恋のキューピット(?)になってしまった。
今日日見ない贈り物
朝目を覚ますと、僕はなじみのある天井を見る。いつものように着替えて、ご飯を食べて、鈴木君の母親と軽く話して、家を出る。
「おはよう」
「うん。おはよう、ヒロちゃん」
鈴木君の幼馴染だった博美さんは、毎日早くに学校に向かっている。つい先日前まではあんなにも吹奏楽部に行くのを嫌がったのに、今ではあの鳳という顧問に言われたからではなく、自ら望んで朝練に出向いているらしい。
「でも、あたし寝坊助だからいつもミナミちゃんに電話して起こしてもらっててね」
お茶目にそう頭を掻く彼女は、どこか憎めなくて、僕は思わず微笑んでしまう。
教室。
朝早いこともあり、まだ誰もいない。
「おはよう」
いや、先客が一人いた。
「おはよう、白石さん」
部活動に所属する生徒達が活動を始めるより早く、彼女はこの教室にいた。一人、本を読んでいた。
「何を読んでいるの?」
どうしてこんな早い時間から一人教室で本を読んでいるの、とは聞かない。野暮だと思ったから。
「シェイクスピア」
「へえ、意外だね」
「あら、どうして?」
「意外とロマンチストなんだなって」
「ロマンチスト以外はシェイクスピアを読んだら駄目なの?」
どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
「いや、そんなわけないよ。ただそう思っただけ」
苦笑しながら、僕は言った。彼女は未だ不機嫌そうだった。
そんなあまり面白くない時が流れていると、向こうの北側校舎から音色が響いた。トランペットの音色だ。
とても綺麗な音だった。
思わず、白石さんに取り繕うために言おうとした言葉を忘れてしまうくらいに。
「白石さん、朝早く学校に来るようになったの、最近からだよね」
「あなたもよ。鈴木君」
いつの間にか穏やかな顔で、僕達は音色に耳を傾けていた。
「この音、聞くためだろう?」
「お互い様ね」
白石さんは、それ以降話を打ち切って、本を読むのみ没頭した。
ああ、なるほど。
この綺麗な音色に、シェイクスピア。
例えるなら、牛肉と白米だ。絶妙にマッチして革命を起こすこと請け合い。
……もう二度と、たとえ話をしないと、僕は胸に誓った。
トランペットの、博美さんの音色に耳を傾けて、目をつぶった。これはどんな安眠BGMより効果ありそう。一家に一台欲しいわ。
しばらくして、校庭で叫び声にも近い声が響いた。そして、ボールを蹴る音。
その音とトランペットの音色が交じり合う。すると不思議なことに、いつもは騒音問題だとクレームをつけたかったけたたましい部活動の雑音も、オーケストラの綺麗な音色を奏でる一員のように交じり合っていった。
「ちょっと、鈴木君!」
「んがっ」
「もう、朝っぱらから大口開けてよだれ垂らして寝てないでよね」
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。呆れ顔の安藤さんが、こちらを見ていた。
「ほら、そろそろチャイム鳴るよ」
「あ、うん」
よだれをハンカチで拭いて、気付いた。すっかりトランペットの音色は聞こえない。ああ、朝練。もう終わってしまったのか。なんだか損なことをしてしまった気分。
そういえば、もう一人早朝通学していた生徒は何をしているのだ。
振り返って顔を合わすと、
『バーカ』
口パクで、白石さんは僕にそう言った。余計なお世話だ。
まあ、いい。あの音を聞きながら眠れるだなんて、幸せなことではないか。
こうして、僕のいつもの一日が幕を開けた。穏やかで、平凡で、のどかで、自由な一日が。
ただ、こうして生活を送っていると、時々わからなくなる。いいや、忘れてしまいそうになる。
自分が何者なのか。自分は以前、何をしていたのか。
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僕が自席の机の異変に気付いたのは、昼休み明け最初の授業の時だった。
昔学生だった時は、教科書を学校に置いて帰ることなど普通のことだったのに、最近は毎日のように教科書を持ち帰っては勉強をしていた。やはり、年を重ねたことで、昔よりも知的好奇心が強くなったのだと思う。
そんなわけで、僕の机の中には常に何も入っていない。
勿論その日も、荷物は全て鞄の中に仕舞っていたから、そこには何もないはずだったのだが、昼休み、久しぶりに安藤さんと食堂でご飯を食べて、戻って自席でのんびりしていると、机の中に何かがあることに気がついたのだった。
クシャ、という音が真っ先に耳に入り、恐らくこれが紙状のものであることを認識した僕は、おっかなびっくりしながらその紙を引き出した。
誰かが自分の席と間違えて入れたのだろうか。もしくは嫌がらせの類だろうか。
最初はそんなことを思っていたのだが、
『果たし状』
封筒に書かれた達筆な文字を見て、僕は思わずそれを再び机に仕舞いこんでしまった。
「どうしたの?」
「いや、何も」
果たし状?
