ボールパーク。なけなしのプライドは水洗便所へ
駅のある通りを抜け、信号待ちをしていること数分。
「すごい、もう結構いるねー」
安藤さんも思わず目を見張った観客数の多さ。横浜スタジアムのある公園には、既にそれなりの今日の試合の観客と思われる人達で賑わっていた。
本当、数年前からは考えられない賑わい方だ。数年前であれば、GWとかお盆休み以外、特に平日のナイトゲームなんか座席が埋まっていないことなんか珍しくなかったのに。今では平日カードであろうとなかろうと、チケットを取ることが困難である事は少なくない。
そんなことからわかるように、横浜の人気度は年々高まりを見せている。
理由はいくつかあるが、ニュース界隈などで最も取り上げられている物は、観客一体となって楽しめるイベントの豊富さだ。イニング間には、球団広報部が考えたであろう催し物の数々が実施されており、試合の展開関係なく楽しめたという観客は少なくないそうだ。確かに他球団と比較しても、横浜のイニング間、試合前のイベントの豊富さは目を引くところはあるとも思う。
まあつまるところは、数年前に起きた球団の身売り騒動で球団を買収した新興ゲーム企業の営業努力の結果の賜物で得た人気、という見方が定説である。
初めは、あまりクリーンなイメージのないゲーム会社が買収するのか、というところで様々なところから、不安の声や不満の声も噴出したものだが、今となれば十二球団でも屈指の営業努力を見せる件の企業に不満の声を漏らす人もごく僅かである。
本当、現在の地位を確固たるものにしてみせた手腕は尊敬に値する。
T○S時代の加地社長の人柄は好きだったし。筒香一本吊り判断などは、後のチームにとって最大の功績だったと言えると思うけどね。
ちなみに、先ほどまであんなに熱心に語った球団努力が人気確保に繋がった説だが、実は僕はこの見解に否定派である。
勿論、球団努力による人気が微塵もないとは思っていない。ただ、そういう要因は人気の土台作りにはなっても最たる要因にはなり得ない。僕の贔屓するチームがプロ野球チームである以上、イニング間のイベントが最たるファンサービスではないと言うことだ。
どういうことかと言うと、要はイニング間の催し物を楽しんでいる人がいるとしても、根っこは皆贔屓チームの勝利を願っていると言う事だ。
つまり、勝つことが最大のファンサービス。
事実、横浜の試合のチケットが取れなくなった時期は、前半戦首位ターンをした二千十五年。九十八年以来の優勝が現実味を帯びて、チームやファンが一体となって盛り上がって、そのままシーズンを駆けていき、何故か最下位でシーズンを終えたあのシーズンだ。
終わりよければなんとやら、という言葉はともかく、あの年は本当にチケットを取るのが大変だった。混戦模様のペナントレースもファンが沸き立つ一因になったと思うが、やはり何よりチームが勝っていたことが大きな要因になったことだろう。最後に最下位だった事実にはあえて目をつぶる。
というわけで、こうしてスタジアムが活気づいたのはチームが強くなったからという理由が大きい。
そして、そんな発展目まぐるしいチームの球場も年々進化を続けている。理由は簡単。球場の改築もまた、球団の人気作りの土台になるためだ。
変わったことといえば、スタジアム各地にあった入場ゲートは二箇所に絞られ、座席のカラーは統一され、人工芝は張り替えられ。
そして、
「うわー、レフト側のウイング席出来てるー」
「四月には出来てたけどね」
最たる進化点は両翼に設置されたウイング席。四年に一度のスポーツの祭典に向けて、野球の会場となった件の球場には、キャパシティー拡大のための座席が追加された。
これにより、当初三万人だった球場キャパシティーは、三万五千にまで増築された。
ちなみにこのキャパシティーの数字だが、実は増築後もプロ野球球団の保有する球場の中では真ん中ぐらいに当たる。皆がよく知る東京ドームなんて、キャパシティー五万五千人もあるから驚きだ。
球場のキャパシティーというものは、言うなれば球団を保有する側にとっては利益を得る格好の的である。一試合あたりに入る客数が増えること。それすなわち、チケット売買により得られる利益が増えることに直結する。特に横浜なんて、二千十九年の試合平均空席率は五%未満というレベルなのだから、もっと座席を増築出来れば、企業側も潤沢な利益を得られるはずなのだ。所謂、需要と供給という奴だ。
