女の敵、スケコマシ

 所変わって現在。

 僕はといえば、いつかと同様に安藤さんの部屋で、彼女と白石さんと三人で勉強に励んでいた。


「鈴木君、また間違っている」


 採点係を買って出てくれた白石さんの機嫌が悪い。


「こんなのも間違えるとか、鈴木君弛んでるんじゃない?」


 訂正。安藤さんの機嫌も悪い。

 このくらいの年の女子は、機嫌がまるで通電中のモーターのようにころころ変わるなあ。おかげで、僕の肉体がどうなったのか、とか、僕の家の場所はどこだ、とか、安藤姉に聞ける暇がない。

 ちなみに、安藤姉は僕の部屋がどこにあるかを覚えているはずだ。いつか彼女と一緒に仕事帰りに飲みに行った時、僕は彼女に酔い潰された。その時、情けなくも家まで介抱してもらったのだ。あの華奢な見た目で、彼女意外と酒は強い。


 そんなことよりも、この彼女らが不機嫌なのは何が原因なんだ。早く解決してもらいたいものである。当たりが強くて溜まったもんじゃない。


「鈴木君、部屋の外ばかり気にしてどうしたの」


 白石さんが冷たい声で言った。


「え」


 この重苦しい空気の中にいたくないだけだが。

 彼女らは顔を見合わせると、あからさまなため息を吐いて見せた。


「何さ。僕に何か言いたいことでもあるのか」


「あるけど」


「お姉ちゃん見てから、鈴木君ソワソワしすぎ」


 そういうことか。前回と今回で、僕の勉強にあたる姿勢が違うから。彼女ら、僕が大人の魅力(笑)に魅了されたとでも思っているのか。

 大層心外だ。安藤姉を気にしているのは、彼女が僕の元同僚であるから。それだけの理由だ。

 ため息を吐きたいのはこちらの方だ。そう思ったから、僕はあからさまなため息を二人に見せた。


「君達、僕を何だと思っているのさ」


「女の敵」


 と安藤さん。


「スケコマシ」


 と白石さん。


「え、そんな風に思ってたの?」


 割と本気で凹むんだけど。

 口をあんぐりと開けた僕をほうって、二人は勉強に戻った。この対応、恐らく冗談で言ったわけではなさそうだ。更に凹む。


「いや、心外なんだけど」


「何が」


「鈴木君、勉強する気ないなら帰ってもらえる?」


 女子が徒党を組むと恐ろしい。今更ながら僕はそんなことを思って、渋々勉強に戻った。


「ま、まあ確かに、安藤さんのお姉さん。綺麗だとは思ったけどね」


 渋々勉強に戻った途端、白石さんが口を開いた。勉強する気ないなら帰れよ。


「えー、そうかなあ。今日もバッチリ化粧してるみたいだったし」


 安藤さんも手を止めて、反論する。いや、君も勉強しろよ。しないなら帰れよ。あ、彼女の家ここだった。


「もう、いくら大ファンだった子が家に来るからってはしゃぎすぎ。子供じゃないんだから」


 安藤さんの視線がチラリとこちらに向いた。

 僕は勉強に励む手を止めない。止めたら、また何か言われそう。


「でも、そういう童心を忘れない心も大切じゃないかしら」


 それ、童心なのか?

 まあ、いいけど。

 白石さんの視線がチラリとこちらに向いた。


 しばらく無言の時間が流れた。二人して、僕に何かを求めているような気がする。


「白々しい男ね」


 白石さんが吐き捨てた。


「いや、もうどうしたらいいかわかんないから」


 ああいえばこういう状態に、堪らず僕は言った。


「で、実際のところはどうなの?」


「何が?」


 安藤さんの瞳が揺れていた。


「お姉ちゃんのこと、どう思ったの?」


「はい?」


 どう思ったって、そりゃ、『あ、同僚だ』以外の感想はないが。強いて言うなら、何とか連絡先を交換出来ないか、と考えているくらいだ。彼女に近づければ、僕の肉体が今どうしているかを突き止められるはずだ。

