当たりは、レフトへのタイムリーヒットとなった。
スタンドが、安藤さんが、沸きあがった。トランペットの音にあわせて、球団応援歌を皆が合唱。
「バンザーイ! バンザーイ!」
そして、ハイタッチの嵐。安藤さんは、前と後ろの人にハイタッチを求めていた。コミュ力たけえ。
「いやあ、ナイスタイムリーだったね、鈴木君!」
安藤さんに笑顔でハイタッチを申し込まれ、僕は手を合わせた。
「まさか、打つとは」
本心を吐露すると、
「そう? あたしはずっとやってくれると思ってたけどね! さすがホセ! 愛している」
安藤さんは発狂した。
あんたつい昨日、電話でホセは衰えたとか言ってたじゃん。手首返しすぎだ。電動モーターか何かかよ。
その後もチャンスは作ったものの、加点はなく、二回表に攻撃は移行していく。
「そういえば、喉大丈夫?」
「え? ああ。そうでした」
安藤さんはすっかり忘れていたようで、苦笑しながら頭を掻いていた。
「どうして喉の調子悪いの?」
相手打線が下位打線ということもあり、平穏無事に進む二回表に事欠いて、僕は彼女に聞いた。
「よくぞ聞いてくれたね!」
ない胸を張りながら、彼女は得意げに続けた。
「実はあたし、今文化祭に向けてバンドの練習をしているの」
「バンド?」
バンドって、あのバンドか。演奏者の。
「何でまた」
「いやあ、ウチのクラスの瑠璃ちゃんや他クラスの美緒ちゃんと光ちゃんに誘われて断れなくってねえ。だって、可愛い声してるからボーカルしてくれなんて言われて、断れると思う?」
「人によるとしか」
言葉を濁して伝えると、安藤さんは不服そうに頬を膨らませていた。
「あたしは断れなかったの! で、ギターとか歌とかを遅くまで練習してたら、喉にきちゃったの」
恨めしげにこちらを睨んでいた安藤さんだったが、なんだか妙案が浮かんだように声をあげて、手を合わせた。
「そうだ。鈴木君も協力してよ」
「協力?」
「うん」
大層嬉しそうに安藤さんは頷いていた。
「実はね、昨日白石さんに電話したって言ったでしょ? それも、今回のバンドの件で電話したんだよ」
「へえ。なんでまた」
「実は、バンドを結成したのはいいんだけどさ、あたし達皆素人なの」
「おいおい」
よくバンドしようなんて一念発起出来たものだ。これが若さか。
「で、皆文化祭に向けて頑張るつもりはあっても、何をしていいか見当が付いてなくて。明日、学校で話そうってしていてね。そこに白石さんも参加してもらうことになっているの」
なるほど。それをお願いするために昨日彼女に電話した、と。
「それで、その場に僕も参加してくれないか、と」
僕は考えた。正直に言って、中々に面白そうな話だなというのが本音である。
いつか鈴木君に対して、青春を謳歌してみせるだなんてのたまった癖に、未だその糸口すら現状は見出せていないからだ。
ほら、バンドって何か青春っぽいじゃん?
でもなあ。
「僕、楽器を演奏したことってあんまりないんだよね。多分あんまり協力出来ないと思うんだよ」
そんな奴がいても無駄だろう。
「いやいや、大丈夫。その辺は一切期待していないから」
「おい」
本心を吐露しすぎだ。
「だって、野球一筋だった鈴木君が楽器まで演奏出来たら、向かうところ敵なしになっちゃうじゃん。ヤマカワじゃないんだし」
その例えは余計だったが、確かに。
「じゃあ、何を期待して呼ぶの」
少しだけ不満げに僕は聞いた。
「決まってるじゃん」
とても清清しい笑顔で、安藤さんは続けた。
「いつものやつ、だよっ!」
「そうっすか」
まあ、夏休みは一ヶ月もあってバイト以外は暇だしな。折角だし、協力させてもらおうか。
「じゃあ、こちらからもよろしく頼むよ。是非、仲間に入れてくれ」
頭を下げると、安藤さんは大層嬉しそうに微笑んだ。
「うん。一緒に頑張ろうね」
明日の予定も埋まったところで、僕達は再び試合に集中した。
試合は横浜にとって順調な展開そのものだった。ヒットが止まらず、毎イニングのように加点していって、最終的に八対二で勝利を収めたのだった。
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