ただ、それに至れない理由は複雑で、平たく言えば法律に引っかかるから。今回の場合は、都市公園法という法律によって、建築物の占有面積が決められるため、これ以上の増築を見込めないというわけである。
こういう企業側の目論見とか、それに至れない背景などを勉強するのは、結構楽しいと個人的には思っている。それじゃあどうしていけばいいのか、というプロセスストーリーを球団目線で妄想し、時間を潰すことが出来るからね。
ただ、そんなことを安藤さんに話した結果が、これだ。
「そんなことより、今日はヤスアキジャンプ出来るかな?」
どうやら、高校生には興味深い話ではなかったようだ。
凹む。
そんな凹むやり取りをする僕達は、件のウイング席の真下付近にあるグッズショップに足を運んでいた。
グッズショップには、既に列が出来ていた。これも球団の営業努力の賜物だと思うと、感服する思いだ。
待つ事数分、やっと冷房の効いたショップ内に入ると、彼女はタオルコーナーへ足を運んだ。いつにもまして真剣な眼差しでどのタオルを買おうか吟味している。恐らく、汗を拭く目的で購入を検討しているわけではない。
先に語ったイニング間のイベントもそうだが、試合中にタオルを使った催し物が結構あるのだ。そのイベントの際、どれを振ったらより楽しめるか、を真剣に考えているのだろう。
「鈴木君、何買うか決めた?」
しばらくして、安藤さんがユニフォームコーナーにいた僕を見つけて、声をかけてきた。
「うん。これにするよ」
待っていましたといわんばかりに、僕は背番号五十二が書かれた縦じまのホームユニフォームを彼女に見せびらかした。
「へえ、あんなに推しているって言ったのに、タイラーのユニフォームじゃないんだね」
「うん。ホソカワはそろそろ出てくると思っているからね」
そう言うと、彼女は不思議そうに首を傾げていた。
「出てくるなら、出てきてから買えばいいんじゃない?」
「甘いね、安藤さん。ホットケーキよりも甘いよ」
得意げな笑顔で、僕は続けた。
「その頃には、この五十二番のユニフォームは店頭から無くなっているのさ。だから近しい将来、きっとこの番号のホソカワのユニフォームはレアになる」
「ああ、そういう」
選手が有名になるにつれて、背番号がより若い数字に変わっていくのは結構恒例行事である。稀に一つの番号で統一される人もいるが、大抵は活躍したシーズンの翌年とかに、一~九までの空き番号に収まるケースはしょっちゅうだ。例を出せば、先ほど語った筒香だってルーキーから三年間で二度も背番号を変えたことがあるくらいだ。
つまり、そういう通過儀礼を終え、一流への仲間入りを果たした選手の古い番号のユニフォームを着ている選手は、それだけで他者にマウントを取る資格を得れるということなのだ。これほど単純なマウント取り、他にありはしないだろう。
学生にとってそれほど安い買い物ではないものの、それほど後悔もなく、僕はそのユニフォームを購入した。ついでに、もう一つ驚いたことがあった。それは、会計の際の清算が対人でなく機械であったことだ。こういう人件費削減も、立派な営業努力の一つである。
今後とも、かの企業の発展を祈るばかりだ。
十六時半。
入場ゲートが開門する頃には、先ほどまででも公園内に溢れていた人手が更に一層増していた。
僕達はチケットを見せて、軽い持ち物検査を受け、コンコースを歩き、九番ゲートを通った。
「うおお。近い」
眩しい西日に目を細めながら、前方に広がる光景に感嘆としていた。
バックネットの向こうに生い茂った芝生。球団エンブレムが回るバックスクリーンを見ていると、まるでテーマパークにでも足を踏み入れたのではという錯覚すら覚えた。
グラウンドで、選手達がシートノックに打ち込んでいる。内野間のボール回しも、同じ人間がやっているとは思えないような強烈さ、速さで、見ているだけで心が躍った。
「ほら、座席行こう」
練習に目を輝かせていた僕を、安藤さんが引っ張った。
