いざ、決戦の地へ
東急東横線に揺られ、菊名を出たあたり。武蔵小杉あたりではまだ空席があった車内だが、横浜に近づくにつれて、人だかりが増えていく。
人が増えて、少し騒々しい車内に、僕は目を配った。
夏ということで、クールビズらしくネクタイなしワイシャツ姿のサラリーマンが座席に腰掛ける僕の前でスマホをいじっている。学生はこの時期長期休暇だが、社会人になるとそんなものお構いなし。そういえば、大学時代にインターンに行った会社の人たちが口々に言っていた。「若いうちに遊んでおけ」と。
ブラック会社に入って、激務をこなした今、その人達の言っていた気持ちが痛いほどわかってしまう。大人になるにつれて、自由な時間は減っていく。自由な時間が減ることはすなわち、誰かに束縛される時間が増えるということだ。束縛されることで人は、知らず知らずの内に神経をすり減らしていってしまう。
向こうで、部活動帰りらしい学生達が楽しそうにスマホで動画を見ていた。どうかその笑顔を忘れずに、今後も頑張っていってもらいたいものだ。
なんて感傷的な気持ちは、今や二度目の学生生活を送る僕が抱くにはお門違いな感情である。
『次は、横浜。お出口は、--』
車内アナウンスが流れた。電車の速度が少しづつ緩まっていく。出口に人だかりが出来初めた頃、電車は完全に停止して、音を立てて扉が開いた。
我先にと人が電車から降りていく。国内屈指のターミナル駅とあって、下車する客は少なくなかった。
「ふう」
そして僕も、下車する客の一人である。
昨今の鉄道事情に特別詳しくない僕ではあるが、このまま電車に乗り続ければ電車が中華街あたりまでは行くことは知っている。
それでも僕が電車を下車したのは、理由がある。
「暑いなあ。地下なのに」
まだまだ夏も始まったばかりのこの季節であるが、今日の気温は三十五度を優に越えていた。いくら十五歳の身とはいえ、所謂猛暑と呼ばれる暑さに耐えがたいことは、皆の想像に難くないと思う。
だから僕は、あえて横浜駅で途中下車をして、電車を乗り換えて目的地へ向かった。そのために、安藤さんには待ち合わせ場所を関内駅に指定していた。
元町・中華街で降りるより、関内で降りたほうが件の球場への距離は断然近い。信号一つ渡るだけだし、何なら駅の通りを越えたらもう目の前にその姿を拝める。
イヤホンから音楽が流れる。ショパンのバラード。いつもなら感傷的な気分になりたい時に聞くこの音楽も、今の僕には、まるでポップシングのように心躍る曲だった。それくらい、僕は今日の野球を楽しみにしていた。
エスカレーターを登って、地下道を進んだ。スロープ上の通路には、まずコインロッカーがあり、その先には横浜駅の歴史が説明されている。もう数十年にも及ぶ工事を未だにやっているこの駅は、スペインの世界遺産のように完成の目処は立っているのだろうか。甚だ疑問である。
再び、エスカレーターを登った。地下から地上に舞い戻ると、ブワッと顔面に熱気が押し寄せた。それだけで額に汗が溜まってしまい、思わずズボンのポケットからハンカチを出して、汗を拭った。
「ふう」
年甲斐もなくため息が漏れた。そんな僕の様子を気に留める人はいなかった。皆が皆、自分の行きたい方向へと進んでいく。忙しなく進んでいく。
仕事なのか。恋人とのデートでもあるのか。はたまたトイレでも近いのか。
この場でこんなに呑気に構えているのは、恐らく僕だけだと錯覚してしまうほど、目に映る人々には心に余裕がないように見えてしまった。
そんな中僕は、変わらない調子でJRの改札を通って、根岸線のホームに上った。
昔は狭くて危険だ。こういうところ改善する工事しろよとぼやいていたこのホームも、この姿で初めて訪れたからかなんだか懐かしさすら覚えた。
試合前になるとユニフォーム姿の乗客で溢れるこのホームも、試合よりもかなり前に集合する都合上、片手で数えられる程度しかファンの姿は見られなかった。
空いている電車に乗り込んで、扉にもたれて目的地の駅に着くのを待った。
車窓からの景色は、全てが懐かしかった。
桜木町から見えるランドマークも。
パシフィコ横浜も。
僕が高所恐怖症を発症する原因となった観覧車も。
全てが懐かしく思えた。
関内に電車が滑り込んだ。耳なじみのある球団応援歌のメロディーに乗せて、電車を降りた。改札へ向けて歩いていく人達も、この音楽に乗せて進まれるとまるでタンゴでも踊っているのかと錯覚してしまう。嘘である。
改札を出て、買い換えたばかりのスマホで、ヘルメットを被る駅舎の写真を撮って。
いざ……。
「あ、遅いよー。鈴木君」
「ごめんごめん。下車客が多くて、進むのが大変だったんだ」
決戦の地、横浜スタジアムへ!
「いや、改札出てからここまで十枚ぐらい写真撮ってたよね? それで数分使ってたけど」
「野暮なこと言うなよ! ハハハ!」
集合時刻三十分前に着いたから、まさか安藤さんが既にいると思っていなかった。だからのんびり映える(笑)写真を撮っていたのだが、どうやらその姿さえ見られていたようだ。
軽快に笑い飛ばすも、彼女は白い目でこちらを見ていた。
というかはっきり言って、これ僕悪くないよな。遅刻してないんだし。そんな言い訳が通じる様相はなく、僕は仕方なく彼女に平謝りしていた。
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