 しかし、含みのある二人の態度に、僕は気圧されていた。


「何も言えないの?」


 沈黙は何とやら。このままではあらぬ誤解を生みかねない。ただ、本当のことも言えないし。ああ、困った。

 とりあえず、茶化せば何とかならないだろうか。


「いや、僕って紳士だろ? こういう時反応に困るのさ」


「くだらない」


「これだから男子って」

 

 駄目だった。

 今日に限って、彼女ら手厳しいな。


「まあ、成人するとあんな感じなんだなーとは思ったよ」


 仕方なく、正直な心境を吐露する。

 二人は意味がわからないと言いたげに顔を見合わせていた。


「何? 仕事を辞めて気が滅入りそうな状況なのに、とても元気そうじゃないか。大人になると、取り繕うのがうまくなるのかなって」


 口にして思い出す。そういえば彼女、仕事を辞めたんだったな。会社で何か嫌なことでもあったのだろうか。いやでも、ああ見えて忍耐力はある子だったと思うんだよな。僕の後輩だったくらいだし。世間体とか気にして、すぐ辞めるなんて判断は下さなさそうなのに。

 そうすると、何故だろう。


 そんな時、扉がノックされ、開かれた。


「鈴木君、サインちょうだーい」


 安藤姉、丁度良い時に来たな。


「お姉ちゃん、今勉強中ー」


「えー、ちょっとくらいいいじゃない」


 文句を言う安藤姉に、安藤さんは呆れた様子だった。


「もう、お母さん達のもらいなよ」


「駄目。家宝にするって譲ってくれなかった」


 家宝て。オーバーだなあ。将来を絶たれた選手のサインだぞ?

 ……いや、待てよ? これ、丁度いいのでは?


 とりあえず、この不機嫌コンビの気を荒げないよう、一度断るか。


「えぇと、でも僕、サインのレパートリーなんて持ってないですよ? バカ正直にフルネームを書くだけになるんですが」


「ほら、こう言ってる」


「お母さん達に書いたサインそのままでいいからさ。ね、おねがーい」


 このままサインを書いては、また怒られそう。苦笑気味に二人の顔を見た。

 白石さんは苦笑していた。

 安藤さんは、目が合うと呆れたように肩を竦めていた。


「じゃ、じゃあ一枚だけ」


 重い腰を上げて、色紙を受け取った。


「きゃー! きゃー!」


 うるせえ。

 仕事中もそれくらい覇気を持ってあたってくれよ。と、今更意味もない愚痴を僕は脳内でこぼしていた。


「達筆で! 達筆でね!」


「ああ、はい」


 達筆ねえ。こんなもんか?

 縦書きで『鈴木高広』と僕は書いた。そして、色紙の脇に小さく数字を羅列していく。


「え?」


 安藤姉は素っ頓狂な声を上げていた。


「僕の番号です。実は、あの二人のことで相談したいことがあって。堂々と話せる内容でもなくて。怒られそうだから」

 

 苦笑しながら、小さな声で僕は言った。


「うわー、ありがとう」


 安藤姉は、何かを察したのか一瞬で態度を翻してサインを受け取った。こういう時、彼女機転が利くから助かるね。


「今晩電話するよ」


 小さな声で囁かれた。

 僕は苦笑して、


「これでいいですかね?」


 と言った。


「うん。もう大満足! ありがとう! 家宝にするよ!」


 て、あんたも家宝にするんかい。この一家、鈴木君を教祖か何かと勘違いしていないか? さすがにカルトチックで少し引く。


「じゃあ、ごゆっくりー」


 安藤姉が引き上げて行く。

 それにしても彼女、仕事で見ていた時とはまるで別の顔をしていたな。あれが素の彼女、だったのだろうか。新鮮なものを見れたという気持ちと、もっと早くあの顔を知りたかったという気持ちが半々くらい。もしもっと早く知れていれば、僕達はもっと仲良くなれていたのかもしれない。


「ごめんね」


「いいよ。大したもんでもないし」


 ひとまず、事なきは得たようだ。その事に安堵しながら、僕は再び勉強に励んだ。

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