彼女はチケットの半券を確認しながら、少し階段を昇ったところの座席で足を止めた。
「鈴木君が奥だね」
なんと安藤さん、角席を購入していた。今や人気球団でチケットを取るのも大変な横浜の内野席の角席だ。
「いい席取ったんだね」
へへー、と誇らしげに安藤さんが胸を張る。そっちはあまり誇れないのが残念だ。セクハラでした。すみません。
「さ、早く着替えて応援しよう」
「そうだね」
まだ試合開始には一時間以上あるのだが、彼女も結構気合が入っているんだなあ。
選手の怒号にも似た声を聞きながら、僕は買ったばかりのおニューのユニフォームに袖を通そうとしていた。
しかし、
「ん? んん?」
安藤さんがブカブカの懐かしい縦じまのユニフォームを羽織っているのが目に入って、言葉を失っていた。
「ふう。うん? どうかした?」
「ど、どうかしたって」
僕は彼女が羽織ったユニフォームを指差しながら、声を震わせていた。
彼女が着ているユニフォームは、何と我らが横浜が最後に優勝したシーズン、千九百九十八年のホームユニフォームであった。そもそも彼女が生まれていない時代のユニフォームを当然のように着だしたものだから、思わず声を震わせてしまった。
……いいや、落ち着け。
そうだ。当時は箱根駅伝、甲子園、そしてプロ野球と神奈川フィーバーに沸いた一年だったんだ。いくら彼女が生まれていないとはいえ、どこかでそれを入手しても何ら不思議ではない。
それに、彼女のユニフォーム。僕は知っているぞ。
どうせ、スズキとか、ローズとか、ササキとか。当時の有名選手の物だろう? だったら、そんなのミーハーと何ら変わらないね。
そうだ。彼女は所詮ミーハー。そこらでアイドルに肩入れするミーハーと何ら変わらないんだ。その証拠に今も、カズキ様ハートと書かれたピンク色のフリル付きうちわを鞄から取り出しているし。
……え、それ僕の隣で振るつもり?
え、ちょ。勘弁してくれよ。
おっと、話が逸れたな。彼女、中々に曲者みたいだ。
とにかく! 彼女はミーハーに違いない。その正体暴いてやるよ。十年来のファンである僕の意地とプライドにかけてね!
「ね、安藤さん?」
引きつった笑みで、僕は彼女に声をかけた。
「え、何?」
カミサトに黄色い声援を送ることを一時止めて、こちらに可愛らしい笑顔で振り向いた。ふん。可愛い顔しても無駄さ。こと横浜に関して、僕は一切の容赦はないからな。
ただ、その前に。
「えっと、試合中はなるべく全うな応援をしようね。ほら、他のお客さんの迷惑になるから」
「当たり前だよー。あたし、これでも分別あると思うから、安心して」
いや、無理なんだが。
まあ、いいや。一応言質はとったし。
「ところでさ、そのユニ懐かしいね。買ったの?」
「あー、違う違う。お父さんのお古。ただ、動画でピッチングを見てから、すっかりあたしもこの人のファンになっちゃってさー。今でも安眠動画として寝る前に欠かさず見てるよ」
野球って安眠にも効果あるんだな。知らなかったわ。
と、そんなことはおいておいて。
「へえ、誰のユニ?」
ほうら、化けの皮を剥いでやるよ。見せてみな。
「うん? この人のだよー」
安藤さんは、自分のお気に入り選手に興味を持ってもらえたからか、大層嬉しそうに背中の番号を見せてくれた。
「どれどれー?」
その可愛らしい姿は、いくらミーハーとはいえ、キツイ当たりをするのはやめようと僕に思い留まらせる程度には毒気を抜くものであった。
「アハハ。えぇと……ん?」
彼女の背中には、背番号十三。IGARASHI。五十嵐。
ヒゲ魔人じゃねえか!
この子コアすぎるだろ! 何から何までおかしいよ!
「どうかした? 鈴木君」
一瞬彼女の笑顔が、まるで死の宣告を伝えにきた死神のような、そんな悪魔的なものに見えてしまった。
「ちょ、ちょっとトイレ行ってくる」
僕は素直に自分の負けを認めることが出来ずに、彼女の元を離れた。僕のなけなしのプライドと意地は、恐らく水洗便所の如く、スイッチ一つでたやすく流され消えていくのだろう。
そんな近しい将来の予想図が脳裏をよぎって、僕はいつもより長く個室に留まった。
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