果たし状って、あの果たし状?
今日日そんなもの目にすることないぞ。というか、今日といわず十年前の学生生活でもこんなものお目にかかったことなかった。
これは安藤さんに見せたら、また変な誤解を生んで噂になる。
瞬時にそれを察した僕は、彼女が教室を出た五限目終わりの休み時間に、その封筒を開けた。
『本日、一八〇〇。体育館裏の駐輪場で待つ』
「うわあ」
思わず声に出た。本当、時代錯誤甚だしい。
この果たし状を書いた人、五十代とかだろ。
「というか、何でこんなもの」
よく考えれば、果たし状ということは、僕は誰かに決闘でも挑まれるのだろう。だとしたら、誰かに恨みでも買ったのか?
正直、思い当たる節がないし、付き合ってやる義理もないなあ。
でも……。
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約束の時間になった。
部活動に勤しむ子達の声が校舎の方から響いている。この時間に校舎に残っている生徒は、部活動をしているか、もしくは果たし状を受け取った者、贈った者くらいしか残っていないことであろう。
僕は、面白半分でこの『果たし状』を出した人を待った。今日はバイトもなかったし、たまにはいいだろう。
それにしても。
「遅いな」
僕はポケットに仕舞っていた果たし状を開いた。紙には確かに、今日の一八時と書かれている。
「遅刻とは感心しない」
一方的な約束を取り付けておいて時間厳守をしないとは、自由奔放な子らしい。決闘を挑むより前に、その腐った性根を叩き直したい気持ちに駆られた。
そうして待つこと三十分。
少し暗くなってきた頃、目の前に一人の男が見えた。その男はこちらに気付くと、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「鈴木高広。どうして呼ばれたかわかっているか」
男は、僕の目の前に立つや否やそんなことを言った。
「わからない。それよりなんで三十分も遅刻した」
「ふん。そんなことはどうでもいいだろ」
「良いわけないだろう。人を呼び出しておいて遅刻するとは何様だ。遅刻するならそれで、事前に連絡をしろ。そっちの都合に合わせてこっちは来てやっているんだ。相手に都合に合わせてもらっておいて、自己中心的な行いをするな。そういう行為で人からの信頼を失っていくこと、わかっているのか」
「え、ごめんなさい」
まくし立てると、男は素直に謝った。
「ああいや、こっちも言い過ぎた。ごめん」
素直に謝られて、僕も高校生相手に大人げなかったと謝った。
変な空気が流れる。
「ふ、ふん。鈴木高広。お前、何で呼ばれたかわかっているか」
仕切り直して、男は言った。アドリブが中々聞かない男みたいだ。
「わからない」
「わからない?」
わざとらしく、男はこちらを睨んだ。
「本当にわからないのか」
「うん。心当たりがない」
「何だと?」
男は僕に凄んだ。ただ、さっきの一幕を見ているから正直あまり怖くない。
「き、貴様ー!」
校舎まで響いてそうな叫び声で、男は叫んだ。
「貴様なんかが、貴様なんかが……」
プルプルと男が震えだす。どうやら、怒りがこみ上げてきているみたいだ。
「決闘だ。鈴木高広! どちらが白石さんにふさわしいかはっきりさせよう!」
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